2013年12月25日水曜日

赤白鍋料理対決!

ハウスの管理人がフットサルの試合後の打ち上げで鍋を作ることになった。

これ、管理人と食いしん坊の住人が「鍋対決」と称して2つの鍋を作ることになった。

鍋と言っても大きさは「ちゃんこ鍋」位大きい。

管理人が白(塩味)担当、住人が赤(チゲ)担当だ。

20人ほど集まったから一人200円も貰えれば材料費は十分。
どちらも市販のたれを使って作ったが、鍋が大きいから、たれの味は気休めにしかならない。

でも、野菜や肉、たらをぶち込んだら、十分に美味しくなった。

そこに麺まで投入した。

白にはうどん、赤にはラーメンが入った。

若い子はラーメンが好きだから、人気は絶対的に赤が有利だった。
すぐに無くなったけれど、まだ仕事から戻っていない人がいる。

鍋はほとんど空っぽだ。

材料が残っていたから、2度目の白は私が作った。

たらは、血合いを取って塩をした後、湯通しして臭みを取った。
鶏肉は、いったん炒めて表面を焼きしめた。

それを見ていた管理人が「さっきは、洗っただけでぶち込みました」と言う。
だから、それでちょっと臭みがあったことを説明した。

野菜が沢山あったのでそれを放り込んで塩と酒だけで味付けした。

薄味だけど、たらの臭みが無くなってずいぶん風味が引き立った。
ポン酢を混ぜて食べると本当に美味しい。
もっとも、旬のたらだ。
まずいはずがない。

下処理、恐るべし。

鍋対決そっちのけでみんな3つ目の鍋に群がり始めた。

みんな一体どれだけ食うんだ?

エージレス(脱酸素剤)、どうしてそこに居るの?

昨夜、冷凍庫をチェックしたらパンが無い。
朝食が無いのは困るんで、あまりやりたくないが、朝、起きたらパンが焼けるように設定した。

何故したくないか?

その理由は騒音だ。

このパン焼き器、むちゃくちゃうるさい。
寝室とキッチンに距離があれば問題ないけれど、ワンルームの部屋でこれを使うと大体、夜中に起こされる。

でも朝、焼きたてのパンの匂いで起きるのは最高だ。

朝、焼きたてのパンを食べるということは、うるさい音を我慢すること。
すべてが思ったとおりに行かないのは人生と同じだ。

という訳で、朝、パンの匂いで起きた。

で、出来上がりのブザーを目覚まし代わりにパンを取り出す。

で、上部に変な色が目についた。

ほじくるとしかエージレスが出てきた。
しっかり焼きこまれている。

小麦粉の中に入っていたやつを見逃したのだ。

咄嗟に思ったことは「このパン、食えるんだろうか?」だ。

朝食が無くなるのは困る。
それに、食べ物を無駄にするのは絶対に嫌だ。

でも考えた。
大体、食い物の中に入れておくもの、毒じゃあないだろうから、これ位食っても死なないだろう。

だから、朝食にはそのパンを食べた。

でも、心配になったからWEBで調べてみた。

思ったとおり、知らずに料理にぶち込んであせっている人が沢山いた。

それより多いのが「犬が食べた」というもの。
でも、匂いも何もしないプラスチックの「何」が犬の興味を引くのだろうか。

ともあれ、エージレス、中身は安全だ。
でも、飲み込んだ場合プラスチックの外側が危険らしい。

破れても中は毒じゃあないけど、食べ物じゃあないから頑丈に包むためだ。

なら、最初から入れなきゃいいのにね。

旬の食べ物から生まれるもの

この夏に育てたトマトから作ったトマトソース、まだ10袋くらい冷凍ストックがある。

このトマトソース、自家製だからさすがに旨い。
バジルも今年家で出来たやつを冷凍してある。
これらで作る、野菜のトマトソース煮(ラタトゥユ)が半端なく旨い。

今の時期は芋やかぼちゃが必ず入る。
これも複数の芋やかぼちゃが手に入るときは、それだけのトマト煮になる。
この時は、おかずというより炭水化物ばかりだから、それだけで一食済む。

芋もかぼちゃも種類の異なるものを2、3種類、それに自家製の切り干し大根やにんじんを加える。
根菜のオンパレードだ。

かぼちゃは違うけど。

グルメな叔父に言わせると、春は植物のエネルギーは土の上に、秋は土の下に溜まるらしい。
だから、冬には根菜を食べるべきだとのこと。

でも、冬の寒さの中で保存できる野菜は根菜かかぼちゃしかない。
たまねぎや白菜もまた冬野菜だ。

だから値段も安い。

そういう野菜なら、たくさん食べられるだけでなく、みんなと分け合えることもできる。

自分だけで美味しいものを食べるのもいいけど、誰かと分け合った方がもっと美味しくなる。

何より、食べ物の重要さは新鮮な食べ物を食べることよりも、食べることを楽しく感じること。

美味しければ、食べたくなるし、楽しければ食事の時間は楽しみになる。

安い居酒屋にゆくより、旬の野菜で鍋を囲うなら、一人300円も集めれば十分だろう。

一緒に料理すれば、その人のことをもっと知ることができるんじゃないだろうか。

2013年12月22日日曜日

から揚げになるんじゃあなかったの?

高さが4センチしか高さがないダッチオーブン、毎朝冷凍パンを焼くのに欠かせない道具になっている。

本来、日本の台所のどこにでもある引き出し式の魚焼き部分に入れて使う簡易オーブンだけれど、コンロの上でも十分役に立つ。

そんなオーブン、「から揚げ」を揚げなくても作れると書いてあった。

油を使わないから揚げのことを考えたら、急に食べたくなった。

「すぐ食える」と思ったらもう駄目だ。

味を付けて冷凍しておいた鶏肉をお湯で解凍すれば後は、調理するだけ。

そういえば、でんぷんをまぶす時「袋にいれてまぶすと楽チンよ」とどこかで読んだことを思い出した。

だから、解凍した袋にでんぷんを放り込んだ。
ずいぶん、どろどろな感じでちょっと不安に思った。

だから、アルミ箔を敷いてから並べた。

で、しばらくして蓋を開けると、鶏肉がそのままひとつに固まっていた。
ほとんど、でんぷんの団子だ。

鶏肉バージョンだけど。

火はすっかり通っているが、から揚げのイメージからは程遠い。

頭は「この食い物は何だ?」でいっぱいだ。

アルミ箔から引っぺがすと、大きな塊になった。

だから、今度は網の上において焼いた。

オーブンといっても温度調整ができる訳じゃない。
底に張り付くと大変なんで、オリーブ油を引いた。

今度は焦げた。

でも、鶏肉料理には違いない。
十分以上に旨いけど、から揚げからは程遠い食べ物だ。

欲望が先走る料理には、ろくなことが起こらない。

何で「クリームぜんざい」って呼ぶの?(泣)

甘いものラッシュに書いたように、シュークリームに続いて、友人から「クリームぜんさい」という商品を貰った。

貰ったのが夜中だったから、寝る前に食べるのはちょっとまずいと思って冷蔵庫に入れた。

「明日は朝食の代わりにデザートだ」と思って楽しみにしながらベットに入った。

次の朝、コーヒーと一緒に食べようとして蓋を開けた。
小豆と求肥でできた餅が並んでいる。
スプーンですくったら、白いジャブジャブのスープが出てきた。

小豆も餅も浮いている。

「?」と思って中を混ぜるとどろどろのクリームだ。

一口食べると、ものすごく甘い。

友人はこれを絶賛していた。

「これが、そんなに美味しいんかい?」と思ってよく表示を見た。

「アイスクリーム」って書いてある。

はあ?

アイスクリーム?

だって、「ぜんざい」って言ったじゃん。
ぜんざいがアイスクリームだなんて聞いてない。

「クリームぜんざい」って言うから、てっきり「クリーム」の使ったぜんざいかと思っていた。

そういえば、レンジに20秒だけ入れろって言ってた。
意味がわかんなかったけど、それって硬いアイスクリームを「柔らかくする」という意味だったんだ。

「これ、すごくうまいよ」と言われて貰ったが、うまい理由は当然だ。
だって、アイスクリームだもん。

油成分と砂糖の最強コンビネーションだ。

とけたアイスクリーム、甘いミルクスープでしかないけど地元の牛乳で作られているから、味は悪くない。

でも、商標はせめて「(アイス)クリームぜんざい」にしてもらえないかな。

甘いものラッシュ

自分の時間を「誰か」のために使う。

そうすると、「誰か」は感謝の気持ちを食べ物でお返しする人が多い。

決してそれを貰うことを目的に「誰かのために何かをする」のではないけれど、食べ物は感謝の気持ちを表すのに便利な物なのかもしれない。

その中でも甘いものは、ダントツにその気持ちを表すのに使われる。

日本の義理チョコが一般的になったのは、チョコレート屋の戦略だ、と言われているが、それだって「甘いもの」だから普及したのだろう。

だから、お土産や手土産に甘いものを買ってゆく人は多い。

でも、貰う側は少々悩ましい。
だって、カロリーの塊でしかないんだから。

おいしさの感じ方も人それぞれだ。
美味しいものなら喜んで食べるけど、甘いだけの添加物の塊なら「ありがとう」の声も震える。

甘いものが苦手な母は「好きではない」と言えない。
だから、冷凍庫の中はねずみに集められたチーズの欠片のように、あらゆるところにおやつが深い眠りについている。

その数は、毎回実家に戻るたびに増えてゆく。

そうやって、甘いものは甘いものを呼ぶ。

先日、シェアハウスの玄関整理のために下駄箱をDIYしたら、そのお礼にと管理人の奥さんからシュークリームを貰った。

その夜、友人に電話で呼び出されて愚痴を聞いたらクリームぜんざいを貰った。

たしかに、私だって「要らない」なんて言えない。

でも、全部食ったらどれだけのカロリーなのか。

それを考えると、私の笑顔も引きつるが、私の中の食欲は、この甘いものラッシュに狂喜乱舞している。

ぜんぜん、くっつかないじゃん

最近、仕事中にランチ時間が取れなくなった。
10分休憩しかない。

でも、腹が減るから休憩でつまむものが欲しくなった。

エナジーバーを作ろうと思ってWEBで調べると、いろいろある。
砂糖の使わないものを作りたかった。

ちょっとセンスのいいHPに「バナナで材料をまとめる」というものが目に付いた。
マシュマロをつなぎにするレシピは多かったけど素材が好きじゃなない。
これがいいと思って作り始めた。

ハンドブレンダーでクリーム状にしたバナナに材料を入れてオーブンで焼く。

出来上がったものは、なんとなくばらばらしている。
これが固まるとくっつくのだろうか、と思って冷えるのを待った。

小さく切ろうとすると、ばらけて行く。

ある程度は固まったけど、とても「バー」になるほど固まりはしない。
袋に入れてしばらくするとばらばらになった。

でも、味はいい。
だって、ナッツとチョコレートじゃあ、当然だろう。

ばらばらのエナジーフレークを見ながら心に誓った。
「WEBに書いてあること、まるごと信じるの止めよう」と。

マシュマロの元は卵白と砂糖とゼラチンだ。
冷えて固まるのはゼラチンなんだから、ゼラチンと卵白混ぜればくっつくかも知れない。

ともかく、おやつとしては上出来だ。
100円ショップのクッキーとは材料が違う。

大きな塊はともかく、このフレークになってしまったものはどうしよう・・・・

2013年12月17日火曜日

高価な食材とアレルギー

アレルギー持ちの友人がしばらく旅に出るので、鉢植えの世話を頼まれた。

旅立ちの朝、鉢植えといっしょに、冷蔵庫の残りを私にくれた。

これらの食材は凄かった。

美味しいと有名なブランドの砂糖不要のジャム、ギリシャ製のチーズ、そして有機栽培の大豆で作った味噌。

りんごジュースだって、還元濃縮じゃあない。

これは食費にお金がかかるはずだ。
だって、どれも高級品。

でも、彼女にとっては健康を維持するのに必需品だ。

薬や病院に行くより、食べ物で予防できるのなら決して高い買い物ではない。

しかし、私がこういう高級食材を買うのは「旨い」からだ。
そして、それを知っている。

だから、購買理由がそもそも違う。

田舎で育ったから、食べ物は地元のものばかりだった。

東京で10年以上暮らしたが、その間ろくな食生活をしていなかった。

昨年、地元に戻ってから健康状態はすこぶる調子がいい。
猛烈に貧乏になったが、冷え性も便秘もその気配すらない。

あれほど、漢方だ、マッサージだと金をかけたが全く無駄だった。

忙しさから加工品を食べる生活から、貧乏だけど自分で料理する時間を持つ生活へ変わり、食べ物が変わることで体が変わった。

当然だ。
食べ物が体を作っているのだから。

食物アレルギーはないけれど、結局、健康への近道は、食べる物に気をつけること。

それは、アレルギーを持っている友人とあまり変わりないのかもしれない。

人口の1%?!

今日読んだウォールストリートの「米国レストラン、グルテン除去の試練」を読んで驚いた。

200~300万人がグルテンが影響する自己免疫疾患を持っているらしい。
これは人口の米国人口の1%弱。
その6倍の人がなんらかのグルテン過敏症だそう。

これって、人口の5%以上の人が程度の差はあれ、グルテンアレルギーってことになる。

彼らの生活が大変なことは知っていたが、これほど疾病者が多いとは思わなかった。

しかも、この数は増えることがあっても減ることはない。
これならマーケットとして商売になる。

たしかにウォールマートがオーガニックに力を入れるはずだ。

組み換え遺伝子や添加物が「安全」というのは、「食べても死なない」程度と捕らえるべきだ。

だって、誰もそんな食べ物を食い続けた人はいないのだから。

だから、人類は今、壮大な人体実験をしているのかも知れない。

ただ、この数字はその結果があまり喜ばしくないことが起きる兆しに思える。

食べるものを誰かに任せる以上、それを選ぶのは消費者の責任だ。

儲かることだけを考えれば、売るために企業は何でもするだろう。
それには、人間の欲望への刺激が一番だ。

高価な食品でなくても、大量消費は儲けに繋がる。
だから中毒者を増やせば、大量消費も楽チンだ。
大企業は食べ物が売れることしか考えない。

でも、その結果、食べる側はどうなるか。

食べ物を選ぶのは、人生を選ぶこと。

生きるために食べるだけなら、人生の意味もその程度しかない。

甘さを追及しても仕方ないでしょ

みかんの消費量が減っている。

当然だ。
かつてはどこの家でもダンボールで買っていた。

でも、核家族化と(皮を剥く)手間が敬遠されている。

だから、みかん農家が困っている。

そこである県が「甘い」みかんを開発中というニュースを読んだ時「それは違うよ」と思わず叫んでしまった。

「甘いみかん」はたしかに美味しいけど、それは甘いから美味しいのであって、みかん本来の旨さとは違う。

ショートケーキを食べていた時にも感じたことだけど、旨さは甘みだけでは絶対に飽きる。

程よい酸味があるから、甘みが引き立つのであって、この旨さの中に含まれる甘みは「糖度何度」と量れるものではない。

ましてや、みかんをどれほど「甘い」食べ物にしても砂糖の200倍の甘さのコーンシロップを日常的に口にしている現代人が「美味しい」と感じるほど甘くなるとは思えない。

彼らがみかんを食べると、甘みより先に酸味を感じるはずだ。
だって、みかんの甘みは彼らの舌には「十分に甘い」訳ではないのだから。

みかんは美味しい。
特に日本における新種かんきつ類の開発は、技術だけでは成功しなかっただろう。

掛け合わせたときの味のイメージが無ければ、これだけいろいろなかんきつ類が世の中に出ているはずがない。

人間の想像力は、実行への原動力だ。

だからこそ、甘いだけで「売れるみかん」になるはずがない。

「おいしいみかん」を作れば、結果的に「売れる」のだ。

結果と目的を取り違えると、ろくなことにはならない。

マーガリンとバターの違い

食べ物には似て非なるものが多い。

たとえば、マーガリンとバター。
マーガリンはかつてバターの代用品として開発されたらしいが、代用品は所詮代用品だ。

しかし、スーパーにはいろいろ加工されたマーガリンが売っている。
バター含有率20%とか某高級ホテルのマーガリンとか。

そもそも、マーガリンに本物を混ぜても、所詮偽物だ。
だから、マーガリンを使うようなホテルを「高級」と考える消費者の方が馬鹿だ。

これ、男性でも同じことが言える。

うわべは格好が良くても、いざとなると何も決められない男がいる。
その反面、無骨だけど、いざとなると頼りになる男がいる。

そんな男性達を見るとき、バターと高級ブランドマーガリンを思い浮かべる。

バターなら、どんな食材でも料理でもコクを高めてくれる。

男性も、バターのような人なら、共に過ごす女性の人生にもコクがでるだろう。

どんな困難でも、出産や転勤など、人生のどんなイベントでも美味しく料理してくれるはずだ。

かたや、高級ブランドマーガリンのような男性。
肩書きは立派だろう。

でも、所詮マーガリンだ。
風味が出るわけでもないし、コクが出るわけでもない。

単純に油っぽいだけ。

最初しばらくはこの油で美味しく感じるかもしれないけど、しだいに胸焼けしてくるだろう。

だって、風味も個性もないのだから。

どこの食べ物もマーガリンばっかり使う現代、どんな男性も工業製品みたいに高級な肩書きと、味の無い会話ばかりしかしない。

バターみたいな男性って、どこに行ったら見つかるんだろ?

デザートが食えないっ

先日、シェアハウスの一足早いクリスマスパーティがあった。

住人の料理人が腕をふるって、伝統的なアメリカのクリスマス料理を披露した。

チキンとスタッフィング、マッシュポテトとグレービー。
八百屋で売っていたバターナッツがちゃんと調理されて登場した。

まさしくアメリカンクリスマスディナーだ。

マッシュポテトがものすごく美味しい。
牛乳を混ぜる一般的なレシピだが、タイムとオレガノで風味付けをしていた。

知り合いはクリームチーズを入れて作っていた。
これはほとんど麻薬だ。

彼女の作った今回のマッシュポテトもそれに匹敵した。
3度取りに戻り、グレービーをかける。

このグレービーも本当に美味しかった。

みんなで食べると更に美味しくなる。

40人ほどは来ていただろうか。
大いに話して、飲んで、笑って、食べて・・・たぶん食べる時間が一番多かった。

で、3種類ものデザートがキッチンの隅にあったことを知っていたから、心待ちにしていたが、ここでありえないことが起こった。

デザートを皿に盛ってもお腹いっぱいでもう何も入らない。

私にとってデザートは常に「別腹」だったのに、今回に限ってもう一口も無理だ。

それより、胸焼けしてきた。
何か急に胃の中で食べ物が膨張した感じだ。

久々にやった。
完璧な食いすぎだ。

笑顔もだんだん引きつってきたから引き上げることにした。
デザートを貰って、部屋に戻った。

横になったら少し落ち着いた。

翌朝のコーヒーを飲みながらデザートを食べた。

日付をまたいだディナー、これにて終了。

アレルギーと共に生活することから学ぶ

私は友人のように食べ物にアレルギーがないが、ハウスダストや化粧品にはことごとく体が反応する。

昔、ある男性とチークダンスをしたら、顔が半分だけはれ上がった。
彼が大男だったので、革ジャンに顔半分が当たっていたためだ。
革ジャンのオイルに反応したらしく、ムードも何もあったもんじゃあない。

曲が終わってトイレに駆け込んで必死に洗い落とした。
彼は完全に誤解して、2度目のデートは無かったと記憶している。

だから、埃を吸わないように、ファンデーション他、化粧品は使わないようにするだけで私の生活はなんとかなる。

でも食べ物アレルギーは、本当に大変だ。
大体、何かを食べたら苦しむかも知れないというリスクと毎食戦う必要があるのだから。

食べたいという欲望は誰にでもあるだろう。
でも、その欲望のままに食べてしまうことで命の危険まで脅かされるとは、まるで中世における暗殺の世界だ。

毒見のための奴隷を身近において、食べ物に毒が入っていないかを恐れて生きる権力者。

現代だけに「危険な食べ物」が多いというわけではない。
食べることが安心できない人々はかつて存在した。

いつの時代も課題は「食べ物を提供してくれる人との信頼関係」だ。

かつては、その信頼関係、家庭や近所、一族の中だけだった。
食べ物が工場で作られるので、現代は、その範囲が社会まで広がった。

でも、大企業が作る食べ物、自分は信頼しているから買うのだろうか。

それとも、値段と甘味と広告に釣られているだけだろうか。

アレルギーがあっても無くても、そして、いつの時代も、食べることは、生活の中で一番大変な作業だ。

それをお手軽に済ます人生なら、その人生には何があるんだろう。

アレルギーが1つだけじゃあないって・・・

小麦アレルギーだけでもしんどいと思うのに、乳製品も制限される人生なんて私には想像できない。

酪農地帯で生まれ、3歳前には生クリームの味を覚えた私。
乳製品が無い生活はありえない。

もっとも、アレルギー持ちの友人に言わせれば、ライスミルクや豆乳など乳製品の代わりはいろいろあるそうな。

そうは言っても、乳製品に含まれる油成分のインパクトは大豆や米では太刀打ちできやしない。

生クリームなんて、ほとんど悪魔的なコクで、私の食欲を刺激する。
砂糖が加わればダブル悪魔だ。
誘惑度はMAXを超える。

こんな食いしん坊は、アレルギーひとつでもある生活なんて想像しがたいのに、複数持つ生活なんて。

美味しい料理は妄想はできても、それが食えない生活は想像できない。

ただ、話を聞くと、大抵の人がひとつアレルギーを発症すると、その後、2つ、3つ発症するそうな。

何かを避けた食生活は結局、何かに偏った食生活になるのだから、当然といえば当然なのかも知れない。

食べ物をあまりにお手軽に、安く食べる生活は、なんらかの形で体に影響していることは事実だろう。

権威ある人たちが目いっぱい権威を振りかざし「添加物は安全だ」と叫んでも、健康被害が起こった時に、責任を取ってくれる訳じゃあない。

だいたい、工場製品の原料表示を読んでみると判る。
あれだけ色んな聞いたことのない添加物を食べて、体に影響が無い方が不思議だ。

でも、結局自分の食べるものは、自分で責任を負うしかない。

だって、選ぶのは自分なんだから。

レストランで、工業製品で、誰かに食べるものを作る「責任」を負わせ、その責任を「金」で買う「選択」をするのが消費者なら、「選択」した責任は消費者自身だろう。

レストランの料理は返金してもらえたけど、健康は買い戻せないよ。

豚肉の元は、何を食った?

先日の夕食会、あれほど気をつけたのだけど、アレルギー持ちの友人の体は食後調子が悪くなったそうだ。

何かにグルテンが入っていたのかといろいろ考えて議論したが思い当たらない。

大量のでんぷん質が問題だったかもしれないとも推測した。
加えて、彼女、乳製品にもアレルギーがあることを知った。

原因は、どうも乳牛が食べる餌にあるらしい。
そこまで判っているのなら、卵の生産元、鶏の食べる餌を気にするはずだ。

肉や卵、牛乳を買う時、それらを「生産する動物」が「何を食べた」結果、手に持った「パックの中」に納まったのかは考えない。

産地を気にしても安全は幻想でしかない。

ただ、旨さに違いがあるのは事実だ。

牛乳は特に顕著だ。餌で味がかなり変わる。

肉だってそうだ。

だから、多少値段が高くても輸入肉は買わない。
オーストラリア産のビーフだけは例外だけど。

でも、よく考えれば「味の違い」は餌を含めた「育て方」の違いだ。

生産者からみれば動物は「商品」だけれどもそれらの健康まで考えるかどうかは、生産者の思想や哲学が大きく影響する。

そういう思想を主張すること、そして消費者としてその思想を商品を「購入」することで支えること、この相互作業は社会の仕組みとして「信頼」の基本になる。

昨今、そんな哲学を持つ生産者も増えてきているが、どうしても大企業の商品と比べると値段が高くなる。

でも、食べる回数を減らせば買うことができる。

ビジネスに必要なのは売上金額の増加ではなく、ファンの数が増えること。

だから、身近でがんばる愚直な生産者を探して支えようよ。

自然の復讐か、それとも警告?

アレルギー持ちの友人と知り合って食べ物について考えることが多い。

昔は、こんないろいろなアレルギーを持つ人は居なかった。
大体、工場製品など売っていないし、食べ物はみんな自分の家で作っていた。

味噌も醤油もみんな自家製だから、入っているものはシンプルだ。

でも時代は食べ物を作ることを「誰か」に任せた。儲かるから、大企業はどんどん作る。

そして、食材の元となる動物の餌を変えてまで「安くて美味しい」ものを作り出し消費を煽る。

それは、自然の仕組みに逆らったやり方だ。

牧草を餌とする牛にコーンを食べさせて抗生物質と共に速成で太らせる。
病気になっても死ぬ前に肉にすれば問題ない。

そんな牛肉をファーストフードの大企業が大量に購入し、脂肪分の多い肉で安いハンバーガーを作る。

油と濃い味で味覚を麻痺させた商品は、刺激が強いが、値段も安い。

そして金さえ払えば5分で食べられる。

結果、現代人は昔の人とは比較にならないほど、たくさんの人が食べ物アレルギーを持ち、苦しむことになった。

これは自然界が、儲けることしか考えずに暴走した人間への復讐なのだろうか。

それとも、警告なのか。

添加物を使用した大企業の工業製品が食べられない人は、原料の作り方や餌を気にした商品を買って自分で作ることになる。

つまり、昔の生活と同じように、食べ物を自分で作る生活にならざる得ない。

この場合、生産者を信じて素材を買うしかない。

これは、人間不信が蔓延る現代「信頼」という言葉の意味を教えてくれる行為なのかも知れない。

2013年12月16日月曜日

シュークリームの皮がパンになったら

ここは酪農地帯なので美味しい牛乳が生産されている。

この美味な素材を使って作られる生クリームベースのお菓子、この誘惑にはただ、ただ、屈するしかない。

もちろん、素材が安く手に入るから、味の違いも判らず、せっかくの風味を殺すほど砂糖を使ったケーキ屋も多いが、素材を生かしてがんばる店もいくつもある。

おやつの日に予約するケーキ屋はもちろん、全国ベースでの商品展開はしていないけれど確実にうまいケーキ屋は存在する。

そういうケーキ屋の商品、生産量はそれほど多くない上、まず日持ちしない。

なぜなら、甘みも少ない上に生ものレベルも鮮魚並みだからだ。

今日の夕方、シュークリームで有名な地元のケーキ屋が作った商品を買った。

消費期限は8時間後だ。

本来、買ってすぐ食べるべきこの商品、実は「クリームパン」だ。

でも、形はシュークリームと同じように丸いドーム型だが、外のシュー皮は弾力のある柔らかいパンでできている。

中のクリームは生クリームをベースにしたカスタードよりもっと軽いクリームだ。

これ「ちぎって食べるシュークリーム」だそう。

私は「シュークリームパン」と呼びたい。

たしかに、ちぎってクリームと一緒に食べると本当に美味しい。

クリームパンをどれだけ上品にしてもこの味は出ない。
皮の弾力感が「クリームパン」にはならない大きな理由だろう。

この皮、しっとり感が強いが、時間がたつと硬くなる。

どんな素材で作っているのか知らないけど、やはり、美味しいものは出来立てが一番だ。

2013年12月14日土曜日

危険な発酵バター

発酵バターの味を知ったのは何時だったろうか。

初めて食べた時、極上パンといっしょに出てきた。

まだ暖かいパンに乗せてほんのり溶けたところをかぶりつた時、ピュアエクスタシーを感じた。

こっそり、そのまま舐めてみた。

ほんのり甘みがある。

病み付きになりそうだ。
これ、ほとんど麻薬である。

でも、その時、それが「発酵バター」だとは知らなかった。
単純に「味付けバター」と思っていた。

その後、何度か発酵バターを味わい、その味を覚えた。

だから、パンと一緒にこれが出てくる店の料理は、多いに期待できた。
そして、その期待には裏切られたことがない。

もっとも、そんなバターをパンといっしょに出す店は限られているけど。

そんな危険な味を覚えた私、ある日、職場の傍に「エシレ」があると知った。

ここはフランスの有名な発酵バター専門店だ。
メイン商品のバター他、それで作ったパンやクッキーを売っている。

クロワッサン一個が400円。

毎日午前中に売り切れるほど人気があった。
そりゃあ、50%がエシレの発酵バターで作られているなら当然だ。

ある日、どうしても食べてみたくて仕事を抜け出して買いに行った。

食べ比べたくてバター含有量が異なる2種類をひとつずつ買った。

2個のクロワッサンでランチ1食分だ。

で、味は凄かった。

発酵バターだけでも麻薬的なのに、それがさっくさくのクロワッサンになればメガトン級のインパクトだ。

カロリーもそうだけど。

断然、バター含有量が多い方が旨かった。
油はうまさを感じさせる根拠であることを確信した。

でも、毎日食べる味としては微妙だ。

北海道小麦で作る地元のクロワッサン、一個150円もしないけど焼きたてのうまさはこっちに軍配が上がる。

食べ物の味も人間の性格も、強烈な個性は人を引き付ける。
でも、長くは続かない。

でも、どちらもバランスこそが本当の「魅力」に繋がる根源なのだろうね。

いろいろな卵

フランス人の友人との夕食会、私がジャガイモとかぼちゃで餃子もどきを作るので、彼女はグルテンフリーのブラウニーを作ってくれることになった。

グルテンアレルギーを持つ彼女は、食べ物にとても神経質だ。
体のことを考えると、そうならざる得ないのだが、卵がどんな鶏から生産されたのかまで気にする。

うちの母もそう言って、らでぃしゅぼーやの野菜と卵をすでに10年以上購入している。

彼女が「放し飼いのちゃんとした餌を食べた鶏」にこだわるのでちょっと調べてみた。

大丸デパートでは売っていた。

ただ、ひとつ100円以上する。
6個入りで700円近くだ。

スーパーごときに扱える商品じゃあない。

ちなみに、私は八百屋で10個108円の卵を買っている。
ちょっと値段が上がって最近120円になった。

そんな訳で彼女、今回もブラウニーを作るのに卵選びには苦労した。

まだ日本語が良く読めないから、ケースにたくさん漢字があるのが「オーガニック的」なものと思ったようだ。

作る前に私に確認を求めるから、見てみると、ケースには「塩味半熟卵」と書いてある。

半熟卵を売っているのも驚いたが、味つきというのにも驚愕した。
その塩の産地が華々しく漢字で書いてある。
かわいい鶏の絵も付いている。

たしかに、「特別な卵」に見えるが、意味が違う。

説明すると、彼女は落胆したが、私が前日一ケース120円のたまごを買ってあったのでそれを使うことになった。

ケーキはピュアチョコレート、バター、アーモンドパウダーから作られたから極上の味だ。

しかし、味つきの半熟卵が売ってるということは、ビジネスになるほど「買う人」が居るということだ。

それも驚くべき事実だ。

ちなみにこのゆで卵、塩加減がゆるい普通の味だった。

でも、たまご茹でるのって、そんなに難しいのかなあ・・・・

仮想店舗でも、そりゃあないでしょ

りんごへの情熱が止まらない。

家の在庫が無くなってからも、どうしても食べたくて某RのWEBショップで「送料込み」のりんごを探した。

1300円で2キロ。安いし、美味しそうなので注文した。

到着して箱を開けると、たった8個しか入っていない。

量ってみるとちゃんと2キロある。
味はとても美味しいし、何も問題は無い。

でも、1個160円以上。
「訳ありりんご」で安いと思ったけど、ちっとも安くない。

レビューを書く約束をしていたから、そうやって書いた。

そうしたら、2日後に同じ商品が698円になっている。

私が注文した時のほぼ半額だ。
単純に「送料別」の表示にしただけ。
つまり、払う金額は変わっていない。
変わったのは値段表示だけ。

結局注文すれとなれば1300円払うのだろう。

「R最安値に挑戦」という広告がWEB上に派手に舞っている。

確かに安いかもしれないけど、信じた私は馬鹿だった。

この体験は「食い物に安さを求めるとろくなことが無い」という典型的なものだ。

だから、どんなに味が良くても、ここから二度と買うことはない。

りんごやみかん、10キロ箱が売れないから2キロ、3キロの商品を作るのだろう。

でも送料を考えると、そんな商品を作ること自体、問題だろう。
だって、支払料金の半分が「送料」なんだから。
「売れる商品を作る」のは判るけど、これは酷い。

りんご8個なんて、店先の籠1盛程度の重さだ。

あれが、2キロもあるなんて考えたことも無かった。

分かっていたら注文しなかったのに。

りんご、おいしかったけど後味は最悪・・・

2013年12月12日木曜日

「規格外」としての魅力は?

先日、食いしん坊の友人と2日連チャンで夕食をした時、野菜の味の話になった。

彼女は「形が悪いやつとか、小さい方が味が濃いと思わない?」と聞く。

いつも行く八百屋は、そんな商品を仕入れてきているらしく、どこのスーパーよりはるかに安い。

最初も今も、安さには惹かれるが、味もまた、確かにおいしい。

彼女が言う。

「スーパーの野菜って、形もきれいだけど、味あんまりしないんだよねえ。
母が送ってくれた長いももさ、規格外の小さいやつばっかりなんだけど、ほんと味が濃いんだよ。
近所の農家が(農協に)出せないやつ、分けてもらったらしいんだけど、スーパーで並ぶよりおいしいなら、こういうの売れないのかなあ。」

たぶん、売れないだろう。

なぜなら、みんなが買わないからだ。

野菜だけではない。

老人、障がい者、外国人。

日本の文化に他者と「違うこと」を価値と認めることは存在しない。

どんなにユニークな人も「規格外」なら普通の店(企業)には現れない。
労働市場では「売り物」にならないから。

だから、規格外は、野菜も人間もたいへんな目に会う。

ただ、人間も、スーパーの野菜が「きれいなだけで味が薄い」ことと同じ。

都会の企業に勤めてウン十年。
そういう人が持つ価値観も考え方も退屈だ。

だから「規格外」の方が断然面白いし、味がいい。

もちろん、ひねくれたやつも多いけど、それもまた個性だろう。

野菜も人も見かけで判断するのは損なことだ。

だって、重要なのは中身であり、その味なんだからね。

サワードリンク、出来上がるまで待てないっ

2週間前にサワードリンクの元を切らしたので、職場に毎日水を持って行っていたが、さすがに味無しが飽きてきた。

今年のゆずのサワードリンクはまだ出来上がっていない。
だいたい、ここから遠く離れた実家にあるからすぐには手に入らない。

前回、パインを作った。
今回はキウイにしようかどうしようかと考えた末、ぶどうで作ることにした。

いつもそうだけれど、何か決めて大丸にゆくと、たいていバーゲンでそれが手に入る。

私はバーゲンを呼ぶ女だ。

で、今回は一ケース700円するスチューベン。
私が行った時に半額シールが張られていた。

姿形も立派な大振りの房が2つ、ケースに入っている。
これでサワードリンクの材料は手に入った。

きれいに洗って半分にして種を取る。
これが面倒だけど、漬け込んだ後はフルーツソースにしたいなら仕方ない。

漬け込んだ後の材料で作るソースはちょっと酸っぱいけど、スムージーに入れるにはちょうどいい。

捨てるなんて私には無理。

りんご酢と砂糖、1:1:1で漬け込むこと2週間、サワードリンクの元が出来上がる。

これを10倍程度に希釈して炭酸や水で割って自家製の清涼飲料水を造るのだけど、2週間かかるのが難点だ。

そして今日はまだ1週間。
色づいてきたけど砂糖はまだ下に残っている。

今日もまた職場に水を持ってゆくのは嫌だ。

無理やりサワードリンクにして持ってゆく。

でも、すごく酸っぱい。

サワー「だけ」のドリンクだ。

十分な時間をかけていないから、素材が混じってない。

何でも成熟するにはある程度の時間が必要だ。

人間関係も同じこと。

2つの素材がゆっくり混じっていい感じになる。
サワードリンクも、恋人同士も。

急いだって、できないもんはできないね。

味と視覚と「欲望」と

彼女のご両親がみかんを送ってきたらしく、夕食前にランチを食べていない私に出してきた。

ボールいっぱいのみかん。

2つ食べた後、リビングから離れた奥の洗濯機の上にボールごと置いてきた。

危険すぎる。
美味しすぎて止められない。

「空腹は最高のスパイス」というけれど必ずしもそうではない。
空腹時にファーストフードを食べても「欲望」は全く刺激されない。

そもそも、空腹でも「ファーストフードを食う」という選択肢は「何も食わない」という選択肢が「できない」時にしかしない。

たとえば、この先3時間電車に揺られるのに「そこしか食べるところがない」場合がそうだ。

でも、目の前の食べ物が「美味しい」と分かった時、理性を使い、行動を抑制しようとしても無理だ。

大抵、欲望が勝つ。

空腹ならなおさらだ。

それでも、目に見えなければ、その欲望も刺激されない。

もっとも、人間には想像力があるが、手を伸ばして取れる状況と、取れない状況では理性の働き方が違う。

まるで、しつけの良い犬と悪い犬だ。
目に見えれば、私の「欲望」は「しつけの悪い犬」に成り下がる。

だから、目に見えないようにする、誘惑の巣窟であるデパートの地下は避ける、これが重要だ。

美味しいものが揃うデパートの地下で、自分の中の「欲望」を「しつけの良い犬」並みに制御できるのは2つの状況しかない。

食後であること。
割引が大きくなる、閉店間近ではないこと。

従って、仕事の帰りにデパートの地下を「見てしまう」ことは「欲望」が「しつけの悪い犬」に成り下がることだ。

この「心の飼い犬」のしつけの難しさは食いしん坊ならきっと分ってくれると思う。

花豆

私は一人暮らしだが、豆をよく煮る。

ばあ様から黒豆の旨さを教えられてからだ。

ただ、豆の値段が結構高い割には、美味しい物に当たらないから買うチャンスが限られている。

つまり、その分作る回数も少ない。

ちなみに、缶詰の豆は論外だ。

黒豆の時にも書いたけど、豆は1年以内に食べないと味が格段に落ちる。

だから、安いからと購入しても、生産年度を見てがっかりすることになる。

特に今の時期は、新豆が出るから、昨年度の豆は在庫処分になる。
こんなやつを「安いっ」なんて買ってしまったら大変だ。

だから、豆を買う場所が限定されてしまう。
でも、友人のご両親、今年は自分で作ったそうだ。

先日、友人の家で夕食を食べる前にそれを「どうぞ」と出された。

この花豆、みごとに美味しかった。

彼女の味付けも上手だが、味も食感も新豆だけが持つ風味とやわらかさだ。

1年以上たつ豆は、風味も落ちるが、何よりどんなに煮てもどうしても硬くなる。

皮に張りがあるけどやわらかい豆は新豆特有の歯ごたえだ。

これぞ煮豆の醍醐味。

「少し持ってゆくかい?」と言われればそりゃあ、断るはずがない。
遠慮の要らない間柄、しっかり持ち帰り用を取り分けた。

皿に残った豆も「全部食べていいよ」と言われて調子に乗って平らげた。

さすがに「お母さんの豆、分けて頂戴」とは言わなかったから、友情が壊れていないとは思うけど、ちょっと心配だ。

バターナッツを食べたことがない?

食いしん坊の友人の自宅で夕食を食べる約束をしたので、先日作って冷凍していたバターナッツ(かぼちゃ)のスープを持ってゆく約束をした。

バターナッツ(かぼちゃ)、日本ではほとんど見ないから、八百屋での人気もぜんぜんない。

私が何度も、そして見切り品を含めて、大量に買うから、どうも不思議な「客」と思われた様だ。

この間、かごの中にまたバターナッツを見てレジのお姉さんが「もう、食べちゃったの?」と驚かれた。

この美味しさと感動を漏れなく伝え、絶品スープの話をすと、ため息しながら「でも、調理法説明しても、みんな買って行かないですねよ」と言う。

日本人は「違ったもの」を敬遠する。

たしかに見かけは細長い禿げ頭みたいだ。

「丸いくて、ぼこぼこした濃い緑」というかぼちゃのイメージからは程遠い。

バターナッツ、日本ではほとんど生産されていないけど、典型的なかぼちゃより水分量が断然に多いから煮崩れる。

というより、解ける。

ラタトゥユを作ると、トマトと解けたバターナッツが味が混じり、絶妙になる。

この夏自分の家で育ったトマトで作ったソースで作ったラタトゥユの味はオーケストラ並みの重厚感をもたらした。

そんなバターナッツのスープを食べさせた後の友人の反応は「これ、何の種類?どんな形?」と興味深深だ。

やっぱり食べたことはもちろんだが、見たこともないという。

たぶん、当分八百屋でも売っているだろうから、今度は生を持ってきてあげようっと。

チキンの手羽とキャベツのスープ

チキンスープ、固形やパウダーの「元」はとっても便利だ。
うちにも常備はしているけれど、手羽や手羽元を買ってきた時には必要ない。

必要なのは時間だけだ。

つまり、長く煮ないと骨から身が剥がれない。

火が通る程度に調理するなら、すぐに食べられる。
でも、肉はがっちりついて剥がれない。
しかも、骨からの出汁が出る時間もない。

母が作る手羽とキャベツのスープはそういう代物だ。
しかも、時間をかけないから、めんつゆで味付けする。

私的には「ありえない」料理だ。

だったら、何も手羽を使う必要などない。
胸肉や腿肉を使えばいいのに、私が作った味を覚えていて「手羽は美味しいから」と信じて疑わない。

思い込みとは恐ろしい。

ただ、最近のめんつゆ、味が向上してかなり美味しい。
でも、はやり味が尖っているように思える。

この間、自慢げに作ったこのスープを食べた時、そう思った。
もちろん、身が剥がれないから汚い食べ方になった。

スーパーで地元産の鶏の手羽や手羽元が割引されている時は、チキンスープの作る時だ。

骨から出るそのまろやかな出汁の味は、めんつゆとは比較にならない。

鍋に、手羽と葱の青い部分を放りこんで1晩いっしょに煮込む。
そうやって、保温鍋で煮込んだ手羽は、かき混ぜるだけで骨から身が剥がれるようになる。

葱の青い部分を取り除いて塩を入れればスープはほとんど完成。

後は、キャベツを放り込んで5時間ほどほおっておけば出来上がり。

味付けは塩だけ。
難しいことは何にもない。

急がなければ、瓶詰めの化学調味料、買う必要も、使う必要ないのにね。

2013年12月11日水曜日

おやつの日の誘惑

食いしん坊の友人の自宅で夕食を食べる約束をした。

そして、その日はちょうど例のケーキ屋の「おやつの日」だった。

「槍が降っても取りに行く」と豪語したケーキ、引換券を家に忘れたので、仕事の後に20分かけて取りに戻った。

土曜日夕方の大丸デパート、混雑が半端じゃあない。
槍は降ってはいないが、戦場のようなデパートの地下で人を掻き分けてようやくケーキ屋にたどり着く。

店員さんにお願いすると、奥の方からクリスマスラップされたケーキの箱を持ってきてくれる。

目立つ。
むちゃくちゃ派手だ。

周りの人の視線が集中する。

そりゃあ、そうだ。
こんな商品、店頭では売ってないのだから。

持ってきたカバンにそそくさと入れようとしたが、隣で注文を待つ人は、じっと箱を見つめていた。

この毎月の頒布会、ほとんど宣伝しないので知らない人も多い。

なんとかデパートを脱出し、友人の家に向かう。

「デザートも持ってきたよ。」と声をかけて入ってゆくと「ええっ、私も2箱、買っておいたよ」だって。

「おやつの日に夕食誘ったから、知ってると思った。」という。
たしかに、そう思った。

結局、友人とその娘、私と3人分、一人一箱分あるから、心おきなくみんなが全種類食べることになった。

私は夕食後に3つ平らげた。
友人は2つでギブアップだ。

でも、プリンが生クリームに埋まったロールケーキを食べた時は、二人とも無言になった。
30秒後には消えた。

ここのロールケーキもプリンも単品でも絶品だ。
なのに、このコンビネーション。

「罪深い味」としか言い様が無い。

食事をしてから、ケーキを2つも3つを食べることを「普通」にするつもりはないが、食いしん坊の友人がいてこそ、罪悪感も薄れるというもの。

彼女といっしょに美味しいものを楽しむ人生は、危険だ。
でも、素敵な友人と冒す危険は未知へのおいしさへの冒険だ。

なら、冒す価値は十分にあると思う。

とは言っても、食いすぎた・・・・・

毎週届く親の思いは次の世代へ

友人の家で夕食をする前、ランチを食べ損ねた私にみかんを出してくれた。

これがまたすごく美味しい。
「どうしたのか」と聞くと親が送ってくれたとのこと。

彼女の両親、旅行が好きだ。
食いしん坊の彼女のDNAの元だ。
当然、旅行でも美味しいものに反応するらしい。

九州へ旅行した時、泊まった旅館で出されたみかんが美味しくて、宿の人に聞いた。
すると、近くのみかん農家のものだった。
早速、紹介してもらいみかんを直接購入することになった。

送って貰ったみかんを近所に配ったら、その年、この農家に小さな田舎町からかの注文がずいぶん多かったそうな。

おいしいみかんを食べならそんな逸話を聞いていると、今度は「長いも持ってゆく?」と聞かれた。

これは先週、両親から送られてきた。
その前の週は味噌が送ってきたとのこと。

彼女は本当にありがたいことだと、うれしそうに語る。
親だってお金持ちじゃあないけど、美味しいものを娘や孫に食べさせたいという思い、受け取る側も「当たり前」と思っていない。

来年、彼女の娘が都会の大学に進学するが、彼女もまた、娘に食べ物を送るのだろう。

そして、美味しい食べ物は、人への思いを次の世代に届けてゆく。

感謝の気持ちは、食べ物を作る人へだけではない。

それを選んでくれる人、それを送ってくれる人、みんなが美味しいものを大切にすることで、感謝の気持ちは地上に、そして未来に繋がってゆく。

コンビニの食べ物では、決して得られないもの。
お金を出しても買えないのもの。

食べ物が満たすのは、人の胃袋だけであるべきではない。

ごんぼ

「おやつの日」というケーキ屋のイベントのために、店頭にゆくとごぼうのパイが登場していた。

今年も、この季節になったと、うれしくなった。
この「ごんぼ」という商品、とても地味だし甘くない。

かつて戦中捕虜になったアメリカ人がこの「ごぼう」を食べさせられた時「日本人は木の枝を食わせる」と怒ったらしい。

まあ、確かに調理する前は「木の木っ端」にしか見えない。

このパイ、お菓子というよりどちらかというと「軽食」に近い。
食べ物としては信州名物の「おやき」に近いだろう。

でも、外側は地元の美味しいバターと使ったパイ生地だ。

アップルパイのごぼう版ということになるが、その味の印象はみかんとりんごほど違う。

これ、ごぼうが美味しくなる季節にしか出ない。

原材料名をみると、最初が「ごぼう」。
だから、圧倒的にごぼう自体が美味しくないとこの商品は成り立たない。

そして、このケーキ屋が使う原料は本物だから、最初に食べた時はあまりのおいしさにびっくりした。

簡単に説明すると「パイの中にきんぴらごぼうが入っている」ということになるが、味のバランスはきんぴらごぼうとはかなり違う。

ごぼうの味が口いっぱい広がってから、ほんのりした甘さと辛さを味わえる。
きんぴらごぼうのように「おかず」になるほどのパンチ力は無い。

でも、その分ごぼうの風味が際立っている。
饅頭ではなく、パイに仕上げたところがすごい。

見かけよりも味。
そして調理人次第で素材は生きる。

恋人を選ぶ時も同じだ。

調理する時は、素材を殺さないように、味付けすることをお忘れなく。

2013年12月8日日曜日

やっぱりやった

先日、20日以上前に注文したりんごが実家に到着した。
箱を開けると驚くほど不細工だが、むちゃくちゃおいしい。
山のように入っていて激安だった。
友人に分けてもまだたくさんある。

自分のアパートに戻る時に持って帰ろうとしても、すでにリュックは白菜やジャガイモでいっぱいだ。

りんごを持って帰るのにも限界がある。

だから、干した。

そして、母に食わせた。

目の色が変わった。

絶対、干しりんごを作るだろうから、残りのりんごはおいしいうちに食べ切れると確信した。

そこまでは間違いじゃあなかった。
でも、その先は私の読みが甘かった。

先日電話をかけたら、案の定、干しりんご作りにはまったらしく、10個以上干したので「もうほとんどない」と言う。

まだ到着して1週間位なのに、10キロのりんご無くなったということか?

彼女、こり始めると、限度が無いことをすっかり忘れていた。

そうやってできた干しりんご、母はカラオケや運動教室の仲間に持って行って食わせて自慢した。

その反応が面白い。
彼らにとって、干しりんごがうまいことは「当たり前」らしい。
だから「どうやって作ったのか」を知りたがった。

母が「フードドライヤー」を説明すると、みんな「いくら位で買えるのか?どこで買えるのか?」ということで興味深深なので「今度教えてくれ」と聞かれた。
食べることが好きな人達は、作ることにも熱心だ。

私は「ぼける前に食べた方がいい」とはアドバイスした。
おいしいものをみんなに分けることも素敵なことだと思う。

でも、1週間で消費するのは、何が何でも短すぎるだろう、母上どの!

生クリームが買えない!

先日、バターナッツ(かぼちゃ)のスープを作るために、生クリーム求めて店を3件回るはめになった。

だって、「生乳」だけで作っている生クリームが売ってないのだ。

1件目は植物性のホイップクリームしかなかった。
2件目は大手企業の作る「生クリーム」という名称の商品だけれども、なぜか乳化剤や良くわからない添加物が3種類入っていた。

もちろん、パッケージは美しくさすがに大企業がデザインしたものだと思うが、そんなもん、私には「生クリーム」と呼べる代物ではない。

その店から、10分離れた中堅スーパーに行くと、ようやく地元企業ブランドが作っている「生クリーム」があった。

原材料、生乳。

これだけ。

商品名は「無添加純生クリーム」だ。

恐ろしいことに、生クリームというシンプルな商品にすら「無添加」が商品名になるほど、添加物を入れるのが「当たり前」になっている。

つまり、スーパーで買う商品では「添加物が入っていない」ものとなると「例外食品」ということなのだろう。

もちろん、お値段も先ほど買おうとした大企業の添加物入りより50円ほど高い。

でも、これが私にとっての「生クリーム」だ。

植物性ホイップクリームは論外だけど、これほど「生クリーム」を買うのが苦労するとは思わなかった。

そして、これほど添加物の「入っていない商品」を買うのが難しいとは思わなかった。

日常食品でこのレベルならば、コンビニやファーストフードに入っているものは想像したくない。

みんな、知らないから買うんだろうなあ。

自家製の意味

某大手新聞社の記事「鮮魚盛り→刺し身盛り…外食チェーン、相次ぐ表示見直し」には驚いた。

ここには「外食産業の常識」が図式化されている。

今後の表示は「自家製ソーセージ」や「とうもろこしの自家製ポタージュ」「自家製」を取ってただの「ソーセージ」や「とうもろこしのポタージュ」にしたらしい。

これは、ファミレスのチェーン店の話だ。

個人的には、ファミレスなどは絶対行かないからどうでもいい話だけど、これは誇大広告にしてもやり過ぎだろう。

でも消費者が「自家製」が「うまい」というと考えているのなら、大ばか者だ。

「自家製」が旨いと思われているのは、単純にそれに使われている食材が新鮮だからだ。

そもそも、なんで手作りするのか?

その人に必要だから。
高い工場製品を買わなくていいから。
そして何よりうまいからだ。

自分で作るなら、味をごまかすような合成調味料、保存料、殺菌剤は使わない。

だから「旨い」のは結果であり、大企業だって作ろうと思えば作れる。

でも、味が一定しない。
それに、保存料をいれなければ廃棄率や食中毒のリスクも上がる。
そんなことではビジネスにならない。

自分で作ると良くわかるが、毎年作るゆずジャムなんて手に入れるゆずの味でかなりぶれる。

「自家製」が「安全」とか「美味しい」というイメージを持つ消費者は、もう少し利口になる必要がある。

自家製を食べる人間は、自分の作るものに責任を持ち、それを食べる人間とも信頼関係がある。

誰かから食べ物を貰って、それを食べるということは、作ったその人を「信じている」から食べるのである。

だから「自家製」を手に入れるのは友人だけだ。
小さな企業がビジネスを始めれば、彼らを支える消費者もまた友人だ。

金を払うのは原価ではない。
金は、彼らへの信頼と彼らの能力、労働力への対価だ。

信頼がなければ手に入らないのだ。

「自家製」と呼べるような食べ物は、大企業が低価格で提供できるようなものでは決してあるはずがない。

2013年12月5日木曜日

黒豆を探す

黒豆、そのうまさは北海道産でも十分おいしいが、丹波産は本当においしい。

黒豆、つまり「黒大豆」はおせち料理に欠かせないが、丹波の人に言わせれば「常備菜」程度の食べ物らしい。

つまり、漬物と同じ程度に頻繁に食卓に上がるのが「黒豆の煮豆」だそう。

丹波方面へ旅行した時、店のおばちゃんがそう言ったから「そんな頻繁に作ったら破産する」と答えると「?」という顔をした。

東京での丹波産黒豆の値段を言うと今度はおばちゃんが驚愕した。
彼女に言わせると、そんなものは「豆の値段」じゃあないらしい。

私もそう思う。
だから、正月だけしか作らない。

都会では、金を出せばなんでも買える。

だから、おいしいものは「高いもの、高級なもの」と思いがちだが、それは違う。そういうイメージを作るのは「売る側」の都合でしかない。

そのイメージはブランド化し、本当の味を知らない人まで「ブランド」だけで「美味しいもの」を「食べた気分」にさせる。

でも、本当に美味しいものを食べているわけではない。
でも、問題はない。

どうせ違いは判らないのだから。

だから、騙されたと騒ぐ前に考えた方がいい。
自分は「誰」を信じて金を払ったのか。

それがブランドや肩書きなら、信じた自分が間違っていたと反省すべきだ。
だって、企業は1年間苦労して作物を作った人じゃあない。

金を払うのは消費者だ。
消費者が踊るなら企業はどんどん煽る。

だから、私は「偽装」広告前提の世界で商品を選ぶことになるが、それも仕方ないと思っている。

何故なら、そこには正直で、本物を売る店を見つける可能性もあるのだから。

丹波産の今年の豆にこだわる訳

黒豆の味を始めて知ったのは、30代初め。
ばあ様が炊いた黒豆のうまさに驚愕した。

そして次の年に丹波産の豆を食べた。
同じ黒豆でもこれほど違うのかと絶句した。

値段を聞くと、北海道産黒豆の2倍。

でも、それだけの価値はあると確信した。

だから、丹波方面に旅行に行った時、地元農家の出店で激安だったものを1キロ買った。

その後3日間背負うはめになったが後悔はなかった。

夏だったからその年の初めに出来たものだろう。
十分旨かった。

母に造ってやると鍋を抱えて離さなかった。

でも、1年以上経つと味は凡庸になってしまう。

ばあ様は、高い黒豆があまりおいしかったので、半分を次の年用に残した。
つまり2年目の豆だ。

それを食べたらがっかりした。

だから、乾物も鮮度が重要だ。
決して食べられないことはないが1年が限界だ。

つまり、昔の人は知っていたのだ。
1年に一度収穫したものを次の年のまでに食べる終える食生活。

でも、ビジネスになると物が余る。

黒豆だけで検索すると極端に安いものがある。
レビューがどれだけ良くても買うだけ無駄だ。

たしかにおいしいかもしれないが1年以上たった豆は買わない。
それを知っている販売者は収穫年度をきちんと書いてある。
それが安い理由だからだ。

だから、書いてない販売者は検討対象外だ。

今年の豆が出始めたら、昨年度産を早く売りたい気持ちはわかるが、正直な情報を伝えないのはお互いのためにならないだろう。

金を出すのは、その食べ物を作る人を支えるということ、WEBのボタンをクリックする前に考えた方がいい。

パワーストーンと黒豆

正月が近くなってきた。

おせち料理、数の子やかまぼこなどが入るとどうしても高い予算を設定せざる終えない。

最近は、デパートやホテルで買うことも珍しくないらしいが、価格は2万円。

驚くしかない。

ちなみにうちの予算は5000円程度だ。

何故なら、えびも数の子もそれほど旨いと思わないから買わない。

以前に「人並み」という言葉が大好きな母が「季節のものだから」と言ってかまぼこを買った。

それが、夏まで冷凍庫に残ってからメニューから消えた。

海老も同じだ。

母の背骨にはチタンが入っているから、背骨が曲がることはないし、解凍海老を焼いても大した旨くない。
(ちなみに、おせち料理にはそれぞれ意味がある。海老は腰が曲がるまで長生きできるように長寿へ願望のシンボルだ。)

その中で「予算外」で買うのが黒豆だ。

丹波産、しかも今年出来た豆にこだわるとどうしても値段が張る。

しかも、手に入り難い。

昨年まで、上野アメ横の問屋まで買いに行ったが、さすがに地方都市からは無理。

WEB通販に頼ることになるが、これが大変だ。

大手AやRで調べても如何わしい店が多い。

Aで検索ヒットした店はすごかった。
最近Aでは「店」とも呼べない事業者がたくさん出品している。

黒豆の値段が安いこの店、出品商品を見るとパワーストーンなど食品ですらないものばかりがずらっと並んでいる。

そんな店の表記を「大手Aが扱っているから」と信じる方がどうかしてる。

金を払う方はいつも「カモ」であること、消費者は学んだ方がいい。

バターナッツ、まだある

見切り品のバターナッツ(かぼちゃ)で作ったスープが1.5リットルくらい出来てしまった。

まだ、バターナッツはオーブンに入っている。
これ以上スープは作れない。

さあ、どうしようかと悩んだ。

皮を剥いだ中身は600グラムもある。

パンプキンパイみたいなものを作りたくてもクラストがない。
すでに夜も遅いし、明日は仕事だ。

だから「ケーキしかないな」と思ってレシピを調べた。

簡単なやつが見つかったが、コストパフォーマンスは悪い。
だって、たった300グラムのかぼちゃに100グラムのバターを使うレシピなのだから。

でも、バターの量を半分にして適当に作ってみようと思い、レシピの倍の卵、小麦粉で作ってみた。

でも、砂糖は指定分量の5分の1程度しか入れなかった。
だってケーキというよりちょっとしたおやつを作りたかったから。

代わりにピーカンを刻んで入れた。
で、全部混ぜた生地を型に入れてからオーブンに入れる。

ボールについているのをちょっとなめるとほとんど甘くない。

でも、旨い。

当然だ。
バター100グラムを混ぜた焼きたてのバターナッツで作られた生地が不味いはずがない。

焼きあがったのは夜11時。

でも、味見をしたくて一切れ食べてみた。
甘くないおやつとしては最高だ。

冷凍するためにトレイに並べると2切れほど皿に乗らなかった。

これをどうするか?

「明日の朝ごはんにしなさい」と理性は主張するけど、欲望は止まらない。
当然、朝までなんて待てる訳がない。

でも、夜中にケーキなんぞ食べるもんじゃあない。
朝、起きた時、後悔先に立たずという言葉を思い浮かべた・・・・・

バターナッツと格闘する

バターナッツ(かぼちゃ)、八百屋でセールになってもう1週間以上たつが、ぜんぜん減っていない。

先日の夕食会でバターナッツのあまりの旨さに「これはスープ作って冷凍ておこう」と思った。

でも、買いに行く暇がない。
八百屋に行けるのはそれから3日後だった。

だから「もう、売り切れているかも」と結構心配した。

でも、そんなこと全く不要だった。

山のように積んであるバターナッツ、多分、誰も料理の仕方を知らないから敬遠しているのだろう。

売れていない証拠に見切り品の箱にも上部を切り落としたしたやつが5つも入っている。

こっちは150円だ。
今日料理するからと思って3個ほど手に取った。

午後のシェアハウスのキッチンは誰もいない。
小さなオーブンは独り占めできる。

ともかく半分にして焼きまくった。
最低でも1時間はかかるが、1度でなんて終わらないから2回焼いた。

焼きあがったやつから皮を剥いで鍋に放り込む。
水を1リットルほど入れてコンソメを指定分量の3分の1だけ入れた。

スープらしいとろみが出てこないので、牛乳を足す。
少しスープっぽくなってきた。

ブレンダーでかき回して味見する。
むちゃくちゃ美味しい。

でも、最後に生クリームを落とすことを忘れることは出来ない。

キッチンに来たアメリカ人に味見させたら「このバターナッツ、どこで買った?」と聞かれた。

そりゃあ、この旨さなら食べたくなるだろう。
これ、調理の手間をかけるだけの価値はある。

懐かしいバターナッツ

先日、いつもの八百屋に行くとバターナッツ(かぼちゃ)が売っていた。

このかぼちゃ、アメリカでは一般的だけど、日本でほとんどお目にかからない。

普通のかぼちゃはどこの農家も作るけど、バターナッツを作る人は本当に少ない。

値段は一個300円ほどだった。
アメリカを思い出してすごく食べたかったけど、300円は高いと思って諦めた。

で、しばらくしてまた八百屋にゆくと一個200円に下がっている。
だから、フランス人の友人と食べるディナーで料理しようと思って一個だけ買った。

シェアハウスのキッチンで夕食会の1時間前、硬いかぼちゃを少しレンジをかけてなんとか半分にする。

オリーブオイルを引いた鉄皿に伏せて並べてオーブンに放り込む。

その間に、他の料理をしながら1時間ほど焼いたらすごくやわらかくなった。

ひっくり返して種の取ったところにバターを放り込んだら、見る見るうちに溶けてゆく。

友人と一緒にそれを見ながら突っついた。
想像はしていたが、むちゃくちゃ旨い。
それに甘い。

会話に参加したアメリカ人が私たちが食べているものを見て「うわぁ、懐かしい!母が良く料理していたよ。」と欲しそうに見つめる。

だから、一緒に食べようと誘った。

彼が体全体で現す喜びは半端じゃあない。

「バターナッツなんて1年半以上食べてない」と言って食べ止まらない。
ほとんど無くなった後、彼は正気を取り戻したようですまなそうに謝った。

それは別にいいのだけど、だったら、もっと焼いておけば良かった。

みんなで食べる食事はいつも美味しい。
決して、バターナッツの美味しさだけじゃあないと思う。

2013年11月28日木曜日

グロいアラも煮てしまえばうまいだけ

夕方の大丸、魚の値引きは半端じゃあない。
東京駅隣接の大丸もすごかった。
閉店時間近くなると本当に安くなる。

その中でもアラの値引きはすごい。
いきなり半額だ。
それを知っている人が値引き時間に集中するので、ちょっと遅く行くと何にもない。

先日も、タイミングを失って行ったら、タラの頭しか残ってなかった。

これが、グロい。
恨みいっぱいでにらむタラは一パック150円程度だ。

鋭い歯を見せたタラの頭、美味しいのは知っているが、どう使おうか。
こんなもん、煮込か鍋以外に使いようがない。

そう思った時、突然味噌鍋が頭に浮かんだ。
白菜もたくさんある。
ねぎも放り込んだら、旨そうだ。
そう思ったら、食べたくなった。

家には食料がたくさんあるのに、買わないではいられない。

タラと目を合わせないようにして籠に入れた。

帰って早速作り始める。
ねぎもたくさん入れて味噌を溶かす。
調味料は使わない。
塩も入れない。

白菜は、家から担いできた農家が作ったやつだ。
味噌は、知り合いのじいちゃんが作ってくれた。

もっと塩を入れた方がおいしいのかも知れないが、タラの淡白な味が味噌と絡み合い、白菜の味を引きたてる。

煮たアラは骨も歯も簡単に取り除けるから身だけが万遍なくスープに混じっている。

でも、白菜とねぎだけじゃあ、腹に溜まらない。

これは、春雨を入れるか雑炊にすべきだった。

タラももっと使うと美味しいかも。
油揚げを入れた方が良かったか?

食いしん坊の舌は味わい、脳は次回の料理を妄想している。

止まらないりんごへの食欲

先日、不細工なりんごが届いてから、干しりんご、りんごソース、そして生りんごとりんご三昧だ。

中でも、新鮮なやつを食べるのがやはり一番美味しい。
だから毎晩、デザートとしてりんごを一個食べている。

1個食べる理由は、単純に半分だけで我慢できないからだ。

始めは努力した。
半分切って、半分は冷蔵庫に入れた。

でも、7分後にもう半分を取り出した。
そんな日が2日続いて諦めた。

自分はこの美味しさに勝てない。
なら、欲望のままに生きよう。

母は私のこんな食欲を「よく夕食を食べた後に、食べられるねえ」と呆れている。

しかし、私からみると彼女がデザートなしでよく食事が「終わった」と思えるのか不思議だ。

飴ひとつでもいい。
食後にはやはりデザートが欲しい。

ケーキが一番だけど、そんなカロリーは毎食取れない。
大体、経済的にも無理な話だ。

果物も理想的だが、気をつけないと食べ過ぎてしまう。
自分がこの手の誘惑に弱いことを知っているからこそ、節制しようとするのだが、旬のりんごからの誘惑には毎日屈している。

りんごなんて、不味ければ半分、四分の1でも満足する。
でも、罪深い美味しいものは私の欲望を120%刺激する。

だから、美味いものに屈してしまう。

ともあれ、数は限られているのだから、食べつくせば収まるだろう。

買い足さなきゃいいけど。

2013年11月27日水曜日

ケーキ屋の店員さんと意見の一致をみる

今月の「おやつの日」を予約する時、ちょっとした会話があった。

今月のケーキは「今年の人気ベスト4です。」という話からジャスミンティーのケーキについて「微妙な味」ということで意見の一致を見た。

そのついでに、先月のケーキで「バターケーキの旨さ」を語ったら店員さんが「そうですよねえ。」と物凄い勢いで同意してきた。

彼女が言うには、あの味は今までの「バターケーキ」の味を覆すような味だと熱く語る。

私もそう思った。

昔、生クリームのケーキを保存する技術が無いころ、バタークリームケーキはクリスマスケーキの定番だった。

でも、名前は「バター」だけど、多分マーガリンが使われていたのだろう。
だから、油が口に残るだけの脂っこいクリームという印象が強い。

それでも当時クリスマスは「ケーキ」が食べられる数少ない機会だった。

その後、日本が裕福になり、生クリームのケーキが一般的になった。

でも、本当のバターで作られた「バタークリームケーキ」はむちゃくちゃ美味しい。

だいたい、バターを使ったケーキがまずいはずがない。
ただ、甘みが強ければこのバターの風味を殺す。

そこの分量はシェフの力量だろう。
ここのシェフは、その点素晴らしい。

あのケーキはそんな本物の「バタークリーム」の美味しさを再発見させるものだった。

だから、「みんなのイメージするバターケーキじゃないから、名前を変えた方がいい。プレミアムバターケーキ、とか、違いを出さないと売れないと思う。」と意見した。

彼女も同意してた。

甘いケーキを作るのは簡単だけど、素材を生かしたケーキを作るのはとても難しい。

ケーキ屋の誘惑

今月もケーキ屋の「おやつの日」がやってきた。

この会社はどうしてこうも誘惑の手口がうまいんだろう。

先月はクリスマスケーキのサンプリングだったが、予約するかどうかを決めるまで3秒しかかからなかった。

今月は「今年1年で人気が高かったケーキ4種」だ。

悩んだ。

何故なら、その中の一つが私が「?」と思ったケーキがあったからだ。
ジャスミンティーのチーズケーキ。
微妙な味だった。

でも、栗のスポイトソースケーキが入っている。
これはまだ食べていない。

このケーキ屋が作る、スポイトにソースが入ったケーキの大ファンだ。

ケーキとソースがゼラチンを介さずに混じる味は、どの素材であってもその味に感動する。

その栗バージョンだ。

このケーキ屋、今住んでいる地方都市では洋生ケーキを販売していない。
これからも販売する予定は無いようだ。

地元では、ショートケーキやモンブランもいつでも食べられるが、この街では1軒しかない直営店にゆくか、この予約ケーキ以外では食べられない。

それに、なにより栗のケーキの誘惑は絶大だった。

だから予約した。

多分予約を決めるまで、10秒以上かかったと思う。

予約券を渡される時、店員さんが「必ず取りに来てくださいね」と念を押すから「槍が降ってもあられが降っても取りに来ます。」と答えた。

そしたら、ぼそっと「槍が降ってもですか・・・・」とつぶやきながら笑いを堪えていた。

笑われてもいい。
私は美味しいモノにはいつでも真剣なの。

恐ろしい思い込み

毎回実家に戻ると、帰りは戦後の「買い出し」みたいに野菜を背負って帰ってくる。

先日は、白菜1個と大根2本を担いできた。
農家から分けて貰った大根は土を埋めて保存していたものを掘り起こした。
だから、絶対うまいはず。

これをぶり大根にするために、わざわざ大丸まで行って、ぶりあらを買ってきた。

大根を米ぬかで下茹でし、ぶりあらを湯がいて、鍋にぶち込む。
次は酒としょうがだ。

酒は以前使った余りをビンにとってあったはず。

まず、それを使って、砂糖、みりんを入れて、煮た。
いったん冷やしてから醤油をいれて味見をする。

酸っぱい??

魚が腐ったか?
そんなはずはない。

もう一度味見をする。
やっぱり酸っぱい。

何故?

必死に考えた時、はたと思った。

余っていたのは酒ではなく、酢だったかもしれない。

そうだ、あれは酢だ。

ああっ。ぶり大根に、酢を入れてしまった。

でも、味は悪くない。
食えない訳ではない。
タイ料理のサンラータンを思い出させるような味だ。

でも、想像していた味じゃあない。
せっかく旨い大根、おいしいアラを使ったのに。

で、ひらめいた。

「ゆず」があるじゃあないじゃあないか。

凍していたゆずの薄切りを適当に放り込んで味見する。

いける。

ゆず風味のぶり大根。
悪くない。

結局、美味しいもので作る料理は、何とでも旨くなる。

調味料の量だって控えていれば、修正は可能だ。

とは言っても、二度目を作る気はないけれど。

2013年11月25日月曜日

払った金を返してもらう恥ずかしさ

美容整形外科の高須院長が有名レストランの偽装問題についてコメントしている。

NEWSポストセブンの「食品偽装に「おいしく食べたなら文句を言うな」」という記事だ。

彼の視点はとてもユニークだが、問題の本質を突いている。

まず返金に戻った消費者に対して。

「銀座の女に貢いでいると思ったら、池袋の女だったと言って金を返せ。」と返金を迫れば男として、いかに恥ずかしいかを例にあげ、彼らの恥ずべき行為を指摘。

また、「一流店とは偽装していること」とばっさり。
たしかに、事実から導き出した結論だ。

これには大笑いした。

ただ、一番興味深いのは、美容整形外科医という「表層を美しくする」職業を持つ人の考え方だ。

美容整形自体、「至極の偽装」と思うけれど彼の考えは違う。

「美しくするのは騙しているのではない。美しくなれば周りも喜ぶのだから」と言う。


美は「肩書き」ではなく「本質」だと。


「美味しければ文句なし」という考えを美容整形と繋げて考えられるとは思わなかったけど、一理ある。

見かけの悪い食べ物でもジャムにしたりフルーツソースにすれば極上になる。

それを洗練されたパッケージで包めば売れる。

それが有名デパートのブランドとして、取り扱い商品に取り上げられても美味しさは変わらない。

重要なのは「美味しいこと」だ。

「美味しそうに見えること」「「美味しいジャム」の保障」でもない。

人間も同じ。

美しく「見えること」ではなく、「どんな人間として生きるか」だ。

この点は先生の意見に同意する。

だからと言って整形するつもりは無いけどね。

りんごへの欲望は尽きない

母が、不細工だけど、味の良いりんごを食べて「そういえば、仙台の親戚が送ってくれたりんごも本当に美味しかったねえ」と夢見るような目で話す。

「あんな美味しいりんごが食べたい。金は出すから。」と傲慢な消費者になって私に頼む。


げんなりした。


金を出せば美味いものが手に入ると思っている。
それが大きな間違いだ。

美味しいものは、そう簡単に手に入らない。

昨今、個人の農家もR天などの仮想商店を出すこともできるが、そこが信頼できるかどうかなんて買ってみなければ分からない。

仮想商店、本当に良い店と、とんでもなくやばい店がある。

マンゴーの時もそうだった。
売れる時期に「安い」と前面に打ち出す店は気をつける必要がある。

仮想商店の名前はマンゴー専門店みたいだけど、送付店舗は商社みたいな名前の店から買ったことがある。

ここのマンゴーは風味がほとんど無かった。
台湾産を沖縄産として売る場合は、良くある話だ。
原価は6分の1以下だろう。

消費者ができることは、二度とその店では買わないこと。

でも、仮想商店の名前をどんどん変えて彼らは消費者の「安さ」を求める欲望を刺激して騙す。

でも、それが商売だ。

WEB通販の時代、本物の数倍、いや、数十倍偽者がいる。

その中で本物を見つけるのは自分の舌だけ。

売上一位の誇大広告やコンビニ味で麻痺した日本人の「美味しいです。」なんてレビューは参考にならない。

信じるのは自由だけど、人の味覚はまちまちなんだから。

りんごジャムの甘さ

干しりんごをたくさん作った時、端の部分を除いて作った。
結構な量が出来たので、りんごジャムを作ることにした。

ざっと見ると、皮の量が多い。
やわらかくなるまでにはしばらく煮る必要がある。

ゆずジャムの時と同じ量を入れて煮はじめる。

しばらくすると、部屋中にりんごの匂いがいっぱいだ。
アップルパイを作りたくなってきた。

国内産小麦粉で作るこのりんごのアップルパイは絶対にうまいはず。

そんなことを考えながら、ハンドブレンダーで砕こうと思って鍋に入れて動かした。

そうしたら、あたり一面に飛び散った。

鍋に少量しか入っていない時はいつもそうだ。
掃除したばっかりだと言うのに。

アップルパイへの妄想に気をとられていた。

気を取り直してブレンダーを動かすが、結構皮が硬い。
でも、なんとかピューレー状になったので味見した。

甘い。
砂糖を入れすぎた。

そういえば、ぶどうのフルーツソースは総量の2割位しか入れなかったっけ。

こうなると、そもそも砂糖が要らなかったのではないかと思う。

砂糖が保存料であることは知っているが、甘みがフルーツの味を殺してしまうのではないかと思うときがある。

砂糖は塩と同じく、諸刃の剣だ。
入れすぎると素材の個性を奪う。

素材が美味しければ、砂糖は要らない。
冷凍技術が進んだ現在、砂糖を使わなくても保存できる方法がある。

でも、重要なのは美味しく食べること。

さあ、これで何作ろうか。

干しりんごが高い訳

うまいりんご、うまいうちにどうにかしようと思っても、選択肢があまりない。
思いつくのは干すかジャムにするかだ。

以前からおやつに干しりんごがいいなあ、と思っていたが、あまりに値段が高くて買わなかった。

これはいい機会だ。
フードドライヤーを持っているので一晩で作れる。

ごしごし洗ってから半分にして薄切りにする。

商品化されているやつはきれいな輪切りが多いけど、自分で食べるんだから形なんてどうでもいい。

次の朝、見事な干しりんごの完成だ。

でも、薄く切りすぎたやつはトレイにへばり付いている。

ぜんぜん、取れないっ。
失敗した。

干すんだから「薄く切る」のは当然だけど、ある程度厚みがないとだめだ。

ゴムベラで無理やり剥がしたら、ばらばらになった。
紙ふぶきの破片にしか見えない。

きれいな「輪」になった干しりんご、値段が高い訳だ。
あの商品の影には、たくさんの壊れた干しりんごがあるに違いない。

で、破片を食べた。

めちゃくちゃ甘い。

砂糖なんて何にも使ってないのにりんごの甘みが凝縮されている。
これは美味い。
ポテトチップスみたいな感覚で食べられる。

止まらなくなりそうな危険な食べ物だ。

でも、たくさんできない。

ドライヤーには5枚のトレイがあるが、3個分が限界だ。

母に味見させれば、たぶん気に入るはずだ。
うまくおだてて、作らせよう。

美味しいものを食べるには、手間がかかる。
市販されている干しりんごの値段、決して高いものではない。

自分で作ると良く分かる。

不細工なりんごの極上の味

某大手WEB通販でりんごが一箱10キロ、2000円、送料込みで売られていた。

もちろん、撥ね物、傷物、の訳あり値段だ。

売り方がすごい。

商品名が「青りんご」「赤りんご」だ。
品種すら書いてない。

こういう売り方、もっとして欲しい。
なんなら「ミックスりんご」一箱いくら、で十分だ。

りんごなんて、うまけりゃいい。

これも産地直送なら味に間違いはないはず。
だから、試しに購入した。

しかし、待てど暮らせど送ってこない。

購入して20日も過ぎたのでメールで連絡してみると「寒くて成長不良のため、発送が遅れます。もう少し待って。」のこと。

まあ、工場製品じゃあないのだから、仕方ない。

一年に一度しか実をつけない農作物、人間の都合どおりにはできるもんじゃあない。

そのりんごが昨日着いた。

箱を開けると大量のりんご。

みんな凄い不細工だ。

しかも、落ちたりんごなんで満身創痍だ。

大きさもサイズも種類も違う。

恐る恐る一個食べてみた。


で、これが凄いうまい。


現代は、蜜入りんごが売れるみたいだけど、これはりんご全体が甘い。

品種が美味しいりんごだったのかも知れないけど、スーパーで買う美人で澄ましたりんごより、断然こっちの方が味がいい。

りんごの味は甘みだけではなく、酸味のバランスにある。

これ、本当に美味しい。
これほどうまいりんごをボケさせる訳にはいかない。

友人に配る分を除いてもまだ山のようにある。

さあ、このうまいりんごを旨いままで味わうにはどうする?

2013年11月22日金曜日

これ、味覚が無い男ってこと?

Menjoy!というサイトにある「カレがラーメン好きなら要注意!」記事を読んで呆れてしまった。

これ、禿げる男が好む食べ物ということでリストアップされている。
でも、こんな食生活じゃあ、きっと禿げる前に完全な肥満だろう。

もっとも、女性がこういう食べ物を好む場合も同じ問題を抱えることになる。

そもそも、女性はこんな好みの男性を「彼」とすることに不安はないのだろうか。
将来、結婚し、食生活を共有することに危機感は感じないのだろうか。

なにより危惧するのは味覚の問題だ。

このリストの食べ物(ラーメン、ダイエット食品、食べ放題、酒、スナック菓子)を好んで食べるとなると味覚感覚自体はかなり麻痺している。

たとえば、ランチにラーメン食べて、夜は食べ放題と酒飲んだ次の日、罪悪感でダイエット食品食べても、腹減るから、当然スナック菓子食べる。

そりゃあ、美味しいよ。
油と化学調味料の塊だもん。

ダイエット食品は美味しくないけど、ちょっと食べるには便利だ。
しかも、食べ過ぎた罪悪感を一時的に消してくれる。

私もよく食べていた。
でも、これらに入っている添加物や原料の調達法を知った時、きっぱり止めた。

食べ放題も、主な原料や使っているマヨネーズや塩化ナトリウムの量を知ったら、全く行く気が失せた。

だから、どんなにハンサムな男性でもこんな食べ物を好きな男性と食事はしない。

禿げになる可能性があるかどうかはどうでもいい。

禿げより、肥満より恐ろしいのは、味覚音痴だ。
そして、味覚音痴は体が横に広がるほど、重度になってゆく。

食べ物も男も、それを構成している原料(性格の要素)の成分表示を確認するのは重要だ。

成分表、付いてないやつには気をつけてね。

2013年11月19日火曜日

ハスカップがメインだけど・・・

カゴメから出ている野菜生活というジュース、いくつもの「期間限定」というものが出ている。

その中で「北海道ハスカップミックス」というものがある。

調べると原材料名の一番最後に書かれている。
つまり、一番量が少ないということだ。

ちなみにこれ、果実ミックスジュースで「21種類の野菜と6種類のフルーツ」と謳ってる。

つまり、たった200ccの中に野菜と果物を50%づつ混ぜて、分量的には「ハスカップ」が一番少ないということ。

でも、このジュース、ハスカップの絵を前面に出して、看板材料にしている。

大手企業が、こういう売り方「企画」の段階で誰も「駄目」って言わないから、どうどうと「盛る」んだ。

そもそも、ハスカップは生産量が少ないからとても値段が高い。

でも、めちゃくちゃ旨い。

ハスカップジュースもおいしいけど、リキュールはもっと美味しい。

大体、生産量が少ないから純粋のハスカップ商品を見つけるのも大変だ。

ベリーと混ぜるジャムなんかは結構目にするけど。

そんなハスカップだから特別感を出すために前面に出すのは判る。

でも、これはないでしょう。

消費者が「ハスカップ」を知らないのか、それとも彼らが騙されるほど馬鹿ではないのかは判らない。

100円ショップで半額商品として積んであるから、結果は想像できる。

ハスカップ、地元アイドルが東京に出たけど、思ったほど人気がでなかったということか。

でも、これだけの量じゃあ、ハスカップの美味しさに気がつくこともないけど。

まあ、本物は知っている人だけがひっそり味わえばいいさ。

判っていたのに・・・どうしよう?

クリックしたら「在庫ありません」の表示。

ショックでしばらく画面から目が離せなかった。

昨日確認した時はまだ残ってたのに。

たった10日で完売かい?
A、Bのクラス、家庭用もあるというのに。

どうしたらいいの。
柚子以外のすべての材料は準備できているというのに。

完着ゆず、発売開始!でも書いた店の柚子、今年は購入失敗した。

柚子ドリンクなしで1年は過ごせない。
あわてて別の店でなんとか一箱押さえたが味がここほど旨いかどうか判らない。

でも、そんなこと言ってられない。

この店の柚子、だんだんファンが多くなっているようだ。

最初の年は12月でも残っていた。
その次の年は11月末でも残っていた。

それから2年。

とうとう発売アナウンス後1週間で売り切れる商品になってしまった。

柚子はどこでも売っているが、ここの柚子を使うともう浮気は出来ない。

でも、私のこの熱い思いは店には伝わらない。
たぶん、そういう熱い思いを持つお客はたくさんいるのだろう。

一度使うと違いは明確なのだから。

今回も一度交渉したが「すみません、発送日指定は無理です。」との返事。

当然だ。

だから、賭けた。

だって、たった10日で売り切れるなんて思わないじゃない。

ああ、読みが甘かった。

「後悔先にたたず」という言葉が身にしみる。

毎年、この柚子のためにすべての予定を調整しているのに購入失敗するなんて。

来年は瞬即で買ってやるっ。

2013年11月17日日曜日

監修ビジネスって損じゃあないのか

先日100円ショップで山のように売っていた「ROYCE」監修の「ショコラで仕上げたMild Curry」というレトルトカレーを食べた。

一応ビーフカレーということになっている。

で、ショコラの味はどうか。

ほとんど判らない。
箱の広告どおり、マイルドな味だが、ただ「辛くないカレー」というだけだ。

彼らがビーフと呼ぶ肉の味は何もしない。
でも、魚ではなく、肉であることは確かだ。

で、美味しいか。

所詮レトルトカレーだ。それ以上でも以下でもない。

リピートするか。

否。

だって、ボンカレーの方がうまい。
と言っても、ボンカレーだってここ数年買ったことがない。

つまり、レトルトカレーは食べないということ。

だって、どれもそれほど旨くないから。

カレーは、自分で牛すじを煮込んでふわふわにして、たまねぎを炒めて甘みを出して大量に作る。

そして冷凍しておく。

味はレトルトの比じゃあない。
断然こっちが旨い。

そして、何より安いし、ゴミも出ない。

この「ショコラカレー」はROYCEのブランド価値を下げるものでは無いのかも知れないが、少なくても上げることにはならないだろう。

有名な食品を作るブランドが監修して「売る」ために商品開発をする努力はすごいけど、ならその努力、せめて自分達のブランド価値を「上げるもの」を作るべきだ。

「売る」ためではなく。

食品偽装もこういう「ブランド」という肩書きで売ろうとするから起こること。

ブランドしょってるなら、プライドを持って「美味しいもの」を作って欲しい。

見かけに騙されてはいけない

ランニングマシンで歩きながら、串かつに欲望が沸いた自分を分析した。

まず、何に惹かれたのか。

それは大きさだ。
串かつにしては大きく、見かけはがっしりしていた。
それで美味しそうに見えた。

そして、次に半額だ。お得感満載だった。

成分表も確認した。
それほど悪いものは使っていない。

だから、買った。
でも、美味しいとは思えなかった。
そもそも、中の肉はほとんど味がしなかった。

なんたって、売れ残りだったんだから、その理由を考えるべきだった。

男性でも、見かけが魅力的な人が居る。
見かけはがっしりして、美味しそうに見える。

食べ物じゃあないけど。

普通に定職を持ち、会話も面白い。
履歴を調べても何も変なところはない。
だから、付き合ってみたら、我侭だったり、退屈な人だった。

そんなことは無いだろうか。

何を聞いても「君がそう思うなら」と言う。
物知りだけど、話すことはすべてインターネットで調べた「誰かの意見」だ。
デートでは、自分のしたいことを優先する。
そんな男性がある程度の年齢なら、その年まで未婚の理由があるはずだ。

魅力的に見えるものに欲望は動かされる。
でも、見かけだけで判断すれば後悔する。

小さくても、格好が悪くても、味わい深く、心に染み入るような美味しさを与えてくれるなら、食べる価値がある。

見かけが無骨でも、味わえば極上の美味しさを与えてくれるなら、一緒に毎日を過ごしたい。

過剰な刺激やスパイスは要らない。
美味しいものに飽きることはないのだから。

体に入れるものは、見掛けより中身だ。

食べ物でも男性でも、それは同じことが言える。

意地悪なランニングマシン

串かつ2本も食べた後悔一杯のまま、ジムに行った。
ランニングマシンで歩くためだ。

いつも通り歩こうかと思ったけど、串かつを2本も食べたので今日は少し多く歩こうと決めた。

エビフライ1本で4キロだ。
串かつ2本のカロリーだとどの位か考えたくない。

でも、いつもより多く歩けば後悔する気持ちも薄れるだろうと思いながら歩き始めた。

このランニングマシン、運動で使ったカロリーと同等の食べ物が小さな画面に表示される。

エビフライ一本でもその嫌味っぷりが気に入らないことを書いたけど、やっぱりこのマシンを使ってしまう。

好奇心、というより「怖いもの見たさ」かもしれない。

音楽を聴きながら、必死に言い訳する「自分の理性の声」を聞く。

「このところたんぱく質の摂取が少なかったから、串かつ食べたのは筋肉にはいいことだったはず。」

「周りの衣は余計だったけど、今日ジムに来たのだからまあ、よしとしよう。」

そんなことを考えながら歩いていたら、エビフライが現れた。

「これ、串かつと同じ位なのかな。」と考えながら歩き続けた。
そうして、いつもの最後の食べ物、ラーメンが現れた。

でも、今日はこれが最後の食べ物じゃあない。
「1キロ多く歩く」と決めたからだ。

この先に現れる食べ物は知らない。
未体験ゾーンだ。

そして、7キロまで残り200m位に現れた食べ物。

それがトンカツだ。

目を疑った。嫌味としか思えない。
だって、串かつ1本と同じ位の大きさに見える。

7キロで止めた時、バーはまだ3分の1までしかきて無かった。

もう十分だ。

私の努力をせせら笑うようにトンカツを出す機械なんて大嫌いだ!

2013年11月16日土曜日

欲望に負けた結果

小麦アレルギーを持つ友人と夕食を食べることになった。
食べに行くのではなく、お互い、食い物を持ち寄るポットラックだ。

風邪気味だ、と言うので中華粥を作ろうと決めた。
だから、昨夜遅くスーパーにチキンを買いに行った。

一晩手羽元を煮込むためだ。

夕食が早かったので、ちょっと空腹気味だった。

それが、間違いだった。

空腹でスーパーに行くべきじゃあない。
特に、夜遅く、値引き金額が最大になっている時は、特に危険だ。

かつて、東京で働いた時、一時期イトーヨーカドーの前を毎日通ることになった。

しかも、ちょうど閉店時間間際だ。

一度、75%引きのトロを買ってから、毎日寄るようになった。

まるで蛾が灯りに引かれるように、空腹の欲望を前に理性はその奴隷でしかない。

理性が戻ったのは、カードの引き落とし明細を見てからだ。

今回も50%引きの串かつを見てしまった。

でかい。

1本と2本、どちらも50%引きになっている。

ほんの少しだけ理性が「1本にしたら」と囁いたけど、欲望は「冷凍できるじゃん、2本が絶対お得!」と叫ぶ。

もちろん、2本の方を手にした。
声が大きい方が勝つのはどこの世界でも同じこと。

次の日、朝食代わりに食べた。

もちろん、2本だ。
で、思ったことは「もう、あそこで二度と買わない」ということ。

何といっても味がない。

揚げ物というだけの食べ物だ。
肉もたまねぎもほとんど味がない。

その上、後味は最悪だ。

胸焼けだけでなく、口の中も油臭さいだけ。

欲望に負けて後悔するのは初めてじゃあない。

たぶん、最後でもないだろう、きっと。

砂糖は薬、毒にもなる

週2度は作るものがある。
パンとラタトゥイユだ。

どちらも砂糖を入れるのだが、パンは大匙1.5、ラタトゥイユは大匙半分だ。

つまり、パンの方が大匙1多い。
イーストにはえさが必要だから当然だ。

昨日、何か考えながらラタトゥイユを作っていたら、砂糖を入れる分量を間違った。

パンの分量を入れてしまったのだ。

鍋ひとつ分に大匙1多く入ったことになる。
だから、ちょっと甘いだけだろうと思って味見したら、トンでもなく甘い。

甘いだけのトマトソースだ。
しょうがないから、トマトジュース、豆、肉などと追加でぶち込み量を増やした。

まだ甘い。

しょうがないから醤油をちょっと足した。
少しましになったが、まだ甘い。

しょうがないから、それで我慢することにした。
久しぶりに大失敗した。

昔、「砂糖は毒」と言った人が居る。
これ、あながちまちがいじゃあない。

砂糖の甘さは中毒になる。
でも、これ「薬」と同じ意味があるんじゃあないだろうか。

「薬」も「砂糖」も少しなら体に、料理、良い効用がある。
でも、過剰に使うと毒にしかならない。

そして、中毒になるのはその使用量が増えるからだ。
そして、そういう人がたくさん出来れば、大企業は儲かる。

醤油を混ぜて甘みは減ったけど、いつも感じる野菜のうまみはしっかり死んでいる。

何事も使い過ぎは問題を起こす。

そして、調味料の使いすぎは、健康にも、お財布にも、料理にも悪い影響を与える。

砂糖つぼには、大匙半分のスプーンも入れておこうっと。

2013年11月13日水曜日

母の味覚

先日、実家に戻った時、スーパーで地元の豚肉の塊が4割引になっていた。

即買いした。

この豚肉、地元ではちょっとしたブランドだ。
以前にも買って、味の良さは知っている。
多少、スーパーの棚に長くいたところで肉なら、大した問題じゃあない。

魚なら買うのは悩むけど。

母が豚肉大好きなので、焼き豚でも作ろうかと思って買って帰った。

でも、気が変わって煮豚にした。
焼いて脂を落とし、ぬかで茹でて脂を落としても、まだすごい脂だ。

バラの塊だったので、一晩煮るとほろほろになった。

これだけの脂なら、豚バラで作る料理がまずいはずが無い。
ただ、肉の味は脂を落とせばより引き立つ。

実際、味付けをするととても美味しくなった。
煮汁が勿体ないから、ゆで卵を作って放り込んだ。
卵も肉もむちゃくちゃうまい。

そうやって、作った煮豚を母との夕食に出したら、彼女は一口食べてこうのたまった。

この魚、すっごく美味しいねえ。何の魚?

肉と魚の違いも判らない母だけど、旨いものは判るらしい。

だから、母に今、何を食っているか説明した。
彼女いわく「あんまりやわらかいから、魚だと思った」そうだ。

で、自分で自分のことを大笑いした後に言われた言葉。

これ、置いて行くでしょ。

ええ、お母様。
貴方のために作りましたので、自分のアパートには持って帰りませんからご安心下さい。

今まで、持って帰ったこと、ないでしょうに、全く・・・・・

噛まなくても味わう「肉」の味

某大手新聞の「かたい赤身、「霜降り」に変身」という記事、これ微妙だ。

牧草を食べて育った本物の牛肉。

いまどきこんな牛はオーストラリアかニュージーランドでしかお目にかかれないが、この加工肉はそこで出産経験した牛の肉だ。

断然に価格が安い。

この肉に別の牛の脂を注入するという。
脂は国産牛から抽出している。

でも、輸入された遺伝子組み換えのとうもろこしのえさで育った牛だ。

だって、速成肥満させるため、油分の多いとうもろこしで育てるのはいまや一般的なのだから。

もちろん、注入する脂にはうまみの元であるアミノ酸は欠かせない。
違法でなければ、他の添加物もおいしくするために脂に混ぜるのは当然だ。

彼らの商売に何か問題があるとは思えない。

ただ、個人的には、主義のために牛肉をほとんど食べない。

牛肉は作られるたんぱく質の中で、一番高価な肉だ。

先進国がビーフの消費量が増加すれば、牛の飼料価格が上がる。
つまり、牛のえさとなる穀物の値段が上がり、飢餓問題を抱える国は穀物を買えなくなる。

これは、牛肉が消費増加になればなるほど、状況は悪化する。
先進国の企業は、たしかに、儲かるだろうけど。

本来、硬い肉も長い間赤ワインと煮込むと美味しくなる。
特に、この手の「本物の牛肉」の味は格別だ。
脂くさくないから、肉本来のうまみが味わえる。

でも、油を注入し、ステーキにすれば、高く売れる。
調理時間も3分だ。
多分、味も悪くないはずだ。

廃棄するものを商品に開発する企業努力は感動だ。

こうやって、牛肉の消費量は増えて行くのだろうか。

美味しい店って、肩書き要らないわ

連日続く食品偽装のニュースの傍ら「騙されるな!「偽装飲食店」の怪し~いキャッチフレーズ3種」というような記事もあって、食いしん坊には理解できない世界が広がっている。

「フランス産のフォアグラ」と表示したけど、フランス産が手に入らない時に別のものを使ったから「謝罪します」という話は、私の理解を超えている。

つまり、昨今、食べ物は「舌」ではなく「脳みそ」で味合うものなのだ。

フォアグラ、本物ならどれ使っても脂の塊だもん、うまいに決まってるじゃん。

そもそも、フォアグラ食べて産地の違いが判る消費者がどれだけいるんだ?
フォアグラ食べてる時に、そんなこと分析する理性が何処にある?

少なくても私の脳には存在しない。

そんな記事を読んでいると、先日行ったうどん屋を思い出した。

宣伝らしいことは2つだけ。

うどんには、今年の北海道小麦粉を使っているということ。
そして、使う野菜が「近所のものだ」ということ。

でも、駐車場も店も満杯だ。

美味しければ、別に肩書きは要らない。

だって、みんな美味しいこと知ってるから、また食べにくる。
うまいから、友人も連れてくる。
そうやって、客は確実に増えて行く。

水も料理もセルフだ。でも、誰も気にしない。

彼らが捌ける客数は限られているけど、美味しいものの大量生産はどだい無理な話だ。

だって、材料だって、原料だって限られている。
もちろん、作り手の労力だって。
彼らの一日も24時間しかないのだから、当然だ。

うどん一杯に払う金額は少ないけど、食べ続けることでできた信頼関係は本物だ。

同じ金額をコンビニに払ってできる関係ではない。

消費者は美味しいものを創る人達を支えることができる。

その力、外食する消費者は是非、認識して欲しい。

2013年11月12日火曜日

「美味しさ」を感じるセンスはみんな違うけど

食いしん坊の友人に某ケーキ屋の「クリスマスケーキサンプル」を食べたか、という話をしたら「もちろん」という回答。

娘さんも食いしん坊なので「2箱」買ったらしい。
つまり、一人ずつ全種類味見しようという魂胆だ。

それでこそ、私の友人だ。
その娘もしっかり食いしん坊だ。
そのDNAは、次ぎの世代にちゃんと受け継がれていることを知ってうれしくなった。

で、彼女が面白い話をしていた。

今回、このケーキセットを何人かの同僚に勧めたらしい。

そして、始めてここのケーキを食べた同僚のコメント。
「あまりぱっとしない味だねえ」だった。
彼女、ほとんど料理はしないらしい。

たしかに、このケーキ屋の食べ物はすべての製品でかなり甘みが抑えられている。

コンビニやインスタントラーメンに慣れている消費者の口には確かにインパクトは弱い。

最近、テレビでも食に関する番組が多いけれど、芸能人が「美味しい!」と叫ぶ食べ物、本当に美味しいのか疑問に感じることがある。

たとえばラーメン。
背油をどっぽり入れたラーメンがまずいはずがない。

でも、それは油のうまみで「味」ではないだろう。

そんなラーメン屋に行列ができるのは判るけど、それを毎日食べたら数年で健康状態はレッドカードものだ。

本当に美味しいものは、毎日食べられる。

新鮮な野菜や果物。
本当に美味しいものは調味料なんてほとんど要らない。

素材のうまさは、過剰な油や甘味で「うまさ」を「偽装」する必要がない。

でも、多くの消費者の舌がすでに「偽装」料理に慣れきっている。

本物を信じる消費者が「美味しい」と感じるものを得るためには、日々「偽装」情報と戦い、自分の舌を信じるしかない。

そして、「美味しさ」を信じる仲間だけでの情報交換だ。

今、戦う食いしん坊は、戦友にも恵まれている。

メニューの値段は料理の値段。当たり前だけど。

メニューの表示した食材が違うと言って、返金している会社があるという。

法律という「権威」を盾に「違反だ、産地偽装だ」と大騒ぎすれば、金が戻ってくる社会は、ちょっと変だ。

別に、食べて腹を壊した訳ではないのに、返金を許す社会が存在する。
これ、企業の行動としては苦肉の策だと思うけど、社会的に考えれば危険な思想を植えつけることになる。

そもそも、消費者が「肩書き」を信用し、味の違いが判らないから「盛りすぎた」メニューになったのだ。

騙すことは確かに悪いことだけど、これは消費者にも問題がある。

大企業のホテルというだけでそこで扱う食べ物を信用する。

メニューに書いてある「高級魚」だから美味しいはずだと脳みそで食事する。

有名な「ホテルで貴重な魚を食べる自分」が重要で、美味しいかどうかは問題にすらされていない。

個人的には、美味しければ他はどうでもいい。

昨今の冷凍技術は目を見張る進化があるのだから、冷凍された旬の美味しい魚を上手に調理してくれたら、その調理の手腕に高い金額を払うべきだ。


高級食材だけ皿に盛られても、食えやしない。


彼らが努力して、技術を学び、料理してくれるから皿に盛った「高級魚」が食べられる。

メニューの金額は「高級魚」の値段ではなく、料理の値段だ。

当たり前のことだけど「返金を許す社会」の存在は、この「当たり前の事実」を否定する。

でも、返金請求に行く人は「私には味の違いが判らないから、騙しやすいですっ」っていう人のリストに載ることになるのに、恥ずかしいって思わないのかなあ。

冷凍した魚も「鮮魚」なんだぁ?

NEWポストセブンの「食品偽装 タラバガニを仕入れ値10分の1のアブラガニで代用も」の記事を読んで驚いた。

法律で使う日本語って、日常的に使う日本語と意味が違うことを始めて知った。

食品法が冷凍食品を「鮮魚」や「旬」と呼ぶのは理解できるし、妥当だと思う。

でも、それを「違法じゃあないから」と言ってメニューで「鮮魚」や「旬」という言葉を使うのは料理人としての良心はどう思うのか、是非意見を聞いてみたい。

実際、冷凍技術が発達した現在、味付け次第では、食材の食感はほとんど生と違いが判らない。

それに、消費者は濃い味に慣れているから素材の味を生かした料理など「パンチがない」と表現される。

生と冷凍物で一番大きい違いは、風味だろう。
特に、野菜や魚では鮮度の違いが味の違いになる。

味付けをシンプルにすると、その違いは「別物」と言えるほど、顕著に判る。

でも、消費者はコンビニ食で「一般大衆の味」である砂糖の200倍の甘さのコーンシロップ甘味料や、マヨネーズに代表されるような、膨大な油を使う味に慣れきっている。

だから、薄味なんて「美味しくない」なんて話になる。

だから、企業がメニューを「盛る」ことを止めるだけで問題は解決する。

それで、売上げが減れば、それだけの話。
「肩書き」に頼ったから、今回の醜聞になったのだ。

そもそも、味の違いが判らない消費者相手の商売なら、コンビニの戦略と変わらない。

求めるのは利便性なんだから、メニューもコンビニ並に「安く」すれば「肩書き」で売るより、よっぽど儲かると思うな。

2013年11月9日土曜日

監修ビジネスは理解できるけど

近所の100円ショップでは、大手企業が「企画したけど、失敗しました」という商品がこっそり売られている。

そこに、なんと「ROYCE」ブランドのレトルトカレーが売られていた。
「チョコレートの会社がカレー作るってどういうこと?」と思って良く見てみた。

違った。

「ニッスイ」が作っている。
監修ビジネスのひとつだ。
どうも「ショコラで仕上げた」というのが売りらしい。

でも、この100円ショップで山のように積んであるところを見ると、爆発的に売れたものではないのだろう。

好奇心に負けて一袋買った。

広告文句には「チョコレートをかくし味に使いました」とある。
原材料名を見ると、カレーフレークの次に「チョコレート」が並んでいる。
5つ目ということは、5番目に量が多いということ。

本当に隠し味の量しか入っていないのか。
食べるのが、ちょっぴり怖くなった。

でも、隠し味と言うなら、その位しか使わない「チョコレート」を提供する企業名を「全面的」に出すのって、誇大広告じゃあないんだろうか?

もちろんパッケージには「本品は、ロイズコンフェクト監修の元開発した商品です」と華々しく書かれている。

パッケージの正面は良く目にする「ロイズ」の金色ロゴが特殊印刷でレイアウトされている。

忘れないで欲しい。
これはレトルトカレーの話だ。
隠し味が「チョコレート」ではあるけれど。

ブランドに便乗して物を売ろうとする努力は認めるけど、消費者って、それほど馬鹿じゃあない。

ニッスイさんなら美味しい素材が手に入るんだから、味で勝負した商品開発の方が金を突っ込む価値がある。

山のように積まれたオレンジ色のパッケージを見ながらそう思った。

完着ゆず、発売開始!

とうとう、ゆずの季節がやってきた。
いつもの農家から「完着ゆず発売開始しました」のメルマガが到着した。

困った。
何故なら、スケジュール調整がうまくゆかないからだ。

ちなみに「完着ゆず」とは、完全に黄色に熟れたゆずのこと。
青いゆずは先月発売されていたが、ジャムやサワードリンクの元はこの完着ゆずで作る。

問題は、いつも発売時期が極端に短い。
メルマガ受信から、大体3週間で売り切れる。

だから、その間に注文し、ゆず到着日当日にサワードリンクを仕込み、次の日は一日かけてジャムを作る。

大体2日の作業を計画し、予定を組む必要がある。
仕込みに使う道具がすべて実家にあり、実家でないと作ることが出来ない。

今、仕事をしている街から実家までバスで3時間半。
だから、最低1泊は必要だ。

で、商品をいつも買っている農家の方もこればっかりは売れるスピードが判らないから「取り置き」とか「日付指定の送付」が難しい。

はるか南の土地から送ってもらうには3日はかかる。
でも、美味しいものを食べるには、そのための努力が必要だ。

ゆずジャムも他の場所でとれたゆずを使ったこともあるが、風味が全く違った。
値段がここより高いものも買ったことがあるが、がっかりしただけだ。

食い物は値段じゃあない。

だから、悩む。
彼らの忙しさも理解できるから、彼らの商品に拘る私の方が調整するべきなのだ。

うまいものを作る人は、みんな尊敬している。
だから「金払うんだから、この日付に送って」とは威張れない。

同じ金を使うなら、そうやって、作る人を、がんばる人を支えたい。
ペットボトルを毎日買うことで、大企業のビジネスを支えない。

これは私の選択だ。

うどん食べるためだけに40分ドライブする

「うどん、食いに行きましょう」と管理人に言われ、シェアハウスの住人と40分もドライブしてうどんを食べに行った。

昨今、讃岐うどんのチェーン店が日本中を躍進している。

実家の傍に出来たチェーン店にも近所のみんなが「うまい」というので食べに行った。

たしかにおいしいが、何より安い。

ラーメンが一杯800円から1000円になってしまった現在、250円で一食済むんだから、これは流行るだろうと思った。

少なくても大企業Mのハンバーガー食べるよりましだ。
トッピングのてんぷらを食べても胸焼けしない。

でも、何度も食いたいと思うほどではない。
「金を払って食べるなら、ここはあり」の程度。
そもそも、あんまり外食しないし。

そんな「うどんブーム」の中でのお誘い。

道中、管理人は熱くそのうまさを絶賛していた。

街を通って畑の中を延々と40分。

「これ、掘っ立て小屋じゃん」と思う建物の前に駐車した。
でも、中に入ると手作り感満載で風情がある。

チェーン店のような、導線と効率重視の「規格的」な内装でないところが人間的でほっとする。

小麦粉は地元産の今年取れたもの。
だから、麺の弾力はもちろんだが、何より味に感動した。

てんぷらなんて要らない。
うまいから食べたけど。

大根おろし、しょうゆ、そしてレモンで十分おいしい。
麺が粉くさくないけど、小麦の味はしっかり後味が口に残る。

ゆずだったら、もっと美味しいだろう。
腹がいっぱいなのに、まだ食べたい。
食べられないけど。

ああ、理性よ、何処に行ってしまったの? 戻ってこい。

2013年11月7日木曜日

美味しいものは大切に

ケーキ屋の「おやつの日」、店頭完全予約なので事前に引換券を買っておかないと食べられない。

今回、母に引換券を買ってもらったが気になることを聞いた。
せっかく予約してお金を払っているのに「取りに来ない人」がいるらしい。

母は店員さんに「忘れずに取りに来てくださいね」と念押しされたそうだ。

この予約制のおやつ、生ものだし、金が払われているから店頭では売れない。

だから、取りに来なかった分は「廃棄」になるだろう。

それに心を痛める店員さんの言葉が「忘れないで」という一言だ。

私のような食いしん坊には全く理解できないが「取りに来なかった」から「お金返して」という人も居るらしい。

これは「食べる側」として、あまりに無責任だ。

まず、食べ物に失礼だ。
作り手には、もっと失礼だ。

金は事前に払われているからビジネス的には問題ないのかも知れない。
でも、食べる側、つまり消費者側にも購入した以上「食べる責任」があるんじゃあないだろうか。

冷蔵庫の中で腐らす。
レストランで、バイキングで食べ残す。

これらに共通するのは「金払ったんだから」という消費者側の傲慢な気持ちだ。

野菜やお肉、そしてレストランの料理も誰かが時間をかけて「作っている」食べ物だ。

彼らの経験と労力の「結果」を食べているのだ。

だから、消費者はきちんと食べる責任がある。
「お金を払えば、俺のものなんだから俺の自由だろ」という考えの先にあるのは、消費しかない。

でも、美味しい食べ物は慈しむ価値がある。

それは値段と関係ない。
食べ物への愛情も作り手への尊敬も、値段で測ることはできないのだから。

一人ケーキバイキング

いつものお菓子屋は、毎月「おやつの日」というものをやっている。

これは、地元利用者への還元イベントで500円で特製のおやつが食べられる。

事前に店頭予約限定、その日に取りに行く。
ケーキのときもあれば、和菓子の時もある。

今月は、なんとこのお菓子屋が作る「クリスマスケーキのサンプル」が4種類だった。

バター、チョコレート、生クリーム、そして抹茶。

地元から離れて仕事をしているけど、たまたまその日は実家に戻るから母に頼んで買っておいてもらった。

当日、ケーキを取りに行くと新作ケーキが並んでいる。
スポイトソース付きのチーズケーキ、そしてカシスのチョコレートケーキがあるではないか。

チーズケーキは、スポイトにフルーツソースを入れて食べる直前にかけるというもの。今年の2月に食い損ねたやつだ。

カシスのケーキも半年振りのご対面だ。

でも、2個も食えるか?
すでに、4個のケーキ、取りに来たのに。

「理性よ、働け」と願ったが、当然無理。

2つのケーキと4つのケーキ。
一人ケーキバイキングだ。

このケーキ群を食べて思ったことがいくつかある。

まず、バターケーキは「バター」が美味しいとかなり美味しくなる。
そして、甘みには酸味が必要だということ。

生クリームのショートケーキにイチゴの酸味がとても合う。
特に、この生クリームには粉末ヨーグルトを混ぜて酸味を調整している。

カシスも酸味がある。
これは、チョコレートの苦味と実に良く合う。

食べ比べると、味の個性が良く判る。

夕食は食べずに、ケーキ全部平らげた。

明日からしばらく毎日ジムに行く必要があるよ、自分。

美味しいから産地を知りたい、んじゃないの?

巷で産地の「誤表示」が問題になっているけど、これ、本当に理解できない。

そもそも「若鶏のソテー」とだけメニューに書いておくだけでは十分じゃあない、という企業側の心理が理解できないのだ。

メニューに書いてあって、そう思って食べて違ったから消費者が怒る心理も理解できない。

だって、食べたかったのは美味しいもので、美味しかったらいいじゃない。

それとも「XX産」という「肩書き」が食べたかったのか?

でも、味の違いはわからないなら、どれでも同じでしょう。

食事して、美味しければ「これ、すごく美味しいけど産地は何処ですか?」なんて聞くことはイメージできる。

そして「料理長が言うには、本日はXXから来た鶏です。」なんてウエイターが答えるのもイメージできる。

知りたくなるのは「美味しいから」だ。

だから、また食べたい、またここに来ようとなる。

食欲が刺激されて脳が働くのは、美味しかった時だけ。
美味しくなければ、別にどうでもいい。

腹を壊さない程度に運営しているレストランなど二度と行かないだけの話。

デパートもそう。
美味しかったらいいじゃあないの。

自分で材料を調達し、作る手間を金で買った以上、払った金額は「楽した金額」だ。

材料が表示通りか、他人を信じるのはその人しだい。

食品を売る企業は、食中毒にならなければ衛生法的には問題が無いのだから。
もちろん、表示法違反だろうけど、日本じゃあ、お上の言うとおり、改善すればお咎め無しだ。
だって、社会的にも「誤表示」で通るんんだから。

大した問題じゃあない。

「知らない誰か」が作った食べ物を食するリスクはどれも同じ。
選ぶのも、食べるのも、消費者だ。

楽して安全なものを食べられると信じるのも自由。

信じる相手は「ビジネス」なんだから、ベトナムの観光客相手の露天商と目的は同じ。

それも、覚えておいた方がいい。


至福のおにぎり

長距離バスに乗る前に、夕食を調達する必要があった。

金を払って食べ物を買う時は「うまいもの」と決めているので、大抵、デパートの地下に行く。

でも、この時は荷物があったので面倒だと思った時、先日の「カフェ」を思い出した。

家の近くだったので、そこで鮭のおにぎり1個を買った。
テイクアウトもできるおにぎりは、一個180円。ちょっとはしたないけど、冷えてから食べるのが嫌だったから歩きながら食べた。

袋を破ると海苔の匂いが立ち上る。

まだ、暖かい。一口かじるとむちゃくちゃ美味しい米と海苔だけの味。

塩味はほとんど感じない。

食べ続けると、鮭が登場。

この鮭がちょっとだけ塩が効いているので、ご飯といっしょにたべるとバランスがちょうどいい。

1分後に完食。

余韻に浸りながら歩いた。

本当に美味しい。

ただやっぱり、ちょっとだけ足りないから何か買おうかとコンビニの入り口まで行った。

でも、脂っこいフライドチキンのポスターを見た瞬間、回れ右をした。

体も脳も、この余韻をまずい食べ物で消すことを拒否した。

結局、何も買わず、その夜はおにぎりと、その味の余韻で過ごすことになった。

チョコレートもフライドチキンも魅力的に見えなくなるほど、美味しいおにぎりを食べてしまう体験を持つことは危険だ。

何故なら大量生産の味には戻れないから外食は難しくなる。

食べ物に感動できることは、それを作る人も尊敬できることだ。

食べ物を作る人への感謝は、こうやって生まれる。

本当のおいしさ

最近、近所に小奇麗なカウンターだけのカフェ飯屋が出来た。

でも、見るたびに誰も入っていない。

しかし、お米にこだわった店らしく農家の写真が掲示している。

気にはなっていたが、ほとんど外食しないので、いつも店の前を通るだけだった。
しかし、ある日、ランチと夕食と2度も外食する羽目になり、このカフェが提供する「米」の力に驚愕することになった。

その日、一人ランチで1000円もかけるつもりがないが「金返せ」となるような食事をするのも嫌だ。

そういう時は「おかゆ」か「てんや」になるが、その日は「てんや」の天丼になった。

たしかに、油のうまさに舌は喜んだ。
しかし、胃はあまり歓迎しなかった。
油のおかげで午後遅くまで胸焼けが止まなかった。

そして、夕食。講演会の後、友人と軽い夕食が食べることになり、たまたま、家の近くだったので気になっていたカフェに行った。

そこは、夜バーになるらしい。でも、食事もできたので、カウンターで「おにぎり丼」を頼んだ。

友人は塩、私はカレーだった。

一口食べて舌がヨーデルを奏でるほど、おいしかった。
米のうまいことこの上ない。

もちろん新米だ。

カレーも美味しいのだが、それより付け合せで出た金平ごぼうは絶品だった。

量は少ないが、そもそも大量に食う必要なんてない。

美味しいものは、少しだけでも十分満足する。

しかも、定食みたいなものだったが、ワンコインだ。

味噌汁、金平ごぼう、そしてカレー丼。

遅い食事だったが私の胃は何も訴えなかった。

素材が良いものって、体も判るんだな。

2013年11月4日月曜日

100グラムのマロンパイが何故?

ケーキ屋のマロンパイを2個食べた2日後、仕方なしにジムに行った。

ここでは毎回最初と最後に体重を計ることになっている。
東京でどれだけがんばっても落ちなかった体重が最近、落ち始めて気分が良かったのだが、この日は違った。

前回より、1キロも増えている。

ショックだ。

食べたものを思い出しながら「何故か?」を考えたら思い出した。

そう。マロンパイだ。

他に間食もしていないし、飲み会にも行っていない。

でも、不思議だ。マロンパイ、一個100グラムも無いだろう。

2個食べても200グラム程度なのに、私の胃の中に入るとどうして1キロに増えるんだろう?

スィーツフェア延長?!

食いしん坊の友人から「大丸のフェア、延長で、マロンパイまだ買えるって」っていう、余計なメールが入ってきた。

そして、次の日は休みで大丸の隣のビルに行く予定があった。

用事を終えた後、まるで光に誘われる蛾のように、ふらふらとケーキ屋に引き寄せられた。

燦然と並ぶ、マロンパイ。

にっこり笑う店員さんが説明してくれた。

「そうです。評判が良くて、フェアの期間が延長になったんですよぉ。でも、もう延長は無理ですねえ。クリスマスシーズンが始まりますから。」だって。

もちろん、1個でなんて満足できないから2個買った。

その日に1個温めて食べた。

2度目を食べて解ったのだが、このパイ、上にシュガーアイシングがかかっている。

ここのケーキはあまり甘くないから、このアイシングが「甘さ」にアクセントをつける。

これ、料理も塩を全体に混ぜず、食べる時に振り掛けることで塩分を少なくすることができ、塩の味が料理を引き立てることと同じ発想だろう。

ただ、この場合、材料が良いこと、そしてアイシングが適量であることが重要になる。

素材にこだわるケーキ屋の商品だから、その点は問題がない。

中の栗を包んでいるアーモンドプードルで作られたほんのり甘いスポンジも温めるとほんのり溶けて滑らかになる。

次の日に残りを食べたら味も風味も確実に落ちた。

美味しいものは、美味しいうちに早く食べるべきだった。

カロリーのことを考えるのはこの際、忘れよう。

秋限定の至福の時間なのだから。

2013年11月3日日曜日

脳は味を感知する器官じゃあないでしょ

メニューが「誤表示だ」とか「偽装」だとか世間が騒いでいる。

産経WEBでは「食品偽装」はヒルトンやプリンスホテルでも」と、他のホテルのケースを紹介しているが「別にいいじゃあないの」と思う。

これ、小さいレストランがやったらどうなのだろうか。
大きなレストランだから問題なのか?

それって欺瞞でしょう。

まず、レストランなら「肩書き」に頼らず「味」で勝負すべき。
肩書きに頼る程度の料理に寄ってくる客なら、舌で食べるんじゃあないんだから、どんな肉でも野菜でも変わりないでしょ。

企業が「誇大広告」でメニューを魅力的に見せようとしたのは理解できるけど、消費者ももっと賢くなる必要があるでしょう。

だいたい、チェーン店のレストランで少量の仕入れなどありえない。
また、料理の値段と場所を考えたら、有機野菜を使った料理が「この値段」で妥当かどうか、解るでしょうに。

大切なことは「うまいかどうか」でしょう。

冷凍モノを使っても味を濃くすれば美味しく感じる。
「うまい」って思って食べたなら何が問題なんだ?

彼氏や仲間にご馳走する料理だって、大丸の地下の惣菜売り場のものを皿に乗せて「私が作ったの」という人もいる。

「誇大広告」はバレなければ誰でもやる。
そして、バレなきゃエスカレートする。誰でも同じ。

企業のいい訳を聞くのも面白いけど、まずい冷凍モノを使い続け、それに頓着しないシェフがそのレストランには今後も居ること、忘れない方がいい。

レストランって、不味けりゃ行かなきゃいいだけの話。

2013年10月18日金曜日

葡萄の誘惑・・・バターより危険なもの

生クリームやチーズとフルーツが、この季節、どれだけ危険な食べ物になるか、以前ブログにも書いた。

だから、ケーキ屋には近づかないようにしているが、自分で作るフルーツのジャムやソースは別物だ。

これ、パンにバターといっしょに食べるより、危険な食べ方を知ってしまった。

プレーンロールケーキやチーズケーキにかけてオリジナルケーキを作ること。

ロールケーキのスポンジにしみこむ葡萄ソースが生クリームと絡み合うことを考えた時、居てもたってもいられなくて、いつものケーキ屋に走った。

一人で実験するのはもったいないので、食いしん坊夫婦に声をかけた。

彼らは糖尿病を持っているし、私は体重増加が気になるから、いつも「少しだけ」といういい訳をして甘いものを楽しむ。

二つ返事で実験に参加することになった。

だから、ロールケーキひとつと、チーズケーキひとつを3人で分け合って味見した。

まず、葡萄のフルーツソースを味見させた。

旦那が唸った。

そして、それをチーズケーキにかけて3人で突っついた。

チーズの風味にソースが負けそうになるので、かなりたくさんかける必要があった。

で、絶品はロールケーキ。

やっぱり、思ったとおりだった。

奥さんの方は「こっちが好き」と明言。
彼女の舌は私と似ている。
旦那は「チーズの方がいいな」とそれぞれ、コメントをくれた。

材料とか、作り方とか一通り話しが盛り上がったけど、ケーキは3分で消えた。

美味しいものは、みんなで食べると、数倍美味しくなる。

食いしん坊仲間に感謝!

ケーキ屋の戦略、というか策略?

食いしん坊の友人が夕食に誘ってくれた。

「デザートは任せて」といって、葡萄のフルーツソース4種類を持参し、それをチーズケーキとロールケーキの上にかけて「危険なデザート会」をしようと、いつものケーキ屋にロールケーキを買いに行った。

そしたら「本日は売り切れました」というポスターがあるではないか。
会計を終わらせて、このポスターは何かと店員さんに聞いたらなんと私が考えたこともない答えが返って来た。

大丸デパートが、「秋のデザートフェア」を企画したので、それぞれのケーキ屋が「大丸のために」オリジナルスイーツを作り、期間限定で販売しているそうだ。

このケーキ屋の場合、マロンパイ。

新栗を真ん中にして、アーモンドパウダーのスポンジで包み、最後は北海道バターを使ったパイ生地で仕上げた一品だ。

販売期間は、後1週間しかない。
偶然次の日は会社が休みだったので、開店と同時に買いに走った。

5分後に着いたが、すでに40個は売れていた。

思っていたより大きい。
考えて、考えて2個買った。頭の中にエビフライが踊ったが無理やり消した。
(詳しくはエビフライ1本を参照)

で、食べた。

ひとつはそのまま。

もうひとつは温めてから。断然温めた方が美味しかった。

アーモンドスポンジのやわらかさ、栗の硬さ、パイのさくさくさ、と3つの味わいがかじった瞬間楽しめる。

そして、その甘さと風味がハーモニーが口の中で広がる。

ああ、秋ほど素晴らしい季節はない。
販売終了まで私の休みは無いが、このパイ、取り置きもできるらしい。

完全に彼らの戦略にはまった・・・・・どうしよう。

2013年10月13日日曜日

新栗の誘惑

仕事が終わったある日、ジムに行きたくなかった。

でも、今日を逃すとまた1週間行けない。
だから、やっぱり行かなきゃ、と悩む。

元々運動なんて好きでもない。
そんな自分の中で「理性の天使」と「悪魔の誘惑」が戦っている時、食いしん坊の友人から「夕食いっしょにどう?」というメールが入ってきた。

速攻で「悪魔」の勝ち。

でも、1時間半、待つことになった。

こういう場合、普通、洋服屋さんか靴屋さんなどぶらぶらするのだろう。

私が向かったのはデパートの地下食品売り場だ。
時間的にも投売り時間帯に入っている。
底値を調べるにはちょうどいい。

でも、デパートの地下には、大好きなケーキ屋がある。
もちろん、ランタンに引かれる蛾のごとく近づくと「新栗シャンテリー」が出ていた。

これ、人気の商品でシーズンであってもあまり見ることがない。

保冷剤は1時間しか持たないと聞いて、一旦買うのを諦めた。
でも、この機会を逃すと次があるか解らない。

だから、夕食前にデザートを食べることにした。

これがすごい。
57gで230円。
3さじか4さじくらいの量しかないが、その感動はダイナマイト級だ。

原材料は、「栗、生クリーム、砂糖、ラム酒」だけ。

これ、多い順番に書かれていることを考えて欲しい。

栗と生クリームの味を引き立てる程度の砂糖しか入っていない。
小麦粉もスターチも入らない、美味しい栗と生クリームだけ。

ああ、秋がいつまでも続けばいいのに。

重要なのは、栄養価ではない

マイナビウーマンの「新しい調査結果によると、冷凍ものも栄養価的に見れば、むしろ新鮮品より勝っていることが分かった」という記事に「またかぁ」と思った。

舌でなく、脳みそで食べる人には「栄養価」が重要なのかも知れない。

でも、考えてほしい。
人参の栄養価が新鮮品の300倍あっても、甘い新鮮な人参の味に比べるとどんだけなものなんだ。

そんな人参で作る人参ジュースの味がもたらす感動や幸福感は「いつも」得られる訳ではない。

収穫シーズンだけの特別なものだ。

冷凍食品の栄養価が新鮮品より高かろうが、低かろうが、人が「野菜を食べない」現実がある。

冷凍食品だって、冷凍ブロッコリーより、料理になったTVディナーの方がずっと売れているはずだ。

一般市民は「楽なこと」を求めているから舌を鍛えず、頭で食べる。一人分なら「効率的」「経済的」という観点からも冷凍食品は必需品だろう。

だから、食べることに「権威の意見」を求める。

それは、新鮮品を買う時も同じだ。
デパートで売っているものは美味しいものと信じて高い値段を払う。

そりゃあ、金に糸目をつけなければ美味しいものは食べられるだろう。

でも、冷凍でも新鮮品でも栄養価より重要視すべきことがある。


「誰が、どうやって、どんな思いで作ったのか」だ。


野菜は人が食べるために作られるのだから。

栄養価ではなく、生産者の「思い」を計る研究に、誰かお金を出す人はいないだろうか。

その数値には耳を傾ける価値があると思う。
(できるわけないけどさ。)

2013年10月7日月曜日

旬のフルーツソースと生クリーム

だいたい、生クリームだけでも危険な食べ物なのに、それを旬の果物とあわせてケーキを作ってガラスケースに飾るなんて、まるで、アムステルダムの飾り窓に並ぶ色っぽい女性達を見ているみたいなものだ。

女性だろうが、ケーキだろうが、麻薬的なおいしさをが並んでいるのは、悪魔的誘惑だ。

これに負けないためには、近寄らないことが一番。

だからこそ、この時期はケーキ屋があるデパートの地下には行かないようにする。

にも関わらず、雑誌は「食欲の秋」の名目で特集を組むし、いつも行くケーキ屋は、毎月1日と15日に商品を入れ替える。

そんな風に、誘惑は生活のありとあらゆるところに散在している。
そして、このシーズンはこの誘惑に負けやすい。

旬の果物で作ったソースとクリームのコンビネーションは、ソフトクリームやシュークリームなどいろいろある。

でも、生クリームとのコンビネーションは、ダイナマイト級だ。

でも、これを食べるのはシーズン中でも数回しかない。
危険すぎる食べ物だから。

日常的にはヨーグルトとフルーツソースで我慢する。
それでも十分うまい。

もっとやばいのが、チーズとフルーツソース。
ただ、日本ではチーズが高価だから現実的にあまり機会がない。

でも、簡単に手に入るケースがある。
それがチーズケーキだ。

生クリーム、チーズ、旬のフルーツで作られる私の中の最高峰。
シーズン一度しか食べない。

もっとも、シーズン1度、一種類の「旬」のフルーツだから一度ケーキ屋に行って「1個」だけ買うというわけではない。

飾り窓の女性達がそれぞれ魅力的なように、ケーキも同じ。

こればっかりは、いろいろな味があるんだから、仕方ない。

ぶどうの誘惑

うまいものをジャムやフルーツソースにした後「失敗した」と思うことが多い。
でも、瓶詰めしてしばらくすると「げげっ、めちゃ美味い」と思うことが多い。

今回もそうだった。

近所の八百屋で、ぶどうが1箱480円で売っていた。

2週間前からだ。大分悩んだ。
買って、ソースかジャムをつくろうかどうしようか。

種を取るのがめんどうだけど「よし、作ろう」と決めた。

昨日仕事が休みだったので、ぶどうを買いにいった。
前日には、ビンも煮沸し、砂糖も買った。

で、ぶどうは、箱で売って無かった。

がっかりしたけど、やはり旬だから作りたい。
1パック200円で2種類の黒ぶどうが売っていた。

キャンベルとステューベンだ。

1キロほど作ることにした。

種を取るのがまあ、大変だった。半分に切って、箸で突っつく。
で、途中で味見したが、これがどっちもむちゃくちゃ美味い。

だから、種を少し取って実家に植えてみようと考えた。
先の長い話だけど。

で、2時間弱かかって種を取り除いて2割ほどの砂糖を入れた。
この量は、一般的なレシピに比べて大分少ない。

だから、保存はあまりできないけど、どうせすぐ胃の中に消えるので腐る心配はない。

水分が多いからフルーツソースになった。

このとろみが至福の味をかもし出すとは思わなかった。

自家製のパンで作ったトーストにこのソースを乗せる。
ソースは半分ほどパンにしみ込む。
ジャムよりはるかにパンとの一体感が強い。

これに、半分溶けたバターといっしょに食べたら麻薬的な味になるだろう。

だから「やらない」と心に誓いたいけど、果たしてこの誘惑に勝てるか?!

「食欲」の意味がかなり違う

朝、ラジオを聴いていたら「食欲の秋」の話をしていた。DJがどれだけ食べるんだ、ってくらい食べ物の話をしていたので「私の食欲の秋とはかなり違うなあ」と思った。

たしかに食べ過ぎた結果は同じだ。

でも、その意味はかなり違う。

私の「食欲」は「味」のバラエティに刺激されるが、「量」にはあまり興味がない。

たとえば、ぶどう。

味の違いを考えると、旬の秋には10種類以上食べる必要がある。
そして、地域の違いは味の違いだ。

試さないでいられない。

そして、それら美味しいぶどうで作る加工品。

ソフトクリームをはじめ、「金返せっ」と言いたくなる場合もあるけれど、これもやっぱり試してしまう。

そして、箱で手に入る安くておいしいぶどうで作るフルーツソース。

私の場合は砂糖の量はかなり少ないので、甘いぶどうを入手するのが必須となる。

それを使ったスムージーやパンケーキ。

美味しすぎてしばし時を忘れる。

生クリームをホイップさせて、上からソースをかけたワッフル。

そして、ソースと秋の木の実で焼いたマフィンなど妄想は暴走する。

こんな美味しいソースを食べていると、市販の安い「ぶどうジャム」なんて買う人の気がしれない。

ましてや、そんなジャムを使ったイーストフードの入ったパンとのサンドイッチを「期間限定」と売るコンビニの商品を「美味しい」という人とは、決して、決して友人にはなれないと思う。

私の「食欲の秋」はまだ始まったばかりだ。

2013年10月5日土曜日

チーズケーキが現れるとき

食欲の秋だ。

旬なものを食べる時、何を食べても本当に美味しい。
でも、欲望の暴走は、体重増加を引き起こす。

だから、その予防に、ジムに行ってウォーキングマシンで歩く。
で、この機械がすごく意地悪だ。

消費したカロリーが食べ物で表示される。
詳しくは昨日のブログ「エビフライ1本」を読んでほしい。

表示は、最初に消費カロリーの「目標」とする食べ物が出てきて、そのカロリー分を消費する間の時間、7センチほどのバーが少しずつ黒くなる。

それが真っ黒になると、次の食べ物が現れる仕組みだ。

この機械で運動するときは、大体いつもチーズケーキが出てくることを目標にしている。

約1時間歩かないと現れないけど。

しかもこのチーズケーキ、たった一切れだ。

でも、これが出てくると、その日の運動は終わりに近い。

だから、バーが少しずつ動く間は、今まで食べた美味しいチーズケーキを妄想しながら歩いている。

ニューヨークチーズケーキの濃厚な一口、それから、ゴルゴンゾーラチーズケーキの舌触りを思い出して一口、そして、スフレチーズケーキの軽やかさ。

ああ、美味しいコーヒーの方がいいか、それともフレーバーティーの方が合うだろうか。

そんな妄想をしている間に、次の食べ物が出てきて運動ノルマは終了する。

嫌味な機械で、嫌々運動しているけれど、それでもチーズケーキが現れる時はちょっとだけけ気分がいい。

でも、この食べ物、いつも同じではないので、必ず現れるという訳ではない。

だから、チーズケーキが現れない時は、運動した気分にならない。

食べたい物があるから運動する。

こんな考え、スポーツマンには絶対に理解できないだろうなあ。

2013年10月4日金曜日

エビフライ1本

私にとって秋は「食欲の秋」以外考えられない。
野菜はもちろん、しゃけや秋刀魚など、美味しいものが目白押しだ。

この私の「秋」の大敵は「体重の増加」である。
体重が増えると、膝が痛くなる。

だから、出来るだけジムに行って歩くようにしている。

「スポーツの秋」なんて私にはありえない。
誰がこんな言葉を生んだのかも理解できない。

スポーツなんて、どんなシーズンだって私には「苦行」でしかない。

ジムでは、この「苦行」をするためにランニングマシンを使っている。
このマシン、いやみなマシンで、消費カロリーが「食べ物」で表示される。

最初は「かき氷」から始まる。
それから、歩く時間が経つにつれていろいろな「食べ物」が出てくる。
この「食べ物」は、毎回同じではない。
同じ10分歩いても、食べ物が違う時がある。

この「食べ物」をあまり見ないようにしているのだが、この間さすがにショックを受けた「食べ物」があった。

30分歩いた時に出てきた「食べ物」が、エビフライ1本だった。

ホットケーキを画面いっぱいに映すことができるほど大きな画面に、エビフライ1本が出てきたのだ。

カロリーは覚えていない。

ハンバーグの隣につけ合わせ程度の細さしかない「エビフライ」を、歩きながら
凝視した。

このエビフライ、「エビフライ定食」を象徴しているのか、それとも、本当に1本のエビフライのカロリー分を意味しているのか、判断は出来なかった。

ただ、絵のインパクトは強烈だった。

エビフライが「30分のウオーキングと同じカロリー」という「事実」が脳に焼き付いた。

そういう点では、悔しいけど、優れたランニングマシンだ。

そんな「事実」を知っても、自分は決して1本だけで我慢できない。
だから、美味しいエビフライなら3本は食べたい。

だから、食べるなら、食べた後に「1時間半歩いてもいい」と思えるような美味い「エビフライ」だけ食べたいものだ。







トマトとの格闘

実家に戻ると、トマトの山だった。

猫の額ほどの畑に、冷蔵庫のあっちに、こっちに、袋に入っている。

ねずみ年生まれの母は「まとめる」という概念があまり無い。
だから、トマトを冷蔵庫から「発見」し「かき集める」のも一仕事だ。

そして、シンクの上には、ボールに入って今朝取れた分が積まれていた。

生で食べるには限界がある。
スムージーに入れる量も限られている。

自家製トマトソースを作るしかない。

イタリアントマトがかなりあるけれど、こちらは生で食べてもあまりおいしくない。
桃太郎のような、甘くて丸いトマトもあるが、これもまぜたら判らなくなるだろう。

たまねぎを炒めている間、ともかく、お湯にぶち込んでトマトの皮をはいだ。
イタリアントマトの皮は本当にきれいにむけるので、面白くて止まらない。

一番大きい鍋に皮をむいたトマトを入れていたが、量が増えてあふれそうになった。
だから、大きな寸胴に移し変えた。

出来上がった後、冷凍するため袋に小分けしたら、13カップ分あった。
もちろん、抜群にうまい。

このソース、ほとんど私が使う。
母は、調理したトマトの酸味が苦手なので、あまりこのトマトソースを好まない。

でも、私の生活は、ここ1ヶ月、ほとんどこの「野菜のトマト煮」で生きている。

いつもは、100円程のイタリアントマト缶詰を使って作るのだが、このトマトソースを作ると、どんな野菜を入れてもむちゃくちゃうまい。

にんじん、芋、きのこは定番だ。
今の時期は、採れたてのじゃがいもを使う。
ズッキーニはこの夏家で出来たやつを干したものだ。
きのこは今が旬。

そして、これらを自家製トマトソースで煮る。
2日目はもっとおいしくなる。

もう、スーパーの野菜は食えないかも知れない・・・・




2013年9月22日日曜日

「機能的」であることが野菜の付加価値?

食べ物は、美味しいから食べるのだ。

その美味しさを追い求めると野菜なら「とりたて」ということになる。
そして、食べ物は「旬」以外で食べると不味い事実に気がつく。

そして、高い金を出して「旬以外」の野菜や果物を買わなくなる。
だって、馬鹿らしいもん。

でも、食べ物を「有名店」とか「ブランド」という「脳」で買う人達は、「機能的野菜」も歓迎ということなのだろう。

「権威」が「これが必要な野菜量です」と発表する。日本人は「権威」の言うことは疑わない。だから、その数字が間違っていても「正」となる。

そもそも、「権威」が決めた量を食べるために、2倍の値段で高額な野菜を買うこと自体に「疑問」は持たないのか?

あのアイドルが「美味しい」と言ったから、権威者が保障した「機能強化野菜」だから、と言って食べるのでは自身が持つ「舌」の能力は不要だ。

食べ物を味わうのに必要なのは「脳」じゃない。

必要なのは「舌」であり、感動する「心」とその生産者への「敬意」だ。

だから、このような食べ物は食いしん坊に理解できない。

食べ物について言えば付加価値は「美味しい」と「信頼」以外ない。

「信頼」できる食べ物が懸命な生産者から提供されることに消費者は「敬意」を持つ。
そうすれば、おのずからその貴重な食べ物を無駄にすることなんて出来やしない。

信じるのは、自分の「舌」であり、「感動」だ。
ブランドや値段なんて、意味がない。

大企業を信頼するのは消費者の自由だ。

でも、裏切られても騒いでも、食ってしまったものは手遅れだ。
大企業という「ブランド」を信じた自分自身のせいだ。

「舌」と本能で、判断するなら、決して間違わないのに。

機能性野菜?!

テレビ番組を見ていると驚く話をしている。

まず、紹介されているブロッコリーの値段が普通の2倍だ。
でも、野菜の特定成分が普通のブロッコリーの3倍らしい。

消費者が「高くても体に良いものが欲しい」と話している。

恐ろしい・・・・

また、透析患者のように野菜の摂取量を制限されている人に対して低カリウムのレタスを作って販売しているそうだ。

このような機能性野菜が登場してくるのは「野菜の摂取量が目標より取れないから」だそう。

これら機能性野菜も有機野菜のようにブランド化して大企業が売り出すそうだ。

このようなものを求める消費者の気持ちが理解できない。

かつて、失業中に農家の手伝いをしていた。

大家の老人二人でやっていた小規模農家だったのだが、収穫の手伝いを半日位していただろうか。

お金を貰わなかったら、帰りに収穫した野菜を持たせてくれた。

その中でもブロッコリーの味は特別だった。

蒸したブロッコリーに塩を振るだけで濃い味が口いっぱい広がる。
マヨネーズの味は余計だった。

その夏いっぱい、彼らの野菜のうまさに慣れていた体は、秋になりスーパーのブロッコリーを同じ感覚で食べた。

吐き出した。
あまりに不味かったからだ。

ブロッコリーだけではない。
美味しいものは工場では作られない。

機能野菜を食べても人間は元気にならない。

「美味しいね」と言い合える仲間と、新鮮な野菜。

感謝して食べることで人は幸せになる。

2013年9月14日土曜日

なだ万監修の「カップラーメン」って

今日、イオンに行ってすごいものを見てしまった。

ビールの景品にカップラーメンがついていた。

しかも、「なだ万監修」って文字が堂々入っているところをみるとこの「ブランド」が売りなのだろう。

ちなみに、なだ万とは江戸時代から続く老舗日本料理店だ。

最近は駅ビル内でもその惣菜や弁当を買うことができるが、値段もさることながら、味も上品で味わいがある。

かつて、ある集会が「お弁当付」というのでいそいそ行った。
なんと、なだ万のお弁当だった。

テンション上がって今か今かと待っていたら、私の数人前で無くなった。
どうも、来場者が予定より多かったらしい。

ちなみに私はちゃんと予約しておいた。

で、急遽会場階下にあるコンビニのお弁当が配られた。
私が当たったのは、そのコンビニののり弁だった。

この時以来、この会には行かない。
絶対に行かない。

食べ物の恨みは深いのだ。

話を戻すが、なだ万監修の「カップラーメン」だ。
これが売りになるという発想が悲しすぎる。

カップヌードルの王様であるNISSINが老舗とタッグを組んだ商品とういうことなのだろう。

NISSINはともかく、なだ万ブランドが「カップラーメン」を監修することは理解できない。
そもそも、監修する「物」が料理店の理念からかけ離れすぎているだろう。

調べてみるとこの「監修商法」はカレーなど他の即席食品でも展開されているらしい。

料理人の店だと思っていた「老舗」はブランド化されビジネスになった。

プライドも金には負けてしまったのか。

野菜に名前をつける

「大きいことはいいことだ」という訳ではないが、やはり大きさを競うということはどこにでもあるのだろう。

ロイター通信が「米国の巨大キャベツ大会」について発信しているのを読んでちょっと微笑んでしまった。

記事自体は、農作物コンテストの話。

キャベツやかぼちゃの農作物の大きさが競われて、キャベツ部門では10歳の男の子が作ったものが優勝したらしい。

彼は、このキャベツに「ボブ」という名前をつけていたそうだ。
かぼちゃ部門では「エバ」が優勝したとのこと。

野菜に名前をつけて、毎日見守った小さな農業従事者の誇らしい顔が目に浮かぶ。

名前をつけることは、愛すること。慈しむことだ。
野菜は決して返事はしないけど、彼の「ボブ」への愛情のは成長に反映した。

農家が作物を育てることは、換金するためではあるけれど、決してそれだけではない。

見守って、手をかけて、天気を心配して、農家の人達が心を配ったから、私たちはおいしい野菜を頂くことができる。

だからこそ、無駄にしてはいけない。

おいしく食べるためには、食べる方も全力を尽くす義務がある。

食べて、幸せになる責務がある。

だから、美味しいものは、みんなで食べるべきだ。

何故なら、新鮮で美味しい野菜は、みんなで食べるともっと美味しくなる。

そして、大人数で食べれば、傷む前に食べきることができる。

農家に安全な野菜を提供することを求めるのなら、私たちもそれをきちんと味わう責任がある。

農家の人達が手間隙愛情かけて育てた野菜をきちんと食べる。

消費者もまた、生産者に対して尊敬と愛情を向ける必要がある。

2013年9月8日日曜日

アボカドって冷凍できるんだ

近所の八百屋でいつもアボカドの大安売りをしていた。
売れ残ったものを袋に入れて売っているのだが、これ、当たり外れがすごく多い。

たいてい、半分位は食べられない。
でも、半分は食べられる。
だって、8個位で100円なんだから、あまり文句も言えない。

でも、文句を言った人がいるのだろう。
もう、売らなくなってしまった。

まあ、見切り品でもないのに半分近く食べられないなら、文句を言われても仕方ない。

たしかに、切り開くたびに買ったことを後悔させるアボカドを見ていたら文句のひとつも言いたくなる。

まあ、私もそうだった。

アボカドの問題は選ぶ時にその「駄目具合」が判らないことだ。

買ってから硬いから「まだ大丈夫だろうなあ」と思って切ったら、後悔のどん底に落とされることも少なくない。

たぶん、そう感じて買うのをためらうのは私だけではないだろう。
だから、店でも「見切り品」の棚に見かけることがある。

で、ある時、別のスーパーに行ったらやはりアボカドの見切り品があった。

そして、なんとヘタのある頭部分を一部カットして袋詰めされているのだ。

これは、良かった。
同時に「なるほど」と思った。
一部が見えたら食べられそうかどうかを判断できる。

切り口を見る限り「これはいける」と思って一袋買った。
ほとんど食べられた。

でも、今度は食い飽きた。

でも、何とか食べて3日後位経った時だ。
TV通販で冷凍アボカドが売っていた。
あれを「冷凍する」なんて、思っても見なかった。

テレビショッピングから学べることって、あるんだなあ。

2013年9月7日土曜日

シソ味噌が触発する妄想

母がシソ味噌巻きをもらってきた。

とても手間がかかっている。
自家製の味噌をシソの葉に少しずつ巻いてある。
ひとつ食べると極上の味が口に広がる。

すぐに妄想は膨らむ。

季節は新米が出始める時期だ。
このシソ巻きを炊きたてのご飯の上に乗せて食べたらどれほどおいしいだろう。

そういう時は、やっぱりササシニキか。
でも、北海道のゆめぴりかもおいしい。

半分食べたら、出汁をかけてもおいしそうだ。
地元の大豆でできたあの納豆とあわせてもおいしいだろうなあ。

おにぎりの中の具にしてもうまそうだ。

おいしいものは、他のおいしいものへの欲望を刺激し、果てしなく妄想させる。

お米への偏愛を持たない母に、こういう思考が理解できないらしい。

彼女は無農薬だからという理由で、一人暮らしなのに10キロの米を買った。
知り合いから「特別に分けてもらった」らしく安い買い物じゃあなかったようだ。

でも、消費するのに2年以上かかった。
実家に戻るたびに、古米に雑穀を混ぜて「無農薬だから」と言われて食わされていた。

1年後、私は実家に戻る時米を持参した。
母も、2年を過ぎる頃には、さすがに耐えられなかったようで、最後はかなりの量が庭に来るすずめのえさになった。

米が「野菜だ」と実感したのは、新米のおいしさを知ってからだ。
収穫したばかりのお米で炊いたご飯もまた秋の「旬」にしか味わえない。

脇役の「シソ味噌」だが、その渋い深みのある味は、季節の主役「新米」を引き立てる。

見かけは、芋虫が並んでいるようにしか見えないけど。

2013年9月2日月曜日

ソフトクリームとのエクスタシー

ソフトクリームを食べている女性に、男性が惹きつけられるという話を聞く。
女性も、そういう話を知ってか知らずかデートでソフトクリームを食べる。

でも、食いしん坊の私に言わせれば、女性に目が行く程度の味のソフトクリームは、まだまだおいしいとはいえない。

たいてい誰でもソフトクリームの甘さに恍惚になる。
昨今、いろいろなご当地ソフトクリームがあるけれど、ブレンドされた果物などのフレーバーの珍しさと甘みで「おいしく」感じるだけだ。

でも、本当においしいソフトクリームはある。

そんなものを食べている時、目の前にいる異性など眼中にない。

味の恍惚感が与える浮遊感と「生きてて良かった。」という感動する自分しかいない。

そんなソフトクリームを食べたことがある。
十勝、中札内で作られるカマンベールチーズのソフトクリームだ。

うわさは聞いていた。
でも、極上以上の味は想定外だった。

もちろん、チーズも牛乳も地元産だ。

甘さが控えめに感じるのは、チーズのコクが強いからだろうか。

ともかく、日本全国、いろいろなソフトクリームを食べたが、ほとんどが「話の種」程度の味だった。
300円程度の商品で観光客目当てならそんなものだ。

毎回、それを分かっていても食べている。
でも、ここのソフトクリームは違った。

食べている時の記憶はない。
一緒に行った相手の顔も記憶にない。

あるのは感動だけ。
ソフトクリームとのエクスタシーの記憶だけ。

「ああ、あの体験をもう一度!」と思ったソフトクリームはここだけだ。

快感は病みつきになる。

冷凍したあんずと格闘する

実家に戻ると、母の冷凍庫は庭のあんずの木になった実でいっぱいになっていた。

「結構、硬かったしあんまり甘くない。」と話す母。

冷凍されたものをかじっても、よく分からない。
冷たいだけで、とてもおいしい代物とは思えない。

冷凍庫を占領させることもできないので、全部溶かしてジャムにする準備をした。
でも、解凍された杏を食べると、程よいやわらかさになっている。

そしてものすごく旨い。
たしかに、甘みは少ないのだが、味がとてもいい。

失敗した!と思った。

冷凍しておけばいつでもこのおいしい杏を食べられたのに。
冷凍後だったら皮だってそのまま食べられる。
アイスの上に散らせば、劇ウマのデザートになったのに。

どんな果物でもそのままが一番旨いのに。

後悔先に立たず。

母の言葉を疑いもしなかった自分が馬鹿だった。

仕方がないから、調理した。
甘みに味が殺されないように砂糖を少なくしたフルーツソースにする。
保存はほとんど効かないが、甘みが少なければ毎朝のスムージーにも使える。

ジャムを作ろうと思っていたので、ビンはすでに煮沸してある。

解凍すると、杏内にあった水分が溶け出してきた。
水は一滴も入れる必要がない。
プロセッサーで砕いて味見をすると酸味がかなり強い。
砂糖を入れないと保存が利かないので重量の10%位の砂糖を入れた。

味は「丸ままより落ちているなあ」と思った。
そうやって作った杏のフルーツソース、今朝スムージーに豪快に入れた。

パイナップルと一緒に。
むちゃくちゃ旨い。
ヨーグルトの酸味とパイナップルの酸味。

酸味の三位一体だ。

結論。

旨いフルーツに、長期保存の心配は不要だった。


2013年8月30日金曜日

有機トマトと海辺のトマト

野菜の美味しい季節になってきた。

実家でも私が植えたトマトが収穫時期になっている。
先日、母が「トマトがなっているけど、どうするんだ」と電話してきた。
「近所に分けてあげたら?」とアドバイスしたら誰も欲しがらないとのこと。
何故なら、みんな自分の家で作っているからだ。

私のトマトは、輸入した高級種から育てたイタリアントマトであることも、人気が無い理由のようだ。
見慣れない形の上に、調理が必要なトマトなんて、面倒でしかない。

こんな時期だから、地元の産地野菜販売店ではトマトだけで10種類以上売っている。
色も大きさも美味しそうで、どれも素晴らしい。

先日、この店に閉店間際に飛び込んだら、見切り品の野菜がいくつかあった。

「半額」のシールが魅力的に光り輝いていても、ちょっぴり元気のない野菜達の中にミニトマトがあった。
200円の半額だから100円だ。

手にとって買うと、これが有機栽培だった。
(株)自然農法という農家の商品だったが、値段に引かれて買って帰った。

夕食前だったので、準備しながらつまんだら、衝撃的な味だった。
空腹も加担していたが、甘みだけではない濃い味が、記憶の扉を開けた。

3年ほど前、東北のボランティアで地盤沈下した家を片付けたことがある。
その家の人は全員流されてしまっていた。
家の門は船が横付けできるほど、海辺になってしまっていた。

でも、その家の庭のトマトはたわわに実っていた。
こっそりつまんで食べたらものすごく甘く美味しかった。
塩水につかり、厳しい環境だから甘いんだと、誰か話してくれた。

このトマトの味があの夏の一日を思い出させた。
夕立があったこと。教科書を拾ったこと。
人の命の空しさ、そして植物のたくましさ。

たくましい野菜は美味しい。
そして、きっと、きっと、それは人を強くしてくれる。

2013年8月29日木曜日

ブルーベリーの次は、葡萄だ

夏が終わった。

ブルーベリーをホワイトチョコレートで包んだ「大地の滴」の販売は終わってしまった。

この夏、たった2回しか買えなかったことを悔しく思うも、欲望を2回で抑えた自分を誇りに思う。

でも、ケーキ屋の誘惑は続く。

秋の果物は、沢山あるが、代表的なものに葡萄がある。

そう。今度は、生の葡萄をホワイトチョコレートでコーティングしている。

去年も食べた。
この商品は昨年、私の中の「食欲の秋」を正式にキックオフさせた。

今日、それを目の前にして、理性なんてあったもんじゃあない。

「カンパーナ ふらの」

ただ、葡萄をホワイトチョコレートでカバーしてもこれほど美味しくはならない。
まず、葡萄自体が大変美味しいこと。
そして、チョコレートがその酸味を引き立てるほど、控えめに甘いことだ。

ブルーベリーは甘さより、酸味が強かった。
だから、チョコレートの甘みはブルーベリーの味を引き立てていた。

葡萄の場合、それ自体がブルーベリーよりかなり甘い。
だから、チョコレートは甘みより、葡萄の味を引き立てるような歯ざわりと風味が感じられた。

うんちくは横においておいて、なんたってうまい。

今年も私の「食欲の秋」は正式にキックオフされた。
冬までにまた何キロ体重が増えるのだろうか・・・・


2013年8月24日土曜日

ほうじ茶のチーズケーキ

大体、ほうじ茶味のチーズケーキなんてありえるのか。

そう思ったので食べてみた。

結果十分「ありえる」ケーキだった。
というより、極上の味だった。

お気に入りのケーキ屋で、毎月一度、予約制のケーキ頒布会がある。
和菓子、洋菓子、特に決まってはいない。

だから、店頭の広告を見て予約する。

今月は「お茶」のチーズケーキセットだった。
チーズケーキは大好物だ。

世の中にチーズと生クリームさえ存在していなければ、私の体重は10キロ少ないだろう。

お茶は、抹茶、ほうじ茶、ジャスミン茶、紅茶、の4種類。

ジャスミン茶は今ひとつぱっとしなかったが、抹茶には「ゆず」を組み合わせていた。

2種類の苦味が、チーズケーキの酸味と溶け合った味に唸った。

抹茶とゆずは珍しい組み合わせではない。
2つの風味を味わうだけなら、2つの素材を使った甘いケーキが食べられる。
けれど、風味と酸味と苦味という味のバランスはどうだろう。

甘みを極限まで削らない酸味は引き立たない。
素材が悪ければ風味が出ない。

まさに職人技だ。

そして、ほうじ茶。
驚くしかない。

ほうじ茶が混じったレアチーズケーキに薄いほうじ茶のゼリー層が乗っている。
食べてみると、このゼリー層、かなりほうじ茶風味が濃い。
これがあるから、チーズケーキと一緒に食べたとき、芳香を楽しめるのだろう。
実際、チーズケーキだけ食べるとパンチが弱い。
口に入った時のバランスが計算されている。
これも、酸味と苦味と風味のバランスだ。

食いしん坊の至福は、こんな体験をする時だ。

7月のマンゴー

7月に必ず西表島に行っていた。
失業して行けなくなったが、3年ほど続けて行った。
なぜなら、この月は特別な花を見ることができるからだ。

でも、それだけではない。
なんたって、マンゴーの季節だ。

世の中で、これほどうまい果物は無いと思う。
マンゴーという「単語」が意味する食べ物は、スーパーでも買うことができる。

でも、この時期の西表島で取れるマンゴーは、決して同じ意味を持つ食べ物ではない。

全くの別物だ。

ともかく、マンゴーだ。

行けなくなっても、今はWEB通販がある。
西表ほどの味ではなくても、石垣産のマンゴーなら買うことができる。

昨年、母にその味を覚えさせたら、9月までマンゴーの話をしていた。

今年も7月にマンゴーの話をすると、どれだけ昨年のものが美味しかったかを延々と繰り返す。

もう老人だし仕方ない。

で、今年は安い沖縄産とそれより値段が張る宮古島産を買っていっしょに食べた。

まあ、見事に味が違った。

母は、食いしん坊ではない。
それでも、食べ比べさせると、沖縄産のマンゴーを「来年、こっちはいらない」とのたまった。

実は、どちらも結構美味しい。
でも、食べ比べると比較になんてならないほど宮古島産の方が美味しかった。

食いしん坊の私はこっそり、シーズン最後に石垣産も注文した。

そうしたら、送付先を間違って母の住所に送られて、あやうく食べ損ねるところだった。

送付先も確認しないような店の対応ムカつきながら、マンゴーにかぶりついたら、怒りはどこかにすっ飛んだ。

注文したかいがあった・・・

結局、美味しく、誠実な店は、自分で見つけるしかない。

マンゴーとココナッツ

マンゴーを使ったケーキは、7月から盛んに登場する。

今年もお気に入りのケーキ屋に登場した。

マンゴーココナッツだ。

この「おやつ」、安いんだけど、抜群に美味しい。
マンゴーゼリーとココナッツ寒天が2層になって、マンゴーシロップに浸っている。

で、店員さん、かならず「揺らさないでお持ち帰り下さい」と一声添えてくださる。

これ、営業トークでも何でもない。
実際、本当に「揺らさないで持ち帰らない」と大変なことになる。

ゼリーと寒天、似たようなものだけど、硬さが全く違う。
これがシロップに浮いていることを想像して欲しい。

そんなおやつを、自転車の籠にいれて持って帰る。
自分では揺らしていないと思っているけど、でこぼこの道を上下に揺れ続けた「おやつ」はたまったもんじゃあない。

寒天とゼリー、異質の物体が抱き合ったまま、上下に揺れた後に起こることは、人間も「おやつ」も同じだ。

カップを開けるとそこにあるのは、激闘の後。
ぐちゃぐちゃになった2つの味がシロップの中でゆれている。

とても、ケーキというジャンルで呼べる代物には見えない。
でも、味は500円のマンゴーケーキなんかより数倍うまい。

口に入れば問題になるのは、味だ。

「おやつ」価格で味わえる極上の味。
他社のマンゴーケーキの誘惑に負けて、その味に絶望した時、この「おやつ」を食べる。

そうすると、またマンゴーケーキへの希望が湧く。

大抵、そうやって2個のケーキを食べるはめになるのだけど・・・

マンゴーの誘惑

大地の滴が発売される時期、もうひとつの誘惑と格闘している。

マンゴーだ。

マンゴーは生に限るけれど、ケーキ屋がこんなうまい食材を使わないわけがない。
結果、ありとあらゆるケーキ屋に「マンゴープリン」「マンゴーケーキ」が登場することになる。

しかも、「期間限定」と名の下に。

この誘惑に抵抗するのは、猛烈につらい。
なんたって、マンゴーの味は、それぞれ違うのだから。

どんなマンゴーを、どの位使うか、そして、どんなものと組み合わせるかで全く違う味になるのだから、食べて見なければ判らない。

で、誘惑に屈して食べる。
で、猛烈に怒りたくなる時もある。

この間、某ケーキ屋の「マンゴーマンゴー」という商品を見た。
理性が後退して、欲望が前進した。

一歩くらいじゃなあい。
プリンの上に角切りのオレンジ色のものが乗っていたのだから。

「マンゴーに違いない」と思って買った。

食べたら、プリンの角切りだった。

泣きそうな位に絶望した。

確かに、値段を考えれば判ることだった。
自分が馬鹿だった。

しかし、このシーズン、失望する時もあれば、感動することもある。
食べてみなきゃわかんないんだから。


ブルーベリーの誘惑

とある有名なケーキ屋がある。

そこで、この夏の本当に短い時期だけ、発売されるチョコレートがある。

ブルーベリーの生をホワイトチョコレートでコーティングしたものだ。
ネーミングもいけてる。

大地の滴。

ほんの少しだけど、ケーキ一個分の値段がする。
でも、これを見かけると「理性よ、働け」と自分に言い聞かせる前に、すでに手に取っている。

何故なら、うまいことをみんな知っているせいか、店頭に無いことが多い。

この商品、大粒ブルーベリーの甘さと酸味が程よいので、ホワイトチョコレートの味がとても引き立つ。
この店、元々ホワイトチョコレートでは有名だった。
ちょっと調べると、ヨーグルト粉末、レモン粉末、とチョコレート側にも酸味を足している。

昨年は、この誘惑に負けて、財布が軽くなり、体重が重くなった。

今年は決して屈しない。

この誘惑を絶つためには、まず店に近寄らないことだ。
もし、欲望が理性に負けそうなら、夕方ゆくしかない。

この商品、発売されるのが待ち遠しいけど、それと同じ位、早く販売が終わってほしい。

ゆずサワーへの偏愛

ペットボトルのドリンクは、一年に数本しか買わない。

サワードリンクを自分で作るから、それに炭酸を混ぜるか、水を混ぜるかで大抵の飲み物は間に合う。

スポーツドリンク(水)も、嗜好用ドリンク(コカコーラや缶コーヒー)も買い置かない。

作り方は簡単だ

季節の果物と、りんご酢と蜂蜜、もしくは砂糖。
これを混ぜ合わせてしばらく置く。

一番のお気に入りはゆずだ。

かつて、JALの機内サービスの飲み物に「スカイタイムゆず」があったが、これを作りたくて、かなり格闘した。

初年度は大失敗した。
購入した店にいろいろメールで問い合わせたら、丁寧に相談してくれた。

全く、役には立たなかったのだけど、そのやり取りで自分の「考え」では「思ったものが出来ない」ことがはっきりした。

で、それが、ゆずサワー成功に導いた。

これを作るのは、毎年年中行事になりつつある。

11月、相談の乗ってくれた店からメルマガが届くと、速攻で申し込む。
でないと、すぐに売り切れてしまうから。

かつて、茨城、和歌山などのゆずで作ったことがある。
おいしいが、もっとおいしい味をしっているから、がっかりした。

それから、浮気はしない。

届く日は、必ず丸一日作業できる日に指定する。
大抵、夕方来るから、到着するとすぐにりんご酢に漬ける。

次の日は、ジャムつくり。

11月に入ると、その準備のため、材料の蜂蜜やりんご酢の調達と保存ビンの確認をする。

小さいジャムのビンも確認が必要だ。
お歳暮代わりにみんなに配るから、一年かけてジャムの空き瓶を収集しておく。

瓶の煮沸作業が大変だけど、みんな喜んでくれる。

サワーが出来た後も、それをジャムにする。

おいしいものは、捨てるところなんてどこもない。

じゃがいもとの格闘・・・コロッケの元を活用する

コロッケを揚げるのに疲れて、結局「コロッケの元」として冷凍した味つきマッシュポテト。

まだ、何種類もある。

以下、なんとかしようとした結果。

<ポテトサラダ・・・まんま>
余ったから冷凍した。
解凍すると、思ったとおり、口当たりがあまり良くない。
でも、生のジャガイモから作ったマッシュポテトを半分くらい混ぜると、結構いける。

<ポテトサラダ・・・マッシュからサラダへ>
救いようが無かった。味付きならともかく、味な無いマッシュポテトの口ざわりは泣きたくなるほどの不快感を与える。

<ポテトスープ>
ジャガイモの冷凍は、水分が問題だけれど、逆にポテトスープで冷凍しておけば、十分においしく冷凍できる。

<シェパーズパイ>
味の良い「コロッケの元」はトマト缶とひき肉を炒めた上に乗せてチーズを散らしてオーブンで焼く料理に加工した。

これをキッシュのようにマフィン型で焼いたら、弁当にも入れられるような一人分のおかずになった。

<パンケーキ>
マヨネーズを少し混ぜて小麦粉をはたいてパンケーキ風に焼いたものもおいしかった。

まだ、冷凍庫にいくつも眠っているのに、もう少しでまた収穫のシーズンだ。

どうしよう。

じゃがいもとの格闘・・・まとめ(後)

4.混ぜる、形を作る、揚げる、凍らす。
<混ぜる>
・指注意!混ぜる時はじゃもじを使うこと。(いもが硬くなるので指と爪の間に入り込む。)
・混ぜてから、塩を足すと薄味になる
・コロッケの場合、多少濃い味の方がおいしく感じる
・味見で美味しい位だと薄味コロッケになる(味がぼける)
・黒豆はある程度砕いた方がいい
・くるみやピーカンでコクを出す場合、フードプロセッサーで細かくした方が味には影響する
・ナッツ類を刻んだ程度で歯ごたえを出す場合は、かなり入れる必要がある
・この時点で味付マッシュポテトを冷凍することもできる。

<揚げる>
・たまご、水、小麦粉を混ぜてもできるが、小麦粉をはたいた方がおいしい。
・卵は必ず水といっしょに溶いて漉す。(コロッケに絡める時にスムース)
・チーズを入れるとコロッケはうまくなるが、揚げた時に溶け出すので内側に埋め込むこと
・豆、とうもろこしなども埋め込んでおく。破裂防止のため
・高い温度で揚げる。
・具材は調理してあるので、短時間で揚がる

<凍らす>
・コロッケの元として、冷凍するなら、冷凍袋を使って冷凍する。
・どんな味かを袋に書いておくこと
・4分割トレイを使うと、少ない量をいろいろな種類で冷凍できる。だから、次にコロッケを作るとき、数種類のコロッケの元を少しずつ作ることができる。
・冷凍袋に隙間をつけておけば、半分ずつ取り出すことができるが、実際はそう簡単にはいかない。だから、袋を分けた方がいい


じゃがいもとの格闘・・・まとめ(前)

格闘で学んだポイントは以下の通り。

1.作業の準備をする
<冷凍準備>
・冷凍庫を整理して冷凍スペースを作っておく
・冷凍用の袋や金属トレイなどの道具をそろえておく

<ジャガイモ準備>
・一回に実施するじゃがいもの量は、レジ袋1杯分が限度。それ以上やると処理がたいへんになる。
・コロッケの場合、男爵がおいしい。
・じゃがいもを洗う時は、一度に処理する分だけ水につける
・土つきのジャガイモなら、5時間位水につけてから洗う。

<具材について>
・パン粉を大目に買っておくこと。途中で足りなくなると揚げる作業が中断される。

2.コロッケの味を複数作るため、中に加える具を作る
・たまねぎはほぼ全部の具材にいれるので、先にフードプロセッサーでみじん切りを作っておく
・とうふは入れない!!(ふわふわのコロッケにはならない)
・たまねぎは炒めない。(揚げ物の熱で加熱される)
・肉の具材は炒めておく
・具材はハンドミキサーで細かくしておく(カレーの残りなどを使う場合)

3.マッシュポテトを作る
・鍋に金属のざるを蒸し器代わりに使ってセットして蒸し器を代用できる。
・次の日の処理。まずは芽をとり、半分にする。それをざるの中にいれて蒸す。
・上部のじゃがいもに爪楊枝が刺さる程度になったら、火を止めてそのまま余熱で加熱する。
・半分にしないと、長時間かかる上、皮がむきにくい。
・大量に処理する場合、電子レンジは非効率。
・蒸す場合、蒸気が上の方にくるので、鍋のふちから熱い蒸気が吹き上がる。火傷注意。
・皮をむいて熱いうちにマッシュする。
・熱いうちでないとジャガイモはうまくつぶれてくれない。
・ただ、ハンドミキサーは駄目。糊状になってしまう。
・マッシュした後は温めた方が良い。
・マッシュには少しだけ生クリームを入れるとおいしくなる。



じゃがいもとの格闘・・・4.混ぜる、形を作る、揚げる、凍らす

6種類のコロッケを作ることになるけれど、ここで味によって形を変えるのは、冷凍庫の効率上あまり意味がない。

同じ形で食べてみてドッキリでもいいと思う。

私は、これを「ロシアンルーレット方式」と説明して、おいしさを友人におすそ分けする時に説明した。

ただ、色で判る場合がある。
かぼちゃを混ぜたりすると濃い色のコロッケになる。

大きさは冷凍するときに使う金属トレーを基準に決めた。

並べて冷凍するとき、無駄なスペースができないようにしようとすると、少し小ぶりに作ることになった。

チーズが入っているものは、熱で溶け出すと困るから、コロッケの中に埋め込むように形成した。
コロッケを揚げる時間は短くていい。
マッシュポテトも具もすべて調理済みだから。

コロッケは、小麦粉をいれた卵をにつけてから、パン粉をつける「2段階方式」でも作れるらしい。
今回、実験したら「小麦粉」「卵」「パン粉」と手間を踏んだ方がおいしかった。

もう一点は、卵液は少し水と混ぜて漉しておく。
これをするのとしないのでは、作業の手早さが全く違う。

こうやって、形成ができて、コロッケを揚げたら夕食時間だ。

夕食を食べたら、冷凍する分を揚げる。

そして、金属トレーにおいて一晩凍らす。そ
うしたら、今度は袋に移動して食べるのを待つ。

オーブントースターで焼くだけでおいしいコロッケが食べられる。

じゃがいもとの格闘・・・3.マッシュポテトを作る(後)

ジャガイモの芽を取る前に蒸し器をセットする。

芽をとってから、半分に切って、蒸し器の中に放り込む。

そうやって、蒸しあがったものから、皮をむく。
これが熱くて手が焼けどしそうになる。

ただ、皮は割りと剥け易い。
ナイフを使って、切った断面から剥くと割とうまく行く。ともかく熱いから、いらいらする。

そして、剥いた後はどんどん、マッシュしてゆく。冷えたら潰れにくくなるから。

大量のマッシュポテトが冷える前に、手早く3種類に分ける。そして、具を入れて混ぜる。

混ざったら、3種類をそれぞれ、2つに分けて一つにチーズを混ぜておく。

絶対にやってはいけないことは、牛乳、スープ、植物性ホイップクリームを混ぜること。

やるべきことは、本物の生クリームを少しだけ混ぜること。

ジャガイモは水分が多くなればなるほど、解凍時に問題が起きる。
だから、水分を飛ばして冷凍できれば、味はかなり保たれる。

水分は何でも混ぜない方がいい。
きちんと混じったら、そのまま食べて見る。

「うまい」程度の味なら、たぶんコロッケでは味が薄く感じるだろう。

基本的に「具」の味を少し濃くしておくと、それを入れる量でコロッケの味をコントロールできる。
ともかく、芋がうまいことには変わりないから、あまり問題にはならないけど。

ここまでくると後は、コロッケの形にして揚げるだけだ。

じゃがいもとの格闘・・・3.マッシュポテトを作る(前)

コロッケに混ぜる具が準備できたら、いよいよマッシュポテトだ。

A:量を測る>B:じゃがいもを洗う
は、準備の段階でやってある。

C:芽をとる>D:半分にする>E:蒸す>F:つぶす
は一気にやる必要がある。

ともかく、じゃがいもは、茹でると味が落ちるから、皮付きのまま蒸すことにしているのだが、これも「少量」と「大量」ではぜんぜん違う。

少ない量なら電子レンジが便利だ。
でも、5キロ、10キロとなるとちまちまレンジで蒸していられない。

大なべに水を張り、ざるを蒸し器に見立てて、半分に切ったジャガイモを盛り上げて蒸す。その後は、熱いうちに皮を向いてマッシュする必要がある。

マッシュするのに、ブレンダーは使えない。
糊みたいになってしまう。

マッシャーかすりこ木で、ともかく潰す。
これが、また力がいる作業だ。

この辺りでいやになってくるが、もうちょっと続けた方がいい。
面白くなるから。

じゃがいもとの格闘・・・2.具を作る

マッシュポテトと具は熱いうちに混ぜたいから、先に具を準備しておく。

これら肉、魚は調理しておく方が揚げる時間が短くてすむ。

野菜は細かく刻んで混ぜるから、加熱の必要がない。

具は680円の鮭を買ってきて焼いてほぐした。
鮭の瓶詰めが高い値段で売っている。

その理由がよく判った。骨をとるのがとても面倒なのだ。
人件費がかかるのだろう。

でも、一匹丸ごと焼いてほぐしたら、瓶詰め10個分くらい出来てしまった。

次は、旬に取って冷凍しておいたとうもろこしだ。
これは、冷凍のまま混ぜられるだろう。

豚肉の細切れが安いから、それをフードプロセッサにかけてひき肉を作る。

たまねぎは大抵のコロッケに入れるから、先にプロセッサで大量に刻んでおく。

フライパンに肉を放り込んで、手づかみのたまねぎを適当に入れて炒めておくが、味はシンプルに。

ジャガイモがおいしいんだから、複雑な味は不要だ。

各それぞれに、チーズを混ぜると、6種類のコロッケができる。
とりあえずはこれで十分だろう。

じゃがいもとの格闘・・・1.作業の準備をする

コロッケを作る段取りは、普通こんな感じだろう。

1.作業の準備をする
2.コロッケの味を複数作るため、中に加える具を作る
3.マッシュポテトを作る
4.混ぜる、形を作る、揚げる、凍らす。

準備には、大きく2つある。
一つは冷凍環境と買い物。
もうひとつは、ジャガイモを「洗う」ことだ。

そもそも、農家から持ってきたジャガイモだ。
畑の土が付きっぱなしなので、洗うのだって、一苦労だ。

だから、一日で作業できる量の見当をつけて、水につける。
こうすることで、土をこすり落としやすくなる。

水の中で、たわしを使ってごしごし洗い落とす。
そして、別のかごにり上げる。

今回は洗い終わるまで2時間かかった。

一度洗ったものをもう一度リンスして、とりあえずジャガイモの準備は終わった。

冷凍環境は、冷凍庫を整理して、平たく冷凍できるスペースを確保しておく。
そして、冷凍用の袋やコロッケを冷凍する金属トレーも準備する。

中に入れる具が決まれば、それらの材料も購入しておく必要がある。
また、コロッケに使うパン粉も忘れずに。

どんな味のコロッケを「何種類」作るかリストを作っておく。

その種類に分けて混ぜられるボールや食器の数も確認が必要だ。

じゃがいもとの格闘・・・最初に

昨年の秋、農家の劇ウマジャガイモ150キロを手に入れた。

もちろん、知り合いに分けたり、友人に送ったりしたが、冬中、じゃがいもを食べ続けたが、春になってもまだ大量にあった。

これを美味しく食べきるためにすべてコロッケににして冷凍した。

じゃがいもを凍らすとあまりおいしくないのは知っているが、無駄に腐らすのは食いしん坊として絶対にできない。

ただ、これがとんでもなく大変な作業だった。
(ちなみに残りのジャガイモは20キロ位あったと思う。)

この体験で判ったことある。

「事前準備」と「作業計画」がとても重要であるということを。

コロッケを夕食に作るのと、訳が違う。

段取りは、こんな感じだ。
1.作業の準備をする
2.コロッケの味を複数作るため、中に加える具を作る
3.マッシュポテトを作る
4.混ぜる、形を作る、揚げる、凍らす。

この作業日の夕食は、揚げたてのコロッケを食べたいため、ステップ4が夕食時刻になるように計画し、その前の作業を進める必要がある。

今回は、冷凍庫スペースの関係上、作れる量も限界があった。

しかし、「複数の味」のコロッケを作ろうとすると具の準備を含めて丸2日の作業だった。

このシリーズは、この体験で学んだことをお伝えする。

初めに

旬の野菜を収穫から短時間で食べる野菜は大抵文句なしに美味しい。

形はあまり関係ない。
値段もあまり関係ない。
ブランドもまた、あまり関係ない。

口に入って判ることは都会で買う野菜の味とあまりに違うということだろう。

ところが、そんな美味しい野菜を手に入れるのは、スーパー経由では難しい。
何故なら、流通経路を経るため、どうしても収穫から時間が経ってしまうからだ。

だから、農家から直接購入する野菜はとんでもなく美味しい。

問題は大量にしか手に入らないこと。

それを美味しく食べるためには、まず近所に分けて、冷凍、乾燥、漬物など加工する必要がある。

食べることは生きること。
それを分けて食べるということは、信頼に繋がる。

ここではそんな食いしん坊が、おいしい食べ物にまつわる思いを綴っている。