2013年11月28日木曜日

グロいアラも煮てしまえばうまいだけ

夕方の大丸、魚の値引きは半端じゃあない。
東京駅隣接の大丸もすごかった。
閉店時間近くなると本当に安くなる。

その中でもアラの値引きはすごい。
いきなり半額だ。
それを知っている人が値引き時間に集中するので、ちょっと遅く行くと何にもない。

先日も、タイミングを失って行ったら、タラの頭しか残ってなかった。

これが、グロい。
恨みいっぱいでにらむタラは一パック150円程度だ。

鋭い歯を見せたタラの頭、美味しいのは知っているが、どう使おうか。
こんなもん、煮込か鍋以外に使いようがない。

そう思った時、突然味噌鍋が頭に浮かんだ。
白菜もたくさんある。
ねぎも放り込んだら、旨そうだ。
そう思ったら、食べたくなった。

家には食料がたくさんあるのに、買わないではいられない。

タラと目を合わせないようにして籠に入れた。

帰って早速作り始める。
ねぎもたくさん入れて味噌を溶かす。
調味料は使わない。
塩も入れない。

白菜は、家から担いできた農家が作ったやつだ。
味噌は、知り合いのじいちゃんが作ってくれた。

もっと塩を入れた方がおいしいのかも知れないが、タラの淡白な味が味噌と絡み合い、白菜の味を引きたてる。

煮たアラは骨も歯も簡単に取り除けるから身だけが万遍なくスープに混じっている。

でも、白菜とねぎだけじゃあ、腹に溜まらない。

これは、春雨を入れるか雑炊にすべきだった。

タラももっと使うと美味しいかも。
油揚げを入れた方が良かったか?

食いしん坊の舌は味わい、脳は次回の料理を妄想している。

止まらないりんごへの食欲

先日、不細工なりんごが届いてから、干しりんご、りんごソース、そして生りんごとりんご三昧だ。

中でも、新鮮なやつを食べるのがやはり一番美味しい。
だから毎晩、デザートとしてりんごを一個食べている。

1個食べる理由は、単純に半分だけで我慢できないからだ。

始めは努力した。
半分切って、半分は冷蔵庫に入れた。

でも、7分後にもう半分を取り出した。
そんな日が2日続いて諦めた。

自分はこの美味しさに勝てない。
なら、欲望のままに生きよう。

母は私のこんな食欲を「よく夕食を食べた後に、食べられるねえ」と呆れている。

しかし、私からみると彼女がデザートなしでよく食事が「終わった」と思えるのか不思議だ。

飴ひとつでもいい。
食後にはやはりデザートが欲しい。

ケーキが一番だけど、そんなカロリーは毎食取れない。
大体、経済的にも無理な話だ。

果物も理想的だが、気をつけないと食べ過ぎてしまう。
自分がこの手の誘惑に弱いことを知っているからこそ、節制しようとするのだが、旬のりんごからの誘惑には毎日屈している。

りんごなんて、不味ければ半分、四分の1でも満足する。
でも、罪深い美味しいものは私の欲望を120%刺激する。

だから、美味いものに屈してしまう。

ともあれ、数は限られているのだから、食べつくせば収まるだろう。

買い足さなきゃいいけど。

2013年11月27日水曜日

ケーキ屋の店員さんと意見の一致をみる

今月の「おやつの日」を予約する時、ちょっとした会話があった。

今月のケーキは「今年の人気ベスト4です。」という話からジャスミンティーのケーキについて「微妙な味」ということで意見の一致を見た。

そのついでに、先月のケーキで「バターケーキの旨さ」を語ったら店員さんが「そうですよねえ。」と物凄い勢いで同意してきた。

彼女が言うには、あの味は今までの「バターケーキ」の味を覆すような味だと熱く語る。

私もそう思った。

昔、生クリームのケーキを保存する技術が無いころ、バタークリームケーキはクリスマスケーキの定番だった。

でも、名前は「バター」だけど、多分マーガリンが使われていたのだろう。
だから、油が口に残るだけの脂っこいクリームという印象が強い。

それでも当時クリスマスは「ケーキ」が食べられる数少ない機会だった。

その後、日本が裕福になり、生クリームのケーキが一般的になった。

でも、本当のバターで作られた「バタークリームケーキ」はむちゃくちゃ美味しい。

だいたい、バターを使ったケーキがまずいはずがない。
ただ、甘みが強ければこのバターの風味を殺す。

そこの分量はシェフの力量だろう。
ここのシェフは、その点素晴らしい。

あのケーキはそんな本物の「バタークリーム」の美味しさを再発見させるものだった。

だから、「みんなのイメージするバターケーキじゃないから、名前を変えた方がいい。プレミアムバターケーキ、とか、違いを出さないと売れないと思う。」と意見した。

彼女も同意してた。

甘いケーキを作るのは簡単だけど、素材を生かしたケーキを作るのはとても難しい。

ケーキ屋の誘惑

今月もケーキ屋の「おやつの日」がやってきた。

この会社はどうしてこうも誘惑の手口がうまいんだろう。

先月はクリスマスケーキのサンプリングだったが、予約するかどうかを決めるまで3秒しかかからなかった。

今月は「今年1年で人気が高かったケーキ4種」だ。

悩んだ。

何故なら、その中の一つが私が「?」と思ったケーキがあったからだ。
ジャスミンティーのチーズケーキ。
微妙な味だった。

でも、栗のスポイトソースケーキが入っている。
これはまだ食べていない。

このケーキ屋が作る、スポイトにソースが入ったケーキの大ファンだ。

ケーキとソースがゼラチンを介さずに混じる味は、どの素材であってもその味に感動する。

その栗バージョンだ。

このケーキ屋、今住んでいる地方都市では洋生ケーキを販売していない。
これからも販売する予定は無いようだ。

地元では、ショートケーキやモンブランもいつでも食べられるが、この街では1軒しかない直営店にゆくか、この予約ケーキ以外では食べられない。

それに、なにより栗のケーキの誘惑は絶大だった。

だから予約した。

多分予約を決めるまで、10秒以上かかったと思う。

予約券を渡される時、店員さんが「必ず取りに来てくださいね」と念を押すから「槍が降ってもあられが降っても取りに来ます。」と答えた。

そしたら、ぼそっと「槍が降ってもですか・・・・」とつぶやきながら笑いを堪えていた。

笑われてもいい。
私は美味しいモノにはいつでも真剣なの。

恐ろしい思い込み

毎回実家に戻ると、帰りは戦後の「買い出し」みたいに野菜を背負って帰ってくる。

先日は、白菜1個と大根2本を担いできた。
農家から分けて貰った大根は土を埋めて保存していたものを掘り起こした。
だから、絶対うまいはず。

これをぶり大根にするために、わざわざ大丸まで行って、ぶりあらを買ってきた。

大根を米ぬかで下茹でし、ぶりあらを湯がいて、鍋にぶち込む。
次は酒としょうがだ。

酒は以前使った余りをビンにとってあったはず。

まず、それを使って、砂糖、みりんを入れて、煮た。
いったん冷やしてから醤油をいれて味見をする。

酸っぱい??

魚が腐ったか?
そんなはずはない。

もう一度味見をする。
やっぱり酸っぱい。

何故?

必死に考えた時、はたと思った。

余っていたのは酒ではなく、酢だったかもしれない。

そうだ、あれは酢だ。

ああっ。ぶり大根に、酢を入れてしまった。

でも、味は悪くない。
食えない訳ではない。
タイ料理のサンラータンを思い出させるような味だ。

でも、想像していた味じゃあない。
せっかく旨い大根、おいしいアラを使ったのに。

で、ひらめいた。

「ゆず」があるじゃあないじゃあないか。

凍していたゆずの薄切りを適当に放り込んで味見する。

いける。

ゆず風味のぶり大根。
悪くない。

結局、美味しいもので作る料理は、何とでも旨くなる。

調味料の量だって控えていれば、修正は可能だ。

とは言っても、二度目を作る気はないけれど。

2013年11月25日月曜日

払った金を返してもらう恥ずかしさ

美容整形外科の高須院長が有名レストランの偽装問題についてコメントしている。

NEWSポストセブンの「食品偽装に「おいしく食べたなら文句を言うな」」という記事だ。

彼の視点はとてもユニークだが、問題の本質を突いている。

まず返金に戻った消費者に対して。

「銀座の女に貢いでいると思ったら、池袋の女だったと言って金を返せ。」と返金を迫れば男として、いかに恥ずかしいかを例にあげ、彼らの恥ずべき行為を指摘。

また、「一流店とは偽装していること」とばっさり。
たしかに、事実から導き出した結論だ。

これには大笑いした。

ただ、一番興味深いのは、美容整形外科医という「表層を美しくする」職業を持つ人の考え方だ。

美容整形自体、「至極の偽装」と思うけれど彼の考えは違う。

「美しくするのは騙しているのではない。美しくなれば周りも喜ぶのだから」と言う。


美は「肩書き」ではなく「本質」だと。


「美味しければ文句なし」という考えを美容整形と繋げて考えられるとは思わなかったけど、一理ある。

見かけの悪い食べ物でもジャムにしたりフルーツソースにすれば極上になる。

それを洗練されたパッケージで包めば売れる。

それが有名デパートのブランドとして、取り扱い商品に取り上げられても美味しさは変わらない。

重要なのは「美味しいこと」だ。

「美味しそうに見えること」「「美味しいジャム」の保障」でもない。

人間も同じ。

美しく「見えること」ではなく、「どんな人間として生きるか」だ。

この点は先生の意見に同意する。

だからと言って整形するつもりは無いけどね。

りんごへの欲望は尽きない

母が、不細工だけど、味の良いりんごを食べて「そういえば、仙台の親戚が送ってくれたりんごも本当に美味しかったねえ」と夢見るような目で話す。

「あんな美味しいりんごが食べたい。金は出すから。」と傲慢な消費者になって私に頼む。


げんなりした。


金を出せば美味いものが手に入ると思っている。
それが大きな間違いだ。

美味しいものは、そう簡単に手に入らない。

昨今、個人の農家もR天などの仮想商店を出すこともできるが、そこが信頼できるかどうかなんて買ってみなければ分からない。

仮想商店、本当に良い店と、とんでもなくやばい店がある。

マンゴーの時もそうだった。
売れる時期に「安い」と前面に打ち出す店は気をつける必要がある。

仮想商店の名前はマンゴー専門店みたいだけど、送付店舗は商社みたいな名前の店から買ったことがある。

ここのマンゴーは風味がほとんど無かった。
台湾産を沖縄産として売る場合は、良くある話だ。
原価は6分の1以下だろう。

消費者ができることは、二度とその店では買わないこと。

でも、仮想商店の名前をどんどん変えて彼らは消費者の「安さ」を求める欲望を刺激して騙す。

でも、それが商売だ。

WEB通販の時代、本物の数倍、いや、数十倍偽者がいる。

その中で本物を見つけるのは自分の舌だけ。

売上一位の誇大広告やコンビニ味で麻痺した日本人の「美味しいです。」なんてレビューは参考にならない。

信じるのは自由だけど、人の味覚はまちまちなんだから。

りんごジャムの甘さ

干しりんごをたくさん作った時、端の部分を除いて作った。
結構な量が出来たので、りんごジャムを作ることにした。

ざっと見ると、皮の量が多い。
やわらかくなるまでにはしばらく煮る必要がある。

ゆずジャムの時と同じ量を入れて煮はじめる。

しばらくすると、部屋中にりんごの匂いがいっぱいだ。
アップルパイを作りたくなってきた。

国内産小麦粉で作るこのりんごのアップルパイは絶対にうまいはず。

そんなことを考えながら、ハンドブレンダーで砕こうと思って鍋に入れて動かした。

そうしたら、あたり一面に飛び散った。

鍋に少量しか入っていない時はいつもそうだ。
掃除したばっかりだと言うのに。

アップルパイへの妄想に気をとられていた。

気を取り直してブレンダーを動かすが、結構皮が硬い。
でも、なんとかピューレー状になったので味見した。

甘い。
砂糖を入れすぎた。

そういえば、ぶどうのフルーツソースは総量の2割位しか入れなかったっけ。

こうなると、そもそも砂糖が要らなかったのではないかと思う。

砂糖が保存料であることは知っているが、甘みがフルーツの味を殺してしまうのではないかと思うときがある。

砂糖は塩と同じく、諸刃の剣だ。
入れすぎると素材の個性を奪う。

素材が美味しければ、砂糖は要らない。
冷凍技術が進んだ現在、砂糖を使わなくても保存できる方法がある。

でも、重要なのは美味しく食べること。

さあ、これで何作ろうか。

干しりんごが高い訳

うまいりんご、うまいうちにどうにかしようと思っても、選択肢があまりない。
思いつくのは干すかジャムにするかだ。

以前からおやつに干しりんごがいいなあ、と思っていたが、あまりに値段が高くて買わなかった。

これはいい機会だ。
フードドライヤーを持っているので一晩で作れる。

ごしごし洗ってから半分にして薄切りにする。

商品化されているやつはきれいな輪切りが多いけど、自分で食べるんだから形なんてどうでもいい。

次の朝、見事な干しりんごの完成だ。

でも、薄く切りすぎたやつはトレイにへばり付いている。

ぜんぜん、取れないっ。
失敗した。

干すんだから「薄く切る」のは当然だけど、ある程度厚みがないとだめだ。

ゴムベラで無理やり剥がしたら、ばらばらになった。
紙ふぶきの破片にしか見えない。

きれいな「輪」になった干しりんご、値段が高い訳だ。
あの商品の影には、たくさんの壊れた干しりんごがあるに違いない。

で、破片を食べた。

めちゃくちゃ甘い。

砂糖なんて何にも使ってないのにりんごの甘みが凝縮されている。
これは美味い。
ポテトチップスみたいな感覚で食べられる。

止まらなくなりそうな危険な食べ物だ。

でも、たくさんできない。

ドライヤーには5枚のトレイがあるが、3個分が限界だ。

母に味見させれば、たぶん気に入るはずだ。
うまくおだてて、作らせよう。

美味しいものを食べるには、手間がかかる。
市販されている干しりんごの値段、決して高いものではない。

自分で作ると良く分かる。

不細工なりんごの極上の味

某大手WEB通販でりんごが一箱10キロ、2000円、送料込みで売られていた。

もちろん、撥ね物、傷物、の訳あり値段だ。

売り方がすごい。

商品名が「青りんご」「赤りんご」だ。
品種すら書いてない。

こういう売り方、もっとして欲しい。
なんなら「ミックスりんご」一箱いくら、で十分だ。

りんごなんて、うまけりゃいい。

これも産地直送なら味に間違いはないはず。
だから、試しに購入した。

しかし、待てど暮らせど送ってこない。

購入して20日も過ぎたのでメールで連絡してみると「寒くて成長不良のため、発送が遅れます。もう少し待って。」のこと。

まあ、工場製品じゃあないのだから、仕方ない。

一年に一度しか実をつけない農作物、人間の都合どおりにはできるもんじゃあない。

そのりんごが昨日着いた。

箱を開けると大量のりんご。

みんな凄い不細工だ。

しかも、落ちたりんごなんで満身創痍だ。

大きさもサイズも種類も違う。

恐る恐る一個食べてみた。


で、これが凄いうまい。


現代は、蜜入りんごが売れるみたいだけど、これはりんご全体が甘い。

品種が美味しいりんごだったのかも知れないけど、スーパーで買う美人で澄ましたりんごより、断然こっちの方が味がいい。

りんごの味は甘みだけではなく、酸味のバランスにある。

これ、本当に美味しい。
これほどうまいりんごをボケさせる訳にはいかない。

友人に配る分を除いてもまだ山のようにある。

さあ、このうまいりんごを旨いままで味わうにはどうする?

2013年11月22日金曜日

これ、味覚が無い男ってこと?

Menjoy!というサイトにある「カレがラーメン好きなら要注意!」記事を読んで呆れてしまった。

これ、禿げる男が好む食べ物ということでリストアップされている。
でも、こんな食生活じゃあ、きっと禿げる前に完全な肥満だろう。

もっとも、女性がこういう食べ物を好む場合も同じ問題を抱えることになる。

そもそも、女性はこんな好みの男性を「彼」とすることに不安はないのだろうか。
将来、結婚し、食生活を共有することに危機感は感じないのだろうか。

なにより危惧するのは味覚の問題だ。

このリストの食べ物(ラーメン、ダイエット食品、食べ放題、酒、スナック菓子)を好んで食べるとなると味覚感覚自体はかなり麻痺している。

たとえば、ランチにラーメン食べて、夜は食べ放題と酒飲んだ次の日、罪悪感でダイエット食品食べても、腹減るから、当然スナック菓子食べる。

そりゃあ、美味しいよ。
油と化学調味料の塊だもん。

ダイエット食品は美味しくないけど、ちょっと食べるには便利だ。
しかも、食べ過ぎた罪悪感を一時的に消してくれる。

私もよく食べていた。
でも、これらに入っている添加物や原料の調達法を知った時、きっぱり止めた。

食べ放題も、主な原料や使っているマヨネーズや塩化ナトリウムの量を知ったら、全く行く気が失せた。

だから、どんなにハンサムな男性でもこんな食べ物を好きな男性と食事はしない。

禿げになる可能性があるかどうかはどうでもいい。

禿げより、肥満より恐ろしいのは、味覚音痴だ。
そして、味覚音痴は体が横に広がるほど、重度になってゆく。

食べ物も男も、それを構成している原料(性格の要素)の成分表示を確認するのは重要だ。

成分表、付いてないやつには気をつけてね。

2013年11月19日火曜日

ハスカップがメインだけど・・・

カゴメから出ている野菜生活というジュース、いくつもの「期間限定」というものが出ている。

その中で「北海道ハスカップミックス」というものがある。

調べると原材料名の一番最後に書かれている。
つまり、一番量が少ないということだ。

ちなみにこれ、果実ミックスジュースで「21種類の野菜と6種類のフルーツ」と謳ってる。

つまり、たった200ccの中に野菜と果物を50%づつ混ぜて、分量的には「ハスカップ」が一番少ないということ。

でも、このジュース、ハスカップの絵を前面に出して、看板材料にしている。

大手企業が、こういう売り方「企画」の段階で誰も「駄目」って言わないから、どうどうと「盛る」んだ。

そもそも、ハスカップは生産量が少ないからとても値段が高い。

でも、めちゃくちゃ旨い。

ハスカップジュースもおいしいけど、リキュールはもっと美味しい。

大体、生産量が少ないから純粋のハスカップ商品を見つけるのも大変だ。

ベリーと混ぜるジャムなんかは結構目にするけど。

そんなハスカップだから特別感を出すために前面に出すのは判る。

でも、これはないでしょう。

消費者が「ハスカップ」を知らないのか、それとも彼らが騙されるほど馬鹿ではないのかは判らない。

100円ショップで半額商品として積んであるから、結果は想像できる。

ハスカップ、地元アイドルが東京に出たけど、思ったほど人気がでなかったということか。

でも、これだけの量じゃあ、ハスカップの美味しさに気がつくこともないけど。

まあ、本物は知っている人だけがひっそり味わえばいいさ。

判っていたのに・・・どうしよう?

クリックしたら「在庫ありません」の表示。

ショックでしばらく画面から目が離せなかった。

昨日確認した時はまだ残ってたのに。

たった10日で完売かい?
A、Bのクラス、家庭用もあるというのに。

どうしたらいいの。
柚子以外のすべての材料は準備できているというのに。

完着ゆず、発売開始!でも書いた店の柚子、今年は購入失敗した。

柚子ドリンクなしで1年は過ごせない。
あわてて別の店でなんとか一箱押さえたが味がここほど旨いかどうか判らない。

でも、そんなこと言ってられない。

この店の柚子、だんだんファンが多くなっているようだ。

最初の年は12月でも残っていた。
その次の年は11月末でも残っていた。

それから2年。

とうとう発売アナウンス後1週間で売り切れる商品になってしまった。

柚子はどこでも売っているが、ここの柚子を使うともう浮気は出来ない。

でも、私のこの熱い思いは店には伝わらない。
たぶん、そういう熱い思いを持つお客はたくさんいるのだろう。

一度使うと違いは明確なのだから。

今回も一度交渉したが「すみません、発送日指定は無理です。」との返事。

当然だ。

だから、賭けた。

だって、たった10日で売り切れるなんて思わないじゃない。

ああ、読みが甘かった。

「後悔先にたたず」という言葉が身にしみる。

毎年、この柚子のためにすべての予定を調整しているのに購入失敗するなんて。

来年は瞬即で買ってやるっ。

2013年11月17日日曜日

監修ビジネスって損じゃあないのか

先日100円ショップで山のように売っていた「ROYCE」監修の「ショコラで仕上げたMild Curry」というレトルトカレーを食べた。

一応ビーフカレーということになっている。

で、ショコラの味はどうか。

ほとんど判らない。
箱の広告どおり、マイルドな味だが、ただ「辛くないカレー」というだけだ。

彼らがビーフと呼ぶ肉の味は何もしない。
でも、魚ではなく、肉であることは確かだ。

で、美味しいか。

所詮レトルトカレーだ。それ以上でも以下でもない。

リピートするか。

否。

だって、ボンカレーの方がうまい。
と言っても、ボンカレーだってここ数年買ったことがない。

つまり、レトルトカレーは食べないということ。

だって、どれもそれほど旨くないから。

カレーは、自分で牛すじを煮込んでふわふわにして、たまねぎを炒めて甘みを出して大量に作る。

そして冷凍しておく。

味はレトルトの比じゃあない。
断然こっちが旨い。

そして、何より安いし、ゴミも出ない。

この「ショコラカレー」はROYCEのブランド価値を下げるものでは無いのかも知れないが、少なくても上げることにはならないだろう。

有名な食品を作るブランドが監修して「売る」ために商品開発をする努力はすごいけど、ならその努力、せめて自分達のブランド価値を「上げるもの」を作るべきだ。

「売る」ためではなく。

食品偽装もこういう「ブランド」という肩書きで売ろうとするから起こること。

ブランドしょってるなら、プライドを持って「美味しいもの」を作って欲しい。

見かけに騙されてはいけない

ランニングマシンで歩きながら、串かつに欲望が沸いた自分を分析した。

まず、何に惹かれたのか。

それは大きさだ。
串かつにしては大きく、見かけはがっしりしていた。
それで美味しそうに見えた。

そして、次に半額だ。お得感満載だった。

成分表も確認した。
それほど悪いものは使っていない。

だから、買った。
でも、美味しいとは思えなかった。
そもそも、中の肉はほとんど味がしなかった。

なんたって、売れ残りだったんだから、その理由を考えるべきだった。

男性でも、見かけが魅力的な人が居る。
見かけはがっしりして、美味しそうに見える。

食べ物じゃあないけど。

普通に定職を持ち、会話も面白い。
履歴を調べても何も変なところはない。
だから、付き合ってみたら、我侭だったり、退屈な人だった。

そんなことは無いだろうか。

何を聞いても「君がそう思うなら」と言う。
物知りだけど、話すことはすべてインターネットで調べた「誰かの意見」だ。
デートでは、自分のしたいことを優先する。
そんな男性がある程度の年齢なら、その年まで未婚の理由があるはずだ。

魅力的に見えるものに欲望は動かされる。
でも、見かけだけで判断すれば後悔する。

小さくても、格好が悪くても、味わい深く、心に染み入るような美味しさを与えてくれるなら、食べる価値がある。

見かけが無骨でも、味わえば極上の美味しさを与えてくれるなら、一緒に毎日を過ごしたい。

過剰な刺激やスパイスは要らない。
美味しいものに飽きることはないのだから。

体に入れるものは、見掛けより中身だ。

食べ物でも男性でも、それは同じことが言える。

意地悪なランニングマシン

串かつ2本も食べた後悔一杯のまま、ジムに行った。
ランニングマシンで歩くためだ。

いつも通り歩こうかと思ったけど、串かつを2本も食べたので今日は少し多く歩こうと決めた。

エビフライ1本で4キロだ。
串かつ2本のカロリーだとどの位か考えたくない。

でも、いつもより多く歩けば後悔する気持ちも薄れるだろうと思いながら歩き始めた。

このランニングマシン、運動で使ったカロリーと同等の食べ物が小さな画面に表示される。

エビフライ一本でもその嫌味っぷりが気に入らないことを書いたけど、やっぱりこのマシンを使ってしまう。

好奇心、というより「怖いもの見たさ」かもしれない。

音楽を聴きながら、必死に言い訳する「自分の理性の声」を聞く。

「このところたんぱく質の摂取が少なかったから、串かつ食べたのは筋肉にはいいことだったはず。」

「周りの衣は余計だったけど、今日ジムに来たのだからまあ、よしとしよう。」

そんなことを考えながら歩いていたら、エビフライが現れた。

「これ、串かつと同じ位なのかな。」と考えながら歩き続けた。
そうして、いつもの最後の食べ物、ラーメンが現れた。

でも、今日はこれが最後の食べ物じゃあない。
「1キロ多く歩く」と決めたからだ。

この先に現れる食べ物は知らない。
未体験ゾーンだ。

そして、7キロまで残り200m位に現れた食べ物。

それがトンカツだ。

目を疑った。嫌味としか思えない。
だって、串かつ1本と同じ位の大きさに見える。

7キロで止めた時、バーはまだ3分の1までしかきて無かった。

もう十分だ。

私の努力をせせら笑うようにトンカツを出す機械なんて大嫌いだ!

2013年11月16日土曜日

欲望に負けた結果

小麦アレルギーを持つ友人と夕食を食べることになった。
食べに行くのではなく、お互い、食い物を持ち寄るポットラックだ。

風邪気味だ、と言うので中華粥を作ろうと決めた。
だから、昨夜遅くスーパーにチキンを買いに行った。

一晩手羽元を煮込むためだ。

夕食が早かったので、ちょっと空腹気味だった。

それが、間違いだった。

空腹でスーパーに行くべきじゃあない。
特に、夜遅く、値引き金額が最大になっている時は、特に危険だ。

かつて、東京で働いた時、一時期イトーヨーカドーの前を毎日通ることになった。

しかも、ちょうど閉店時間間際だ。

一度、75%引きのトロを買ってから、毎日寄るようになった。

まるで蛾が灯りに引かれるように、空腹の欲望を前に理性はその奴隷でしかない。

理性が戻ったのは、カードの引き落とし明細を見てからだ。

今回も50%引きの串かつを見てしまった。

でかい。

1本と2本、どちらも50%引きになっている。

ほんの少しだけ理性が「1本にしたら」と囁いたけど、欲望は「冷凍できるじゃん、2本が絶対お得!」と叫ぶ。

もちろん、2本の方を手にした。
声が大きい方が勝つのはどこの世界でも同じこと。

次の日、朝食代わりに食べた。

もちろん、2本だ。
で、思ったことは「もう、あそこで二度と買わない」ということ。

何といっても味がない。

揚げ物というだけの食べ物だ。
肉もたまねぎもほとんど味がない。

その上、後味は最悪だ。

胸焼けだけでなく、口の中も油臭さいだけ。

欲望に負けて後悔するのは初めてじゃあない。

たぶん、最後でもないだろう、きっと。

砂糖は薬、毒にもなる

週2度は作るものがある。
パンとラタトゥイユだ。

どちらも砂糖を入れるのだが、パンは大匙1.5、ラタトゥイユは大匙半分だ。

つまり、パンの方が大匙1多い。
イーストにはえさが必要だから当然だ。

昨日、何か考えながらラタトゥイユを作っていたら、砂糖を入れる分量を間違った。

パンの分量を入れてしまったのだ。

鍋ひとつ分に大匙1多く入ったことになる。
だから、ちょっと甘いだけだろうと思って味見したら、トンでもなく甘い。

甘いだけのトマトソースだ。
しょうがないから、トマトジュース、豆、肉などと追加でぶち込み量を増やした。

まだ甘い。

しょうがないから醤油をちょっと足した。
少しましになったが、まだ甘い。

しょうがないから、それで我慢することにした。
久しぶりに大失敗した。

昔、「砂糖は毒」と言った人が居る。
これ、あながちまちがいじゃあない。

砂糖の甘さは中毒になる。
でも、これ「薬」と同じ意味があるんじゃあないだろうか。

「薬」も「砂糖」も少しなら体に、料理、良い効用がある。
でも、過剰に使うと毒にしかならない。

そして、中毒になるのはその使用量が増えるからだ。
そして、そういう人がたくさん出来れば、大企業は儲かる。

醤油を混ぜて甘みは減ったけど、いつも感じる野菜のうまみはしっかり死んでいる。

何事も使い過ぎは問題を起こす。

そして、調味料の使いすぎは、健康にも、お財布にも、料理にも悪い影響を与える。

砂糖つぼには、大匙半分のスプーンも入れておこうっと。

2013年11月13日水曜日

母の味覚

先日、実家に戻った時、スーパーで地元の豚肉の塊が4割引になっていた。

即買いした。

この豚肉、地元ではちょっとしたブランドだ。
以前にも買って、味の良さは知っている。
多少、スーパーの棚に長くいたところで肉なら、大した問題じゃあない。

魚なら買うのは悩むけど。

母が豚肉大好きなので、焼き豚でも作ろうかと思って買って帰った。

でも、気が変わって煮豚にした。
焼いて脂を落とし、ぬかで茹でて脂を落としても、まだすごい脂だ。

バラの塊だったので、一晩煮るとほろほろになった。

これだけの脂なら、豚バラで作る料理がまずいはずが無い。
ただ、肉の味は脂を落とせばより引き立つ。

実際、味付けをするととても美味しくなった。
煮汁が勿体ないから、ゆで卵を作って放り込んだ。
卵も肉もむちゃくちゃうまい。

そうやって、作った煮豚を母との夕食に出したら、彼女は一口食べてこうのたまった。

この魚、すっごく美味しいねえ。何の魚?

肉と魚の違いも判らない母だけど、旨いものは判るらしい。

だから、母に今、何を食っているか説明した。
彼女いわく「あんまりやわらかいから、魚だと思った」そうだ。

で、自分で自分のことを大笑いした後に言われた言葉。

これ、置いて行くでしょ。

ええ、お母様。
貴方のために作りましたので、自分のアパートには持って帰りませんからご安心下さい。

今まで、持って帰ったこと、ないでしょうに、全く・・・・・

噛まなくても味わう「肉」の味

某大手新聞の「かたい赤身、「霜降り」に変身」という記事、これ微妙だ。

牧草を食べて育った本物の牛肉。

いまどきこんな牛はオーストラリアかニュージーランドでしかお目にかかれないが、この加工肉はそこで出産経験した牛の肉だ。

断然に価格が安い。

この肉に別の牛の脂を注入するという。
脂は国産牛から抽出している。

でも、輸入された遺伝子組み換えのとうもろこしのえさで育った牛だ。

だって、速成肥満させるため、油分の多いとうもろこしで育てるのはいまや一般的なのだから。

もちろん、注入する脂にはうまみの元であるアミノ酸は欠かせない。
違法でなければ、他の添加物もおいしくするために脂に混ぜるのは当然だ。

彼らの商売に何か問題があるとは思えない。

ただ、個人的には、主義のために牛肉をほとんど食べない。

牛肉は作られるたんぱく質の中で、一番高価な肉だ。

先進国がビーフの消費量が増加すれば、牛の飼料価格が上がる。
つまり、牛のえさとなる穀物の値段が上がり、飢餓問題を抱える国は穀物を買えなくなる。

これは、牛肉が消費増加になればなるほど、状況は悪化する。
先進国の企業は、たしかに、儲かるだろうけど。

本来、硬い肉も長い間赤ワインと煮込むと美味しくなる。
特に、この手の「本物の牛肉」の味は格別だ。
脂くさくないから、肉本来のうまみが味わえる。

でも、油を注入し、ステーキにすれば、高く売れる。
調理時間も3分だ。
多分、味も悪くないはずだ。

廃棄するものを商品に開発する企業努力は感動だ。

こうやって、牛肉の消費量は増えて行くのだろうか。

美味しい店って、肩書き要らないわ

連日続く食品偽装のニュースの傍ら「騙されるな!「偽装飲食店」の怪し~いキャッチフレーズ3種」というような記事もあって、食いしん坊には理解できない世界が広がっている。

「フランス産のフォアグラ」と表示したけど、フランス産が手に入らない時に別のものを使ったから「謝罪します」という話は、私の理解を超えている。

つまり、昨今、食べ物は「舌」ではなく「脳みそ」で味合うものなのだ。

フォアグラ、本物ならどれ使っても脂の塊だもん、うまいに決まってるじゃん。

そもそも、フォアグラ食べて産地の違いが判る消費者がどれだけいるんだ?
フォアグラ食べてる時に、そんなこと分析する理性が何処にある?

少なくても私の脳には存在しない。

そんな記事を読んでいると、先日行ったうどん屋を思い出した。

宣伝らしいことは2つだけ。

うどんには、今年の北海道小麦粉を使っているということ。
そして、使う野菜が「近所のものだ」ということ。

でも、駐車場も店も満杯だ。

美味しければ、別に肩書きは要らない。

だって、みんな美味しいこと知ってるから、また食べにくる。
うまいから、友人も連れてくる。
そうやって、客は確実に増えて行く。

水も料理もセルフだ。でも、誰も気にしない。

彼らが捌ける客数は限られているけど、美味しいものの大量生産はどだい無理な話だ。

だって、材料だって、原料だって限られている。
もちろん、作り手の労力だって。
彼らの一日も24時間しかないのだから、当然だ。

うどん一杯に払う金額は少ないけど、食べ続けることでできた信頼関係は本物だ。

同じ金額をコンビニに払ってできる関係ではない。

消費者は美味しいものを創る人達を支えることができる。

その力、外食する消費者は是非、認識して欲しい。

2013年11月12日火曜日

「美味しさ」を感じるセンスはみんな違うけど

食いしん坊の友人に某ケーキ屋の「クリスマスケーキサンプル」を食べたか、という話をしたら「もちろん」という回答。

娘さんも食いしん坊なので「2箱」買ったらしい。
つまり、一人ずつ全種類味見しようという魂胆だ。

それでこそ、私の友人だ。
その娘もしっかり食いしん坊だ。
そのDNAは、次ぎの世代にちゃんと受け継がれていることを知ってうれしくなった。

で、彼女が面白い話をしていた。

今回、このケーキセットを何人かの同僚に勧めたらしい。

そして、始めてここのケーキを食べた同僚のコメント。
「あまりぱっとしない味だねえ」だった。
彼女、ほとんど料理はしないらしい。

たしかに、このケーキ屋の食べ物はすべての製品でかなり甘みが抑えられている。

コンビニやインスタントラーメンに慣れている消費者の口には確かにインパクトは弱い。

最近、テレビでも食に関する番組が多いけれど、芸能人が「美味しい!」と叫ぶ食べ物、本当に美味しいのか疑問に感じることがある。

たとえばラーメン。
背油をどっぽり入れたラーメンがまずいはずがない。

でも、それは油のうまみで「味」ではないだろう。

そんなラーメン屋に行列ができるのは判るけど、それを毎日食べたら数年で健康状態はレッドカードものだ。

本当に美味しいものは、毎日食べられる。

新鮮な野菜や果物。
本当に美味しいものは調味料なんてほとんど要らない。

素材のうまさは、過剰な油や甘味で「うまさ」を「偽装」する必要がない。

でも、多くの消費者の舌がすでに「偽装」料理に慣れきっている。

本物を信じる消費者が「美味しい」と感じるものを得るためには、日々「偽装」情報と戦い、自分の舌を信じるしかない。

そして、「美味しさ」を信じる仲間だけでの情報交換だ。

今、戦う食いしん坊は、戦友にも恵まれている。

メニューの値段は料理の値段。当たり前だけど。

メニューの表示した食材が違うと言って、返金している会社があるという。

法律という「権威」を盾に「違反だ、産地偽装だ」と大騒ぎすれば、金が戻ってくる社会は、ちょっと変だ。

別に、食べて腹を壊した訳ではないのに、返金を許す社会が存在する。
これ、企業の行動としては苦肉の策だと思うけど、社会的に考えれば危険な思想を植えつけることになる。

そもそも、消費者が「肩書き」を信用し、味の違いが判らないから「盛りすぎた」メニューになったのだ。

騙すことは確かに悪いことだけど、これは消費者にも問題がある。

大企業のホテルというだけでそこで扱う食べ物を信用する。

メニューに書いてある「高級魚」だから美味しいはずだと脳みそで食事する。

有名な「ホテルで貴重な魚を食べる自分」が重要で、美味しいかどうかは問題にすらされていない。

個人的には、美味しければ他はどうでもいい。

昨今の冷凍技術は目を見張る進化があるのだから、冷凍された旬の美味しい魚を上手に調理してくれたら、その調理の手腕に高い金額を払うべきだ。


高級食材だけ皿に盛られても、食えやしない。


彼らが努力して、技術を学び、料理してくれるから皿に盛った「高級魚」が食べられる。

メニューの金額は「高級魚」の値段ではなく、料理の値段だ。

当たり前のことだけど「返金を許す社会」の存在は、この「当たり前の事実」を否定する。

でも、返金請求に行く人は「私には味の違いが判らないから、騙しやすいですっ」っていう人のリストに載ることになるのに、恥ずかしいって思わないのかなあ。

冷凍した魚も「鮮魚」なんだぁ?

NEWポストセブンの「食品偽装 タラバガニを仕入れ値10分の1のアブラガニで代用も」の記事を読んで驚いた。

法律で使う日本語って、日常的に使う日本語と意味が違うことを始めて知った。

食品法が冷凍食品を「鮮魚」や「旬」と呼ぶのは理解できるし、妥当だと思う。

でも、それを「違法じゃあないから」と言ってメニューで「鮮魚」や「旬」という言葉を使うのは料理人としての良心はどう思うのか、是非意見を聞いてみたい。

実際、冷凍技術が発達した現在、味付け次第では、食材の食感はほとんど生と違いが判らない。

それに、消費者は濃い味に慣れているから素材の味を生かした料理など「パンチがない」と表現される。

生と冷凍物で一番大きい違いは、風味だろう。
特に、野菜や魚では鮮度の違いが味の違いになる。

味付けをシンプルにすると、その違いは「別物」と言えるほど、顕著に判る。

でも、消費者はコンビニ食で「一般大衆の味」である砂糖の200倍の甘さのコーンシロップ甘味料や、マヨネーズに代表されるような、膨大な油を使う味に慣れきっている。

だから、薄味なんて「美味しくない」なんて話になる。

だから、企業がメニューを「盛る」ことを止めるだけで問題は解決する。

それで、売上げが減れば、それだけの話。
「肩書き」に頼ったから、今回の醜聞になったのだ。

そもそも、味の違いが判らない消費者相手の商売なら、コンビニの戦略と変わらない。

求めるのは利便性なんだから、メニューもコンビニ並に「安く」すれば「肩書き」で売るより、よっぽど儲かると思うな。

2013年11月9日土曜日

監修ビジネスは理解できるけど

近所の100円ショップでは、大手企業が「企画したけど、失敗しました」という商品がこっそり売られている。

そこに、なんと「ROYCE」ブランドのレトルトカレーが売られていた。
「チョコレートの会社がカレー作るってどういうこと?」と思って良く見てみた。

違った。

「ニッスイ」が作っている。
監修ビジネスのひとつだ。
どうも「ショコラで仕上げた」というのが売りらしい。

でも、この100円ショップで山のように積んであるところを見ると、爆発的に売れたものではないのだろう。

好奇心に負けて一袋買った。

広告文句には「チョコレートをかくし味に使いました」とある。
原材料名を見ると、カレーフレークの次に「チョコレート」が並んでいる。
5つ目ということは、5番目に量が多いということ。

本当に隠し味の量しか入っていないのか。
食べるのが、ちょっぴり怖くなった。

でも、隠し味と言うなら、その位しか使わない「チョコレート」を提供する企業名を「全面的」に出すのって、誇大広告じゃあないんだろうか?

もちろんパッケージには「本品は、ロイズコンフェクト監修の元開発した商品です」と華々しく書かれている。

パッケージの正面は良く目にする「ロイズ」の金色ロゴが特殊印刷でレイアウトされている。

忘れないで欲しい。
これはレトルトカレーの話だ。
隠し味が「チョコレート」ではあるけれど。

ブランドに便乗して物を売ろうとする努力は認めるけど、消費者って、それほど馬鹿じゃあない。

ニッスイさんなら美味しい素材が手に入るんだから、味で勝負した商品開発の方が金を突っ込む価値がある。

山のように積まれたオレンジ色のパッケージを見ながらそう思った。

完着ゆず、発売開始!

とうとう、ゆずの季節がやってきた。
いつもの農家から「完着ゆず発売開始しました」のメルマガが到着した。

困った。
何故なら、スケジュール調整がうまくゆかないからだ。

ちなみに「完着ゆず」とは、完全に黄色に熟れたゆずのこと。
青いゆずは先月発売されていたが、ジャムやサワードリンクの元はこの完着ゆずで作る。

問題は、いつも発売時期が極端に短い。
メルマガ受信から、大体3週間で売り切れる。

だから、その間に注文し、ゆず到着日当日にサワードリンクを仕込み、次の日は一日かけてジャムを作る。

大体2日の作業を計画し、予定を組む必要がある。
仕込みに使う道具がすべて実家にあり、実家でないと作ることが出来ない。

今、仕事をしている街から実家までバスで3時間半。
だから、最低1泊は必要だ。

で、商品をいつも買っている農家の方もこればっかりは売れるスピードが判らないから「取り置き」とか「日付指定の送付」が難しい。

はるか南の土地から送ってもらうには3日はかかる。
でも、美味しいものを食べるには、そのための努力が必要だ。

ゆずジャムも他の場所でとれたゆずを使ったこともあるが、風味が全く違った。
値段がここより高いものも買ったことがあるが、がっかりしただけだ。

食い物は値段じゃあない。

だから、悩む。
彼らの忙しさも理解できるから、彼らの商品に拘る私の方が調整するべきなのだ。

うまいものを作る人は、みんな尊敬している。
だから「金払うんだから、この日付に送って」とは威張れない。

同じ金を使うなら、そうやって、作る人を、がんばる人を支えたい。
ペットボトルを毎日買うことで、大企業のビジネスを支えない。

これは私の選択だ。

うどん食べるためだけに40分ドライブする

「うどん、食いに行きましょう」と管理人に言われ、シェアハウスの住人と40分もドライブしてうどんを食べに行った。

昨今、讃岐うどんのチェーン店が日本中を躍進している。

実家の傍に出来たチェーン店にも近所のみんなが「うまい」というので食べに行った。

たしかにおいしいが、何より安い。

ラーメンが一杯800円から1000円になってしまった現在、250円で一食済むんだから、これは流行るだろうと思った。

少なくても大企業Mのハンバーガー食べるよりましだ。
トッピングのてんぷらを食べても胸焼けしない。

でも、何度も食いたいと思うほどではない。
「金を払って食べるなら、ここはあり」の程度。
そもそも、あんまり外食しないし。

そんな「うどんブーム」の中でのお誘い。

道中、管理人は熱くそのうまさを絶賛していた。

街を通って畑の中を延々と40分。

「これ、掘っ立て小屋じゃん」と思う建物の前に駐車した。
でも、中に入ると手作り感満載で風情がある。

チェーン店のような、導線と効率重視の「規格的」な内装でないところが人間的でほっとする。

小麦粉は地元産の今年取れたもの。
だから、麺の弾力はもちろんだが、何より味に感動した。

てんぷらなんて要らない。
うまいから食べたけど。

大根おろし、しょうゆ、そしてレモンで十分おいしい。
麺が粉くさくないけど、小麦の味はしっかり後味が口に残る。

ゆずだったら、もっと美味しいだろう。
腹がいっぱいなのに、まだ食べたい。
食べられないけど。

ああ、理性よ、何処に行ってしまったの? 戻ってこい。

2013年11月7日木曜日

美味しいものは大切に

ケーキ屋の「おやつの日」、店頭完全予約なので事前に引換券を買っておかないと食べられない。

今回、母に引換券を買ってもらったが気になることを聞いた。
せっかく予約してお金を払っているのに「取りに来ない人」がいるらしい。

母は店員さんに「忘れずに取りに来てくださいね」と念押しされたそうだ。

この予約制のおやつ、生ものだし、金が払われているから店頭では売れない。

だから、取りに来なかった分は「廃棄」になるだろう。

それに心を痛める店員さんの言葉が「忘れないで」という一言だ。

私のような食いしん坊には全く理解できないが「取りに来なかった」から「お金返して」という人も居るらしい。

これは「食べる側」として、あまりに無責任だ。

まず、食べ物に失礼だ。
作り手には、もっと失礼だ。

金は事前に払われているからビジネス的には問題ないのかも知れない。
でも、食べる側、つまり消費者側にも購入した以上「食べる責任」があるんじゃあないだろうか。

冷蔵庫の中で腐らす。
レストランで、バイキングで食べ残す。

これらに共通するのは「金払ったんだから」という消費者側の傲慢な気持ちだ。

野菜やお肉、そしてレストランの料理も誰かが時間をかけて「作っている」食べ物だ。

彼らの経験と労力の「結果」を食べているのだ。

だから、消費者はきちんと食べる責任がある。
「お金を払えば、俺のものなんだから俺の自由だろ」という考えの先にあるのは、消費しかない。

でも、美味しい食べ物は慈しむ価値がある。

それは値段と関係ない。
食べ物への愛情も作り手への尊敬も、値段で測ることはできないのだから。

一人ケーキバイキング

いつものお菓子屋は、毎月「おやつの日」というものをやっている。

これは、地元利用者への還元イベントで500円で特製のおやつが食べられる。

事前に店頭予約限定、その日に取りに行く。
ケーキのときもあれば、和菓子の時もある。

今月は、なんとこのお菓子屋が作る「クリスマスケーキのサンプル」が4種類だった。

バター、チョコレート、生クリーム、そして抹茶。

地元から離れて仕事をしているけど、たまたまその日は実家に戻るから母に頼んで買っておいてもらった。

当日、ケーキを取りに行くと新作ケーキが並んでいる。
スポイトソース付きのチーズケーキ、そしてカシスのチョコレートケーキがあるではないか。

チーズケーキは、スポイトにフルーツソースを入れて食べる直前にかけるというもの。今年の2月に食い損ねたやつだ。

カシスのケーキも半年振りのご対面だ。

でも、2個も食えるか?
すでに、4個のケーキ、取りに来たのに。

「理性よ、働け」と願ったが、当然無理。

2つのケーキと4つのケーキ。
一人ケーキバイキングだ。

このケーキ群を食べて思ったことがいくつかある。

まず、バターケーキは「バター」が美味しいとかなり美味しくなる。
そして、甘みには酸味が必要だということ。

生クリームのショートケーキにイチゴの酸味がとても合う。
特に、この生クリームには粉末ヨーグルトを混ぜて酸味を調整している。

カシスも酸味がある。
これは、チョコレートの苦味と実に良く合う。

食べ比べると、味の個性が良く判る。

夕食は食べずに、ケーキ全部平らげた。

明日からしばらく毎日ジムに行く必要があるよ、自分。

美味しいから産地を知りたい、んじゃないの?

巷で産地の「誤表示」が問題になっているけど、これ、本当に理解できない。

そもそも「若鶏のソテー」とだけメニューに書いておくだけでは十分じゃあない、という企業側の心理が理解できないのだ。

メニューに書いてあって、そう思って食べて違ったから消費者が怒る心理も理解できない。

だって、食べたかったのは美味しいもので、美味しかったらいいじゃない。

それとも「XX産」という「肩書き」が食べたかったのか?

でも、味の違いはわからないなら、どれでも同じでしょう。

食事して、美味しければ「これ、すごく美味しいけど産地は何処ですか?」なんて聞くことはイメージできる。

そして「料理長が言うには、本日はXXから来た鶏です。」なんてウエイターが答えるのもイメージできる。

知りたくなるのは「美味しいから」だ。

だから、また食べたい、またここに来ようとなる。

食欲が刺激されて脳が働くのは、美味しかった時だけ。
美味しくなければ、別にどうでもいい。

腹を壊さない程度に運営しているレストランなど二度と行かないだけの話。

デパートもそう。
美味しかったらいいじゃあないの。

自分で材料を調達し、作る手間を金で買った以上、払った金額は「楽した金額」だ。

材料が表示通りか、他人を信じるのはその人しだい。

食品を売る企業は、食中毒にならなければ衛生法的には問題が無いのだから。
もちろん、表示法違反だろうけど、日本じゃあ、お上の言うとおり、改善すればお咎め無しだ。
だって、社会的にも「誤表示」で通るんんだから。

大した問題じゃあない。

「知らない誰か」が作った食べ物を食するリスクはどれも同じ。
選ぶのも、食べるのも、消費者だ。

楽して安全なものを食べられると信じるのも自由。

信じる相手は「ビジネス」なんだから、ベトナムの観光客相手の露天商と目的は同じ。

それも、覚えておいた方がいい。


至福のおにぎり

長距離バスに乗る前に、夕食を調達する必要があった。

金を払って食べ物を買う時は「うまいもの」と決めているので、大抵、デパートの地下に行く。

でも、この時は荷物があったので面倒だと思った時、先日の「カフェ」を思い出した。

家の近くだったので、そこで鮭のおにぎり1個を買った。
テイクアウトもできるおにぎりは、一個180円。ちょっとはしたないけど、冷えてから食べるのが嫌だったから歩きながら食べた。

袋を破ると海苔の匂いが立ち上る。

まだ、暖かい。一口かじるとむちゃくちゃ美味しい米と海苔だけの味。

塩味はほとんど感じない。

食べ続けると、鮭が登場。

この鮭がちょっとだけ塩が効いているので、ご飯といっしょにたべるとバランスがちょうどいい。

1分後に完食。

余韻に浸りながら歩いた。

本当に美味しい。

ただやっぱり、ちょっとだけ足りないから何か買おうかとコンビニの入り口まで行った。

でも、脂っこいフライドチキンのポスターを見た瞬間、回れ右をした。

体も脳も、この余韻をまずい食べ物で消すことを拒否した。

結局、何も買わず、その夜はおにぎりと、その味の余韻で過ごすことになった。

チョコレートもフライドチキンも魅力的に見えなくなるほど、美味しいおにぎりを食べてしまう体験を持つことは危険だ。

何故なら大量生産の味には戻れないから外食は難しくなる。

食べ物に感動できることは、それを作る人も尊敬できることだ。

食べ物を作る人への感謝は、こうやって生まれる。

本当のおいしさ

最近、近所に小奇麗なカウンターだけのカフェ飯屋が出来た。

でも、見るたびに誰も入っていない。

しかし、お米にこだわった店らしく農家の写真が掲示している。

気にはなっていたが、ほとんど外食しないので、いつも店の前を通るだけだった。
しかし、ある日、ランチと夕食と2度も外食する羽目になり、このカフェが提供する「米」の力に驚愕することになった。

その日、一人ランチで1000円もかけるつもりがないが「金返せ」となるような食事をするのも嫌だ。

そういう時は「おかゆ」か「てんや」になるが、その日は「てんや」の天丼になった。

たしかに、油のうまさに舌は喜んだ。
しかし、胃はあまり歓迎しなかった。
油のおかげで午後遅くまで胸焼けが止まなかった。

そして、夕食。講演会の後、友人と軽い夕食が食べることになり、たまたま、家の近くだったので気になっていたカフェに行った。

そこは、夜バーになるらしい。でも、食事もできたので、カウンターで「おにぎり丼」を頼んだ。

友人は塩、私はカレーだった。

一口食べて舌がヨーデルを奏でるほど、おいしかった。
米のうまいことこの上ない。

もちろん新米だ。

カレーも美味しいのだが、それより付け合せで出た金平ごぼうは絶品だった。

量は少ないが、そもそも大量に食う必要なんてない。

美味しいものは、少しだけでも十分満足する。

しかも、定食みたいなものだったが、ワンコインだ。

味噌汁、金平ごぼう、そしてカレー丼。

遅い食事だったが私の胃は何も訴えなかった。

素材が良いものって、体も判るんだな。

2013年11月4日月曜日

100グラムのマロンパイが何故?

ケーキ屋のマロンパイを2個食べた2日後、仕方なしにジムに行った。

ここでは毎回最初と最後に体重を計ることになっている。
東京でどれだけがんばっても落ちなかった体重が最近、落ち始めて気分が良かったのだが、この日は違った。

前回より、1キロも増えている。

ショックだ。

食べたものを思い出しながら「何故か?」を考えたら思い出した。

そう。マロンパイだ。

他に間食もしていないし、飲み会にも行っていない。

でも、不思議だ。マロンパイ、一個100グラムも無いだろう。

2個食べても200グラム程度なのに、私の胃の中に入るとどうして1キロに増えるんだろう?

スィーツフェア延長?!

食いしん坊の友人から「大丸のフェア、延長で、マロンパイまだ買えるって」っていう、余計なメールが入ってきた。

そして、次の日は休みで大丸の隣のビルに行く予定があった。

用事を終えた後、まるで光に誘われる蛾のように、ふらふらとケーキ屋に引き寄せられた。

燦然と並ぶ、マロンパイ。

にっこり笑う店員さんが説明してくれた。

「そうです。評判が良くて、フェアの期間が延長になったんですよぉ。でも、もう延長は無理ですねえ。クリスマスシーズンが始まりますから。」だって。

もちろん、1個でなんて満足できないから2個買った。

その日に1個温めて食べた。

2度目を食べて解ったのだが、このパイ、上にシュガーアイシングがかかっている。

ここのケーキはあまり甘くないから、このアイシングが「甘さ」にアクセントをつける。

これ、料理も塩を全体に混ぜず、食べる時に振り掛けることで塩分を少なくすることができ、塩の味が料理を引き立てることと同じ発想だろう。

ただ、この場合、材料が良いこと、そしてアイシングが適量であることが重要になる。

素材にこだわるケーキ屋の商品だから、その点は問題がない。

中の栗を包んでいるアーモンドプードルで作られたほんのり甘いスポンジも温めるとほんのり溶けて滑らかになる。

次の日に残りを食べたら味も風味も確実に落ちた。

美味しいものは、美味しいうちに早く食べるべきだった。

カロリーのことを考えるのはこの際、忘れよう。

秋限定の至福の時間なのだから。

2013年11月3日日曜日

脳は味を感知する器官じゃあないでしょ

メニューが「誤表示だ」とか「偽装」だとか世間が騒いでいる。

産経WEBでは「食品偽装」はヒルトンやプリンスホテルでも」と、他のホテルのケースを紹介しているが「別にいいじゃあないの」と思う。

これ、小さいレストランがやったらどうなのだろうか。
大きなレストランだから問題なのか?

それって欺瞞でしょう。

まず、レストランなら「肩書き」に頼らず「味」で勝負すべき。
肩書きに頼る程度の料理に寄ってくる客なら、舌で食べるんじゃあないんだから、どんな肉でも野菜でも変わりないでしょ。

企業が「誇大広告」でメニューを魅力的に見せようとしたのは理解できるけど、消費者ももっと賢くなる必要があるでしょう。

だいたい、チェーン店のレストランで少量の仕入れなどありえない。
また、料理の値段と場所を考えたら、有機野菜を使った料理が「この値段」で妥当かどうか、解るでしょうに。

大切なことは「うまいかどうか」でしょう。

冷凍モノを使っても味を濃くすれば美味しく感じる。
「うまい」って思って食べたなら何が問題なんだ?

彼氏や仲間にご馳走する料理だって、大丸の地下の惣菜売り場のものを皿に乗せて「私が作ったの」という人もいる。

「誇大広告」はバレなければ誰でもやる。
そして、バレなきゃエスカレートする。誰でも同じ。

企業のいい訳を聞くのも面白いけど、まずい冷凍モノを使い続け、それに頓着しないシェフがそのレストランには今後も居ること、忘れない方がいい。

レストランって、不味けりゃ行かなきゃいいだけの話。