2014年5月22日木曜日

生クリーム、入れ過ぎだっ!

ジャガイモプロジェクトの一環で、ポテトスープとコーンスープを作った。

コーンは、昨年母が冷凍したものだ。
料理が嫌いな母、冷凍した分はとても使いきれていない。

チキンスープは、以前、チキンの胸肉を茹でた時、ガラもいっしょにぶち込んだものを凍らしておいたものがある。

たまねぎもあるし、後、材料に必要なのは、生クリームだけだ。

この生クリーム、入れると入れないで味の違いに雲澱の差が出る。

コクの違いは生クリームの違い。
値段が高いけど「入れない」という選択肢はありえない。

じゃがいもやたまねぎをスープに放り込んで煮た後に、ブレンダーでスープにする。

味見をすると、いつも通り美味しい。

よし、後は生クリームを入れるだけだ。

パッケージを開けて、大匙2杯程度いれようと傾けた・・・・・ら、どばっと出たっ。

ひえぇ~。

何でこんなにゆるいのさ?と思っても後の祭り。

開ける前に、ちゃんとパッケージを振らなかったから、思っていたより生クリームが緩かったのだ。

で、味見をしてみれば、滅茶苦茶うまい。

当然だろう。
生クリーム、4分の1カップ位入っているんだから。

美味しいなら、もうこれでいい。
予想よりカロリーが高くなること意外に、特に問題は無い。

冷凍してしまえば、この「入れ過ぎ」も食べる時には、すっかり忘れている。

どんな料理も、旨ければ結果オーライだね。

キムチ、もうないじゃん

食いしん坊の母親、何事もはっきり言わない。

たとえば、キムチ。
今年は2度作った。

この間戻ると、これも「もう、少ししか無い。」という。
これは「作ってくれ」という意味だ。

容器も唐辛子も、実家にあるから、白菜さえ手には入ればすぐ漬けられる。

だから、作ることにしたけれど、実家のスーパーでは白菜が馬鹿高い。
今住んでいる街で買う2倍の値段だ。

駄目だ、延期だ。

だから、その次に帰る時、今住んでいる街から白菜を買って帰った。

この21世紀、白菜2個背負って長距離バスに乗り込むのは、食いしん坊位しかいないだろう、きっと。

で、実家に着いたのが夜。

その夜から、白菜を切って乾燥させる。
次の夜には塩漬けにする。
そして、その次の日に本漬けをして、その夜に街に戻った。

これじゃあ、ほとんどキムチを作るために実家に戻ったようなもの。

それでも、母が喜ぶ顔をみれば、まあその甲斐はあったか、と思う。

もっとも、味はまだわからないけど、たぶん結構美味しくできたはずだ。
室温に置くには暖かすぎるから、冷蔵庫に寝かせておく。
後は、何日か経ったら勝手に食べてくれればいい。

彼女、以前は、食べ物にはあまり拘らなかったが、最近だんだん食いしん坊になってきた。

「自家製が旨い」ということも、大分判ってきたから、ねだり方も巧妙になってきた。

でも、食いしん坊が作ったものを「食いたい」というのなら、作ろうじゃあないか。

その手間など、育ててもらった苦労に比べれば大したことじゃあない。

親孝行なんて、できる時間は限られているのだから。

不味いお菓子を与えた結果

リトル食いしん坊に久しぶりに会ったら、まあ、ずいぶんでかくなっている。

母親に聞くと最近、食べる量がすごいらしい。
で、相変わらずグルメなようだ。

両親と話しているうちに、いっしょに、レストランに行くことになった。

みんなで車に乗り込むも、そのレストランまで約40分ほどかかる。

しばらくすると、リトル食いしん坊、めちゃくちゃに泣き出した。
どうもその理由が空腹らしい。

以前も同じ泣き方を聞いたことがある。

母親が夜遅く戻ってきた時だ。

ほとんど泣かないリトル食いしん坊。
この時、初めてこの世の終わりみたいに泣き叫ぶ声を聞いた。

そんな彼女に、お父さんはお手上げ。
あやそうが、何をしようが一向に泣き止まない。

でも、母親が戻って母乳を与えると、ぴたっと泣き止んだ。
よっぽど腹が減っていたのだろう。

この日の泣き方もそんな泣き方だった。

で、市販されている赤ちゃん用のウエハースみたいなものがあったから、それを食べさせた。

もう、自分で握ることができる。
彼女、それを口に入れた時、一瞬だけ泣き止んだ。

が、しかし、3秒後、声を2倍にして泣き叫び始めた。

まるでサイレンだ。

握っていたおやつは放り出すわ、口に入ってたものは、飲み込みもしない。

完全なる「拒否」だ。

泣き声は「こんな不味いもん食わすんかいっ」と言っているようにしか聞こえない。

放り出したお菓子を齧ってみる。

確かに不味い。
スポンジ食べてるみたいだ。

泣きたい気持ちは、十分に理解できる。

グルメな彼女にこれを「食え」というのは酷だわ・・・・・

2014年5月21日水曜日

4種類のペーストリーを食べて判ったこと

美味しいパンで有名なドンクの前を通ったら、笑顔を携えて、ミニクロワッサンの試食を持った女性が近づいてきた。

笑顔に釣られて、試食のチョコクロワッサンを食べてしまったが、これがいけなかった。

時間は、夕方6時。腹が減り始めた頃だ。

まあ、うまかった。

だって、甘いもん。
しかも、さくさく感が半端ない。
続いて、笑顔で紹介するのは「期間限定」のペーストリーだ。

味見をさせてくれると言うではないか。

ああ、完全に誘惑の地雷を踏んでしまった。

これ、ストロベリーマカロンをチョコの上に乗せて焼いている珍しいもの。
とても甘い。

でも、チョコクロワッサンより美味しく感じた。

その横のトレイには、エダムチーズや五穀のペーストリーも並んでいる。

ミニサイズなので、グラムの量り売りになっているが、1個から売ってくれるとのこと。

だから、ミニクロワッサンと3種類のミニペーストリーを2個ずつ買った。
360円なり。
ケーキ1個分でいろんな味が楽しめるなんて、幸せだ。

次の日、これらを朝食として楽しんだ。
「期間限定」を入れて4種類買ったが、一番美味しく感じたのがプレーンクロワッサンだ。

小さくてもきちんと層になっている。

やっぱり、シンプルが一番だ。

小さいサイズの商品を販売するのは、作る点でも売る点でも店側に負荷がかかる。

しかし、消費者には便利だ。
試食もいいけど、味見的に買えれば心理的に楽だ。

そして、美味しければまた買いに来る。

ロングラン的にみれば、ファンを増やすには素晴らしい商品だ。

ただ、グラムで表示して販売している商品を、2個ずつオーダーするのは、結構勇気がいる。

380円程度の「味見パック」を作れば手に取る人も多いと思うけどなあ。

大手OEMのコンビニスイーツ、不二家じゃん

大手コンビニは、巷に流行しているカフェに対抗して、コンビニスイーツに力を入れている。

たとえば、ローソンは「マチカフェ」と名づけて一連のスイーツ商品を開発をしている。

ただ、中身は自社で製造できないので、他の企業に作らせる。

OEM商品だ。

「キャラメルナッツタルト」は、不二家が作っている。
不二家の商品にはすでにタルト商品のラインナップがある。

「アーモンドタルト」はその中のひとつだ。
つまり、製造ラインはすでにあるということ。

すでにタルトの中身を替えた商品のラインナップがあるわけだから、この中身を「マチカフェ」バージョンで作る。

不二家の「アーモンドタルト」だと1個180円以上。
コンビニで販売するには、これ以上安くなる必要がある。

だからかどうか知らないけど、アーモンドだけではなく、複数のナッツを使ってタルトを作る。

当然、原価が落ちるだろう。
だから「キャラメルナッツタルト」は170円。
10円安い。

これ、大手コンビニが「有名企業の商品で商機に乗る」と見ることができる。
でも、「有名企業が、大手コンビニの顔を借りて商品を売る」とも考えられる。

だって、不二家は、2007年に「不二家事件」という一連の不祥事を起こしているのだから。

結果、売り上げ不振が続き、銀座の本社ビルを売る羽目になった。大手商社がOEM商品の製造を委託するなら、禊は済んだということだろう。

有名企業も製造ラインはすでにあるのだから、活用するに越したことはない。
最近、ゴーストライターが話題を振りまいていたけど、ある意味、これも似ているのではないのか。

だって、顔を変えれば、大手コンビニも有名企業も儲かるのだから。

私は買わないけどね。

原材料、砂糖が最初に並ぶタルトの売り文句

ローソンはじめ、コンビニが「カフェ」を気取って商品開発をしている。

パッケージも、女性が好むような「無垢、自然」のイメージなので、ベージュや茶色の「落ち着いた色」が使われている。

先日、友人のお土産としてもらったキャラメルナッツタルト、パッケージには「香ばしいナッツにほんのり塩味のアクセント」との謳い文句。

塩は「フランス産ゲランド塩使用」だそうだ。

で、原材料を見ると「砂糖」が一番先にある。

小麦粉より、ナッツより多いものが「砂糖」だ。
甘味がこれだけでは足りないのか、他に「水あめ」と「麦芽糖」が入っている。

で、肝心の「塩」はどのくらい入っているのか。
香料を含めて下から5番目に記載されている。

それより少ない材料にはベーキングパウダーがあるが、その程度の量しか含まれていないということだ。

でも、パッケージは「塩」が商品の特徴として、産地を強調するほど売り文句にしている。

これは完全に「誇大広告」でしょう。

友人は、同じOEM商品の「シリアルクッキー」もくれた。
こちらは「オーツ麦の自然な美味しさが楽しめる」と宣伝文句が書かれているが、これも一番多い材料は「砂糖」だ。

これじゃあ「自然なオーツ麦」の味なんて、逆立ちしたって判りっこない。

イメージは「健康的」かもしれないけど、どちらも実際はナッツより、オーツ麦より「砂糖の塊を食べる」という商品だ。

大企業がブームに乗って売る商品、買うのはいいけど、原料表示は良く読んだ方がいい。

ちゃんと書いてある。

両方全部食べたけど、自分じゃあ絶対に買わないね。

2014年5月14日水曜日

ケーキの誘惑に負けた・・・

実家に戻った時だけの贅沢に、地元ケーキ屋の「ケーキを食べる」ことがある。

ケーキ屋の箱は、最小のものが2個入りサイズだ。

もちろん、1個でも気持ちよく売ってくれる。
余るスペースには厚紙を曲げてケーキが箱の中で踊らないようにしてくれる。
だから、買うケーキは1個でいいと思っている。

これは、理性の声。

この理性を尊重するから、開店すぐには行かない。

夕方、ケーキが売り切れる頃、夕食のデザートに、と買いに行く。

だって、食いしん坊の欲望は、目の前のショーケースに食べたことがないケーキを見ると暴走するんだから。

選択枝は少ない方がいい。

今回も、ショーケースを覗くまでは、理性は欲望をコントロールしていた。

そう。そのはずだった。

ショートケーキだけにしようと思ったのに、オレンジムースとチョコレートのケーキを見てしまった。

箱のサイズも悪い。
だから、2個買った。

夕食後、いよいよケーキを食べる。

コーヒーを入れて、ショートケーキを食べた。
いつもと同じように天国の味だ。
軽めのスポンジと濃厚な生クリーム、でもあまり甘くないから、物足りなさを感じた。

で、オレンジムースが余っている。

こっちは、朝食に食べようと思ったのに「味、落ちるよん」と悪魔の囁きが聞こえた。

もう、駄目だ。

夕食、食った後に2個のケーキ。
罪悪感120%だ。

でも、罪の味は極上の味。

オレンジの酸味とチョコレートの苦味、どうしてこうも美味しいのか。

コーヒーがちょうど終わるのにケーキが2個。

これが標準にならないように、やはりケーキは一度に1個だけ買うようにしよう。

もう、絶対に2個買わないぞっ!!

2014年5月12日月曜日

サンフルーツ、再オーダー

最近、食いしん坊の母が「食いしん坊」になってきた。

先日、サンフルーツを送ってあげたら「物凄く美味しかった」と電話が来た。

そりゃあ、良かった。
「楽しんで頂戴」と伝えて電話を切った数日後、実家に戻った。

夕食後、サンフルーツを食べると、本当に美味しい。

母は「ねえ、美味しいでしょう?」と威張る。
これ、私が買ったんだけどね。

食べながら、「これが今まで食べたみかん(かんきつ類全般)で一番美味しい」と言う。

この間八朔食べた時も同じこと言ってた。

「美味しいから、xxさんにも上げた」とか楽しそうに話す。
美味しいものを独り占めしないところも、最近変わった点だ。

素晴らしい。

で、彼女曰く。
「もう、1個しかない。もっと食べたい。」

そもそも、このサンフルーツ、母が一人暮らしだから小さい箱を送ったのだ。

この倍の大きさの箱とたった500円位しか違わなかった。
しかし、先月送ったりんごがまだ野菜室の半分を占めているのだから、腐らせたら勿体ないと思って、小さめの箱を送ったというのに。

じゃあ、確認して、まだ売っているなら、送ると約束した。

そうしたら「あの箱には少ししか入っていなかった」とぼやく。
「今度はもっと欲しい」と欲望を全開にして主張する。

要望通りに注文しておいたら、街に戻ってすぐ電話がかかってきた。

「着いた。前よりたくさんあるし、前より、美味しいよ。」と至極満足そうだ。
喜んでもらえて何より。

食べたいだけ食べて、友人に配ってくれ。

親孝行なんて、できる時しかできない。
母の満足そうな声を聞いて、そんなことを思った。

クロワッサンドーナツ

記事を読んでまず「食いたい」と思った。

ミスタードーナッツが売り出すクロワッサンドーナツ。
この記事を読んだのは発売前だったが、しっかり宣伝に踊らされた。

で、この間、ミスタードーナツの前を通る機会があり、つい買ってしまった。

200円もする。
地元じゃあ、ケーキが1個買える値段だ。

3種類あるが、どれも旨そうだ。

2つ買おうかと思ったけど、上部のシュガーコーティングを見て、1つだけで我慢しようとする「理性」が勝った。

私にしては、珍しい。

で、キャラメル味を買った。
できれば、コーヒーが欲しかったが、ドーナツだけ食べてみた。

クロワッサンドーナツ、チョココーティングされたクロワッサンの食感をイメージしていたが大分違う。

まず、ドーナツの割りにあまり甘くない。
ここは気に入った。

レイヤーになっているけれど、パンのように弾力があるわけではない。
でも、さくさく感がある訳ではない。

レイヤーになっているから、空気の層が歯に柔らかい弾力を与える。
だから、ドーナツ生地のようにボディがどっしりしている訳ではない。
だから、歯ごたえはない。

NYで流行っているらしいが食べてみた感覚は「これが?」という感じ。

かつて、生キャラメルを食べた時もそうだった。

3つの味があるけど、もう買わないだろう。
これなら、チョココーティングのクロワッサンの方がいい。

クロワッサンやパイ、基本的に、生地を折りたたんで作ることができる。
でも、そこに使われる油脂や小麦粉で製品の味が決まる。

かつて、エシュレで発酵バターで作ったクロワッサンを食べたことがある。
トンでもない値段だったけれど、強烈な味と歯ごたえだった。

結局、ファーストフードレストランで食べられるものは、それなりのものでしかない。

いい勉強をさせてもらった。

2014年5月6日火曜日

押入れから、かりんとう

シェアハウスの管理人、どうも「とりあえずおいて置く」癖が抜けない。

最初は、それも仕方がなかった。
だって、物を置く場所が決まっていないから。

というより「置くスペース」自体がなかった。
必要なものとゴミが分別されていない部屋に、かたっぱしから「とりあえず置く」の人生。

それが、彼が知っている片づけの唯一の対処方だった。

おかげで、部屋は、物の「層」になっていて、床が見えなかった。
そして、そこに置いたら「忘れる」。
だから、掃除機が4台部屋にあるのに、まだ、新しいものを買おうとした。
そもそも、4台持っていることも、知らなかったけど。

食いしん坊の母と同じだ。

で、部屋を片付けて、置く場所を決めたら、必要なものがすぐに見つかるようになった。

ある日など、管理人、巻尺がすぐ見つかって自分で感動していた。

でも、まだ悪癖は抜けない。

今日は押入れから「かりんとう」が見つかった。
食い物は「キッチンに置け」と口うるさく教えているが、まだ学ばない。

ただ、母もそうだが、これには理由がある。

食べ物を持ったまま、着替えをしようとしよう。

で、食べ物は「とりあえず」そこに置くことになる。
で、着替えが終わった後は、食べ物を「持っていたこと」をすっかり忘れている。

食いしん坊は、人生すべて「食べ物優先」だから、こんなことはありえない。

まずはなにより「食べ物の保管」が重要だ。

で、この「発掘された」かりんとう、食って驚いた。

だって、むちゃくちゃ旨いんだもん。

以前にかりんとう饅頭で説明したように、最近のかりんとう、パッケージも味もおしゃれになっている。

これもそんなやつだ。

もちろん余計な食品添加物など全くはいっていない。
だから、甘さを抑えられる。
故に、味の違いが引き立つ。

ほんと、こういう商品が増えるといいなあ。

2014年5月5日月曜日

ラム肉のしゃぶしゃぶ

スーパーに夜遅く行くと、大抵の食品が半額になっている。
惣菜は少しだけ足を止めるけど、籠を持って直行するのは、魚と肉セクションだ。

野菜と果物は八百屋で買うから、見向きもしない。

近くのスーパー、魚はあまり美味しそうに見えないけれど、肉は充実している。

豚や鶏はもちろん、本物の牧草を食べたオーストラリアの牛肉、そしてラム肉が買える。

うれしいことに、大好きなニュージー産のラム肉、今回は半額になっていた。

「ベーブ」という映画に出てくる羊の顔が、毎回、思い出されるが、味の記憶がそれらを消し飛ばす。

以前、東京に住んでた時、ラム肉のスペアリブにはまった。

それを、スモーク鍋でスモークしながら焼く。

遠赤外線で蒸し焼きされるスモーク焼きは、旨さが半端なかった。
この贅沢は、半額になっている時のスペアリブに出会えた時だけのものだった。

ラム肉、獣臭いという人もいるらしいが、それがこの肉のいい所。

今回はしゃぶしゃぶ肉が半額なので、家に水菜もしゃぶしゃぶにして、ポン酢をまわしかけて食べた。

素材が美味しいと、下手な味付けは不要だ。

食いしん坊は、肉を頻繁に食べる方ではない。
また、高級な肉も買わない。
ひき肉も買わない。

細切れをフードプロセッサーで砕く。
そっちの方がずっと美味しいから。

鶏肉は、手羽や手羽元を一晩煮る。
そうすれば、美味しい肉とスープができるから。

「値段の高い肉」は、大抵美味しい。

でも、旨い肉は必ずしも「値段が高い」と言う訳ではない。

信じるのは、消費者の自由だけどね。

3ヶ月サイクル

インプラント前の説明と同意のために病院に行った。

あごの骨に4本のチタンを埋め込むから、骨の強度の話になった。
それで、先日の健康診断で骨強度は100超えていることを伝えた。

その検診の時、興味深い話を聞いたので、それも披露した。

まず、人間の骨が「硬くなる」ためには、カルシュウムや日光では十分だけではない。

実は「刺激」が必要だ。

走るなり、歩くなり、骨に「刺激」が与えらなければ、硬くならない。

つまり、運動しなければ、骨は硬くならない。
運動して骨が硬くなれば、同時に運動することで、筋肉も付く。

つまり、人間の肉体は、酷使、まで行かなくても、体を使えば健康になるように出来ている、ということ。

で、その「変化」は3ヶ月続ければで出てくる。

そんな話をすると、医者が面白いことを話してくれた。

人の「習慣」は3ヶ月続ける必要があるらしい。
つまり脳も「3ヶ月」続けられば、それが「習慣」と認識するそうな。

人の細胞も3ヶ月程度で入れ替わるらしい。

つまり、コンビニの食品やペットボトルのジュースを止めて、野菜、果物、肉、を油と甘味を少なく調理して3ヶ月食べると、体調は確実に変わる。

同時に、適度な運動を「習慣」にすれば、肉体も変わる。
それは、3ヶ月程度で変化が見えてくるということ。

逆に、忙殺されて不規則な生活も3ヶ月続けると、脳はそれを「普通」と認識し、体はその食生活で、蝕まれるということ。

これは、30代でも80代でも同じこと。

それらを「やる」か「やらない」かを決めるのは、自分自身だ。

そして、いつでも、3ヶ月の最初は「1日目」から始まる。

2014年5月3日土曜日

ほうれん草は生で食べない?

シェアハウスのキッチンに行くと、可憐な食いしん坊さんが居た。
久しぶりに顔を合わせたので、挨拶がてら「何、作っているの?」と材料を覗き込む。

葉っぱが刻んであるから「これ、何」?」と聞くと「小松菜」だという。
あまりの濃い緑に驚いた。

で、食いしん坊が毎日、小松菜をスムージーに使う話から「ほうれん草は使わないんですか?」と聞かれた。

で、「あれは生で食べない方がいいよ」と話をすると「ええっ、どうしてですか?」とびっくりしている。

ほうれん草、生で食べる人も多いらしいが、私は湯がく。
それは、ほうれん草に含まれているシュウ酸(体の中で石になる成分)をへらすため。

それに、何よりそっちの方が旨い。

ほうれん草、畑から取ったばかりのものなら、絶対、生の方がうまいだろう。
でも、スーパーや八百屋で買えるものは、収穫されてから時間も経っているし、かなり成長したものだ。
だから、湯がいたほうがエグミが減る。

ビタミンも減るけど。

まあ、そんな話をすると「知らなかった、今まで生で食べてた。」とぼやく。

別に、命に関わるわけではない。
生で食べる方がいろんなビタミンを無駄にしないから、いいかも知れないし。

ただ、自分は美味しく食べたいだけ。
美味しい採りたての生ほうれん草が手に入れば、シュウ酸なんて気にしない。

絶対、生で食うだろう。
ただ、そんなチャンス、あったとしても、年に数回だ。

食べることを恐れて「しない」ことより「リスクの理解」が重要だ。

可憐な食いしん坊さん、食に対する意識は強い方だけど、まだまだ知らないことが多い。

だから、賭けてもいい。

そんなもんより、よっぽど体に悪いもの、きっと毎日食べているよ。

山菜も土地によって違う

シェアハウスの手伝いで、結構、大掛かりな作業が発生した。

爽やか食いしん坊が、実家に帰るスケジュールを延ばして手伝ってくれた。本当にありがたい。
また、もう一人、以前の住人が別の作業をするために来た。

だから、管理人が地元の弁当屋のランチをみんなにおごってくれた。

弁当を食べていたら、おかずに蕗が使われていた。

これを見て旧住人が「これ、食べたことないです。嫌いですね。」と言う。

ええっ、と驚いて出身地を聞くと愛知県だ。

蕗や蕨、ここでは、春の代表的な山菜だ。
簡単に取りに行けるので、大抵の食卓ではこの時期、メニューに使われている。

春の食べ物として、全国的だと思っていた。

彼曰く「うちの方には無いですねえ」とのこと。

だから聞いてみた。「じゃあ、春の山菜取りって何?」

返ってきたのは「たけのこ」。
「堀りにゆくの、面白いですよ。」というが、ここには竹林なんて存在しない。

山菜は、それぞれの土地で違うけど、春の味覚を味わうことに違いはない。
そして、そのために山に行く。

食いしん坊の叔父が言うには、春の植物は「土の上」に出るものを食べるべきだと主張する。

重力に逆らい、伸び上がるほどのエネルギーを持った部分を食べることで、土地の力を分けてもらう。

秋は逆になる。
冬に向かって貯めるから、そのエネルギーを分けてもらう。

山に山菜を取りに行くのは、土地の力を分けてもらうことだ。

地域が違っても、山菜の種類が違っても、地元の山菜を食べることで、春の味覚を楽しみ、土地のエネルギーを分けてもらう。

食べ物もエネルギーも分け合うことで成り立つ。

人間もそうであればいいけどね。

2014年5月2日金曜日

肉じゃがの思い出

このところ、芋ばかり食べている。

先日、実家でやったジャガイモプロジェクト、芋があまりに旨いんで、全部調理しないで、そのまま持って帰ってきた。

冷蔵庫に入れておけば、まだまだいける。
その時作った肉じゃが、本当に美味しかった。

思い返せば、肉じゃがを生まれて始めて食べた時の記憶がある。

あれは、今はすでに認知症になってしまった叔母の家に行った時だ。
大好きだった大叔母。
理由は、訪問する度に旨いものが食べられたから。

あれはちょうど、料理に興味を持った小学生高学年だったと思う。
その頃から授業で調理実習をするから。

食いしん坊の家では、料理のメニューは14種類程度しかなかった。

だから、肉じゃがという料理の「方法」を見たのもその時が始めてだった。

まず、牛肉とたまねぎを炒める。
そこに出汁を注いでから、その中にじゃがいもを入れた。

この手法に驚愕した。

焼いてから煮るの?
小学生の経験では「焼く」「煮る」は選択肢であって、合体するもんじゃあない。

しかも、アクを取る「行動」や「道具」も始めてみた。
大叔母はその理由も教えてくれた。

それが、驚愕するほど美味しければ、自分の母親の作る料理に疑問を持つのは当然だろう。

ただ、弁解できない食いしん坊の母のために言い訳すると、大叔母は専業主婦、母はフルタイムで働いていた。

だから、母の料理を大叔母のそれと比較するのは不公平だ。

それからだろうか、私が「自分で料理する」ことに興味を持ち始めたのは。

時代は、バブル前夜。
雑誌もたくさん創刊され、職人だけが使う道具も手に入りやすくなった。

時代は移り、情報はWEBで、道具は100円ショップで買えるようになった。
でも、みんな料理しない。

コンビニで売ってるから、同じ金を出すなら、そっちの方が楽だ。

結局、道具の有る無しは「料理をしない」理由にはならないということ。

いつの時代も、必要なのは「好奇心」と「やる気」だ。

粉末オリーブオイルってあるんだ

日本を代表するポテトチップスの会社、最近「期間限定」の製品をたくさん投入している。

健康に悪いとは思っているけれど、どうしてもこの誘惑を断ち切れない。

「わさびマヨネーズ」とか「梅のり塩」とかネーミングからして、いつも食いしん坊の欲望を引っかく。

どっぷりはまったのが「2種類の塩」バージョンだった。
旨いなんてもんじゃあない。

岩塩と天然塩で味付けされたポテトチップス、やっぱり、シンプルがベストだ。

でも、今回誘惑されたのは、なんと「オリーブオイル&ガーリック」。

燦然と輝く「期間限定」のサイン。

もう、駄目だ。

勝手早速食べてみる。
ガーリック風味は確かに強いけど、オリーブオイルの風味もほど良く感じられる。

材料表示を見ると「アニスパウダー、タイム、粉末オリーブオイル」とある。

なるほど。

でも、油は粉末で存在できるのか?
だって、油だよ。あのネバネバ、香辛料みたいに粉末になるの?

と、疑問が沸いたので、WEBで調べた。

そうすると、確かにある。
製品だけでなく、製造技術はあるし、研究もされているらしい。

でも、この調査過程で驚愕したことがある。

なんと、「油脂と食品の専門出版社」があるではないか。
「幸書房」という会社だ。

そのニュースタイトルを見て絶句した。

「最新油脂事情」

素晴らしい。
これ以上、ストレートな表現はない。

検索がヒットしたのは、このニュースセクションの記事のひとつ、「粉末油の工場が出来た」というもの。

こんなニッチの世界で出版業が成り立つなんて驚きだ。

でも、現代人は、油と甘味の取り過ぎなのは間違いない。

にも関わらず、こうやって油まで粉末に出来る技術が開発されれば、企業は手軽に美味しく感じる商品をどんどん出すだろう。

食いしん坊も、欲望に振り回されないように、気をつけようっと。

冷凍おかずを作る

毎回、実家に戻るたび、料理をしこたま作って冷凍しておく。

母のために作るおかずだ。

普通は、実家に帰ると「娘」が母の手料理を持って帰るらしいが、食いしん坊の家では、間違ってもそんなことは起きない。

私が実家から持ち帰るのは、母が料理しない古い食材だ。

今回は、ジャガイモプロジェクトがあったから、ついでにいろいろ作ることになった。

持って帰るより、ここで調理できるなら、その方がずっといい。

古いキャベツは、コースローにした。
まだ、余ったから餃子を作った。

母は喜んだ。
どうも、最近食べたかったらしい。

でも、冷凍餃子がどこで作られて、何が入っているか判らないから、買う気が起きなかったそうな。

日ごろの教育がようやく行動に影響してきたようだ。

だいたい、昔から、彼女の中で餃子は「買うもの」であり「作るもの」ではない。

育ちというのは、恐ろしいもので、私も大手スーパーの「冷凍食品:半額!」をかなり長い間利用していた。

餃子の場合は、ある時、旨さより安さに驚愕して、手作りすることになった。

だって、半額の冷凍餃子でさえ一個10円以上するのに作れば、500円位で100個は作れるんだから。

初期は、皮を購入していた。
でも、手作りの皮なら、市販の皮よりずっと扱い易いことを知った。

それ以来、全部自分で作る。

今回も、小麦粉など材料を手に入れるのが大変だったり、冷凍過程であせったけど、大体50個位作っておいた。

その他に、コロッケ作りのついでに鶏のから揚げも作った。

夕食としてそれを食べた残りを小分け冷凍すると、8食分のおかずができた。

小分け用の入れ物、お正月に全部使ったけど、ここ1ヶ月ほど積まれてタワー状態になっていた。

そして、今回全部また冷凍庫に戻った。

また、2ヶ月もしないうちにタワーになるだろう。

そうしたら、また作ろうっと。

2014年5月1日木曜日

「見ていない」は言い訳にならんよっ!

実家の母の冷蔵庫、毎回見るたびにげんなりする。

保存袋に入った干しかぼちゃ、カビだらけで悲惨な姿をさらしている。

「健康のためなら、死んでもいい」と矛盾が成り立つほどの健康オタクの母。
テレビで放送されている健康番組の熱烈な信者だ。

昨年は、干し野菜の番組を見てからこれにはまった。
加えて、私の食品乾燥機を使わせたら、この機械のとりこになった。

ありとあらゆるものを干しまくった。

干すだけ干すと料理はしない。
嫌いだから。

だから、私が料理する。

でも「食べる」と言ったものについては、彼女の意思を尊重している。

このかぼちゃも「食べる」と確認したものだった。

旬のおいしいかぼちゃだったのに。

怒りが炸裂した。

そうすると母の言い訳。

「見てなかったんだもん。」

そんなはずあるかい。
毎日冷蔵庫開けているのに、見てないなんて言い訳、成り立つ訳が無いでしょうに。

こんにゃくだって、いつからこの冷蔵庫に住んでいるのさ。

「見てない」じゃあない。

「食わない」んだ。

食わないなら、誰かにやるか、冷凍庫にいれろ、とあれほど教えているのに。

そもそも「料理を考えないで、食材を買うな」と何度教えたことか。
でも「嫌なことは忘れる」という得意技を持っているから、まったく学ばない。

食べたいと思ったものを、買ったことで満足し、調理しない。

一人暮らしというのに、シーズンにはかぼちゃを箱で買う。
そりゃあ、腐るだろうに。

昨年も腐らして無駄にした。
今年は、乾かしてから、やっぱり無駄にした。

買うことができる「自分」に酔っても、食べ物への不安は消えない母。

戦後、食べられない不安から、こうなるのかも知れない。

でも、みんなで分け合えば、無い時だって、助け合う関係になるでしょ。
不安が生まれるのは「自分だけ」のことしか考えないからでしょうに。



炊飯器、壊れているじゃあないのっ

シェアハウスの整理を手伝っているが、これが大変だ。
何故なら、壊れた家電がむちゃくちゃ多い。

1台や2台じゃあない。

そもそも、それらが壊れているとはっきり判れば問題ないが、分類管理していないから始末に負えない。

だからこそ、整理の手伝いをしているのだけど。

この間などは、炊飯器に米をセットして予約をしたら、経ってもご飯が出来なかった。

炊飯部分「だけ」が壊れていたからだ。

管理人は「使える」と太鼓判を押したから使ったのに、全く・・・・。

炊飯器だけではない。お湯ポット、ブレンダー、ホットプレートなどがたくさんあるけれど、年に1度も使われていない。

欲しいから買った。
買えるから買った。

そんなところだろう。

個人でも同じだ。

ほとんど使わない調理家電も、テレビのCMやバラィティ番組で「今、売れています」と紹介されると、買ってしまう人が多い。

昨年はドールの「ヨナナスメーカー」が大流行だった。
ノンフライヤーも凄い売れ行きだった。

スムージーメーカ、スープメーカー、いろいろ新しい家電が売り出されるが、本当にみんな使ってどれだけ「作って」いるのだろうか。

こういう家電、安く買えるのはいいけれど、簡単に壊れるものも少なくない。
そして、それらは修理代の方が高いから、ゴミになる。

食べ物でも、調理家電でも同じ。

簡単に買えるものは、簡単に捨てる。
大切にすることを忘れてしまう。

そして、自分のものでなければ、大切に使わない。
他に使う人が居ることを考えもしない。

この消費主義やテメエ主義、いつまで続けられるのだろうか。

世界に消費できる資源は限られているというのに。

シーズン最後の金柑

いつもの八百屋に行くと、金柑が3パック売れ残っていた。

今年最後の金柑だろう。

1キロ近くが300円以下だったから、また買った。

ジャムもいいのだけれど、やっぱりそのまま煮た方が旨い。

これを、何人の友人達に配っただろうか。
みんな「食べる?」と聞くと即答で「食べる」と返事をする。

きっと美味しかったのだろう。

もっとも、食いしん坊の煮る金柑は砂糖を重量20%程度しか入れないから、それほど甘みは強くない。

金柑を煮る目的は、金柑そのものより、いっしょに出来るシロップのためだ。

なにより、喉に優しい。

冬場、コールセンターの仕事をしていたので喉が痛くなることも少なくなかったが、このシロップのおかげで何度助けられたことか。

下手な薬よりよっぽど効く。

煮るのは簡単なんだけど、そこに行くまでがたいへんだ。

まず、傷んでいるものを取り除いて洗って量る。
今回はさすがに5つも腐っていた。

もう、時期はとっくに過ぎている。
大体900グラムちょっと。
砂糖は200グラム使う。

これをひとつづつへたを取って穴を開ける。

この作業をする時は、ほとんど瞑想状態だ。

そうやって作る金柑、また食いしん坊の友人達に分ける予定。
シーズン最後の味を分け合うために。

また、来年美味しい金柑が手にはいるといいなあ。

2014年4月30日水曜日

食べ物を洗うのは別

じゃがいも、皮も食べておいしいのは、本来、土つきで保存したものだ。

取れた場所が信頼できるところなら、多少土を食べることになったとしても安心だ。


そんな「安心」はスーパーのジャガイモには付いてこない。

そんな芋は洗うと土がほとんど落ちる。
一回、洗っているのかどうかは知らない。
でも、土のこびりつき方はぜんぜん違う。

年に数回しか買わないから、この違いには、いつも驚く。

畑のジャガイモの場合、たわしでゴシゴシ洗い落とす。

このたわし、「食べ物専用」だ。
小型で握りやすい小さめのたわし。

これは、台所で「物を洗うやつ」とは別のもの。

気にしない人もいるけど、食いしん坊は気になる。
だって、食べ物は「口」に入るものだから。

これを、台所の「こびりついた汚れ」を落とすための道具といっしょにしたくない。

除菌とかあまり興味ないけれど、料理の時、衛生には気をつける。

エプロンをすることや髪を覆うのは当然。
食器用の洗剤も基本は石鹸だ。

だから、食べ物に付着しても安心だ。

なんたって昔のお母さん達が、とんでもない言葉を吐く息子達に「石鹸で、口洗いなさいっ!」と怒って口を泡だらけにさせても、彼らはピンピンしているんだから。

台所用洗剤でやれば、殺人事件だよ。

食べ物を石鹸で洗う必要はない。
でも、料理をしながら道具を洗う必要がある。

でかいキッチンなんて映画の中だけなんだから、片っ端から洗わないとスペースが足りない。

だから、洗い物は、安全第一だ。

テレビは、商品を売るために「ばい菌」とか「病気」とか、いろいろな「恐怖」を見せる。

でも、添加物や残留洗剤の「恐怖」だけは放送しない。

本物の恐怖は、それを10年使い続けた結果なのにね。

ジャガイモの皮なんて食っちまえばいいじゃん

先日のジャガイモプロジェクトのついでに肉じゃがを作った。

理由は、プロジェクト用の買出しに行ったら、460円の牛丼用の肉が半額になっていたからだ。

基本的に牛肉はあまり食べない。
だって、一番製造効率の悪いタンパク質だから。

大手企業のハンバーガー用の肉を作るために大量の牛を育てる。
そのために、飼料の値段が上がって穀物が買えず、飢える「人間」が居る。

それだけではない。

企業は死んだ牛も餌にして商品(牛)に食わせるから、狂牛病が発生した。
今は、さすがに発生しないけど、共食いは牛でも、人間(カニバリズム)でも、ろくな結果にならない。

話がそれた。

で、肉じゃがだけは牛肉と決めている。
だって、絶対的にうまい。

カレーもそうだ。カレーの場合は、スジしか使わないけど、牛肉ではある。
作る頻度は、母がねだる頻度だ。

「作ってぇ」なんて甘える女性じゃあない。
「ボンカレー、安売りになってるっ」とわざわざ、私に向かって言う。

脅迫以外何ものでもない。

で、話がまた逸れた。

肉じゃがの話だ。

皮をむかずに作った肉じゃが、食いしん坊の母の友人夫婦にもおすそ分けした。
皮をむかずに調理することに、かなり驚いたようだ。

母が老人会の時に、彼らが「他の老人に話していた」と教えてくれた。

だって、洗えばいいでしょうに。

しかも、土なんて食べたことろで死にゃあしない。

ゴミも出ないし、何よりずっと旨いものができる。

健康にいいとか、薬膳とか、いろいろ「皮ごと食べる」効用が宣伝されているけど、そんなこと関係ない。

旨いことが一番重要でしょうに。

洗って、刻んで、鍋に入れるだけなのに

料理を面倒と思う人が多いが、そういう人に限って、食べる物を気にしないのに、病気や健康を気にする。

食いしん坊の母がそういう人だ。

昔からそうだった。

夕食は、冷蔵庫を覗いてその日、目についたもので作る。

焼肉の時は「野菜は肉の5倍食べろ」と言って、トンでもない野菜炒めを作った。

今は、冷凍庫を覗いて、私の作ったストックの中で、食べたいおかずを選んでいる。

だから、「朝のうちに決めて、冷蔵庫で解凍すれば、おいしく暖められるのに」と教えても学ばない。

こんな調子だから、料理は気が向いた時しかしない。
それも「今、食べたい」から作る。

だから、煮物は味を「濃く」することで「美味い」とする。

しかも、大手企業が作る「料亭の味:濃縮出汁醤油」みたいなものを使う。

砂糖の200倍の甘さのコーンシロップを使った商品、旨く感じるのは「甘さ」と「グルタミン酸」だ。

そりゃあ、おいしく感じるだろう。

煮物なんて、鍋に入れて放っておくだけでできる。

特に外鍋が保温器になっている鍋なら、昼食時についでに仕込んでおけば、夕食の準備などしなくてもいい。

要は、計画性の問題だ。

健康オタクの母は、食べ物は「ビタミン」などの栄養と考えている。
悪いけど、大間違いだ。

食べることは「生きる」ことそのもの。

何を食べるかを「選ぶ」のは、自分自身だ。

酒、ペットボトルのジュース、コンビニの弁当、栄養ドリンク。
それらの食べ物で体は作られている。

テレビのCMに踊らされて「新商品」や「健康食品」を買うのはいいけど、賭けてもいい。

それ、食って、絶対健康になんてならないからね。

みんな、どうしちゃったの?

百貨店のイベントで、招待した会社に断られたのに、その名前で「偽装パン」を売ったイベント会社の話、ちょっと考えた。

断ったパン屋だって、イベント前日に断った訳じゃあない。

つまり、大分前には「そのパンが調達できない」こと、営業マンは判っていたはず。
だって、偽装商品準備しているんだから。

前もって判っているのに、なぜ「変更する」という対応をしないのだろうか。

岐阜のJTB社員も同じだ。

自分の力が足りず、バスが手配できなかった。
だから、学校にオーダー自体をキャンセルさせようと画策した。
それは、生徒名で自殺予告の手紙を書いて学校に届けること。

そんなの、調べたらすぐ判る。
だから、行事は計画通り実施。
もちろん、待てど暮らせど、バスはこない。

しかしこれ、11台のバスだよ。
JTBの売上金額だって、100万以上でしょう。
1台じゃあないんだから。

学校のオーダーだから予約だってかなり前に入っているはずだ。

で、このJTB営業マン、「手配できない現実」を認識したのが、前日かい?。

彼にも上司は居ただろう。
彼らは、商品準備の状況、チェックしないのか?

してたら、どこかで「無理」と決断するべきだろう。
それも、学校が行事日程の変更対応できる時期に。

彼らもまた、訪問先との調整がいるんだから。

11台ものバス配車確認、ひとりに任せるのでは、高い給料払って、管理職を置く意味が無いだろうに。

料理する時もそうだけど、まず、段取りが重要だ。
でも、途中で計画なんて変更する。

たとえば、食いしん坊は大根があると、その日の調達材料で「豚の大根煮」「ブリの大根煮」のどちらにするか決める。

これは、調達する材料の値引き程度に拠る。
作る料理の量も、調達できた材料の量に左右される。

私の料理にバックアップしてくれる上司はいないけど、計画修正は「当たり前」の現実だ。

嘘ついて「なんとかなる」なんて仕事は存在しない。

みんな、いったい何を考えて「仕事」をしているのか、さっぱり理解できない。

結果出さなくて、社員として首にもならず、給与貰えるのは日本だけだよ、ほんと。

2014年4月29日火曜日

さしみ、一さく600円のおかず!

実家に戻った夜のこと。

バス到着時間が遅かったので、母は夕食を一人で食べ、私のためにスーパーで「出来合い」のものを「半額」で買ってきた。

遅い時間にスーパーなど行かないから、半額になっている量や、それを買い込む人を見て驚いたようだ。

ナッツしか食べてないから、母の気遣い、大歓迎だ。

買っておいてくれたのは、海鮮巻きという、数種類の刺身を巻き込んだ寿司。

それと、マグロの刺身一さく。

値段を見ると600円を超えている。

母曰く「美味しそうだったから」。
値引きもされていない。

これ、この夜遅くに、食べろというのか?

魚の切れっ端、一切れに600円なんて払ったことがない。
でも、美味しそうだし、明日まで待つと味が落ちるから全部食べた。

さすがに旨い。
5分で皿から消えた。

「一切れいくらかなあ」と考える暇もなかった。

刺身はあまり食べない。

アラを料理することはよくあるけれど、刺身どころか、寿司だってほとんど食べなくなった。

昔は、夜遅く半額コーナーのお寿司を買うこともあったが、毎回不味い思いをした挙句、学習した。

今は、貧乏だからそもそも店に行かないし、6時には夕食を食べる。

外に出て金を払う料理は、食いしん坊仲間の誘いだけ。

それなら、金を払う価値のあるものが食える。

回転寿司がどれほど旨いと言われても行く気がしない。

以前、びっくりドンキーが「旨い」と言った友人が居たが、すぐに関係が切れた。

「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉があるが、私にとってそれはない。

「味覚の違いは縁の切れ目」
これなら、確実にある。

カップめんが好きという人とは、とても仲良くなれそうもないもん。

食べ物は「ゴミ」なのか?

日本には、どこにでも食べ物が溢れている。

宴会にゆけば、最後はテーブルに余った食べ物が並んでいる。

それらはゴミになる運命だ。

ファーストフードに入れば、1分でハンバーガーが食べられる。
残して捨てても、金は払っているのだから問題ない。

みんな、お金を出せば食べられることが当然だと思っている。

でも、その食べ物、誰かが作っていることを意識しているだろうか。
その原料を作る(育てる)ために、他の国の人間が餓える現実を考えたことがあるのだろうか。

食べ物を捨てることは、作ってくれた人達に対して傲慢で、失礼な行為だ。

そして、「金を払ったら、俺の自由だ」という考え方もまた持てる者の傲慢以外、なにものでもない。

飽食はキリスト教における7つの大罪のひとつ。
そして、食べ物を捨てる行為は、飽食と一体となす「裏側」の大罪だ。

大企業は、もっと買ってもらうために、食べ物を甘くして、油を多く使って、美味しく感じさせる。

もっと安くすれば、もっと売れる。

そうやって、消費者の欲望をあおる。

安ければ、簡単に手に入る。

そうなれば大切にしない。

簡単に買えるものは、簡単に捨てる。

こんな社会じゃあ、「食べる物を大切にする」ことすら学べない。
だって、また買えばいいのだから。

そして、日本では「食べ物」が「ゴミ」になる。

世界のどこかで、食べられなくて死んでゆく子供がいることなんて、誰も考えない。

「自分の金で、食べたいものを買うことに、何が問題なのか?」という人がいるだろう。

その「考え方そのもの」が問題なのだ。

ごみと食べ物

ハウスの管理人が、一番頭を抱えている問題が「ゴミ」だ。

分別しない住人が出すごみ処理料金が膨れ上がってしまったのだ。

これを改善するためには、2つのことが必要だ。

環境整備とルールの徹底。

今までも、分別環境は提供はされていたのだけど、判り難いものだった。

しかし、分別環境を整えても住人がすぐに分別してくれる訳ではない。
だから、彼が毎日掃除をすると同時に、ゴミ箱に見つけた「誰かのゴミ」を「分別をしている姿」を住人に見せるようにした。

同時に、街のごみ分別ルールを機会あるごとに住人に教えることにした。

新しい住人は素晴らしかった。
一度教えるとちゃんとルールどおりにしてくれる。

問題は、昔から住む人達だ。

環境意識が高い人は数えるほどしかいない。

自分の事しか考えない「テメエ主義」が蔓延している現代に「ばれなきゃいいさ」の考えで生活する人が多い。

そんな住人に「掃除をする人、食べ物を作る人、食べられない人」の気持ちを考えさせるにはどうしたらいいのか。

これが大きな課題だった。

で、結論は、2つしかない。

自分で行動し、気がついたら、彼らに伝えるしかない。

コミュニティのルールを守ってくれる住人が大多数になれば、「テメエ主義」の住人達の行動も変わる。

食べ物もそうだ。

生ごみを分けることが普通になれば、いずれはそれを肥料にできる。
それを使って菜園だってできるだろう。

それも、住人の意識次第だ。

ごみ問題は、食べ物への意識、ひいては、健康への意識、地域市民としての意識に繋がってゆく。

ルールを守らせるより重要なのは、消費者の社会性を養うことなのだから。

ここまで来ると偽装も末期だわぁ

「人気店のパンと偽り販売、百貨店イベントで」という記事を読んで驚愕した。

知っているパン屋じゃあないか。
もちろん「被害者」としてだけど、これって「加害者」は罪にならないんだろうか。

簡単な話だ。

百貨店が「はこだてパンマルシェ」を企画するも、招待した会社が2社断った。

大体、地元のパン屋、そんな遠いところで販売しなくても、十分売れている。
そもそも、地域の人に売れれば商売として成り立つし、そんなイベント、手間でしかない。

でも、企画した人はそうは考えなかった。

たぶん、消費者にバレないとでも思ったのだろうか。
彼らの名前を使って「偽装パン」を売ったらしい。

百貨店が気がついた時は、すでに100個以上、売られた後。

営業曰く、「チラシが出ていたので、駄目だった、とは言い出せなかった」らしい。

しかも、これ、百貨店は企画を下請けに丸投げしている。
つまり、百貨店は「偽装パン」の販売は「発覚」したとのことで、知らなかったと主張している訳。

本当かどうかは、知らないけど。

お詫びのメッセージにはお決まりのように「再発防止のための体制強化に取り組みます」とのこと。

だって、下請けに企画、丸投げして判子しか押さないんだから、どんな体制とっても同じでしょうに。

この下請け会社のお詫びの文がすごい。

実際は「異なる店舗の商品を販売してしまいました」だって。

「しまいました」って、確信犯なのに、これはないでしょう。

「異なる店舗の「商品として」「販売しました」」が正しい日本語。
誰も指摘なんてしないけど。

こんな大騒ぎしても「正社員」なら首にされないし、お詫びの文を書いて、お金を返せば、責任取らなくてもいいのが日本。

「たった、100人程度じゃない」という企業のエゴが透けて見える。
これ、被害者は「購入者」じゃあない。

パン屋だ。

食いしん坊がパン屋なら、怒り心頭だ。

たぶん、パン屋が訴えなければ、裁判にもならないだろうけど、こんな馬鹿げた話、付き合う方が阿保だ。

だって、彼らにはそもそも卸していないんだから。

でも、これで、今後は地元以外では食べられないだろう。

それでいいと思う。
美味しいものは、たくさん作るなんて無理な話なんだから。

客寄せパンダじゃああるまいし、ブランド名を利用して企画成功させようなんていやらしい。

「人のふんどしで相撲とる」という諺がある。
この企画、ふんどし無しで、相撲とったことになる。

土俵に上がる段階で、勝負なんて無理なのは判りそうなものなのに。

そもそも、こんな美味しいイベントを企画するなら、自分で店を発掘すればいい。

まだまだ、地元には小さいけど、真面目な製造者はたくさんいるんだから。







2014年4月28日月曜日

じゃがいもプロジェクト、再び

とうとうまたやってきた。

冬の間に食べ切れなかったジャガイモを料理する時期だ。
すでに、芽がかなり出ている。

そういえば、このブログ、このプロジェクトのメモ書きのために始めたものだった。

何故かまったく違った方向に進んでいる。
違わないのは食べ物と「格闘」していることだけだ。

直径40センチのボールに二つ。
2種類のジャガイモだ。

これをサラダ、スープ、コロッケ、に変える。

昨年の量の半分以下だ。
昨年はこの4倍はあった。
それを2週に分けてやってようやく全部調理したのだから、今年は楽勝・・・・のはずだ。

美味しくできるのは、判っているから、後は手をひたすら動かすだけ。
で、いつも悩むのは、コロッケの中に入れる具材。

そういえば、昨年、旨かったものにシャケがあった。
定番のひき肉もおいしい。
冷凍している材料も溶かして使い切る。

とうもろこしや枝豆も解凍しておく。

昨年、いろいろ実験して分ったことは、水分の多い材料は「絶対に入れてはいけない」ということ。

冷凍前提だから、水気が無い方が美味しかった。

ポテトスープの方は、骨から出汁を取ったチキンスープのストックを溶かすから大丈夫だ。

こっちの味は、あまり選択肢がないけど、春玉ねぎを使えば、かなり甘くなりそうだ。

ポテトサラダは、いつも作っているから、大丈夫。
マヨネーズも今回は面倒だから買ってこようか、それとも作ろうか。

さあ、大体買い物リストも決まったから、そろそろ、買出しに行こうっと。

チーズクリームとゆずジャム

地元企業が作るチーズクリーム、麻薬的に旨い。

これ、クリームチーズじゃあない。
だって、原料は本物のカマンベールとバターだから。

本当に「チーズクリーム」なのだ。

自家製パンの上に、これと、絶品のゆずジャムを乗せる。

程よい甘さ、酸味、そして苦味に酔う。
これがベーグルだともっと美味しい。
弾力、風味、舌触り、すべてが魅惑的なのだから。

ある友人は、酸味が苦手だ。
柑橘系はレモン以外受け付けない。
一番嫌いなのは、グレープフルーツだそうな。

だから、ゆずなど論外だ。

で、このコンビネーションを横で話を聞いていた「友人の友人」が目を輝かして「是非、食って見たい。」と言う。

だから、味見させた。

で、彼女が聞いたのは「このチーズクリーム、どこで買った?」だった。

ジャムも美味しいけど、このチーズクリーム、一味違う。
ただ、問題が一点。味が変わりやすい。

つまり、早く食べないとだめだ。

取り扱う店は少ないわ、味が変わりやすいわ、少ないのに400円以上するわ、という売れる要素がほとんどないこの商品。

ここ何ヶ月か「自分のご褒美」に買うことがある。

それもこれも、美味しいゆずジャムがまだあるから。

フィラディルフィアのクリームチーズには、ずいぶん投資した。

量的に言うとクリームチーズの方がずっと安いし、味もすぐになんて変わらない。

でも、入っている添加物を見ると買う気が失せる。

入れなきゃ作れないのは知っている。
だって、地球の半分渡ってくるんだから。

でも、企業もそろそろ、そういう添加物を使わないで作る方法を考えて欲しいもんだ。

おからのグルノーラバー もう少しだったのに

グルノーラを手作りした。
思ったよりずいぶん簡単に出来た。

だから、これからエナジーバーが作れないか調べて見た。

これが簡単じゃあなかった。

グルノーラとをひとつにまとめる材料として一般的なのが溶けたマシュマロだ。

でも、これだけは論外だ。
甘さが旨さを殺すし、シュガーハイにはなりたくない。

前回やって失敗したつなぎ素材は「バナナ」だった。
で、やはりスタンダードな「小麦粉と卵」というのが無難なようだ。

マシュマロだって、元は卵白なんだからくっつくける材料であることは間違いない。

しかし、今回はどうも小麦粉が足りなかったようだ。
食べられない代物ではない。

でも、固まり感は思っていたのと大分違う。

ただ、味はむちゃくちゃ旨い。
やっぱり、おからが美味しいからだろう。

グルノーラだって使った甘みはメープルシロップだ。
素材がすべて口の中で交じり合う。
ほんのり甘いクッキーとも呼べないような塊だが、まずくなりようがない。

思い切って、ビスコッティ程度まで小麦粉を混ぜれば固まりそうだが、入れ歯で食べるには厳しい硬さになるだろう。

そう考えると、小麦粉の量を増やすのは微妙だ。

ケーキ類の硬さは、混ぜ方と水分を変えれば何とかなる場合が多いのだから、今度は成功するだろう。

思ったように出来ないのは不満だが、味がよければ食いしん坊的にはオッケーだ。

今度は卵白と卵黄を分けて混ぜてみようっと。

2014年4月27日日曜日

タルトの中にあるカスタードクリーム

先日の話。

食いしん坊の友人が買っておいてくれたロールケーキ、生クリームの旨さもさることながら、スポンジがむちゃくちゃ旨かった。

たぶん、粉の旨さだ。

だって、甘さより生クリームの濃厚さが感じるほど、甘みは控えているのだから。

かつて、うどんを食べた時にもそう思った。

シンプルなものほど、素材が旨いとそれが引き立つ。

そして、タルトを半分に分け合ったけど、これを食べてつくづく「酸味と甘みはベストパートナーだ」と思った。

このタルト、固めのタルトの中に緩めのカスタードが詰まっている。
その上に、メレンゲが乗っている。

そこに、セロファンみたいに薄いチョコレートが刺さっていた。

このボディとなるカスタード、かなり緩めだったが、絶対、清美オレンジの果汁が入っている。

甘みと酸味が同じくらい強い。
外のタルトクラストに使われている小麦粉もうまい。

これまた、極上バターと美味しい小麦粉という最強のコンビネーションなのだから、当然だろう。

口に入れると、メレンゲのふわふわ、カスタードのとろり、かりっという食感の違いに加え、酸味と甘みが広がる。

チョコレートの苦味も添える気持ちがあったと思うけど、突き刺さっていたチョコをそのまま口に入れる勇気が無かった。

こういう味や食感のハーモニーは、オーケストラを聴くことに似ている。
組み合わせの「妙」だ。

これこそ、職人の才能から生まれる「創造性」だろう。

だから、それをコピーすることは窃盗と同じだと思う。

もっとも、どの業界だって、本物の職人ならプライドが許さないから、そんなことしないけどね。

玉ねぎ、1個60円、3個ネット入り189円。

実家から近いスーパー、2店舗ある。

ひとつは、いつも行く地元のスーパー、もうひとつは共同購入で有名なスーパー。

カードは使えないし、値段は高い。
買い物袋も無料じゃあない。

だから、ほとんどここでは買わない。
でも、このスーパーの中には、お気に入りのケーキ屋が併設されている。

ある日、酢豚を作ろうと思ったら、玉ねぎを使い切ったことに気が付いた。
玉ねぎだけが必要だ。

で、ケーキも食べたくなったから、この共同購入スーパーに行った。

玉ねぎは必要だったけど、本当の目的は、ケーキだ。

で、この玉ねぎ、店の入り口で見たのは3個で189円だった。

入り口は「地元野菜」というコーナーだったので、もっと安いのを探すことにした。

奥の方に入るとバラ売りもしていた。一つ60円なり。
一個のバラ売りの中にある玉ねぎの玉、結構大きい。

で、傍に入り口にあったMサイズ3つ入りの玉ねぎと同じものも横にあった。

始めは、3つ纏めたものを買おうと思ったけど、はたと気が付いた。

一個60円って、3つで、180円だから、まとめ買いの方が高いじゃない?

だったら、バラで買おう。
3個も要らないし。

だから、2つ買った。120円なり。
どちらもしっかりLサイズだ。

しかし、変な話だ。
バラ売りの方が安いのに3つまとめて買う人は必ずいるはずだ。

多く買う方が「値段が高い」という価格のつけ方に「疑問を持たない」って、商売っけが無いんだろうか?

食いしん坊、安いもの「だから」買うということはしない。
でも、価格の比較はする。

で、こんな矛盾を知ると、店の商品全部の値段も疑問視してしまう。

ま、ここで買う人は「共同購入で安心」ということで買うのだろうけど、こういう仕事してるんじゃあ、そんなもん、幻想でしかないわぁ。

強力粉の値段、約2倍だ・・・

食いしん坊の母はほとんど料理をしない。
元々、料理好きではない。

だから、実家には自分が常備しているはずのものはほとんどない。

たとえば、強力粉。

パンメーカーで自家製する食いしん坊には、塩や砂糖や醤油と同じ位、常備している。

で、今回、ぎょうざを作ることになった時、粉がない。
強力粉どころか、薄力粉があるかどうかも怪しい。

あったところで、賭けてもいい。
賞味期限を3年は切れているはずだ。

で、必要なので買いに行ったら驚いた。

大手製粉会社の強力粉、189円、国産は326円。
ほぼ倍の値段だ。

大手の小麦粉、アメリカ産で国内に持ち込まれてくる時に、大抵微量の殺虫剤を混ぜている。

当然だ。
長時間かけて、太平洋からわたってくる商品、虫が沸いたら売り物にならない。

でも、価格は安い。

そういうことを知らなかった時、食いしん坊の中で薄力粉は、それらがセールになっている時の値段が「基準」だった。

でも、材料がスーパーに並ぶまでの事実を知ってしまった。

加えて、国内小麦粉の旨さを知った。
こっちの影響力は絶大だ。

そうすると、もう購入判断は「価格」ということにはならない。

それでも倍の値段にはかなり悩んだ。

この値段には、農家の団体企業で判子だけ押して「仕事している」ふりをする「正社員」の人件費、世界一高い電気代、その電気産業を守るための大企業の利権を守る人達の給料、すべてが含まれている。

これらを知った上で、国内産を買う。

何故なら、旨いから。

結局、人の意思決定なんて、欲望にコントロールされているんだよねえ。

2014年4月26日土曜日

仲間と食べるから、余計に美味しい

食いしん坊の友人から電話があって「うまいロールケーキ、買ったから食べない?」という誘いがあった。

ちょうどランチ前だったので「おかずあるけど、ご飯あるか?」と聞くと「ある」との返事。

「じゃあ、遅めのランチだけど1時間位したらおかず持ってゆくわ。」と約束した。

前の日、スーパーで3回値下げされていたスペアリブで煮た大根とカブ、作り置きのきのこのマリネ、そしてシーズン最後の金柑を持って彼女の家に行く。

彼女は、父親が作った味噌で作った味噌汁と冷凍のご飯を準備していた。

持っていたおかず、感動してくれた。
大したものじゃあないけど、たしかにどちらも味が染みてめちゃくちゃ、うまくなっていた。

スペアリブの煮物、少し余ったので「これ、娘の夕食用に貰っていい?」という。

もちろん残すよ。
だって、大して余っているわけじゃあないしね。

マリネも半分タッパに分けて半分は持って帰ってきた。

食後、彼女が美味しいコーヒーを入れてくれた。
ロールケーキを一個ずつ、そして、お値段高そうなタルトがあった。

「割り勘」ってことはしないけど、お互いあまり気にしない。
値段も聞かないし。

ただ、彼女が夕食を作る時は、私がデザートを買うこともある。

お互い、あまり損得を考えない。
だって、お互いの料理には、お金だけではなく手間が掛かっていることを知っているから。

それは、金額では計れない。
だからこそ、美味しいものが料理しないで食べられることに感謝する。

そして、一緒に時間を過ごせること、食べられることに感謝する。

お互い、一人で食べるより、ずっと楽しく、美味しくなること、知っているからね。

シーチキンの缶詰、大活躍

春玉ねぎは本当においしい。

やわらかいし、辛味が少ないし、サラダにしてばりばりいける。

簡単なレシピに、春玉ねぎのシーチキンサラダがある。
玉ねぎを薄切りにして、水にさらす。
絞って、シーチキンを一缶入れて、ポン酢をかけまわす。

出来上がり。

先日の残り物で食べた夕食会、この玉ねぎサラダの他に、シーチキンで炊き込みご飯も作った。

先日、えのきだけが一袋50円だったから、いくつか買って自家製のえのきの醤油煮(なめたけ)を作っておいた。

これも、洗って刻んで醤油、みりんを掛け回して火にかける。
水など足さなくてもねばねばの醤油煮ができる。

これと、シーチキンと混ぜ合わせてご飯と炊いた。
塩を少し足したほうがおいしいけど、これも好みだ。

管理人の奥さんは、夕食で初めて食べたので「シーチキンの缶詰って、こんなに使えるなんて知らなかった」と驚いている。

缶詰、あまり買わないけど、便利だ。
旬の生の、魚のアラでも手に入れて、加工冷凍するのが一番だとは思うけど、缶詰を利用して食材をおいしく食べられるなら、それに越したことはない。

缶詰が「まずい」という人がいるけど、そのまま食べれば、そうかもしれない。
でも、食材として使えば、おいしい料理にしてくれることが多い。

どんな食材も使い方次第。

結局、料理は「創造性」が必要ってことなんだろうな、きっと。

トマト使用量の年間計画

先日、管理人とその奥さんといっしょに残り物で夕食をした。

次の日に実家に帰るから、残りものを平らげることができて助かった。

その時に、食べたトマトの野菜煮、煮込み2日目でとても味がしみて美味しかった。

ジャガイモは、昨年、農家からもらった最後の残りもんだ。
芽を大分削ったけど、やっぱり美味しい。

奥さんが食べながら「これ、本当においしいですねえ」と口にするから、自家製トマトで作ったトマトソースであると教える。

食いしん坊は、大体、9月、10月に作物で作った冷凍食品を6、7月までに食べ切る。

そして、冷凍庫の電源を落として掃除をする。

また収穫できる9月、10月になったら、どんどん作って冷凍する。
だから、食材調達は1年計画だ。

トマトソースは、大体5月頃に在庫が無くなる。
だから、その後はしばらく缶詰を使う。

そんな説明をすると、彼女は「そうすると、私達、食いしん坊さんが作った在庫、減らしてますねえ。」と恐縮する。

だから、答えた。

「どうせ、食べるんだから、そんなことはないさ。」と。

最近、彼らといっしょに食事をすることが多い。
だから、彼女はそんなことを考えたんだろう。

感謝と恐縮を知る、なんてかわいい女性だろう。

彼らと食べるときは、大抵料理する。
私が作る料理には、うちで秋に作った冷凍食品や乾物をよく使う。

彼らも食いしん坊夫婦だから、味の違いが判って感動している。
だからこそ、料理するかいがある。
食材を使うかいがある。

食べ物は、食べるためにある。
美味しく食べてこそ、価値がある。

金額で測れるもんじゃあない。

彼らにそこを理解させるためには、まだまだ時間が掛かりそうだ。

金柑シロップの味と効果

先月までコールセンターで仕事をしていた。
冬場、インフルエンザや風邪が猛威を振るっていたが、喉が少し痛くなる程度で全く健康だった。

まともな食い物はまともな体を作る。

だから、欠勤もする必要が無かったけど、話す仕事、さすがに喉が痛くなることが多かった。

冬場の乾燥も影響があっただろう。
そんな時、金柑シロップの効果は絶大だった。

正月に煮て、その旨さに感動した。
ただ、「正月」ということで値段も高かった。

だから、八百屋で安い金柑を発見した時、即買いした。
その後も、激安金柑は売り場に居続けたので、結局、4回も煮ることになった。

で、このシロップ、効果が凄いので、ある時、たくさん作ろうと思って少し水を多く入れてみた。

大失敗だった。

味が薄くなって、あまり美味しくなかった。

食べ物の効用は重要だけど、それより遥かに重要なことがある。

「美味しい」ことだ。

美味しいものを食べるために、手間も金も掛けるのだ。
「美味しくない食べ物」を作るのは、生産者に失礼だ。

たとえば、下ごしらえをしない、調味料を入れすぎるなど、美味しくない理由は、食材や料理、それぞれに違う。

失敗も時にはするだろう。

でも、重要なのは「努力する」こと。

最初から、上手に出来る人なんていないのだから。
そして、甘さと油に頼らないこと。

旨い素材は、どう料理しても美味しいんだから。

大は小を兼ねない

冷凍ストック食品として、餃子を作っている時のこと。

冷凍庫のスペースは確保している。
大きなステンレスのトレイひとつ分は軽く入るスペースだ。

この大きなトレイに餃子を並べてゆくと一気に冷凍できる。

ある程度数を作ったから、もっとスペースが必要になった。

それで、最初に作ったものを動かそうとしたら・・・動かない。

トレイから離れない。
餃子の餡の水分が出て、くっついた。

「うわっ、やばっ」と思って慎重に剥がす。
なんとか、穴も開かずに持ち上げることができた。

あわてて、小さなステンレスのトレイに小麦粉を振ってから置き直した。
今度は、少しだけで一杯になるから、出来た傍から冷凍した。

大は小を兼ねない。

心から、そう思った。

まな板もそうだ。

たくさん野菜を刻まなきゃならない時は大きいものが便利だけど、そんなやつで肉なんか切った時には洗うのが大変だ。

キッチンが広いと大きな道具を使うこともできる。
しかし、何でも大きい道具が便利かというと、必ずしもそうじゃない。

これは、「たくさん食べ物を買って残して捨てる」という考えにも通じるような気がする。

大きい方が便利なような気がする。
たくさんあると得なような気がする。

でも、どんなものも「適正」のサイズや量がある。
でも、それを知るには経験が必要だ。

そして、毎回経験するたびに考える必要がある。
考えなければ、同じ失敗を何度も繰り返す。

商品を選ぶ時、買った後のことをイメージしないと、無駄なものが家中にあふれるばかりだ。

物を買っても、幸せは付いてこない。

2014年4月25日金曜日

食いすぎたら・・・・

※食事中の人は読まないで下さい。

ある夜、リトル食いしん坊のお母さんといっしょに食事をした。
もちろん、彼女に先に食べさせてから、の話だ。

離乳食の味を覚えたリトル食いしん坊、食べることと寝る事だけが興味の対象だ。

みんなで食べると、食欲が増すのか、食べる量も多い。

離乳食の後は、母親が提供する極上の母乳も要求する。

その夜は、ずいぶん食べし、飲んだ。

おなかが外から判るほど丸くなっているから「食べすぎてないのか?」と母親に聞くと「最近、良く食べるのよぉ」なんて話してる。

食後、ご機嫌なまま父親に抱かれていたら、いきなり口から白いものが出てきた。

ミルクとおかゆだ。

2度目を吐き出す。
ものすごい大量だ。

食いしん坊は驚愕し、パニくった。

救急車呼ばなきゃならないのか?

でも、リトル食いしん坊、目は涙目になっているけど、泣きもしない。

口の周りを白くしてにっこり笑う。

ほとんどホラー映画だ。

小さな子供が周りにいないから、これを見て、むちゃくちゃ驚いた。

でも、母親曰く、結構あることらしい。
まだ、胃が食事の量をコントロールできないから、吐き出して調整するとのこと。

確かに、その後も泣かずに笑っているから、気分は良くなったのだろう。

自分だって、酒を飲みすぎて吐いたら、気分は良くなる。
食い過ぎも似たようなものだろう。

たしかに、私も昔よく腹痛になった。
単純に食い過ぎだったことが原因だけど、食べたい欲望をコントロールするのは難しい。

彼女もこれからの人生、このコントロールに苦労するだろう。

人間の3大欲望のひとつである食欲。

コントロールしなければ肥満や糖尿病になるのは、現代人が今、まさに経験している。

大人がそれをできなければ、子供は決して学ばない。

私も、気をつけようっと。

赤福の味、外国人には分らない?

赤福という会社、30年間食べ物の消費期限を改ざんていたのがバレて、社長が表舞台から引っ込んだ。

でも、別の会社の社長として君臨し続け、老舗の赤福の株を9割も保有する立場に留まっていた。

だから、権力を失ったわけではない。
もちろん、70歳もとっくに超えているけど「引退」の2文字があるとは思えない。

ここの商品も極甘だけど、権力の味はもっと「甘い」からねえ。

この権力が影響するのは、社内の中だけではなく、地域社会でも同じことだ。

だから、この社長さん、あるフォーラムで自分の作り上げた商店街には「外国人が来てほしくない。」と言ったそうな。

実際、英語表記も「不要だ」だと発言している。

何でも記録され、世界中から見られるインターネット時代に、この勇気は恐れ入る。

これが、昨年11月の話。

そして、その5ヶ月後に、自分のバレた偽装問題の尻拭いをさせた息子を社長から解任。

もちろん、表舞台に名前が出ないように注意している。

この会社、今後、どんな商品を作ってゆくのか、興味深い。

でも、個人的に驚いたのは、伊勢神宮という「世界遺産」の候補にもなるような土地柄において「日本人」にこだわる思想がまかり通ることだ。

これ自体は理解できるが、日本の子供は減少する一方だ。

伊勢参りをする日本人自体が減少している。

老人だけお参りすればいいのかも知れないが、10年後はみんな死んでいるか、ベットの上だろう。

外国人の方が日本の文化について理解し、感動するような現代、彼らに老舗の味を「理解して貰いたい」という気持ちが沸かないのだろうか。

老舗のプライドは一流だけど、それだけで売れる時代はとっくに終っていると思うけどねえ。

2014年4月24日木曜日

3割引のおにぎりより100円のナッツ

今いる街から実家に戻るために、よくバスを使う。
夕方出発して大体夜着くのだが、ちょうど夕飯時刻になることが多い。

今日も、そんな時間のバスを予約した。

大抵、自家製のパワーバーと、サワードリンクを持ち歩いているけど、今回は食べ物がなかった。

さすがにおなかがすくかも知れないと思って、売店を覗くと、おにぎりやサンドイッチが「タイムサービス、3割引」なんてなっている。

値引きに釣られて中に入る。
パンはイーストフードが入っていて、食いしん坊に頭痛を与えるから食べない。

だから、いろいろあるおにぎりを見た。

チャーハン、チキン照り焼き、シーチキン、まあ、いろいろ並んでいる。

そのうちの1個を手にして裏の表示を読んだら、買う気が一気にうせた。

何で、おにぎり作るのに材料表示が6行、8行にも連なるのだ?
何で、おにぎりに増粘多糖類が必要なのだ?

食べたい人は食べればいい。

食いしん坊には無理。

これ、食べる位なら空腹でいいと思って陳列棚を見ると、ナッツがあった。

アーモンドとカシューナッツ。

ほんの少しだけど100円。
酒のおつまみだ。

材料を読めば、せいぜい気になるのは、調味料のアミノ酸程度か。

これを買って胃をなだめる。

そうだ、今度は、ナッツやドライフルーツを小さなケースに入れて持ち歩けばいい。

空腹なんてこの程度で収まる。

コンビニの食べ物をいつも「食べる」人の気持ちは判らない。

でも、金さえ出せば食べ物が手に入る現代の日本だ。

しかも安い。

だから買うのだろう。

その程度は想像できる。

でも、何故、安いかも考えずに食べ続けた先に、どんな健康人生がまっているんだろうねえ。

赤福という「ブランド」

赤福、という有名な伊勢名物がある。

一度食べたことがあるが、甘くて不味くて「名物にうまいもんは無いなあ」と思った。

その後、消費期限を偽装して販売していたという、農林水産省の調査が発表された。

なんと、その期間、30年。

私が食べたものも、作られてからかなり経った赤福だったことは間違いない。

食えなくはないだろうけど、不味いはずだ。

もちろん、当時の会長はその偽装期間の社長でもある。
会長職を引責辞任して、その息子を社長に立てて、すべての後始末を押し付けた。

それが、2007年の話。

息子は、その後必死に頭を下げまくり、昔の「家業」を「企業」にしようと努力した。

社外は元より、社内の「変えない社員」との戦い壮絶だっただろう。

そして、その7年後、評判も売り上げも戻った頃、その問題を起こした当事者の親父と母親が彼を解任する。

親父は、この会社の85%を持っている会社の社長だ。

さすがに、社長職には戻れない。
だから、妻を据えた。

つまり、この会社、元々、別会社の社長が90%以上の株を持っているということ。

それは、偽装を30年やり続けた親父だ。

7年前、話題の会社名での会長職は引責辞任しているけど、表向きだけ。
実質の権力は何も変わっていない。

で、7年経って業績も信用も回復したら、息子のやり方ではなく「昔のやり方」に戻るらしい。

私は、間違っても買わないからいいけど、定番土産を買って安心する人は、こんなこと、知らないだろうな。

そういう人もまた、有名なものを買える自分に酔っているんだから。

変わらないのは、消費者も同じだ。

2014年4月23日水曜日

大企業が土づくりに手を出し始めた

某大手財閥商事のコンビニ、冬になるとおでんが売れる。

その大根だけのために、農家と一緒に企業を作る始めている。

契約農家と出資して農場の1キロ先に加工工場を作る。
収穫したその日の夕方には加工、調理、パッケージ化して出荷される。

つまり、鮮度がおいしいさを決めるから、それを提供する仕組みを作り始めたということだ。

これ自体はあまり驚かなかった。

でも、金が余っている商社、なんと肥料会社まで買収し、中嶋農法というミネラルバランスのよい土で作る「野菜」をブランド化しようとしている。

土作りに3年かかるらしいが、おいしさも「規格化」できる時代になってくるようだ。

彼らの目的は「付加価値のつけた野菜」の販売。

たしかに、それは売れるだろう。

「多様性」が必要とされている今の時代、金がある大企業は、それに逆走するようなビジネスをしている。

でも、それは仕方ない。
過剰に農薬を使うよりマシだ。

ただ、「美味しさ」まで「ブランド化」すれば、だまされる人、騙す人がまた増えるだろう。

偽ヴィトンや偽グッチを買う人が絶えないように「ブランド」を信じる人は、所詮、自分で判断する基準なんて持ち合わせてないのだから。

簡単に食べられることが当たり前になれば、自分で作る人は減る。

企業は「忙しい人達のために、安全で美味しい食べ物を」と言うけれど、その後には「売って儲ける」という言葉が続く。

金を出せば買える、美味しさまで計算された食べ物。

それを買うために、夜中まで働く。

10年後、病気になっているのは誰だろうか。

みんなで食べる

最近、管理人の事務を手伝っている。

食いしん坊の専門は、業務改善なので、データを扱うのは自転車に乗るより簡単だ。

最近、監査に絞られた管理人、私が要求したデータ、出すのは1週間かるというから、大喧嘩になった。

そんな馬鹿なはずは無い。

私は、2時間位であるフォームを作った。
彼を呼んで、口答でデータを確認しながら入れてゆくと、監査が3人がかりで3日間かかって、もはっきりしなかった数字が出た。

完璧じゃあないけど、大体オッケーだ。

彼が驚愕している。「いつ、これ作ったんですか?」

「今、2時間位でだよ。」と答えた。

絶句している。

人を費やし、金を費やし「仕事をした気になる」ことが得意な日本人だ。
その点、彼も変わらない。

結果を求めず、大変さを演出すると「俺は大変な仕事をしている」気分になる。

でも、こんな風に2時間でできてしまうと、彼らの面子が潰れる。
んで、普通、会社にいる人は怒る。

そうやって、何人怒らせてきたことか。

でも、必要なのは結果でしょうに。

で、彼は、普通じゃあないので「感動」している。

彼が欲しがっていた数字は、後1時間もやればできるけど、もう夕食の時間だ。

奥さんが、奥さんが作ったスープと酢の物を持ってきた。
だからまた、みんなで食べることにした。

ランチに作った混ぜご飯も余っている。

私は作り置きしておいた野菜のトマト煮込みを持ってきた。
冷蔵庫に入っていた新たまねぎで、ツナのサラダも作った。

管理人曰く「すげぇ、ご馳走だっ」。

余り物でもみんなで食べれば、美味い。

ぶつかること、食べること。

人生、こうやって信頼関係を積み重ねて行くのかもしれないね。

2014年4月22日火曜日

ベーグル、ベーグル

地元企業が作るチーズクリーム、困ったほどに美味しい。

パンに塗っても食べてはみたが、やはりベーグルに塗るのが一番だ。

アメリカでは冷凍したベーグルがどこのスーパーでも売られていたので、手に入れることが簡単だ。

でも、日本の場合は、そういう訳にはいかない。

だから、専門店で一個180円程度で購入することになる。
この値段、スーパーのパン1斤分だ。

安売りだと2個分。
でも、やっぱり、ちゃんとイーストを使って作られた生地のベーグルは美味しい。

ベーグルのもちもち感は、生地を一度茹でることで作られる。

昔、家で作ったことがある。
ちゃんと市販のベーグルみたいな歯ごたえになる。

でも、とても面倒だから、それ以来、店で買う。

で、いつも悩む。
「どれを選ぶべきか」を悩む。

チーズクリームに合う鉄板はやはりチーズベーグルだ。

でも、ナッツもいける。
ドライフルーツもいける。

全く食手が沸かないのは「季節のベーグル」だ。
「期間限定」のサインと共に「桜チョコレート」とか表示されていても「ふーん」程度の興味しかわかない。

で、いつも悩むけどやっぱり「チーズクリーム」あっての「ベーグル」なのだから結局「チーズベーグル」を買ってしまう。

ここで、理性を総動員させる必要がある。
1個で我慢するためだ。

欲望は「また来るの、面倒ジャン」と誘惑する。

時には「ほら、6個買うと安くなるよ。」と悪魔の囁きをする。

そうすると「1個でいいっ」と理性が怒鳴る。

食いしん坊は、頭の中に「食べたい(欲望)」という「動物」を飼っている。
これは、間違いない。

「花」って野菜なんだ

美人食いしん坊の友人から「花」を貰った。

でも、飾る花ではない。
食べる花だ。

花には「毒がある」と聞いたことがある。

でも、それは間違いで、本当は毒ではなく、苦味をつけることで、動物に食べられないようにし、子孫繁栄を守るためということなのだろう。

でも、食べられる花。
貰った花はパンジーだった。

早速、スープに浮かしてみた。

いやあ、美しい。
これ、結婚式の料理とかにいけるんじゃあないか、と思って食べて見た。

あんまり味はしない。
ほんのり苦いだけだ。
嫌な苦味ではない。
スープに浸すと小さくなる。

当然だ。野菜なんだから。

容器を見ると、いろいろ情報が書いてある。
ビタミンAはブロッコリーの2倍近くある。

でも、重量比較するのは無謀だろう。

だって貰った花、5gくらいしか入ってない。
100g食べるなんて至難の業だ。

ブロッコリー食べるのと訳が違う。

他にもホウセンカ他何種類もある。

知らなかった・・・こんな食べ物があるなんて。

母は、花が好きなので庭の半分は花壇だ。

もう半分は畑だ。
私は食えるものが好きだから。

花が嫌いという訳ではない。
どちらかというと、いろんな緑色や葉っぱの形に惹かれる。

こうやって、花が食べられるようになるのは、技術革新のおかげだ。

実をつけるための花を食べることは、卵を食べることと概念的には同じだけれど、なんとなく罪悪感を感じてしまった。

美しいものを食べちゃうって、やっぱり罪なのかしらん。

スパゲッティのゆで汁、捨てちゃあ駄目だったっ!

毎年、バジルを作っている。

あんなもの、土に種まいておけば出来てしまう。
だから、大量にできるからそれでジェノベーゼソースを作って冷凍しておく。

このソースに使う松の実、気が遠くなるほど値段が高いけど、このスパゲッティだけは止められない。

で、このソース基本的に「油」だ。
それを凍らすわけだから、当然固まる。

これが溶けてもうまくスパゲッティに絡んでくれない。

どうしたら、絡んでくれるかWEBで調べると「麺のゆで汁でのばす」というのがあった。

「なるほど、その手があったか」と思って、次回は美味しく食べられると期待した。

これが、前回食べた時の話。

で、次回、となる今回、学んでいたはずなのに、同じ失敗をやらかした。

スパゲッティをざるにあけて、お湯をきってしばらくしてソースに混ぜても絡まない。

そこで、思い出した。ああっ、忘れてたっ!
ゆで汁、全部捨てちゃあ駄目だったっ!

もちろん、手遅れだ。
仕方なくお湯を混ぜてみるけど、ソースに混ぜる訳ではないので少し滑らかになっただけだ。

美味しいことは美味しいのだけど、また、固まったスパゲッティを食べるはめになった。

習慣とは恐ろしい。スパゲッティのゆで汁は「捨てるもの」という固定概念が食いしん坊の体に染み付いている。

大体、蕎麦湯を飲むことだって、最初は抵抗があった。
「ゆで汁飲むなんて気持ち悪い」と思ったけど、やってみたら旨かった。

人生に固定概念なんて必要ないねえ。

グルノーラ、再び

貰ったコーンフレークが無くなったから、またグルノーラを作った。
今回は、小麦粉を大匙2つほど入れてみた。
少し、くっついて欲しかったから。

いつものように、オートミールを量り、小麦粉を混ぜる。

ナッツ、ドライフルーツを刻む。
メープルシロップとオイルを乳化させてから、ハウスのオーブンで焼く。

ハウスのキッチン、お昼というのに結構な人だかりだ。
今回もまた、誰かが「何を作っているのか?」と聞く。

だから、「グルノーラ」と答えると「作れるの?」と驚かれる。

そりゃあ、作れる。企業が作れるんだから。

で、味見させると「美味しい」と感動している。

そりゃあ、そうだ。

有機栽培のオートミールに、4種のナッツ、砂糖を使わない4種のドライフルーツ、それにメープルシロップ入っているんだから。

市販の砂糖漬けグルノーラとは一味も二味も違う。
味わうと、たいていの人が作りたくなるらしい。

でも、最初の投資が結構かかる。
オートミールもそうだけど、ナッツやドライフルーツ、美味しい食材を揃えようとすると3000円はかかるだろう。

でも、それで4回分以上作れる。

このグルノーラの凄さは、3日も食べると体調がとても良くなることだ。
便秘薬なんて目じゃあない。

腹痛も起こさず、トイレで気絶しそうな位痛いことも無く、立派な「物」にご対面できる。

かつて、仕事のストレスもあって便秘薬はいろいろ試す羽目になった。
漢方薬、センナ茶、どれも体への刺激が強すぎるが、使わないともっと大変なことになるから使ったけど、満足できる結果なんて得られなかった。

体壊して薬買うより、食べ物に投資する方がずっと安上がりだ。

2014年4月21日月曜日

賞味期限が切れても食べる必要がある時

南極料理人氏の講演会、とても面白かった。

彼は「賞味期限」を「贅沢期限」と呼んでいるけど、それには理由がある。
だって、南極に持っていく食材や調味料、1年間はそれしかない。
途中の補給はない。

で、彼は「食べても別に大丈夫だった」ということを力説していた。

彼は「マヨネーズの賞味期限」を切れて食べても大丈夫かということ、キューピーに問い合わせたらしいが「保障しない」という回答だったそうな。

そりゃあ、企業に「食べられる」とは答えさせるのは酷な話だろう。

でも、日常生活でマヨネーズほど高カロリーの食品は必要なのか?

そもそも、マイナス50度以下で活動するときの消費エネルギーとコンピューターの前で座って仕事する人とのそれは全く違う。

確かにあれはエネルギー効率がいい調味料だ。
でも、油と甘味は中毒性がある。
大量に消費し続ければ、味の濃さに中毒になるのは当然だ。

だから、大量に消費しないようにするには「買わない」選択も必要だろう。

だから、食いしん坊はマヨネーズを作るようになった。

そうすると、使用する機会は激減した。

作るから賞味期限なんてない。
頼るのは自分の鼻だ。
でも、必要な量しか作らないから、余っても3日目には無くなっている。

日常生活が、高カロリーになればなるほど、10年後の健康が損なわれる。
工業製品はどうしても高カロリーになる。

何故なら、美味しくしないと売れないから。

賞味期限を無視することも必要だと思うけど、それ以上に、そういう表示が必要な食品を「買わない」選択をした方がいい。

それは、10年後も美味しいものを自由に食べることができる「自分のための選択」だ。

南極料理人:捨てるところって無いの?

食べるイベントが続いている。

今度は「南極料理人」という映画の主人公になった人の講演会だ。

これがずいぶん考えさせられる講演会だった。

この講演会の「後援」は市のごみ対策部門だった。
つまり、増大するごみを減らすための啓発活動の一環らしい。

オープニングで市の回収するごみの40%が「食べ物」と聞いて驚愕した。

食いしん坊は、ほとんど食べ物を捨てないし、食べない分はすぐに冷凍する。でも、そんな当たり前のことをする人が少ないということだ。

講演者の西村淳氏、以前テレビで食べ残しを7度も作り直すのを見た。
だから、今回の講演会に来ると知って応募したのだが、そんなのは序の口だった。

彼が語るには、南極では環境上「ごみを出せない」生活なので「出さない工夫」を常に考えるらしい。

彼の言う「ごみ」には体内から排出されるものも含まれる。

そうなると、食材なんて捨てずに「食べる」って話になるのは当然だ。

たまごも冷凍して味噌漬けにするとか、じゃりこをお湯に浸してマヨネーズを入れるとポテトサラダになるとか、生活すべて「実験」だ。

みかんの皮は、煮出すと洗剤になり、それを乾かして消臭剤にする。
それはまた虫除けになるそうな。

もっとも、私は食べちゃうけど。

また、南極では補給は年1度しかないから、賞味期限が切れたからと言って捨てる場所もない。

だから、食べる。

彼は「賞味期限」を「贅沢期限」と呼んでいた。私もそう思う。

アラの値段が大きく違うのは、客層の違い?

鍋をしたい時に限って、タラのアラが手に入らない。

いつもたくさんアラが置いてある大丸デパートの店員さんに聞くと「今日はありません」だった。

2件目のスーパー系の店では、骨ばかりのものが230円。
大きなパックが500円もする。

アラなのに、この値段。
馬鹿にしているとしか思えない。

で、三越デパートに行った。

そこでは1パック210円。
量は、スーパー系の大きなパックと同じ位。

食べ物の値段なんて、あって無いようなもんだ。

で考えた。

スーパー系の店でアラが高いのは、客層の違いからではないだろうか。

スーパーに来る客は、経済的な中流層。
アラも食べるだろう。

でも、三越ほど有名デパートで食品を買う客層はある程度の収入があるクラスの人だ。

だとしたら、アラなど食べないから誰も買わない。

だから処分価格にするため「安い」のではないだろうか。

まあ、どうでもいいけど、食いしん坊の中では「行くべき店」と「行かなくていい店」ははっきりした。

値段より味。

「安くて安全」なんて食べ物は無い。

「高くて美味しい」という食べ物も無い。

値段なんて、所詮、目安程度でしかない。

選ぶのは自分。
どこで買うかを決めるのも自分。

誰と食べるのかも、一人で食べるのか、それもまた自分の時間や金の使い道を選択することだ。

結果、10年後に孤独や病気で苦しむのも自分。

それが「自分の選んだ結果」だ。

文句を言う相手は社会や政府ではない。

2014年4月20日日曜日

竹の子ご飯

ある夜、ハウスのキッチンに行くと、竹の子を茹でているやつがいる。

爽やか食いしん坊だ。

昆布でいつも出汁を取る青年で、とってもいいやつだ。
彼、まるまる一日かけて竹の子のアクを取っていた。

先日、会ったので「あれ、どうだった?」と話すと「美味しいけど、2度と買わない」とのこと。

彼曰く、すぐ食べられないし、冷凍もできないから「食べきるのが大変だ」とぼやいていた。

私もそう思った。
だから、一度買ったきり、2度と買っていない。

毎年買いたくはなるんだけれど、あの量を考えると買うのをためらってしまう。

私が竹の子を買った時、友人達を呼んで竹の子ご飯をはじめ、何品かの竹の子料理を作った。

それでも、まだ半分余っていた。

たしかに旨い。
パックの竹の子とは比較にならないほど美味しい。
同じ食べ物とは思えないほどだ。

でも、量が半端なく、冷凍も出来なかった。
当時はWEBも無かったけど、今調べたら瓶詰が一般的らしい。

干し竹の子も「あり」だ。戻すと「しなちく」みたいな食感になるとのこと。
確かにそうだろう。

干しても、瓶詰でもいいんだけど、最終的にどうやって食べるかを考えた上で保存しないと、保存の意味はない。

「食うために」手間はかけるものだ。一般的には、冷凍竹の子は美味しくないだけれど、小さく切って調理した上で混ぜればそれほど食感も悪くないだろう。

いつもの八百屋で小さいやつが売っていれば、今年は買ってみようか。

手間がかかる代物だけど、あの旨さはやはり「旬」の旨さだ。

まあ、美味しい竹の子に出会うことが運命ならば・・・だけどね。

歯、壊れるのは何故週末なのか?

上あごすべてのインプラントの手術を控えている。

下あごも半分は歯が無い。
だから、ほとんど入れ歯だ。

下の入れ歯はすでに2年以上使っている。
先生から「作り直した方がいいかも」といわれた。

でも、インプラントの治療工程に入るとすべてが自費になるので「インプラントする時に全部作り直す」と話していたのが、先週のこと。

そして、その3日後の週末、りんごを食べたら、「ぱきっ」という音がした。
口の中に硬いものを感じたので、吐き出したら、下の入れ歯のバネが外れていた。

先生の読みは正しかった。

でも何故、歯医者が休みの「週末」に壊れるのだろうか。

前回、仮歯が壊れたのも週末だった。

特に週末だからと言って硬いものを食べる訳ではない。

たしかに、週末は「一週間働いた自分」にご褒美のケーキを買うことがある。
そして、2回ともケーキが冷蔵庫の中に入っていたのは間違いない。

これは、何かの陰謀なのか?

ただ、そんなことでケーキを諦める食いしん坊じゃあない。
壊れた歯は、それ以上、壊れない。

それに、ケーキなら、歯が無くても食べられる。

それにしても、ケーキだけではなく、美味しいものを美味しく食べるには、歯が重要だ。

歳を取ると「食事が不味くなる」というけれど、それに理由がある。

一緒に食べる家族や友人も、食べるための歯も無くなるからだ。

これらは、美味しさを感じる2つの重大要素だ。

だから、どちらも大切にした方がいいと思う。

おいしい文旦

季節の取り寄せ、冬には多くなる。
その理由は、かんきつ類やりんごなど、美味しいフルーツが多いから。

大体、箱で買って実家に送る。
今年の冬はみかん、八朔、りんごが2回、文旦を2回送った。

母は、自分の好きな仲間に1こ、2こ、おすそ分けする。

旨いものは、皆で楽しむ。
それが、うちのモットーだ。

母には八朔が一番美味しかったようだが、私はなんたって文旦。

ゆずを買いそびれた会社から注文する文旦、甘さが半端ない。

その文旦が4月に入ってからようやく注文を受け付けた。
木の上で寝かせるからお日様の影響度が凄い。

このシーズン、待ちきれなくて他社から一度買ってしまったが、やはり、ここの文旦には勝てない。

他社の文旦も十分甘かったけど、ここのはなんたって、味がいい。
ゆずもそうだけれど、どうしてこうも四国のかんきつ類は美味しいのだろうか。

この文旦、大体1回に1個食べる。
しかも、デザートとして、だ。

「一回になら、半分でも多いでしょうに」と母が驚く。

そんな、半分なんて、食った気がしない。
一個平らげてようやく「食った~」という気分になる。

だから、すぐ無くなる。
でも、美味しいものは、美味しい時に食べる。

一日一回。がんばった自分にご褒美だ。

年に一度だけの贅沢。
何箱も買う訳ではない、たった2週間足らずのお楽しみだ。

もっとも、他のシーズンには、他の果物で「年に一度」の贅沢をするけどね。

ぶどう、もも、マンゴー、どれもその季節にしか食べない。

だって、本物の美味しさをしったら、シーズンオフに高い金を払ってスーパーに並んでいる果物、食べようなんて絶対思わないよ、ほんと。

WEBショップの店っていったい・・・・

激安のみかんと八朔を買った。

値段は劇安だけども、送料が高かった。

2箱まで送料が同じ値段だったから、1つづつ買った。

それを実家に送った。

送付の連絡があってからしばらくして母に問い合わせると、みかんしか到着していないと言う。

八朔が送られていない。

メールで連絡する。
何もない。

もう一度連絡する。
無しのつぶてだ。

仕方なく電話する。
そうしたら「もしもし」という返事。
一体、ここは会社なのだろうか?

電話をかけた自分の失礼さを承知の上で「すみませんが、そちらはどちら様ですか?」と聞いた。

そうしたら、はっきり言わない。
ここは、本当に会社なのか。

こちらから楽天の会社名を言うと「そうです、そうです。」と答える。
で、相手が代わって会話らしい会話になったので事情を説明する。
「そういうえば、そういうことがあったと連絡があったので、今送ってます。」というではないか。

「そちらの配送手違いなのですか?」と聞き直すと「そうです。」と言う。
謝りの言葉ひとつない。

「判りました」と言って電話を切った。
何日か後に、みかんと八朔、2箱とどいた。

つまり、最初のオーダーを再度送ったという訳だ。
前に到着したものもまだ山とある。

いくつか腐ったみかんが入ったもう1箱。
どうしろっていうんだ?
無料で1箱貰えたんだから、文句言うな、ということか?

怒る気力も失せる。

どちらも劇的に美味しい柑橘だったけど、次のオーダーをするかどうか、ちょっとためらう。

配送とか在庫チェック、全くしなくても成り立つ商売を、私達が支えているこの現実。

いいんだか、悪いんだか、私には判らない。

鍋の残りを平らげる

先日、食事会の大鍋2つの残り物、具が多すぎたから、白い鍋の半分は別に取っておいて、次の日その具で餡かけご飯のあんを作った。

本当はタラのような、何か別の味にしたかった。

でも、買いにゆく時間などないから、干ししいたけをいくつか浸してその出汁を使うことにした。

次の日、米をセットして昼食として予約した。

昼時に、このご飯の上にかける餡かけを15分位で作った。

この干ししいたけのだし汁でもう一度具を煮直す。
干ししいたけは刻んで混ぜた。

醤油、酒、みりんで味を付け直してでんぷんを水に溶かして放り込んだら、結構な量の餡かけができた。

ランチに管理人と食べたが、私には普通に美味しい。

管理人は、絶賛する。

そんなに美味しいか?
普通じゃあないのか?
みんな、毎日何を食べているのか?

1食分以上余ったので、タッパに入れて冷蔵庫に保存した。

夕食時間になると、彼はその餡かけを食べるという。
「飽きないのか?」と聞くと「全然」との返事。

奥さんも仕事から戻ってきて、嬉々として食べていた。
そりゃあ、夕食もう出来てるんだから、当然だ。

余った食べ物を美味しく食べることは、難しくない。
要はそこに「どうしたら美味しくなるか?」を考えることだろう。

私も昔は出来なかった。
でも、薄味ならなんぼでも作り直せることを知った。

濃い煮汁だって、炊き込みご飯の具を作ればいい。
その具を冷凍しておく。
それを炊飯器に放り込めば、いつでも一食できあがる。

「捨てよう」と思う前に「食べられないか?」と考える方がいい。
そうしたら、大抵のものは「全部食べられる」ことに気づくだろう。

給食で牛乳を止めた時

新潟県の三条市で、学校給食において牛乳を中止したそうだ。
食いしん坊的には「あっぱれな決断」と思う。

牛乳だけじゃなあい。
給食も止めればいいと思っている。
法律変えなきゃ、止められないらしいけど。

で、ここの街、完全米食給食を進めているらしい。
さすが新潟米どころだ。
ご飯に牛乳は合わないと判断して「中止」を決めたそうだ。

そんな「大きな変化」を嫌う日本人。
「子供の健康を考えているのか?」みたいな文句のメールが来たそうな。

でも、30件中29件が「県外」という。
つまり、住んでもいない人間が、住人のリーダーが決断したことに対して「文句」言う。

その無意味なクリックひとつでできる行動を「正義」と気取る。
自己陶酔もいいところだ。

住んでる人は「そうですか」程度らしい。

当然だろう。

これ、大きく考えると牛乳ビジネスに携わっている人には恐怖だ。
でも、米農家には消費が増えるんだから、喜ばしいことだ。

牛乳自体、体に悪いというレポートもあるらしい。

でも、そもそもこれは、みんなに同じものを「食べさせる」ことが問題だろう。
大量消費が発生するところにはいつも利権が絡むんだから。

しかも、このアレルギー持ちの人間が増大している時代、給食を止めてしまえば、教員の手間だって減る。

親の手間は増大するけれど、それはテメエが作った「製造物責任法」の範疇だ。
先生方には、他の仕事があるんだから。

そもそも、アレルギー発症したのだって、親が食ったもの、食わせたもののせいだろう。

体は食い物で出来ている。
体が食べるものに拒否反応をするということは、それを「食べるな」ということ。

なってしまった以上、その病と生きるのは、本人以外いない。
毎日、それを自覚させないで、誰かに「それを食べないように管理」を頼むのは責任の転嫁だ。

時代は変わった。

戦後、栄養が乏しい時代は終わったのだから、化石のような法律も変えた方がいい。

給食が無くて腹が減るならコンビニがある。
子供が食べるものを親が気にしないのなら、子供に金でも渡しておけばいい。

「何を食べるべきか」なんて40%の食べ物を捨てている日本に語る資格なんて無いだろうに、全く。

2014年4月19日土曜日

かりんとうまんじゅう、いろいろあるけど

友人からかりんとう饅頭をもらった。

かりんとう、昨今ブームみたいで、形を変えてあちこちのお土産になっている。

かりんとうは油で揚げる、甘くて硬い日本の駄菓子の代表だ。

甘みと油という最強のコンビネーション、まずい訳がない。

ただ、硬いこと、むちゃくちゃ甘いことで、駄菓子としては人気が低かった。

それが、最近ファッショナブルに変身した。

まず、ダイエットした。

細身で食べやすくなり、味もいろいろなものが出始めた。

ゴマ、ごぼう、唐辛子など「駄菓子」というジャンルから「スイーツ」に昇格している。

もちろん、パッケージも「ドレスアップ」されている。

こうなると、もう「大人のおしゃれな嗜好品」であり、駄菓子ではない。

硬さも、柔らかくなった。

揚げると硬くなるのは当然だから、中に餡子を入れる。
そうなると、饅頭が「かりんとう」になる。

そうやって「かりんとう」という駄菓子がどんどん進化している。

そうなると、素材にもこだわる商品も登場する。

もらったかりんとう饅頭、餡子に、和三盆が混じっていた。
皮には黒糖を使っている。

甘みも2つ混ぜるとずいぶん上品な味になるものだ。

これ、ババロアをスポンジで包むケーキと同じ発想なのか?

まあ、どんな食べ物でも、外側と中側の食感も味も違うってずいぶん贅沢だ。

そんな食べ物は、作る人がいて、手間が掛かっている。

しかし、食いしん坊みたいに、5秒で消費するのはやっぱり職人さんに失礼だよねえ・・・。

増税前の買い物は・・・やっぱり、食材だよね

増税前の話。

4月から消費税が増税するということで、買いたいものをリストアップした。

そうしたら全部、食べ物だった。

毎年、仕込むゆずサワーの材料として使うはちみつ。
自家製グルノーラの材料となるオートミールやナッツ、ドライフルーツ。
毎日飲むコーヒー豆。
自家製パン用の地元産小麦粉。

全部、実家にある冷蔵庫の大半に収まった。

他の人は、トイレットペーパーとか、インスタントラーメンとからしい。

インスタントラーメンは、ここ何年も食べたことがない。
だいたい、もう買うことがない。

昔は、パックで買ったこともある。
麺が「生と判らないくらいうまい」というCMを見て買いたくなったこともある。

新製品からの誘惑は、人並みに私にも影響する。
巷で話題になっていれば、食べたいと思う。

めったに行かないけど、スーパーやコンビニで目にすることもあるし、手に取るチャンスはある。

でも、原料表示を見て買う気は失せる。
特にお菓子類はそうだ。

マーガリンに、砂糖の200倍甘い遺伝子組み換えで作ったコーンシロップ。

日本では、コーンシロップということが判らないように「ぶどう糖ショ糖液」とかなんとか表示されている。

こんなものを使った商品は、災害のためと言われても買いたくない。
だったら、お湯と乾パンでいい。

知らないから、買うことができる。

何故なら、甘さに、油に脳が犯されているから。

中毒者が自分の行動を制御することは、本当に難しい。

もっとも、こういう買い方もまた自分の欲望に振り回されているのだろうけど。

ただ、これらを食べても体に害はないもん。

食いすぎだけには気をつけなきゃあならないけど・・・・・。

一期一会からイチゴ?

食いしん坊の母親、かつて、食べ物への興味は「栄養」だけだった。

野菜炒めに「塩コショー」という「味さえ付けばいい」という俗悪の代物を使って味をつけ、柔らかい野菜などは原型を留めないほど長く炒める母。

「野菜は肉の5倍食べなきゃならないんだから」と言って、夕食の焼肉の時に必ず添えられるこの野菜炒め、トラウマになった。

この体験で学んだのは「野菜炒めは絶対的に不味い」ということ。

それが「美味しい」と感じる境地に至るまで30年はかかったと思う。

彼女、最近味覚が向上したのか、美味しいものが判るようになった。
とは言っても、自分で探すほどの欲望は沸かないらしい。

元々、あまり食べ物に興味く「どれを食べても美味しい」し、「生クリームは食べると気持ち悪くなる」という体の持ち主だ。

興味は社交一辺倒。

帰ると延々と仲間の派閥闘争やそこでの駆け引きを語り続ける。

そんな母と「人の縁」の話をしていた。

「一期一会なんだから・・・・」と結構感動的な話の最中、突然「そうだ、イチゴ、あんたと食べようと思ってとってあるわ。」と言う。

話が繋がらない。

「?」と思って聞いてみると「一期一会」の「イチゴ」という言葉を聞いて思い出したとのこと。

大笑いするしかない。

彼女、話なんて聞いていない。

というより「音」しか聞いていない。

つまり、言葉の意味をイメージしながら「話の内容を理解しようとしない」ということ。

彼女は「想像する」ことがなにより苦手な人だ。

だから、見えなければ忘れる。
見えるものだけ、理解する。

食べないものは冷凍庫に入れる。
そして忘れる。

会話も想像力が乏しいので、「音」しか認識しない。
決して聞いて「いない」訳ではない。

昔はそんな母に対して「話を聞かないっ」と怒っていたけど、今ならそんなことも笑えるようになった。

彼女と私の違いを理解したからだ。

少しづつだけど美味しい食べ物をいっしょに食べることで、母が、私が、私達の関係が、変わってきている。

嫌味なランニングマシンが消えた日

日本は、4月から新しい年度が始まる。
だから、変化しない日本でも、ほんの少しだけする変化は、この時期に起こる。

ある日、ジムに行くとランニングマシンが最新式の物に代わっていた。

以前使っていた食べ物を表示するマシンは消えていた。
聞くと、他の施設に転職(?)したそうだ。

新入りのマシン、代々木のスポーツセンターでも使われている素晴らしい本格的サスペンションの高級品。

みんな嬉々として使っている。

私も使った。

デジタルで見やすい。
スピードや角度の調節も持ちやすいハンドルの上でできる。

でも、食べ物は表示されない。

本当に、嫌味なランニングマシンだった。
でも、消えてみると、なんとなく、さびしく思うのは私だけだろうか。

あれには、ずいぶんいろいろなことを教えてもらった。

このマシンは、走りやすいし、使いやすいけれど、私に教えてくれるのは数字だけだ。

十分といえば、十分だ。
でも、私にとって運動は、食べたいものを食べるためにしている苦行みたいなもの。

食いしん坊は本来、すごい怠け者なんだから。
それを、あの表示が運動の必要性を直感的に教えてくれた。

ランニングマシンとはお別れをしてしまったが、「あいつ」が私に教えてくれた「運動の必要性」は決して忘れないだろう。

食べたら動く。

この当たり前のことを、判りやすく教えてくれたことには感謝している。

大嫌いだったけど、憎めないやつだったなあ。

イーストってグルテンが入っているの?

グルテンアレルギーを持つ友人のために、米粉だけで肉まん作りに挑戦した。

膨らますためには、どうすべきか?

重曹を使うことも考えたが、時間配分が難しい。
だから、いつもパンを作るのに使っているドライイーストを入れた。

そうして苦労して作った肉まんだけど、ほとんど膨らまない。
だって、イースト入れても、米粉じゃあ、グルテンが無いんだから、当然だ。

で、彼女に食べてもらおうとして材料を伝えると「食べられない」との返事。

グルテンが入っているというではないか。
そんな訳ないでしょ、と思ったら、一緒に食事する仲間がWEBで調べてくれた。

入っている。

グルテンが入っている。

ドライイーストだよ?

そんなもん、どうやったらこの粒に入るのさ?

疑問はぐるぐる頭を回るけど、食えないなら仕方ない。
いっしょに食事をする仲間に「食べていいよ」というと嬉々として2個目をほおばっていた。

他に、グルテンなしで膨らませるには、山芋が使えそうだ。
今度挑戦してみよう。

しかし、自分達の知らないところで、本当にいろんなものが添加されている。

便利な食べ物になればなるほど、添加されるものも多くなる。

この弊害はデータでは現れていない。

しかし、アトピーやアレルギーを持つ人が激増する現実を見つめれば、毎日食べる物を考え直す必要があるのではないのか。

テレビの宣伝に踊らされて、「有名店」のスイーツを買って、自慢する。

金があるから出来ることだ。

でも、そういう生活を続けた10年先の結果を考えた方がいい。

2014年4月18日金曜日

半生ナツメヤシって、干し柿みたい

イラン料理の講習会、食後の最後にイランのお茶とデザート代わりのナツメヤシ(デーツ)が出てきた。

このデーツ、半生だった。これがほとんど「干し柿」みたいなやわらかさだ。

トルコやアメリカでデーツを食べたことが何度もあるけど、これほどやわらかいデーツは初めて食べた。

彼らに聞くと、彼らの家ではこれが「普通」らしい。

興味があってウェキペディアで調べてみると、まあ「こんなに種類があったの?」と思えるほどいろいろな名称や使い方が紹介されいる。

市場に出回っているのは「ソフト、セミドライ、ドライ」と分類されているが、私が今回食べたのは「セミドライ」のようだ。

イランは世界生産量の1割以上作っている国だから、当然食用として販売する種類も多いだろうし、使い方もいろいろあるのだろう。

他の国の料理を、その国の人と食べるのは、その国の歴史や文化、地理や風土、すべてに対して興味を触発される。

食材ひとつひとつに歴史があり、そこに文化がある。

イランだけではなく、日本という小さな国の地域にもそれぞれ独特の料理や食材がある。

その土地の人と出会って、その土地の人の食べ物を食べながら、彼らと時間を過ごすことは、食べ物の味を知ること以上の「何か」を得る。

ネットの時代、何でも手に入る。

食材も作り方も家の中で完結できる。

でも、部屋で一人で食べるその味は、本当に「土地(国)の味」なのだろうか。

イラン料理:黄金的価値のあるサフラン

美味しいお誘いは続くことが多い。

今度は、イラン料理の講習会の誘いがあったので行ってみた。

だって、そんなもの、ほとんど食べるチャンスが無い。
モロッコ料理とかに似ているのかななあ、と思っていたけど、どうも違うらしい。

ヨーグルトの使い方を見ていると、ギリシャ料理に近いのかなとも思えた。

講師は、イランから来ている留学生達だ。

彼らが持ち込んだ食材、ほとんどネットで買えるらしいが、ひとつだけ絶対的に無理なものがあった。

それがサフラン。

講師の一人である男性のお母様が育てて作ったそうだ。
これが料理を特徴的に、そして劇的に感動させた。

大体、サフラン、値段の高い割りには高品質のものはほとんど日本市場に出回ってない。

どうやって作るのか、いつ採取されたのかは知らないけど、今まで、その芳香を「強烈」といえるほど強いものは、お目にかかったことが無い。

でも、この日は違った。

気絶しそうな麻薬的なサフランの芳香を嗅ぐだけで、この講習会に来たかいがあった。

これを彼は惜しげもなく生徒に使わせている。
みんなも、その値段を知らないから、使う、使う。

「おいおい、いくらすると思ってんの?」と思わず言いそうになった。

でも、彼曰く「僕のお母さんが遊びに来るとき、また持ってきてくれるから大丈夫ですよ。」と片言の日本語で説明する。

自分の国の料理を「美味しく思ってくれる」なら別に構わないとのこと。

ああ、奉仕の精神だよぉ。

で、料理ですか?あのサフランで炒めたチキンなら、冷凍ブラジル産だって美味しくなっちゃうよ。

鹿ランチ、再び

先日の鹿ランチ、久々に「もう一度食べたい」と思わせる料理だった。

でも、今月末までの「期間限定ランチ」だ。

誘ってくれた食いしん坊も私とは2度目のランチだった。
一度目は夫と食べたらしい。

私だって、もう一度食いたい。

残りの日は仕事が入っているが早退はできる。
適当に嘘でもついてサボることにした。

でも、一人は楽しくないから、別の美人食いしん坊を誘ったら「是非」とのこと。

月末最終日のランチタイムが「終わる」時間に予約した。
この日がこのメニューの最終日だ。

美人食いしん坊はすでに入り口で待っていてくれた。
前菜からいろいろおしゃべりしながら「どれも美味しいねえ」なんて話していたら、メインの鹿肉が来た。

で、料理についていろいろ話しながら、彼女が一口鹿肉を口に入れた瞬間、それまでの会話がぱたっと止まった。

彼女は無言だ。
何も話さない。

「美味しいでしょう?」と尋ねると首を縦に振っている。

で、半分まで食べ終わってようやく言葉が出た。

「わぉ」

農家に嫁いだ彼女、時々、私に美味しい食べ物を分けてくれる。

その彼女が言葉を失うほど美味しい鹿肉、食べ終わってから、誘って貰ったことのお礼を言われた。

確かに、これは私も自分を誘ってくれた友人に礼を言った。それほど、感動的な一品だった。

素材が美味しいのはもちろんだけれど、香辛料や合わせる素材、バランス、すべては職人の作り出す芸術だ。

素人が逆立ちしたって無理。

私が食べ物に金を使うのはそんな料理のため。

貧乏だから、ファミレス、コンビニ、ファーストフードに使う金は持ってないけどね。

職人の凄さ

食いしん坊の友人から、「鹿肉のランチ」のお誘いがあった。

鹿の肉料理なんて、めったに食べられない。
是非、と思って曜日を聞いたら、その日は実家に居た。

昼までに街に帰ってこいという。
ランチタイムが2時までだからだそう。

バスの時間を調整して、なんとか戻ってきた。
バス停から登山リュックを担いでレストランに直行した。

リュックに入っているのは、もちろん実家に余っている旨い食料だ。
いつもなら、バス停からタクシーでハウスに戻るが、今日はリュックを担いで3ブロックほど歩く必要があった。

まるで、戦後の買出しみたいだけど、うまい物を食べるためには仕方ない。

食いしん坊の友人は、ちゃんと予約してくれていた。
場所は、有名でもないような普通のビジネスホテルに併設されているレストラン。

ここ?と思いながら食べたけど、これが久々の衝撃的な味だった。

前菜は9種類。一口だけだが、どれもすばらしいイタリアンだ。

で、メインの鹿肉。
フォアグラがもも肉で包まれている。

フォアグラの周りは、鹿肉をミンチにして中には海老もまじっているらしい。

それを、豚の網脂で包んで低温で焼いてあった。

付け合せは、ゴルゴンゾーラのドルフィーネ。
これ、パイ皮で包まれた小さな料理だったけど、鹿肉という癖ある肉にこのチーズを使うことで、付け合せというよりメインの「パートナー」だ。

その上、ソースがフルーツ系なので酸味がちょっとだけ添えられている。
もちろん、その後にデザートもついて、このフルコースが2000円もしなかった。

値段と旨さが比例するのは、都会だけの話。
田舎はちょっと違うもんね。

50円引きの豆腐

三越に入っている豆腐屋さん、以前から買おうと思っていた。

どう見ても、昔のやり方で作っている豆腐のようだったが、さすがにお値段もいい。

スーパーで100円で売っている豆腐、300円を超えている。
でも、夕方だったので50円引きがあった。

その日は、また友人と鍋をする予定だったから、「賞味期限、今日までです」というその豆腐を買った。

で、タラの鍋に入れて食べたら、びっくりした。

塩としいたけ、昆布、タラの出汁だけで作った鍋だ。
味自体もシンプルだけど、その中でこの豆腐、まさしく鍋の女王、という感じだった。

王様はやっぱりタラだけど。

美味しさ半端ない。
スーパーで買うパックの「豆腐」。同じ名称だけど、それって「詐欺じゃなあいか」と思うほど味が違う。

かつては、どの豆腐も「女王の豆腐」の味だった。

それを「豆腐」と呼んでいた。

でも、安さを求めた結果、味はとても「同じもの」とは思えないものが「豆腐」と呼ばれ、それが「普通」になってしまった。

自分だって50円引きで買った。
そして、ここの豆腐を300円出して買ったことがない。

だから、自分もそんな安さを求める社会にしてしまった責任の一端は担っている自覚はある。

だからもう、安い豆腐は買わない。
きちんと作れば、それなりの値段になるのだから。

安売りが嫌いという訳ではない。

そういう「本物」を買うことで「本物」を作る人を支えること。

消費者が「本物」を求めるならば、それが消費者の「義務」だと思う。

毎日は買えないけどね。

2014年4月17日木曜日

チーズケーキとショートケーキの距離

嫌味なジムのランニングマシン。

途中で、チーズケーキの絵が出てくる。

この間、その後になんと、ショートケーキが出てきた。

いつも歩く距離は終わりそうだけど、これは面白い。

一体、どの位違いがあるのか、ショートケーキの絵が変わるまで歩いてみた。

これが長かった。

いつまで歩いてもバーは遅々として動かない。

ショートケーキが出てから800mでようやく絵が変わった。

つまり、チーズケーキ一切れを食べると4キロ位歩くカロリー消費でいいけど、ショートケーキを食べた時には5キロ弱歩く必要があるということ。

ケーキの中身を考えると原料はほとんど同じだ。
違いは、チーズか生クリームでしかない。

ショートケーキの上に乗っているイチゴにそれほどカロリー差に影響があるとは考えられないから、この比較では無視しても大丈夫だろう。

つまり、これほとんど「クリームチーズ」と「生クリーム」の差ということだ。

カロリー、こんなに違うのかっ?

あの至福の時間を与えてくれる生クリーム、こんなに危険だということ?

食後に食べればどっちを食べても摂取カロリーがオーバーすることは知っている。

でも、生クリームのケーキばかり選択するということは、体重増加のリスクも増加するってこと?

たしかに、清楚な女性とグラマーでセクシーな美人、どっちが危険か考えたら、確かにグラマー美人の方が危険度は高いかも。

ケーキも女性も長く付き合うには、シンプルな方がいいのかも知れないねえ。

準優勝、副賞米25キロ

ハウスの男子陣がサッカーの大会で準優勝した。
その副賞が缶ジュース一箱と米25キロだ。

この米、どうする?って感じだけど食べる人間には不自由しない。
作れば、みんないつでも食べるのだから。

でも、米が商品ってすごい。
一体、この大会の後援は誰なんだろうか。

テーブルに積まれた5つの袋を見ながら、そんなことを考えて、また鍋を食べる。

ここの男性はみんな料理をする。
決して華やかな料理ではない。

でも、きちんと作る。

鍋づくりのリードを取る食いしん坊青年も昆布で出汁を取ることが日常だ。
だから、そこそこ美味しいものを作る。

問題は、買い物をする場所だ。
地元でもめちゃくちゃ高いスーパーで買い出しする。
しかも、買いすぎて余らせる。
だから、会費を集めても赤字になる。

彼らは、まだまだ、学ぶ必要がある。

じゃあ、女性陣はどうか。
彼女達も作るけど、自分から食事会を企画するような人は居ない。

以前は居た。
ニュージーランドでレストランに勤めていたカナダ人は、感謝祭やクリスマスの料理をみんなに作っていた。

彼女、今年に入って国に戻ったので、今は男性陣の方が宴会料理を企画するノリがいい。

ここのハウスの良さは、変化することだ。
新しい人が来て、去ってゆく。

出会いがあり、別れがあるけれど、それもまた人生。
そこで食事をして、語らいがある。

気の合う人もいれば合わない人もいる。

大切なのは、出会うことだ。

みんな、話す言葉は違うけど、美味しいものを食べる時、別に言葉など要らない。

いっしょに食べることで何かが生まれるだろう。

食いしん坊男性陣、米も貰ったのだから、これからも是非がんばってくれっ。

7分割か8分割か、それが問題だ

自家製パンを作る時、必ず使う必要なバター。
かつては200gが230円だった。

今は、150gが230円だ。

商品を減らして値段を上げない手法は理解できるが、分量を4分の1減らすのは酷すぎる。

昨年あたりに、ほとんどのバターの分量が変わった時、そんなことを思った。

そして、もうひとつ問題があった。

それは、分割しにくいことだ。

200gなら、半分に切って、それを半分にするとひとつ50gだ。
だから、それを5等分すればひとつ10g。

パンメーカーでパンを作る時、一回分の分量が大体20g。
2つ入れればOK。

切り分けて冷凍するのも楽チンだ。

だから、値段が高くても200gのバターを購入していたが、今回初めて150gのバターを購入した。セールだったからだ。

パンメーカー用に切り分ける時、悩んだ。
これ、160gの商品なら、半分、半分、半分で切り分ければひとつ20g。

でも、それより10gも少ない。
だから、8分割なら一つ18.75g。
7分割なら21.4g。

どちらにすべきか。

これには悩んだ。

バターをケチれば風味が落ちる。
でも、7つに分割するのはちょっと難しい。

バターの3gはどれだけ味に影響があるのだろうか。

そこで思い出したのが以前の味だ。
バターを節約しようと思ってオリーブオイルで作ったが、あまり美味しくなかった。

もちろん、今回はバターだし、量が少ないだけだからオリーブオイルで作る時とは訳が違う。

でも、食いしん坊は味を取った。

結果、7つにうまく分割できず、20gから24gまで幅ができてしまった。
適当だけど大丈夫でしょ。

やっぱり美味しいものはケチらない方がいいね。

2014年4月16日水曜日

「食わせてやりたい」という思い

シェアハウスのいろいろを手伝っていると、管理人と食事をするこが多くなる。

彼は、私が無料で手伝うのを心苦しく思うようで、弁当を買ってくれた時もあった。

でも、私には

「金を使うのが勿体無いこと」
「食事が来るまで待たなきゃならないこと」
そして何より「まずいもの」を食べるのが嫌だった。

で、だんだん、昼飯、時には夕食も私が「計画して作る」ようになった。

簡単な話だ。

米は山ほどある。
炊き込みご飯を仕込んでおけば、飯は自動的に出来ている。

パンを仕込んでおけば、これも自動的に出来ている。
パンとスープでランチは満足できる。

この数日は炊き込みご飯が続いた。

ある夕食で作ったシャケご飯。旬の生アラを格安で手に入れた時、焼いてほぐして冷凍しておいたのを使った。

この旬のシャケ、本当に旨かった。

管理人、一口食べて「うまいっ!」と唸った。

続いたのは「あいつ(奥さん)にも食わせてやりたい。」という言葉。
思わずこぼれ出たという感じだった。

かつて、90歳の爺さんに御節料理を作った時もそうだった。

「うまい」と言った後「ばあさんにも食わせてやりたい」と続いた言葉。

これは、誰かを思う気持ちの表れだ。

日本人は「愛している」という言葉を口にすることを恥ずかしく思う人種だ。
でも、だから大切な人を「愛していない」ということではない。

美味しいものを食べた時「ああ、あの人にも食べさせてあげたい」という言葉は「愛している」と同義語とも言えるだろう。

彼の結婚は1年足らずだけど、妻を想う気持ちは50年連れ添った爺さんと同じなのかも知れない。

離乳食を作る

知り合いの赤ん坊がだんだん大きくなって、とうとう離乳食の時期になった。

母乳で育ったリトル食いしん坊。
粉ミルクなど見向きもしなかったのに、保育園に行かなきゃならなくなって1週間、仕方なく飲むようになった。

でも、時期はすでに食べ物への興味を覚える時期だ。
新米ママがすり鉢で潰したかぼちゃを嫌そうに食べていた。

それを見て、余っていた新品ブレンダーをママに売った。

数日後、家に行くと箱に入って使っていない。

いろいろ聞き出すと「使い方が分からない」とのこと。

だから、実演した。

で、その間いろいろ話していると、彼女、基本的な「料理」を知らなかったことを「知った」。

もう、結構な時間をいっしょに過ごしているのに、私は彼女が「知らない」ことを知らなかった。

だって食い物もこだわっていたから、そこそこ知っているのかと思っていた。
どうもネットで得ていたようだ。

で、離乳食だが、まず出汁を取って準備するところから始めた。

そして、まずかぼちゃを蒸してブレンダーで潰す。

新米ママは、その手楽さに感動している。
「あの苦労はいったいなんだったんだ?」と唖然としている。

これに、出汁を加えて、少しねっとりさせる。
作っておいたお粥の上に乗せてリトル食いしん坊に食べさせた。

で、その違い、すご過ぎる!

ばくばく食べる上、スプーンを自分で握ろうとしている。

あの、嫌な顔は何だったんだという位。
食い過ぎないか、今度はそっちが心配になってきた。

恐るべき出汁のうまみ。

塩も砂糖も全く使わないけど、美味しい食材は、いつでも美味しい。

無言で食べるタラの鍋

冬のある日、寒い中を歩いてきたフランス人の友人の友人。

鍋を食べにきた。

ものすごくスマートな人で、話が面白い。
そういう人はいつでもウエルカムだ。

ほとんど、雪だるまになっていた。
かわいそうに。

この日は、タラのアラで作った鍋だ。
15分ほど経って出来上がったから、早速みんなで食べ始めた。

タラが新鮮だったせいか、物凄く旨い。
会話をする余裕もなく、3人とも無言で食べ続けた。
寒い日にみんなで食べる鍋、美味しさは増殖される。

グルテンアレルギーの友人のために、うどんではなく、春雨を使った。
これが、美味しい汁を吸って劇的に美味しくなっていた。

黙々と食べ続けてある程度無くなった。
そこで初めて鼻の頭を赤くして彼女が言う。

「ああ、美味しかった・・・・」

以前に友人達に餃子を振舞ったことがある。
無言で食べ続けて腹一杯になってからようやく「ああ、美味しかった・・・」と言った。

その5分後、静かだなと思ったら何人か爆睡していた。
ちなみに彼らは日本人だ。

まあ、美味しい食べ物への反応は、誰でも同じってことだ。

「美味しい食事は楽しい会話から」なんて言うのは嘘だと思う。

会話するのは食った後だ。
旨い物を食っている間会話をする暇などない。
それに、熱いうちに食べた方が断然おいしい。

「パーティ」という名の「食事会」とは、全く別の「食事会」。

食べる時に会話しなくてもいいじゃないか。
美味しさの思い出を共有できるんだからさ。

2014年4月15日火曜日

げげっ、保温切るの忘れてたっ!

ある日海老と干し貝のおかゆを作った。
昼ごはんのメニューが思いつかなかったからだ。

米には不自由していない。
でも、このおかゆ、最初からあまり良いスタートでは無かった。

まず、干し貝を2時間しか浸せなかった。
でも、昼飯のためにはしょうがないと諦めて予約スイッチを入れておいた。

出来た頃だと思って部屋に戻ると、炊飯器がごぼごぼ大きな音を立てている。

「窒息死しそうっ!」って感じの唸り方だ。

慌ててスイッチを切って良くみてみるとメニューは「白米」。
そりゃあ、唸るはずだ。

おかゆなんて、炊飯器で炊くことが無かったので、メニュー選択の確認すらしてなかった。

だから、いつまでたっても、水分なんて無くなるわけない。

メニューを選択し直して、スイッチを入れれば炊飯器は恨みがましく「後46分」と表示する。

「そんなに待つのかい」と思って見ていると、すぐに35分に変わった。
それなら我慢できる時間だ。

待ち焦がれた「出来上がりっ」の音楽が鳴った後、ようやく食べられたけど干し貝の味があんまりしない。
でも、米がうまいから、まずくはなりようが無い。

さっさと食べて、午後の作業をした。で、部屋に戻って気がついた。

「保温」マークがついているっ。

何で?
切らなかったのか、自分?

中を見ると、「5分粥」だったのが「8分粥」くらいになっていた。
まずくは無いけれど離乳食だ。もしくは、病院食か。

ああ、大失敗。

さっきより、大分量が増えているように見えるのは気のせいか?

冷凍庫のスペース、あって良かった・・・・・

白菜、レタスをまるごと捨てる女性って・・・

シェアハウスに住んでいると、いろんな住人の生活を垣間見ることになる。

特に食生活には、食に対する姿勢だけではなく、その人の性格も現れる。

あまり行かないけど、共有キッチンには生ごみ用のゴミ箱がある。
管理人は毎朝、これを掃除してそのごみの処分している。

日本だから、当然分別する。
そういう分別サインを無視して捨てる人も少なくない。

掃除をする人のことやルールを守ることなど全く考えていない。

こういう人間には、幼稚園で学び忘れた「集団生活」の「ルールを守る必要性」を教えるだけで済むけど、この「共有ゴミ箱」に白菜、レタスをまるごと2つも捨てる人間はどうしたらいいのだろうか。

ある日、管理人がごみを撤去した1時間後に起こった事件。

共有ゴミ箱をすでに半分以上占めている、しなびた白菜とレタス。
見たときは驚いた。

外側を剥げばまだまだ食べられる。
でも、それを平気でまるごと捨てる。

しかも、それを「共有」のゴミ箱に捨てる。

他の住人の生ごみが捨てられなくなることは、想像できないらしい。

管理人が当事者を探すとまだキッチンにいた。
「食べようと思って持ってきたけど、食べられないからここに捨てた。」とのこと。

彼は「ここは調理後のごみを入れるところだから、自分で有料の袋を買って部屋で捨てるように」と「お願いした」そうだ。

シェアハウス、比較的金が無い人が多く住んでいる。
こういう行動を見ると、彼らが貧しいのはお金だけではない。
知識も、指導してくれる人間関係にも貧しいのだ。

ネットがこれだけ普及し、知識も友人関係も簡単に手に入る。
でも、それは本当に「手に入れている」のだろうか。

モッツレラチーズのケーキ、何故ひよこ型?

かつて「洋生」と呼ばれていたケーキ。
地元に帰ると、必ず買いに行く。

これは、ほとんど唯一の贅沢だ。

このケーキが、だいたい毎月2度入れ替わる。
ひな祭りや入学シーズンに合わせてかわいいケーキが登場する。

食いしん坊にはまったく興味がない。
だって、おいしさが重要で、見た目は「シンプル is  ベスト」だと思っているから。

でも、このケーキ屋さん、どんなにかわいいケーキでも甘みを抑えて美味しいものだ。

それにやはり商売。
「かわいい」ビジネスが盛んな日本の企業なら、「かわいい」に走るのは理解できる。

でも、なぜ「ひよこ」なんだろうか?

この丸みを帯びたモッツレラチーズのケーキ、ものすごく美味しい。

でも、食べる時に脱力する。
だって、ひよこなんだもん。

たしかに、モッツレラチーズの形に似てなくもない。
真っ白のままでは、確かに地味だ。

じゃあ、頭に小豆大のチョコでも乗せたらどうだろうか。

たぶん、女性の乳房みたいに見える。
2つ売れ残ったなら、ショーケースでとんでもなく目立つだろう。

で、思った。
だから「ひよこ」に見えるようにしたのかも知れない。

たしかに、これなら造形的に他のものを想像できそうもない。

「ショーケースでいくつも並んだ時、魅力的に見えるか」という課題はケーキはもちろん、パンや惣菜すべてに言えること。

でも、重要なのは美味しさだ。
美味しいから何度も買いに戻る。
不味ければ一度で終わり。

どんなに着飾っても不潔な女性って判ったら男は戻らない。

結局、欲望に対する人間の行動に大した違いなんて無いんだよねえ。

トマト味?カレー味?

食事会の残りのうどんを一食分づつラップに包みなおして冷凍庫へ収めた後、赤い鍋の中を覗く。

これは、白い鍋より量が少ない。

ちょっとほっとした。
でも、相変わらずおでんの具のサイズだ。

今度はこれをさいころ型に切り刻んだ。
最初は「トマト鍋」と聞いていたし、トマトの切れ端も見えていたから、スープにでもしようかと思った。

でも、カレーの匂いが強かったので、カレーに作り変えることにした。

管理人の奥さんが「ちょっと古いチキンがある」というから「持ってきて混ぜなよ」と指示する。

その間に、じゃがいもをさいころ型に切って茹でる。
持ってきたチキンはにんにくのみじん切りで炒める。

これを鍋に放り込んでカレールーを混ぜる。
隠し味の香辛料を入れて味見。

まあ、美味しくなった。

冷凍庫に自家製のふくしん漬けがあったから、これを解凍しておいた。

だから、夕食はカレー。

これまた、管理人は「うまい」と絶賛し、お代わりをした。
そりゃあ、昨今の市販カレールーを使えば、誰でも美味しく作れる。
大量のラードのせいだ。
カロリーは考えたくないけど。

解凍したふくしん漬けがめちゃくちゃうまい。
やっぱり、冷凍しておくと、味が落ちないもんだ。

昨夜のMVP選手達も共有ルームに居たのでおすそ分けした。
5人の夕食を食べて、ちょうど2人分ほどのカレーがタッパに余った。

明日もまた、余りものだけで3人分の食事が賄えるだろう。

家族じゃあないけど、みんなが安全に、美味しく、お腹一杯食べられる。
食事にそれ以上求めることって、あるんだろうか。

うどん8食分、どうするっていうのさ

管理人の食事会、鍋にはたいてい麺をぶち込んでいる。

今回は、うどんとラーメンだったようだ。
いつものように、赤い鍋と白い鍋だ。

冷蔵庫を覗くと、茹でうどんが封を切ったビニールに入ったままラップに包まっている。

どうも、開けてはみたが、食いきれないことに気がついたらしい。
ビニールを取って冷凍する訳でもなく、そのままラップにくるんで放り込んである。

ため息をつきながら、まず白い鍋を分量を量る。

鍋の中にある具材はどうみても、おでんの具の大きさだ。
しっかり煮えている。
ウインナーもまるごと入っている。
残っている量は半端ない。

ただ、彼の鍋のいいところは、本物の昆布で出汁を取ることだ。
その昆布も鍋の中を泳いでいる。

それで、まず具をすべて小さく刻んだ。

そして半分の具材を取り分けてあんかけの材料にすることにした。
もう半分は汁の中に残し、醤油で味を付け直してうどんの汁にした。

ラップのうどん、一部を温めなおしてどんぶりに入れる。
3人分のお昼ご飯になった。

管理人が「うまいっ」と絶賛する。
「とても、昨夜と同じ食べ物とは思えない。」と感動している。

「このまま、温め直して食べる気だったの?」と聞くと「うん」という返事。

「美味しくないよねえ」と聞くと「うん」という返事。

「美味しく食べる方法をはいろいろあるよねえ。」というと「うん」という返事。

でも、詳しく聞くと「味を変えるなんて、考えたことも無かった。」とのこと。

どうも、そういう発想が無かったらしい。

美味しくないなら我慢しないで、美味しくして食べればいいのに。

食べ残しの大鍋2つ

管理人が時々、食事会をやって大きな鍋を作る。

昨夜は、その宴会の夜だった。
とあるスポーツ大会で準優勝したらしく、商品はコーラだそう。

いったい、誰が飲むんだ、こんなまずいもの、と思ったが、若い子達はがんがん飲んでいた。

で、朝見に行ったら、いつも使う直径40センチくらいの大鍋がテーブルの上に置いてある。

蓋を開ければ、どちらもまだ半分は入っている。
室温はすでに暖かくなるというのに、一晩このままで置いたというのか?!

そこに管理人が来たから、問いただした。
なぜ、食べ物を粗末にするのか、と。

この管理人には、今、奥さん共々、基本的な食生活のABCを教えている。
たとえば、計画して食材を買うことや、食べ残しを減らす方法とか。

先日は、ブロッコリーの食べ方を教えた。
芯のところも硬い皮を剥げば食べられる。

そんなことを日々教えているけれど、ほとんど怒ったことがない。
だって、誰もが最初は「知らない」のだから。

でも、これは怒った。

なぜ、冷蔵庫に入れておかないのか?

これだけの量、自分だけのお昼分には多すぎるの簡単に分かるはずだ。
だとしたら、どうにかすることを考えるべきだろう。

大体、地球上でどれだけの子供が飢餓で死んでいるか知っているのか?

金を出して買ったから、食わなくても良いというのは、先進国人の傲慢な考え方なのだ。

買うという選択以前に、食べ物が手に入らない人達は世界中にいる。
だからこそ、食材を買った以上、買った人は、全部食べる義務があるのだ。

2014年4月10日木曜日

突然鍋、300円也

仕事の面接後、疲れてハウスに戻ると、顔見知りの旧住人がいた。

管理人のお気に入りの、料理が上手な若い男性。
本当にいい人だ。
遊びに来ているらしい。

聞けば、今夜は鍋を作るとのこと。
管理人曰く「今日は300円だよ。」だって。

ここでの夕食はたいてい会費制だ。
部屋に帰って夕食を作る気にもなれなかったから、300円払って食べることにした。

もっとも大なべに作ったのをテーブルにおいたら、みんなが群がる、という至って原始的な食べ方だけど。

その間に、いろいろおしゃべりしたりしている。
お金が余れば次のためにプールする。
それほど厳密にも計算していないし、彼が作るなら料理ならどうやってもおいしい。

で、かなり待ってもまだできない。

キッチンに行くと彼一人で奮闘している。
「味が決まらない」なんてぼやいている。
味見すれば、そんなことはない。

十分にうまい。
でも、まだ肉が煮えてない。

部屋で食った方が良かったか、と思った時にようやく出来上がった。

食べ始めると、なんでこれほど時間がかかったのか原因が鍋の中にあった。

ひき肉としいたけを刻んで油揚げの中に詰めてある。

これを作っていたからだ。

でも、待った、そして時間をかけたかいがあった。
絶品だ。

彼の味のセンスは良いから、適当に作ったってまずくなりようがない。

彼は遅くなったことに恐縮していたが、もう誰もそんなことは気にしない。

旨い食べ物は、人をやさしくする。
おいしいものを食べている時に不機嫌になるなんて、無理な話だもん。

2014年3月15日土曜日

スーパーマーケットで欲望が暴走しないのは何故?

スーパーマーケット、最近ほとんど行かない。

野菜と果物、卵は近所の激安八百屋で買っている。
肉や魚はデパートの地下で買うから、大手のIやAに行くのは月に一度位だろう。

かつて、東京に住んでいる時は、駅近くの大手スーパーが夜11時までやっていた。
一週間に3回は会社の帰りに寄っていたと思う。
ほとんどの買い物はそこで済ませていた。

一度計算したことがあるが、1年間で10万以上使っていて驚愕した。

八百屋で使う一週間の野菜と果物、冬場はちょっと高くなるけど、一回に1500円だ。

一週間に一度。デパートは10日に一度程度か。
だって、誘惑の地雷で満載されている場所なんだから。
欲望にはコントロールが必要だ。
そのためには、刺激しないように近寄らないのが一番。

でも、スーパーマーケットはどれだけ長居ても、私の欲望がまったく刺激されない。

安いよ、安全だよ、と前面に押し出されても、まったく美味しそうに見えないのだ。

まるで、派手な衣装を着けて道に立っているお姉さん方が「お兄さん、安いよ、安全だよ」と声をかけられても欲望が沸かない、という感じだろうか。

これ、男性の場合だけど。

何が違うのか判らない。

でも、確実に判ることがひとつある。
スーパーの肉や魚の場合、食材に艶が無いのだ。きれいに加工されて、パックされて、うわべは美しく並んでいるけどエネルギーを感じない。

もちろん、照明や店員の違いがあるだろう。
でも、魅力が感じられない。

値引きも5%程度なら買う気も起きない。

食いしん坊は、鮮度が判るほど食材の目利きではない。
ただ、美味しいものに対しての嗅覚は、かなり本能的だ。

買う決断は、欲望に支配されている。

ともあれ、スーパーに寄っても財布を開かずに出てきてしまったとき、ふと思ったことでした。

キムチ鍋にチョコレート?

ハウスの友人と鍋をした。

私がタラのアラを買ってくるから、野菜は彼女が準備することになった。
私が作ったキムチがあるんで、キムチ鍋にすることした。

当日、とても寒い日だったから、鍋がとてもおいしかった。

最初、タラを塩味で食べた。
後半、キムチを入れて味を変えた。
その中に彼女が作った餃子を放り込んだ。

にんまり笑う彼女、「一個だけドッキリがあるよ」という。

爆弾餃子だ。
まあ、食べられないことはないだろうから、あまり心配していなかった。
当たったところで、死ぬわけじゃあない。

激辛ではないだろうとは想像していた。
でも「激甘」とは思ってなかった。

そう、当たったのだ。

だって、彼女は自分でどれに入れたか知っているから、それを避けて食べている。

当然、当たるのは私だ。

餃子の中に入っていたのは「チョコレート」だ。
バレンタインデーのために手作りチョコを作った残りを入れたらしい。

だから、一口食べたら、口の中のキムチ味に甘さが炸裂した。
でも、これが思ったより悪くない。

甘辛い味は、中華料理にでもある。

チョコレートという風味だって「無理っ」という感じではない。
これを食べて「チョコレート、料理に使えるかも」と思った。

カレーライスの隠し味に使うことは聞いたことがあるが、味の影響力は微妙かも。

だってチョコレートと判別できるのは、舌が直接触れるからでしょう。
甘みが強烈だけど、苦味も同時に感じられる。
だから「チョコレート」と認識できる。

ゴディバに代表される美味しいチョコレート。
やはり、それだけで味わう方が美味しいかもね。

生チョコレートのロールケーキ

いつものお菓子屋の前、出来るだけ通らないようにしている。

でも、街灯に引き寄せられる蛾に選択肢が無いように、私もまたデパートに引き寄せられてしまうことが多い。

唯一のメリットは、ここのケーキ、素材が高品質なのに値段はコンビニ並にお手ごろ価格だ。

だから、コンビニのスイーツに誘惑されそうになる時、ここのケーキを思い出す。

そうすると、買わずに店を出ることが出来る。

で、一週間ちゃんと仕事を全うした時は、良心の呵責無しに買いに行く。

自分へのご褒美だ。

大抵はクリームブリュレを買うけれど、この日はロールケーキの気分だった。
いつもは生クリームを買って、自家製のソースを上に乗せて食べる。

でも、今回は違った。

生チョコレートクリームのロールケーキ。

クリーム部分がマーブル模様になっている。
生クリームとチョコレートクリームが作り出すこの模様を見て、味を想像したら手が離れなくなった。

今まで何度も買うチャンスはあったけど、まだ食べたことが無かった。
しかも、残りはそれ一個だけ。

買うしかないでしょう。

で、食べた。
思ったよりすごかった。
生クリームのコクがチョコレートの風味と合わさると無敵スイーツだ。

真ん中の生クリームを食べながら、あまりの美味しさに気が遠くなりそうだった。

「来週もまた食べたい」という欲望は膨れ上がる。
でも、このロールケーキ、いつも冷蔵ケースにある訳じゃあない。

だから、食べられる時に食べるしかない。
次、いつ食べられるか判らないからこそ、大切に味わえる。

食欲を満足させるには、大量である必要はないのだから。

シンプルな料理って

昨年、40分もかかって食べに行ったうどん屋、街中に小さな店を出していた。

ハウスの管理人に連れられて食べに行ったが、まあ、わかり難い。

どう見ても、ラーメン屋の「裏口」だ。
のれんは一応出ているけど、うどん屋と分かるものがほとんどない。

でも、この小さなカウンターの店では以前、ブログで絶賛したうどんが食べられる。

で、今回は、前回どうしても食べたかったメニューを頼んだ。

日本風カルボラーナ。

なんのことはない、バターと温泉卵であえたうどんのカルボラーナだ。
絶品の味。

でも、食べながら思ったのは「ただのうどんの方がおいしいかも」ということ。

つまり、卵とバターの味が強いのだ。

ここのうどん、地元のおいしい小麦粉を使っている。
この街の水もおいしいけど、田舎の店のならもっとおいしい水が使われている。

だから、ここの「うどん」そのものに個性的な味がある。

そんな、うどんの味を楽しむためには、出ししょうゆをかけて食べるのが一番おいしい。

たまごもバターと和えて食べるのも文句なし美味しい。
でも、次はたぶん「うどん」の味を楽しみたい。

卵とバターでうどんを食べるなんて、十分シンプルだと思っていたけど、間違っていた。

卵もバターも、味や風味はとても複雑だ。

これ、食べ比べたから出来た発見だ。

美味しいものを食べ比べるなんてずいぶん贅沢な話だけどね。

2014年3月13日木曜日

チーズスプレットとベーグル

地元企業で作るチーズスプレット、先日衝動買いをしてから堪能している。
パンと食べるのも美味しいけど、ベーグルと食べるのが一番うまい。

学生時代、ベーグルに会ったのはカフェテリアだったと思う。

もちろん、クリームチーズは取り放題だった。
初めて食べた時、その歯ごたえと味にどっぷりはまった。

もちろん、日本で200g 400円もするクリームチーズが食べ放題というだけで半分正気を失っていたかもしれない。

正気が戻ったのは、1ヵ月後、体重計に乗った時だ。

時が経っても、チーズの誘惑に勝てたことが無い。

今回のチーズスプレットはバターも入っているのだから、無理な話だ。

おかげで、かつてのベーグル熱が戻ってきてしまった。

ベーグルは昨今、専門ショップもあるから美味しいものが簡単に手に入る。

問題は「どの味のベーグルを選ぶか」だ。

いくつか試したが、結局チーズ味のベーグルが一番美味しい。

ベーグルのトップにチーズが掛かってカリカリになっているものを半分に切って軽くトーストする。

チーズスプレットを塗ってかぶりつけば、口いっぱいに2種類のチーズの味が混じる。

至福の時間だ。

味付けしたクリームチーズも専門店では食べられる。
パインや木苺の味がするクリームチーズ、昔食べた記憶がある。

甘くて美味しかった。

でも、本当に美味しいチーズなら、それだけで十分。

どうも甘さより、美味しさに、私の食欲は抑制されるようだ。

2014年3月12日水曜日

ココナッツミルクとアーモンド

もう少し、プティング話。

この「卵、甘味(砂糖)、ミルク」のコンビネーション、とてもたくさんのバリエーションができる。

ミルクは牛乳だけではなく、豆乳やココナッツミルク、甘味も蜂蜜やメープルシロップなど様々だ。

これらのコンビネーションはそれぞれ、違った風味をかもし出す。

そして、ボリュームを出すには一般的にお米、パンなどがあるけれど、先日、友人が作ってくれたものは一味違った。

彼女が使った食材は「キヌア」だった。

彼女はグルテンアレルギー持ちなので、食材に注意が必要だ。
だからこそ、彼女が選ぶ食材はとても厳選されている。
そして、それ故、とても美味しい。

今回作ってくれたのは、有機栽培のキヌアと黒糖、そしてココナッツミルクで作るライスプティングみたいなもの。

これ、歯ごたえがちょっとプチプチしている。
これに、アーモンドを加デザートだ。

これが面白かった。

美味しいのはいつも通りだけど、不思議な食感だ。

だって、アーモンドとキヌア、カリカリとプチプチが口の中で混じる。
それが、アーモンドとココナッツ風味付だ。
黒糖のコクのある甘みとか絡み合って、ちょっとした「体験」だった。

ボディにキヌアが使えれば、たぶん、タピオカとかも使えるだろう。

この場合、ぐにょぐにょとカリカリだから、噛み合わせが悪い人には、食べにくいコンビネーションかも知れない。

彼女、小麦粉が使えないから、アーモンドパウダーをよく使う。

市販のお菓子にアーモンドパウダーが使われていると大抵美味しいことは知っている。

でも、アーモンドの使い方にこれほどバリエーションがあるということは、彼女と会わなければ学べなかった。

新しい出会いは、新しい発見の連続だ。

ご飯に「牛乳と砂糖をかけて食べる」ってあり?!

お米の国に育った日本人として、ご飯に牛乳と砂糖をかけて食べることなんて、想像の埒外だった。

でも、海外の人たちは、日本人がご飯に生卵としょうゆをかけて食べるのは信じられないらしい。

だから、お互い様なのかもしれない。

でも、偏見を取り除くと、この味は結構いける。

だって、結局「ライスプティング」なんだから。

プティング、というスイーツ、日本では「プリン」という名称で昔からおやつとして親しまれている。

高度成長期の時から、大手食品会社は、プリンを簡単につくるインスタントパッケージも売り出していた。

小学生の家庭科の授業でも作った。

ここで使うのは牛乳、卵と砂糖だ。

これに、パンやご飯をを混ぜるだけ。
だから、ブレッドプティングやライスプティングは「プリン」のアレンジということになる。

ブレッドプティングの味は学生時代に初めて知った。

ホストファミリーが作るブレッドプティング。
気絶するほど美味しいソースがかかっていた。
風味の元は、高級リキュールだった。

若くて、酒の味も知らなかったけど、その旨さに感動した。

コーンフレーク、オートミールに砂糖や蜂蜜とミルクをかける文化なら、お米だって同じこと。

文化を理解すれば、不思議と思う食べ方も「当然」と思える。

食べ物を知ることは、文化を知ることだ。

だから「変だ」と思わずに食べてみよう。

きっと、新しい発見がある。
そして、自分の文化と共通するところがある。

そうすれば、もっと理解し合える。

同じものを食べることはまた、信頼関係を作ることでもあるのだから。


低温が湿気を取り除くと・・・・

あるテレビ番組で、極寒の地での生活をルポしていた。

その中で、庭に洗濯物を干すことを知った。
マイナス40度の空気だ。
もちろん、一瞬でかちかちだ。

でも、2週間もすれば、ちゃんと乾くらしい。

つまり、冷気は、だんだん乾燥するということだ。

この番組を見て、その生活習慣に驚いたけど、最近この事実を体験することになった。

昨年の冬、実家の倉庫で腐ったジャガイモを見つけた時のこと。

そのまま、箱に入れておけば他の芋に腐敗が伝染する。
だから、ある高い場所に避けておいた。

そして、そのことをすっかり忘れていた。
先日、それを見つけたら、腐ったところが乾いて硬くなっていた。

つまり、気温が下がって腐敗は止まっていた。
乾燥のせいか、寒さのせいかは判らない。

芋は半分腐ったけど、半分はまだ食べられる状態のままだった。

なるほど、と思った。

だから「冷凍庫の中が乾燥するは当然なんだ」と。

冷凍する食材は小さなものほどラップにくるんでから保存バックに入れる必要があることは、知識として知っていた。

でも、何故かは知らなかった。

テレビ番組、体験、がそれを教えてくれた。

冷凍焼けと言われる現象、これ「乾燥」だ。

おにぎりを作って冷凍しておいても、3日以上立つとレンジで暖めてもしっとりしない。

チャーハンのようにばらばらになってしまう。

そりゃあ、乾いてしまったのだから仕方ない。

だから、冷凍庫で保管する「料理」になったものは、トマトソースのように長期保存しても美味しく食べられない。

やっぱり、美味しく食べるためにも少しずつ作るしかないのねえ。


値段、本当に高いのだろうか

飯鮨(いずし)、どこで買っても物凄く高い。
100g1000円なんてざらだ。

母も、食べたくても、払った金ほど美味しくないから見かけても「買う気が起きない」と話していた。

美味しさは別として、この製造工程と手間、時間を考えると値段は妥当に思える。

結果、それほど美味しいかどうかは、消費者の舌が決めるのであって、販売者が決めるものではない。

東京に有名な漬物屋さんがある。

そこから、ある時食いしん坊の叔父一家にお礼を送った。
その一家、「超」がつくほどグルメ一家なので、その漬物も「美味しいよ」のコメントしか貰えなかった。

でも、今考えれば、あれは本当に美味しかったのか疑問が残る。

自分が東京で食べた時は、たしかに美味しかった。
でも、今食べたら「美味しい」とは言い切れないような気がする。

「高いものが美味しい。」と普通の人は思うだろう。

でも、個人的経験からの意見を言えば、それは違う。

本当に美味しいものは、お金を払って買うことができるような流通ルートに乗らない。

だから、作ったところで消えてしまう。

まあ、都会に売るほど十分に作られるなら、そこそこ流通もしている。
でも、本当に美味しいものは量が作れないし、鮮度も保てないから、生産地からあまり遠くまで広がれない。

距離的にも、時間的にもだ。

だから、生産地に近く、旬の食べ物は本当に美味しい。
それで長作った加工品は絶品になるのは当然だ。

大手企業がレシピどおりに作って同じような旨さにはならない。

彼らの商品、きれいなパッケージや有名であることで売れるだろう。

女性と同じだ。

きれいな顔で、スタイル抜群。
でも、味はどうだろうか。

溢れる情熱と愛情は、食べるまで分からないかもね。

ちょっと鍋から目を離したら・・・

作っていたラタトゥユの鍋から焦げ臭い匂いがする。

やばいと思ってかき回した。
とりあえずそれほどくっ付いていない。

ほっとして、いつもどおりに味付けをする。
で、味見。

まずっ。
やっぱり、焦がした影響があった。

なんとかごまかそうと思って、調味料を多く入れてみる。
だめだ。今回は、これで食べるしかない。

こんな時、砂糖でも、塩でも、調味料が味に貢献できることは限られている。

もちろん、食べられない程、焦がしたわけではないけれど、不味いものを作った自分を反省した。

ジャムを作る時もそうだった。

アルミ鍋で作っていた時、すぐにこげてしまい、風味が落ちる。

3重底の寸胴鍋で作るようになって、焦げないジャムが出来るようになったら、風味が向上した。

火加減と道具、という技術的な問題はあるけど、この体験、食いしん坊には「ちゃんと集中して作らないと不味くなる。」という教訓になった。

どんな時も、きちんと向き合って取り組まないと美味しいものは出来ない。

で、ふと考えた。

料理と子供、どちらもちょっと目を離したすきに問題が起きる。

どちらも「きちんと向き合う」必要があるということだ。

だから、子育ても、育ってからなんとかしようとしても、できることは限られている。

最初が肝心だ。

つまり、「作ること」も「育てること」の本質は同じということ、みたいだね。

そりゃあ、毎日宣伝見て、簡単に買えるなら当然でしょ

「飲酒で老人になった35歳の女性 恐怖のアルコール依存症」の記事を読んで、物凄い違和感があった。

この記事に寄れば、この10年、日本ではアルコール依存症が激増しているそうな。

特に女性は多いらしく、この記事の対象者も女性だ。

で、その理由が社会進出したストレスが起因として記事をまとめていること。

これが一番怖い。

江戸時代だって、アルコール中毒者はいた。
ただ、酒は高価で、簡単には手に入らなかった。

だから、中毒者になる環境が限定されていた。
だから、中毒者になるためには酒を飲み続けられる財力が必要だった。

でも、現代は缶ジュースと同じ値段でアルコールが売られている。
しかも、100メートルおきにあるコンビニで買える。

何故、これほど売るのか?

だって、儲かるから。
酒の利益率はとても高い。
だから、ゴールデンタイムのテレビCMだって人気アイドルが酒を飲むCMがバンバン放送される。

そりゃあ、中毒者は増えるよ。
安くて何処でも買えて飲酒の罪悪感だって感じること無いんだから。

大企業がそうやって、儲けに走って酒が毎日飲めるようになれば、企業の宴会だって酒の量は増える。

酒には高い税金が掛かっているから、たくさん売れれば政府も嬉しい。
中毒者が増えるほど、当事者以外が儲かる仕組みが確立されている。

だから、消費者が決める必要がある。
「買えるから買う」という考えを変える必要がある。

食べたり、飲んだりする結果に向き合うのは自分自身なのだから。

2014年3月4日火曜日

誰が作っているの?

先日、あるスーパーマーケットでオリーブオイルを買おうとして気がついたこと。

昨今、大手スーパーマーケットのプライベートブランド(PB)の製品が人気だ。
同じオリーブ油でも2割ほど安い。

大抵は、生産を大手企業に生産を委託しているから、大手ブランドとほとんど同じ製品のはず。

でも、「販売元」の記載しかない。

生産した会社が判らないのだ。
だって、記述されてないんだもん。

つまり、食べ物の「生産者」が判らない商品を、大手企業は大々的に販売していると言う訳だ。

誰が作ったか判らないマヨネーズや食用油、誰も買いたいとは思わないだろう。

でも、それが有名スーパーマーケットが販売しているのなら、どうだろうか。

だったら、安心なのか?

最近は、トルコからの輸入品が多い。
為替差益で大手のPBに頼らなくてもお手ごろの値段でオイルが買える。

大手企業もまた、そんな安いオリーブオイルを大量に買い付けて、誰かに下請けさせてボトルに詰めれば、安く作れる。

大企業が作っているものに、美味しいものなど皆無だ。
彼らの製品、安く売れるのなら、必ずその理由がある。

もし、美味しいと感じるなら、何かが入っている。
だって、大量に良いものを安く作るなんて無理な話だ。

たぶん、食べ物として問題ないだろう。
美味しいかも知れない。

でも、製造者が不明な商品は、どんなに安くても買う気はない。

それが、日本一大きなスーパーマーケットが販売し、製品を保証しているとしても・・・食いしん坊は買わない。

スーパーだって、PBが儲からなきゃそんな商品は開発しない。

だから「買わない」選択をする。
これは、消費者ができる唯一の「NO」という意思表示だしね。



買い物好きな母の心理、これが理由?

小池龍之介氏のWEB寄稿文に「買い物に走る人の心理」の説明があった。

筆者曰く、買い物は「自分の支配欲」を満足させる行為だそう。

で、この行為、「一般的に、日々の生活で精神的に満たされていない人、自分の力を実感できない人ほど、その欠乏感や無力感を覆そうとして、買い物に走るケースが多いように見受けられる(引用)」とのこと。

これ、母の買い物を見ていると強く実感する。

母は、無農薬、減農薬の野菜を定期購入している。
卵も放し飼いの有精卵だ。

安い買い物ではない。
にもかかわらず、最近まで冷蔵庫の中で腐らせていることをなんとも思っていなかった。

つまり、この行為は、食べ物の安全に対して「自分が支配できる」と思いたいということだろう。

でも、送られる野菜は会社が選択するから自分で「選ぶ」楽しみはない。

つまり選択できる実感はスーパーで「買物」することで満たそうとする。
つまり金を払うことで「買うことができる」というパワーの実感だ。

金を持っていなければ買うことはできない。

だから、彼女は通販とかに騙されて高額商品を買う傾向があった。

俗に言う「賢い消費者」というお金持ちも「無農薬は値段が高い野菜」である方が自分のパワーを実感できるのかも知れない。

でも、食べ物の関係に支配力が必要だろうか?

必要なのは、尊敬から生まれる信頼関係だろう。
払うお金は彼らの努力を支える。

そして、その努力に感謝し、買い続けること。

そこに支配力は不要だ。
だから、値段が「高いこと」が「安全」ということもない。

食べること自体、リスクのあることなのだ。
だから、信頼できる生産者を支える。

その上で何か起こってもそれはそれで何とかなる。
口に入る前に料理するのは、そもそも自分だ。

大企業の商品は「安全」かもしれない。

でも、それと引き換えにした未来の健康はどうだろうか。

金の支配力で、未来の健康が買えると信じるのもいいだろう。
それもまた、お金を持った「賢い消費者」の自由なんだから。

2014年3月3日月曜日

砂糖の600倍の甘さ・・・・人間に必要か?

食いしん坊は食のバラエティに興味があり、旨さを追求する。

その中でもスイーツに関しては、この単語が巷で使われるずっーと前から人一倍興味がある。

だけど、体重が増えだしてから気にするようになった。

若いときには、コーラもダイエット食品も「カロリー0」みたいな広告に踊らされて購入していた。

でも、そこに使われている人口甘味料の製造過程、開発される商業主義の背景を知った今は、あまりのおぞましさに口にすることもほとんど無くなった。

今や、飲むのは炭酸水だけ。
もう、コーラやファンタの甘さには耐えられられない。

缶コーヒーに至っては、人間の飲むものではないと思う。

でも、大企業は人口甘味料を使って製品を販売し、甘味中毒者を大量生産する。

だから、製品はどんどん売れる。

中毒者は甘味だけではなく、アルコールや麻薬でも何でもそう。

「もっと」欲しくなる。

で、ある記事を読んでいて驚愕した。

砂糖の600倍の甘味があるスクラロースのことだ。

今、アスパルテームにとって代わっているのが、この人口甘味料らしい。

でも、砂糖の600倍の甘さって、人間に必要なのか?

企業には必要だろう。

だって、儲けるためには、中毒者増やした方がいいんだから。
そうしないと、商品はたくさん売れない。

たばこだって、ニコチンの吸収率増やすために加工したんだから、食品大企業だって変わりない。

儲けのために「加工」するのは当然。

そりゃあ、法律作ってそういう食品が安全ということ証明しているでしょう。
ロビー活動だって金がかかっているんだから。

でも、そもそも人間に「必要かどうか」という点から考えてみようよ。

答えはひとつ、「NO」でしょ?

ゴルゴンゾーラの味なんてしないよっ

デパート地下のパン屋さん、新製品に「ゴルゴンゾーラチーズのパンピザ」あった。

見過ごすわけにはいかない。
その隣には「5種類のチーズパン」がある。

チーズとパン、どうしてこうもおいしくなるのだろうか。

味を想像しただけで、理性のサイズは豆粒大に縮んだ。

もちろん、結構いい値段がついている。
でも、デパートにあるパン屋なのだからうまいはずだ。

ただ、会社は良く見かける大手のパン屋。

買うのがためらわれたが、「ゴルゴンゾーラ」という単語に欲望が暴走した。

で、食べて思ったこと。

「金返せっ!」

ゴルゴンゾーラのチーズケーキを10年以上前に食べたことがある。
それは、小さなケーキ屋だった。

このチーズ味のパンチの強さは半端なかった。

ゴルゴンゾーラは、そういう味だ。
名前にこのチーズ名を使うなら、せめて味がわかる程度は入れるべきだろう。

このピザパン、味がトマトソースの味しかしなかった。
歯ごたえはパンだけではなくチーズの食感もあった。
でも、何口味わっても、ゴルゴンゾーラの味なんて判らない。

もう、二度とあのパン屋の広告は信じない。

5種類チーズを使ったパンも買ってしまった。
だって、残りは1つだけなんだもん。

たぶん、みんなも広告の表示に惹かれて買ったのだろう。

私もそうだ。

でも、もう味への期待はしない。

たぶん、普通のチーズ味でしかないだろう。

デパートの格は、どういう店が入っているかに拠る。

パンの値段は、デパートに入っている店らしく高かった。
でも、だからといって味が保障される訳ではない。

パン代は、そのことを学ぶ授業料だったような気がする。

牛乳:意味ある「期間限定」

実家に1、2日しか帰らないのに母が牛乳を買って待っている。
前回は、たった2日しか居ないのに1リットルの牛乳を「貴方のために買っておいた」と押付けられた。

この「貴方のため」が曲者だ。

買い物大好きな母、買うことが目的になっている。

2度それが続いたから「無駄なものは買わないように」と言い聞かせたら、今度は500mlパックが買ってあった。

それがなんと脂肪分4.0の「期間限定」の牛乳だ。

脂肪分4.0なんて加工乳でしか見たことがない。

でも、販売元の地元企業、そんな製品を作る会社じゃあないからパッケージを読んだ。

つまり、こうだ。

牛乳の脂肪分は季節によって違う。
夏は、あっさり、冬は脂肪分が濃くなる。

寒いから当然だ。

で、契約農家から集めた濃い牛乳だけから天然の「脂肪分4.0以上」の牛乳を「期間限定」で販売している。

母曰く、値段は、普通の1リットルと同じほどだったそうな。

でも、味はむちゃくちゃ旨かった。
脂肪は甘いと言われているが、本当にそう。

ほんのりした甘さとコクは、子供の頃、農家で飲ませてもらった絞りたての牛乳の味を思い出した。

普段、牛乳は、朝飲むカフェオレに使う。

それを知っている母だから牛乳を買っておいてたけど、その朝のカフェオレがやたらコクがあったんで、パッケージをよく読んだ、という次第。

で、コーヒーに混ぜるのが勿体無くてそのまま飲んでしまった。

コーヒーに入れるための牛乳、結局、足りなくなった。

母には言わなかったけどね。

本来の食べ方を知った時

メキシコ料理に出るサルサ、近年、大手食品業界が瓶詰めで販売し始めた。

これに、どっぷりはまった母の友人。
パンにつけて食べているらしい。

その彼女に、母が「おいしいもの」を時々お裾分けしているとお礼にある日、これを貰ってきた。

で、母に「これは、本来トルティーヤチップといっしょに食べるもんで、メキシコではパンにはつけないけどねえ。」と話して、ドリトスのコーンチップを買ってあげた。

母が、それでサルサを食べたらむちゃくちゃおいしかったようだ。

100円ショップで買えるドリトス、サルサをくれた友人にも「これに付けて食べて」と「本来の食べ方」を普及した。

その夜、彼女から「どこで買ったのっ?」と興奮気味に電話がかかってきたそうな。

ようやく、本来のメキシコ料理の旨さを知ったようだ。
田舎の町でも大企業が製品をつくれば、遥かメキシコの味が味わえるようになるとは、時代も変わった。

もっとも、現地の新鮮なサルサはもっとおいしいけど。

で、売っている場所を教えたその数日後、「あれ本当に100円で買えるの?セールだと思って一杯買っちゃった。」と追加報告があったとのこと。

大手が作るコーンチップ、味付けされているものしかないけど、本来は塩味だけの方がおいしいと思う。

それに、夏場ならトマトとハラペーニョがあれば簡単に作れる。

今年の夏は、彼らに新しい味を体験させてあげよっと。

2014年2月23日日曜日

食べないのに何故買うの?

母の冷蔵庫、見ていてとてもげんなりする。

食べないのに、スーパーで見て「食べたくて買った」というキノコが料理もされず、生き絶え絶えになって救いを求めている。

高価な野菜も、調理を待ちくたびれて「ふて腐れて」いる。

仲間の会で配られたお菓子、「要らない」と断れなくて冷蔵庫の箱に放り込んである。

賞味期限は見たくもない。

町内会の宴会などで配られる100円ショップのお菓子も例外ではない。
だって、母はお菓子が嫌い、私は食いしん坊だ。

不味いものは食べない。

だから、そのまま、別の老人会に持って行かせている。
少なくても、そこなら食べたい人が居る。

この飽食の時代、人は食べ物を「とりあえず」買う。
企業は潤うけれど無駄な行為だ。

そんなことを10年続けた母、最近少し変わり始めた。

私は母が何をしても怒らない。
でも、母に美味しい野菜を腐らせているのを見つけた時は、怒る。

「どれだけ、苦労して農家の人がこの作物を作っているか、考えたことがあるか?これを腐らすことは、彼らの労力をゴミ箱に捨てることなんだよっ。」と繰り返して説明してきた。

この説明は、彼女が自分の「消費行動」を振り返る結果になったようだ。

そうやって、食べ物を腐らすことが、どれだけ彼らに失礼な行為かを意識し始めた。

以前、彼女にとって食べ物は「金で買うもの」だった。
今は、そこに「生産者」をイメージできるようになった。

そして、大企業の消費洗脳の戦略も。

だから、「買う商品」や「買う量」を考えるようになった。
結果、「食べられない食べ物」を見る「量」が減った。

行動が変わる。
これが重要だ。

食べられる量だけ買う。

野菜や肉を食べる時、生産者を思うことで消費者の行動は変わると信じている。

でも、時に食欲は暴走するけどね。

2014年2月22日土曜日

カビが生える安心

実家に戻る前に切り分けたかぼちゃ半分、冷蔵庫に残していたらカビが生えた。

しかも、白、赤、黒とバラエティに富んでいる。
これを見て、つくづく地元産の野菜は「安心だ」と思った。

大体、東京で買っていたメキシコ産のかぼちゃ、2週間以上たってもカビは無かった。

ある時は、黒く傷んでいた。

だから、3色のカビが生えるいうのは、それだけいろいろな菌がついているということ。

自分の家で作ったものならせいぜい1色だ。

ものが腐る、ということはビジネスとしては許されることではない。
だから、大企業が流通させている食べ物には、防腐剤や防カビ材を大量に使う。

でも、食べ物は腐る、そしてカビる。

金を出してそんな商品を買えば「金返せ」と言いたくなる気持ちも理解できるが、腐らない「事実(商品)」があるから「金を出す」という考え方は、本当に正しいのだろうか。

値段だけで、目に見える「食べ物」を買う判断をするのなら、確かに正しい。

でも、自分の選択は「腐らない安い食べ物」か「腐る可能性がある高い食べ物」か、となると確実に後者だ。

だって、腐らなくて安いならたくさん買う。
そして食べ残す。

値段が高いけど、腐る商品なら大切に食べる。
何より腐る安心がある。

でも、一番いいのは「安くて腐る食べ物」だ。
そうなると、地元産になる。

季節によっては商品数も限られるけれど、それはそれで豊富な時に作った保存食で補えばいい。

安全な食べ物なんていうものはない。

でも、腐る食べ物であることは「安心」が与えられている気がする。

カビを削り落とすと半分になったかぼちゃを見ながら「安全」に食うのは自分の責任、でも「安心」は生産者に頼るしかないことをつくづく感じた。

発酵バターで焼きつける「アラ」の味

先日、ハウスの友人と鍋をした。

彼女が野菜を準備して、私が魚を調達した。
生きの良いタラのアラがあったので、それを買ってきて塩と酒を振っておいた。

その2時間後、二人で準備をしていたら、彼女がアラを「バターで焼くと美味しいですよ」という。

そりゃあ、うまいだろう。

でも、ここに無い。

「私、ありますから持ってきます。」と言って部屋から取ってきたのが発酵バターだった。

ありえない・・・・。

こんな旨いものでアラを焼き付けるの?と思ったけど、言われたとおりにやった。

でも、さすがにバターをたっぷり、という訳には行かない。

値段を知っているが故に、良心が傷み、フライパンをカバーする程度にしか使えなかった。

で、結果は凄かった。
アラが新鮮だったせいもあるけれど、昆布と塩だけで、物凄く旨いスープになった。

恐るべしバター。

バターの威力は、材料が新鮮で美味しいものであればあるほど違いが大きくなるような気がする。

そこそこの素材も美味しくはなるが、それはバターのせいだ。

本領は、やはり美味しい食材と使った時。

極上のハーモニーをかもし出す。口に含んだ瞬間、舌がヨーデルを奏でる。

普通のバターでも、それほど美味しいのに発酵バターとは・・・。

ああ、もうマーガリンなんて食べ物とは思えない。

本物の味を知ってしまったら最後、もう前の生活には戻れない。

美味しいものは、消費の行動を変える。

食べ放題でもう満足感は沸かない。
健康のために食べ物を食べるなんて馬鹿げてる。

美味しいものを食べた時の感動があるから、生きてゆける。

明日は、もっとおいしいものが食べられるかもしれないのだから。

2014年2月19日水曜日

きんかんを分ける

きんかん、1キロ、なんとか調理した。

その後、シェアハウスのキッチンで友人にグルノーラの作り方を教えることになった。
だから、それをつまみながら教えていた。

オーストラリア人の住人が不思議そうに見るから、味見させた。

そうしたら「ああ、これXXXだね。」と言う。
オーストラリアでも金柑はあるみたい。

で、最近向かいの部屋に入ってきた日本人女性がキッチンに現れた。

金柑を見て「ああ、これ大好き」というから、味見させた。

「うわっ、美味しい。」って言ってくれる。

「これ、シロップがおいしいんですよね、もらっていいですか?」というからコップに入れてあげる。

「ほんと、美味しいですねえ」と言ってうれしそうに飲んでいる。

たしかに、むちゃくちゃ旨いシロップになっていた。
旨い金柑で作るから当然だけど。

「食べるなら、少し分けるよ」というと、「いいんですか?」と驚いている。

本気で好きみたい。

で、タッパに入れると「こんなにもらっていいんですか?」と恐縮している。

もちろん、大歓迎。
だって一人でなんて食べ切れませんから。

そうしたら、お礼にと言って、チョコレートとカモミールティーをくれた。

とても美味しそうなカモミールティーだ。

で、確信した。

彼女も食いしん坊だ。
きっと仲良くなれるに違いない。

そう、類は友を呼ぶ。

食いしん坊は食いしん坊を呼ぶ。

間違いない。

水を足すより不味くなるなんて・・・

しょっちゅう作る野菜のトマト煮、野菜の量が多くなると冷凍してあるトマトソースが一袋では足りない。

かといって、2袋は多すぎる。
だから、2缶で100円のトマトジュースを足そうと思って買った。
もちろん、某大企業の製品だ。

水で薄めるよりこっちがおいしくなるような気がして、ある日一缶使ってみた。

食塩無添加だし、トマトしか使われていない。
大企業が日本のトマトで作っている、と主張するのだから、安心ではある(はず)。

でも、いつもより不味くなった。

まず、ソースの持っているトマトの風味が無くなった。
味がぼやけた。

何故、水で薄めるより、不味くなるのだろう?

トマトが不味いから、としか思えないが、理由は良くわからない。

はっきり判ることは、このトマトジュース、もう二度と買わないし、使わない、ということ。

大企業のトマトジュース、無塩だし日本製ということで安心かもしれない。

でも、不味ければ買わない。

「日本製は安心だ」ということだけで商品を買うのはいいけれど、「だから美味しい」とは限らない。

水を加えるより料理の味を不味くするほどのトマトジュースを飲んで、消費者はその商品に「何」を期待するのだろう。

健康?

まさか、そんなことありえないよね。