2014年5月22日木曜日

キムチ、もうないじゃん

食いしん坊の母親、何事もはっきり言わない。

たとえば、キムチ。
今年は2度作った。

この間戻ると、これも「もう、少ししか無い。」という。
これは「作ってくれ」という意味だ。

容器も唐辛子も、実家にあるから、白菜さえ手には入ればすぐ漬けられる。

だから、作ることにしたけれど、実家のスーパーでは白菜が馬鹿高い。
今住んでいる街で買う2倍の値段だ。

駄目だ、延期だ。

だから、その次に帰る時、今住んでいる街から白菜を買って帰った。

この21世紀、白菜2個背負って長距離バスに乗り込むのは、食いしん坊位しかいないだろう、きっと。

で、実家に着いたのが夜。

その夜から、白菜を切って乾燥させる。
次の夜には塩漬けにする。
そして、その次の日に本漬けをして、その夜に街に戻った。

これじゃあ、ほとんどキムチを作るために実家に戻ったようなもの。

それでも、母が喜ぶ顔をみれば、まあその甲斐はあったか、と思う。

もっとも、味はまだわからないけど、たぶん結構美味しくできたはずだ。
室温に置くには暖かすぎるから、冷蔵庫に寝かせておく。
後は、何日か経ったら勝手に食べてくれればいい。

彼女、以前は、食べ物にはあまり拘らなかったが、最近だんだん食いしん坊になってきた。

「自家製が旨い」ということも、大分判ってきたから、ねだり方も巧妙になってきた。

でも、食いしん坊が作ったものを「食いたい」というのなら、作ろうじゃあないか。

その手間など、育ててもらった苦労に比べれば大したことじゃあない。

親孝行なんて、できる時間は限られているのだから。

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