実家でも私が植えたトマトが収穫時期になっている。
先日、母が「トマトがなっているけど、どうするんだ」と電話してきた。
「近所に分けてあげたら?」とアドバイスしたら誰も欲しがらないとのこと。
何故なら、みんな自分の家で作っているからだ。
私のトマトは、輸入した高級種から育てたイタリアントマトであることも、人気が無い理由のようだ。
見慣れない形の上に、調理が必要なトマトなんて、面倒でしかない。
こんな時期だから、地元の産地野菜販売店ではトマトだけで10種類以上売っている。
色も大きさも美味しそうで、どれも素晴らしい。
先日、この店に閉店間際に飛び込んだら、見切り品の野菜がいくつかあった。
「半額」のシールが魅力的に光り輝いていても、ちょっぴり元気のない野菜達の中にミニトマトがあった。
200円の半額だから100円だ。
手にとって買うと、これが有機栽培だった。
(株)自然農法という農家の商品だったが、値段に引かれて買って帰った。
夕食前だったので、準備しながらつまんだら、衝撃的な味だった。
空腹も加担していたが、甘みだけではない濃い味が、記憶の扉を開けた。
3年ほど前、東北のボランティアで地盤沈下した家を片付けたことがある。
その家の人は全員流されてしまっていた。
家の門は船が横付けできるほど、海辺になってしまっていた。
でも、その家の庭のトマトはたわわに実っていた。
こっそりつまんで食べたらものすごく甘く美味しかった。
塩水につかり、厳しい環境だから甘いんだと、誰か話してくれた。
このトマトの味があの夏の一日を思い出させた。
夕立があったこと。教科書を拾ったこと。
人の命の空しさ、そして植物のたくましさ。
たくましい野菜は美味しい。
そして、きっと、きっと、それは人を強くしてくれる。