2014年5月22日木曜日

生クリーム、入れ過ぎだっ!

ジャガイモプロジェクトの一環で、ポテトスープとコーンスープを作った。

コーンは、昨年母が冷凍したものだ。
料理が嫌いな母、冷凍した分はとても使いきれていない。

チキンスープは、以前、チキンの胸肉を茹でた時、ガラもいっしょにぶち込んだものを凍らしておいたものがある。

たまねぎもあるし、後、材料に必要なのは、生クリームだけだ。

この生クリーム、入れると入れないで味の違いに雲澱の差が出る。

コクの違いは生クリームの違い。
値段が高いけど「入れない」という選択肢はありえない。

じゃがいもやたまねぎをスープに放り込んで煮た後に、ブレンダーでスープにする。

味見をすると、いつも通り美味しい。

よし、後は生クリームを入れるだけだ。

パッケージを開けて、大匙2杯程度いれようと傾けた・・・・・ら、どばっと出たっ。

ひえぇ~。

何でこんなにゆるいのさ?と思っても後の祭り。

開ける前に、ちゃんとパッケージを振らなかったから、思っていたより生クリームが緩かったのだ。

で、味見をしてみれば、滅茶苦茶うまい。

当然だろう。
生クリーム、4分の1カップ位入っているんだから。

美味しいなら、もうこれでいい。
予想よりカロリーが高くなること意外に、特に問題は無い。

冷凍してしまえば、この「入れ過ぎ」も食べる時には、すっかり忘れている。

どんな料理も、旨ければ結果オーライだね。

キムチ、もうないじゃん

食いしん坊の母親、何事もはっきり言わない。

たとえば、キムチ。
今年は2度作った。

この間戻ると、これも「もう、少ししか無い。」という。
これは「作ってくれ」という意味だ。

容器も唐辛子も、実家にあるから、白菜さえ手には入ればすぐ漬けられる。

だから、作ることにしたけれど、実家のスーパーでは白菜が馬鹿高い。
今住んでいる街で買う2倍の値段だ。

駄目だ、延期だ。

だから、その次に帰る時、今住んでいる街から白菜を買って帰った。

この21世紀、白菜2個背負って長距離バスに乗り込むのは、食いしん坊位しかいないだろう、きっと。

で、実家に着いたのが夜。

その夜から、白菜を切って乾燥させる。
次の夜には塩漬けにする。
そして、その次の日に本漬けをして、その夜に街に戻った。

これじゃあ、ほとんどキムチを作るために実家に戻ったようなもの。

それでも、母が喜ぶ顔をみれば、まあその甲斐はあったか、と思う。

もっとも、味はまだわからないけど、たぶん結構美味しくできたはずだ。
室温に置くには暖かすぎるから、冷蔵庫に寝かせておく。
後は、何日か経ったら勝手に食べてくれればいい。

彼女、以前は、食べ物にはあまり拘らなかったが、最近だんだん食いしん坊になってきた。

「自家製が旨い」ということも、大分判ってきたから、ねだり方も巧妙になってきた。

でも、食いしん坊が作ったものを「食いたい」というのなら、作ろうじゃあないか。

その手間など、育ててもらった苦労に比べれば大したことじゃあない。

親孝行なんて、できる時間は限られているのだから。

不味いお菓子を与えた結果

リトル食いしん坊に久しぶりに会ったら、まあ、ずいぶんでかくなっている。

母親に聞くと最近、食べる量がすごいらしい。
で、相変わらずグルメなようだ。

両親と話しているうちに、いっしょに、レストランに行くことになった。

みんなで車に乗り込むも、そのレストランまで約40分ほどかかる。

しばらくすると、リトル食いしん坊、めちゃくちゃに泣き出した。
どうもその理由が空腹らしい。

以前も同じ泣き方を聞いたことがある。

母親が夜遅く戻ってきた時だ。

ほとんど泣かないリトル食いしん坊。
この時、初めてこの世の終わりみたいに泣き叫ぶ声を聞いた。

そんな彼女に、お父さんはお手上げ。
あやそうが、何をしようが一向に泣き止まない。

でも、母親が戻って母乳を与えると、ぴたっと泣き止んだ。
よっぽど腹が減っていたのだろう。

この日の泣き方もそんな泣き方だった。

で、市販されている赤ちゃん用のウエハースみたいなものがあったから、それを食べさせた。

もう、自分で握ることができる。
彼女、それを口に入れた時、一瞬だけ泣き止んだ。

が、しかし、3秒後、声を2倍にして泣き叫び始めた。

まるでサイレンだ。

握っていたおやつは放り出すわ、口に入ってたものは、飲み込みもしない。

完全なる「拒否」だ。

泣き声は「こんな不味いもん食わすんかいっ」と言っているようにしか聞こえない。

放り出したお菓子を齧ってみる。

確かに不味い。
スポンジ食べてるみたいだ。

泣きたい気持ちは、十分に理解できる。

グルメな彼女にこれを「食え」というのは酷だわ・・・・・

2014年5月21日水曜日

4種類のペーストリーを食べて判ったこと

美味しいパンで有名なドンクの前を通ったら、笑顔を携えて、ミニクロワッサンの試食を持った女性が近づいてきた。

笑顔に釣られて、試食のチョコクロワッサンを食べてしまったが、これがいけなかった。

時間は、夕方6時。腹が減り始めた頃だ。

まあ、うまかった。

だって、甘いもん。
しかも、さくさく感が半端ない。
続いて、笑顔で紹介するのは「期間限定」のペーストリーだ。

味見をさせてくれると言うではないか。

ああ、完全に誘惑の地雷を踏んでしまった。

これ、ストロベリーマカロンをチョコの上に乗せて焼いている珍しいもの。
とても甘い。

でも、チョコクロワッサンより美味しく感じた。

その横のトレイには、エダムチーズや五穀のペーストリーも並んでいる。

ミニサイズなので、グラムの量り売りになっているが、1個から売ってくれるとのこと。

だから、ミニクロワッサンと3種類のミニペーストリーを2個ずつ買った。
360円なり。
ケーキ1個分でいろんな味が楽しめるなんて、幸せだ。

次の日、これらを朝食として楽しんだ。
「期間限定」を入れて4種類買ったが、一番美味しく感じたのがプレーンクロワッサンだ。

小さくてもきちんと層になっている。

やっぱり、シンプルが一番だ。

小さいサイズの商品を販売するのは、作る点でも売る点でも店側に負荷がかかる。

しかし、消費者には便利だ。
試食もいいけど、味見的に買えれば心理的に楽だ。

そして、美味しければまた買いに来る。

ロングラン的にみれば、ファンを増やすには素晴らしい商品だ。

ただ、グラムで表示して販売している商品を、2個ずつオーダーするのは、結構勇気がいる。

380円程度の「味見パック」を作れば手に取る人も多いと思うけどなあ。

大手OEMのコンビニスイーツ、不二家じゃん

大手コンビニは、巷に流行しているカフェに対抗して、コンビニスイーツに力を入れている。

たとえば、ローソンは「マチカフェ」と名づけて一連のスイーツ商品を開発をしている。

ただ、中身は自社で製造できないので、他の企業に作らせる。

OEM商品だ。

「キャラメルナッツタルト」は、不二家が作っている。
不二家の商品にはすでにタルト商品のラインナップがある。

「アーモンドタルト」はその中のひとつだ。
つまり、製造ラインはすでにあるということ。

すでにタルトの中身を替えた商品のラインナップがあるわけだから、この中身を「マチカフェ」バージョンで作る。

不二家の「アーモンドタルト」だと1個180円以上。
コンビニで販売するには、これ以上安くなる必要がある。

だからかどうか知らないけど、アーモンドだけではなく、複数のナッツを使ってタルトを作る。

当然、原価が落ちるだろう。
だから「キャラメルナッツタルト」は170円。
10円安い。

これ、大手コンビニが「有名企業の商品で商機に乗る」と見ることができる。
でも、「有名企業が、大手コンビニの顔を借りて商品を売る」とも考えられる。

だって、不二家は、2007年に「不二家事件」という一連の不祥事を起こしているのだから。

結果、売り上げ不振が続き、銀座の本社ビルを売る羽目になった。大手商社がOEM商品の製造を委託するなら、禊は済んだということだろう。

有名企業も製造ラインはすでにあるのだから、活用するに越したことはない。
最近、ゴーストライターが話題を振りまいていたけど、ある意味、これも似ているのではないのか。

だって、顔を変えれば、大手コンビニも有名企業も儲かるのだから。

私は買わないけどね。

原材料、砂糖が最初に並ぶタルトの売り文句

ローソンはじめ、コンビニが「カフェ」を気取って商品開発をしている。

パッケージも、女性が好むような「無垢、自然」のイメージなので、ベージュや茶色の「落ち着いた色」が使われている。

先日、友人のお土産としてもらったキャラメルナッツタルト、パッケージには「香ばしいナッツにほんのり塩味のアクセント」との謳い文句。

塩は「フランス産ゲランド塩使用」だそうだ。

で、原材料を見ると「砂糖」が一番先にある。

小麦粉より、ナッツより多いものが「砂糖」だ。
甘味がこれだけでは足りないのか、他に「水あめ」と「麦芽糖」が入っている。

で、肝心の「塩」はどのくらい入っているのか。
香料を含めて下から5番目に記載されている。

それより少ない材料にはベーキングパウダーがあるが、その程度の量しか含まれていないということだ。

でも、パッケージは「塩」が商品の特徴として、産地を強調するほど売り文句にしている。

これは完全に「誇大広告」でしょう。

友人は、同じOEM商品の「シリアルクッキー」もくれた。
こちらは「オーツ麦の自然な美味しさが楽しめる」と宣伝文句が書かれているが、これも一番多い材料は「砂糖」だ。

これじゃあ「自然なオーツ麦」の味なんて、逆立ちしたって判りっこない。

イメージは「健康的」かもしれないけど、どちらも実際はナッツより、オーツ麦より「砂糖の塊を食べる」という商品だ。

大企業がブームに乗って売る商品、買うのはいいけど、原料表示は良く読んだ方がいい。

ちゃんと書いてある。

両方全部食べたけど、自分じゃあ絶対に買わないね。

2014年5月14日水曜日

ケーキの誘惑に負けた・・・

実家に戻った時だけの贅沢に、地元ケーキ屋の「ケーキを食べる」ことがある。

ケーキ屋の箱は、最小のものが2個入りサイズだ。

もちろん、1個でも気持ちよく売ってくれる。
余るスペースには厚紙を曲げてケーキが箱の中で踊らないようにしてくれる。
だから、買うケーキは1個でいいと思っている。

これは、理性の声。

この理性を尊重するから、開店すぐには行かない。

夕方、ケーキが売り切れる頃、夕食のデザートに、と買いに行く。

だって、食いしん坊の欲望は、目の前のショーケースに食べたことがないケーキを見ると暴走するんだから。

選択枝は少ない方がいい。

今回も、ショーケースを覗くまでは、理性は欲望をコントロールしていた。

そう。そのはずだった。

ショートケーキだけにしようと思ったのに、オレンジムースとチョコレートのケーキを見てしまった。

箱のサイズも悪い。
だから、2個買った。

夕食後、いよいよケーキを食べる。

コーヒーを入れて、ショートケーキを食べた。
いつもと同じように天国の味だ。
軽めのスポンジと濃厚な生クリーム、でもあまり甘くないから、物足りなさを感じた。

で、オレンジムースが余っている。

こっちは、朝食に食べようと思ったのに「味、落ちるよん」と悪魔の囁きが聞こえた。

もう、駄目だ。

夕食、食った後に2個のケーキ。
罪悪感120%だ。

でも、罪の味は極上の味。

オレンジの酸味とチョコレートの苦味、どうしてこうも美味しいのか。

コーヒーがちょうど終わるのにケーキが2個。

これが標準にならないように、やはりケーキは一度に1個だけ買うようにしよう。

もう、絶対に2個買わないぞっ!!

2014年5月12日月曜日

サンフルーツ、再オーダー

最近、食いしん坊の母が「食いしん坊」になってきた。

先日、サンフルーツを送ってあげたら「物凄く美味しかった」と電話が来た。

そりゃあ、良かった。
「楽しんで頂戴」と伝えて電話を切った数日後、実家に戻った。

夕食後、サンフルーツを食べると、本当に美味しい。

母は「ねえ、美味しいでしょう?」と威張る。
これ、私が買ったんだけどね。

食べながら、「これが今まで食べたみかん(かんきつ類全般)で一番美味しい」と言う。

この間八朔食べた時も同じこと言ってた。

「美味しいから、xxさんにも上げた」とか楽しそうに話す。
美味しいものを独り占めしないところも、最近変わった点だ。

素晴らしい。

で、彼女曰く。
「もう、1個しかない。もっと食べたい。」

そもそも、このサンフルーツ、母が一人暮らしだから小さい箱を送ったのだ。

この倍の大きさの箱とたった500円位しか違わなかった。
しかし、先月送ったりんごがまだ野菜室の半分を占めているのだから、腐らせたら勿体ないと思って、小さめの箱を送ったというのに。

じゃあ、確認して、まだ売っているなら、送ると約束した。

そうしたら「あの箱には少ししか入っていなかった」とぼやく。
「今度はもっと欲しい」と欲望を全開にして主張する。

要望通りに注文しておいたら、街に戻ってすぐ電話がかかってきた。

「着いた。前よりたくさんあるし、前より、美味しいよ。」と至極満足そうだ。
喜んでもらえて何より。

食べたいだけ食べて、友人に配ってくれ。

親孝行なんて、できる時しかできない。
母の満足そうな声を聞いて、そんなことを思った。

クロワッサンドーナツ

記事を読んでまず「食いたい」と思った。

ミスタードーナッツが売り出すクロワッサンドーナツ。
この記事を読んだのは発売前だったが、しっかり宣伝に踊らされた。

で、この間、ミスタードーナツの前を通る機会があり、つい買ってしまった。

200円もする。
地元じゃあ、ケーキが1個買える値段だ。

3種類あるが、どれも旨そうだ。

2つ買おうかと思ったけど、上部のシュガーコーティングを見て、1つだけで我慢しようとする「理性」が勝った。

私にしては、珍しい。

で、キャラメル味を買った。
できれば、コーヒーが欲しかったが、ドーナツだけ食べてみた。

クロワッサンドーナツ、チョココーティングされたクロワッサンの食感をイメージしていたが大分違う。

まず、ドーナツの割りにあまり甘くない。
ここは気に入った。

レイヤーになっているけれど、パンのように弾力があるわけではない。
でも、さくさく感がある訳ではない。

レイヤーになっているから、空気の層が歯に柔らかい弾力を与える。
だから、ドーナツ生地のようにボディがどっしりしている訳ではない。
だから、歯ごたえはない。

NYで流行っているらしいが食べてみた感覚は「これが?」という感じ。

かつて、生キャラメルを食べた時もそうだった。

3つの味があるけど、もう買わないだろう。
これなら、チョココーティングのクロワッサンの方がいい。

クロワッサンやパイ、基本的に、生地を折りたたんで作ることができる。
でも、そこに使われる油脂や小麦粉で製品の味が決まる。

かつて、エシュレで発酵バターで作ったクロワッサンを食べたことがある。
トンでもない値段だったけれど、強烈な味と歯ごたえだった。

結局、ファーストフードレストランで食べられるものは、それなりのものでしかない。

いい勉強をさせてもらった。

2014年5月6日火曜日

押入れから、かりんとう

シェアハウスの管理人、どうも「とりあえずおいて置く」癖が抜けない。

最初は、それも仕方がなかった。
だって、物を置く場所が決まっていないから。

というより「置くスペース」自体がなかった。
必要なものとゴミが分別されていない部屋に、かたっぱしから「とりあえず置く」の人生。

それが、彼が知っている片づけの唯一の対処方だった。

おかげで、部屋は、物の「層」になっていて、床が見えなかった。
そして、そこに置いたら「忘れる」。
だから、掃除機が4台部屋にあるのに、まだ、新しいものを買おうとした。
そもそも、4台持っていることも、知らなかったけど。

食いしん坊の母と同じだ。

で、部屋を片付けて、置く場所を決めたら、必要なものがすぐに見つかるようになった。

ある日など、管理人、巻尺がすぐ見つかって自分で感動していた。

でも、まだ悪癖は抜けない。

今日は押入れから「かりんとう」が見つかった。
食い物は「キッチンに置け」と口うるさく教えているが、まだ学ばない。

ただ、母もそうだが、これには理由がある。

食べ物を持ったまま、着替えをしようとしよう。

で、食べ物は「とりあえず」そこに置くことになる。
で、着替えが終わった後は、食べ物を「持っていたこと」をすっかり忘れている。

食いしん坊は、人生すべて「食べ物優先」だから、こんなことはありえない。

まずはなにより「食べ物の保管」が重要だ。

で、この「発掘された」かりんとう、食って驚いた。

だって、むちゃくちゃ旨いんだもん。

以前にかりんとう饅頭で説明したように、最近のかりんとう、パッケージも味もおしゃれになっている。

これもそんなやつだ。

もちろん余計な食品添加物など全くはいっていない。
だから、甘さを抑えられる。
故に、味の違いが引き立つ。

ほんと、こういう商品が増えるといいなあ。

2014年5月5日月曜日

ラム肉のしゃぶしゃぶ

スーパーに夜遅く行くと、大抵の食品が半額になっている。
惣菜は少しだけ足を止めるけど、籠を持って直行するのは、魚と肉セクションだ。

野菜と果物は八百屋で買うから、見向きもしない。

近くのスーパー、魚はあまり美味しそうに見えないけれど、肉は充実している。

豚や鶏はもちろん、本物の牧草を食べたオーストラリアの牛肉、そしてラム肉が買える。

うれしいことに、大好きなニュージー産のラム肉、今回は半額になっていた。

「ベーブ」という映画に出てくる羊の顔が、毎回、思い出されるが、味の記憶がそれらを消し飛ばす。

以前、東京に住んでた時、ラム肉のスペアリブにはまった。

それを、スモーク鍋でスモークしながら焼く。

遠赤外線で蒸し焼きされるスモーク焼きは、旨さが半端なかった。
この贅沢は、半額になっている時のスペアリブに出会えた時だけのものだった。

ラム肉、獣臭いという人もいるらしいが、それがこの肉のいい所。

今回はしゃぶしゃぶ肉が半額なので、家に水菜もしゃぶしゃぶにして、ポン酢をまわしかけて食べた。

素材が美味しいと、下手な味付けは不要だ。

食いしん坊は、肉を頻繁に食べる方ではない。
また、高級な肉も買わない。
ひき肉も買わない。

細切れをフードプロセッサーで砕く。
そっちの方がずっと美味しいから。

鶏肉は、手羽や手羽元を一晩煮る。
そうすれば、美味しい肉とスープができるから。

「値段の高い肉」は、大抵美味しい。

でも、旨い肉は必ずしも「値段が高い」と言う訳ではない。

信じるのは、消費者の自由だけどね。

3ヶ月サイクル

インプラント前の説明と同意のために病院に行った。

あごの骨に4本のチタンを埋め込むから、骨の強度の話になった。
それで、先日の健康診断で骨強度は100超えていることを伝えた。

その検診の時、興味深い話を聞いたので、それも披露した。

まず、人間の骨が「硬くなる」ためには、カルシュウムや日光では十分だけではない。

実は「刺激」が必要だ。

走るなり、歩くなり、骨に「刺激」が与えらなければ、硬くならない。

つまり、運動しなければ、骨は硬くならない。
運動して骨が硬くなれば、同時に運動することで、筋肉も付く。

つまり、人間の肉体は、酷使、まで行かなくても、体を使えば健康になるように出来ている、ということ。

で、その「変化」は3ヶ月続ければで出てくる。

そんな話をすると、医者が面白いことを話してくれた。

人の「習慣」は3ヶ月続ける必要があるらしい。
つまり脳も「3ヶ月」続けられば、それが「習慣」と認識するそうな。

人の細胞も3ヶ月程度で入れ替わるらしい。

つまり、コンビニの食品やペットボトルのジュースを止めて、野菜、果物、肉、を油と甘味を少なく調理して3ヶ月食べると、体調は確実に変わる。

同時に、適度な運動を「習慣」にすれば、肉体も変わる。
それは、3ヶ月程度で変化が見えてくるということ。

逆に、忙殺されて不規則な生活も3ヶ月続けると、脳はそれを「普通」と認識し、体はその食生活で、蝕まれるということ。

これは、30代でも80代でも同じこと。

それらを「やる」か「やらない」かを決めるのは、自分自身だ。

そして、いつでも、3ヶ月の最初は「1日目」から始まる。

2014年5月3日土曜日

ほうれん草は生で食べない?

シェアハウスのキッチンに行くと、可憐な食いしん坊さんが居た。
久しぶりに顔を合わせたので、挨拶がてら「何、作っているの?」と材料を覗き込む。

葉っぱが刻んであるから「これ、何」?」と聞くと「小松菜」だという。
あまりの濃い緑に驚いた。

で、食いしん坊が毎日、小松菜をスムージーに使う話から「ほうれん草は使わないんですか?」と聞かれた。

で、「あれは生で食べない方がいいよ」と話をすると「ええっ、どうしてですか?」とびっくりしている。

ほうれん草、生で食べる人も多いらしいが、私は湯がく。
それは、ほうれん草に含まれているシュウ酸(体の中で石になる成分)をへらすため。

それに、何よりそっちの方が旨い。

ほうれん草、畑から取ったばかりのものなら、絶対、生の方がうまいだろう。
でも、スーパーや八百屋で買えるものは、収穫されてから時間も経っているし、かなり成長したものだ。
だから、湯がいたほうがエグミが減る。

ビタミンも減るけど。

まあ、そんな話をすると「知らなかった、今まで生で食べてた。」とぼやく。

別に、命に関わるわけではない。
生で食べる方がいろんなビタミンを無駄にしないから、いいかも知れないし。

ただ、自分は美味しく食べたいだけ。
美味しい採りたての生ほうれん草が手に入れば、シュウ酸なんて気にしない。

絶対、生で食うだろう。
ただ、そんなチャンス、あったとしても、年に数回だ。

食べることを恐れて「しない」ことより「リスクの理解」が重要だ。

可憐な食いしん坊さん、食に対する意識は強い方だけど、まだまだ知らないことが多い。

だから、賭けてもいい。

そんなもんより、よっぽど体に悪いもの、きっと毎日食べているよ。

山菜も土地によって違う

シェアハウスの手伝いで、結構、大掛かりな作業が発生した。

爽やか食いしん坊が、実家に帰るスケジュールを延ばして手伝ってくれた。本当にありがたい。
また、もう一人、以前の住人が別の作業をするために来た。

だから、管理人が地元の弁当屋のランチをみんなにおごってくれた。

弁当を食べていたら、おかずに蕗が使われていた。

これを見て旧住人が「これ、食べたことないです。嫌いですね。」と言う。

ええっ、と驚いて出身地を聞くと愛知県だ。

蕗や蕨、ここでは、春の代表的な山菜だ。
簡単に取りに行けるので、大抵の食卓ではこの時期、メニューに使われている。

春の食べ物として、全国的だと思っていた。

彼曰く「うちの方には無いですねえ」とのこと。

だから聞いてみた。「じゃあ、春の山菜取りって何?」

返ってきたのは「たけのこ」。
「堀りにゆくの、面白いですよ。」というが、ここには竹林なんて存在しない。

山菜は、それぞれの土地で違うけど、春の味覚を味わうことに違いはない。
そして、そのために山に行く。

食いしん坊の叔父が言うには、春の植物は「土の上」に出るものを食べるべきだと主張する。

重力に逆らい、伸び上がるほどのエネルギーを持った部分を食べることで、土地の力を分けてもらう。

秋は逆になる。
冬に向かって貯めるから、そのエネルギーを分けてもらう。

山に山菜を取りに行くのは、土地の力を分けてもらうことだ。

地域が違っても、山菜の種類が違っても、地元の山菜を食べることで、春の味覚を楽しみ、土地のエネルギーを分けてもらう。

食べ物もエネルギーも分け合うことで成り立つ。

人間もそうであればいいけどね。

2014年5月2日金曜日

肉じゃがの思い出

このところ、芋ばかり食べている。

先日、実家でやったジャガイモプロジェクト、芋があまりに旨いんで、全部調理しないで、そのまま持って帰ってきた。

冷蔵庫に入れておけば、まだまだいける。
その時作った肉じゃが、本当に美味しかった。

思い返せば、肉じゃがを生まれて始めて食べた時の記憶がある。

あれは、今はすでに認知症になってしまった叔母の家に行った時だ。
大好きだった大叔母。
理由は、訪問する度に旨いものが食べられたから。

あれはちょうど、料理に興味を持った小学生高学年だったと思う。
その頃から授業で調理実習をするから。

食いしん坊の家では、料理のメニューは14種類程度しかなかった。

だから、肉じゃがという料理の「方法」を見たのもその時が始めてだった。

まず、牛肉とたまねぎを炒める。
そこに出汁を注いでから、その中にじゃがいもを入れた。

この手法に驚愕した。

焼いてから煮るの?
小学生の経験では「焼く」「煮る」は選択肢であって、合体するもんじゃあない。

しかも、アクを取る「行動」や「道具」も始めてみた。
大叔母はその理由も教えてくれた。

それが、驚愕するほど美味しければ、自分の母親の作る料理に疑問を持つのは当然だろう。

ただ、弁解できない食いしん坊の母のために言い訳すると、大叔母は専業主婦、母はフルタイムで働いていた。

だから、母の料理を大叔母のそれと比較するのは不公平だ。

それからだろうか、私が「自分で料理する」ことに興味を持ち始めたのは。

時代は、バブル前夜。
雑誌もたくさん創刊され、職人だけが使う道具も手に入りやすくなった。

時代は移り、情報はWEBで、道具は100円ショップで買えるようになった。
でも、みんな料理しない。

コンビニで売ってるから、同じ金を出すなら、そっちの方が楽だ。

結局、道具の有る無しは「料理をしない」理由にはならないということ。

いつの時代も、必要なのは「好奇心」と「やる気」だ。

粉末オリーブオイルってあるんだ

日本を代表するポテトチップスの会社、最近「期間限定」の製品をたくさん投入している。

健康に悪いとは思っているけれど、どうしてもこの誘惑を断ち切れない。

「わさびマヨネーズ」とか「梅のり塩」とかネーミングからして、いつも食いしん坊の欲望を引っかく。

どっぷりはまったのが「2種類の塩」バージョンだった。
旨いなんてもんじゃあない。

岩塩と天然塩で味付けされたポテトチップス、やっぱり、シンプルがベストだ。

でも、今回誘惑されたのは、なんと「オリーブオイル&ガーリック」。

燦然と輝く「期間限定」のサイン。

もう、駄目だ。

勝手早速食べてみる。
ガーリック風味は確かに強いけど、オリーブオイルの風味もほど良く感じられる。

材料表示を見ると「アニスパウダー、タイム、粉末オリーブオイル」とある。

なるほど。

でも、油は粉末で存在できるのか?
だって、油だよ。あのネバネバ、香辛料みたいに粉末になるの?

と、疑問が沸いたので、WEBで調べた。

そうすると、確かにある。
製品だけでなく、製造技術はあるし、研究もされているらしい。

でも、この調査過程で驚愕したことがある。

なんと、「油脂と食品の専門出版社」があるではないか。
「幸書房」という会社だ。

そのニュースタイトルを見て絶句した。

「最新油脂事情」

素晴らしい。
これ以上、ストレートな表現はない。

検索がヒットしたのは、このニュースセクションの記事のひとつ、「粉末油の工場が出来た」というもの。

こんなニッチの世界で出版業が成り立つなんて驚きだ。

でも、現代人は、油と甘味の取り過ぎなのは間違いない。

にも関わらず、こうやって油まで粉末に出来る技術が開発されれば、企業は手軽に美味しく感じる商品をどんどん出すだろう。

食いしん坊も、欲望に振り回されないように、気をつけようっと。

冷凍おかずを作る

毎回、実家に戻るたび、料理をしこたま作って冷凍しておく。

母のために作るおかずだ。

普通は、実家に帰ると「娘」が母の手料理を持って帰るらしいが、食いしん坊の家では、間違ってもそんなことは起きない。

私が実家から持ち帰るのは、母が料理しない古い食材だ。

今回は、ジャガイモプロジェクトがあったから、ついでにいろいろ作ることになった。

持って帰るより、ここで調理できるなら、その方がずっといい。

古いキャベツは、コースローにした。
まだ、余ったから餃子を作った。

母は喜んだ。
どうも、最近食べたかったらしい。

でも、冷凍餃子がどこで作られて、何が入っているか判らないから、買う気が起きなかったそうな。

日ごろの教育がようやく行動に影響してきたようだ。

だいたい、昔から、彼女の中で餃子は「買うもの」であり「作るもの」ではない。

育ちというのは、恐ろしいもので、私も大手スーパーの「冷凍食品:半額!」をかなり長い間利用していた。

餃子の場合は、ある時、旨さより安さに驚愕して、手作りすることになった。

だって、半額の冷凍餃子でさえ一個10円以上するのに作れば、500円位で100個は作れるんだから。

初期は、皮を購入していた。
でも、手作りの皮なら、市販の皮よりずっと扱い易いことを知った。

それ以来、全部自分で作る。

今回も、小麦粉など材料を手に入れるのが大変だったり、冷凍過程であせったけど、大体50個位作っておいた。

その他に、コロッケ作りのついでに鶏のから揚げも作った。

夕食としてそれを食べた残りを小分け冷凍すると、8食分のおかずができた。

小分け用の入れ物、お正月に全部使ったけど、ここ1ヶ月ほど積まれてタワー状態になっていた。

そして、今回全部また冷凍庫に戻った。

また、2ヶ月もしないうちにタワーになるだろう。

そうしたら、また作ろうっと。

2014年5月1日木曜日

「見ていない」は言い訳にならんよっ!

実家の母の冷蔵庫、毎回見るたびにげんなりする。

保存袋に入った干しかぼちゃ、カビだらけで悲惨な姿をさらしている。

「健康のためなら、死んでもいい」と矛盾が成り立つほどの健康オタクの母。
テレビで放送されている健康番組の熱烈な信者だ。

昨年は、干し野菜の番組を見てからこれにはまった。
加えて、私の食品乾燥機を使わせたら、この機械のとりこになった。

ありとあらゆるものを干しまくった。

干すだけ干すと料理はしない。
嫌いだから。

だから、私が料理する。

でも「食べる」と言ったものについては、彼女の意思を尊重している。

このかぼちゃも「食べる」と確認したものだった。

旬のおいしいかぼちゃだったのに。

怒りが炸裂した。

そうすると母の言い訳。

「見てなかったんだもん。」

そんなはずあるかい。
毎日冷蔵庫開けているのに、見てないなんて言い訳、成り立つ訳が無いでしょうに。

こんにゃくだって、いつからこの冷蔵庫に住んでいるのさ。

「見てない」じゃあない。

「食わない」んだ。

食わないなら、誰かにやるか、冷凍庫にいれろ、とあれほど教えているのに。

そもそも「料理を考えないで、食材を買うな」と何度教えたことか。
でも「嫌なことは忘れる」という得意技を持っているから、まったく学ばない。

食べたいと思ったものを、買ったことで満足し、調理しない。

一人暮らしというのに、シーズンにはかぼちゃを箱で買う。
そりゃあ、腐るだろうに。

昨年も腐らして無駄にした。
今年は、乾かしてから、やっぱり無駄にした。

買うことができる「自分」に酔っても、食べ物への不安は消えない母。

戦後、食べられない不安から、こうなるのかも知れない。

でも、みんなで分け合えば、無い時だって、助け合う関係になるでしょ。
不安が生まれるのは「自分だけ」のことしか考えないからでしょうに。



炊飯器、壊れているじゃあないのっ

シェアハウスの整理を手伝っているが、これが大変だ。
何故なら、壊れた家電がむちゃくちゃ多い。

1台や2台じゃあない。

そもそも、それらが壊れているとはっきり判れば問題ないが、分類管理していないから始末に負えない。

だからこそ、整理の手伝いをしているのだけど。

この間などは、炊飯器に米をセットして予約をしたら、経ってもご飯が出来なかった。

炊飯部分「だけ」が壊れていたからだ。

管理人は「使える」と太鼓判を押したから使ったのに、全く・・・・。

炊飯器だけではない。お湯ポット、ブレンダー、ホットプレートなどがたくさんあるけれど、年に1度も使われていない。

欲しいから買った。
買えるから買った。

そんなところだろう。

個人でも同じだ。

ほとんど使わない調理家電も、テレビのCMやバラィティ番組で「今、売れています」と紹介されると、買ってしまう人が多い。

昨年はドールの「ヨナナスメーカー」が大流行だった。
ノンフライヤーも凄い売れ行きだった。

スムージーメーカ、スープメーカー、いろいろ新しい家電が売り出されるが、本当にみんな使ってどれだけ「作って」いるのだろうか。

こういう家電、安く買えるのはいいけれど、簡単に壊れるものも少なくない。
そして、それらは修理代の方が高いから、ゴミになる。

食べ物でも、調理家電でも同じ。

簡単に買えるものは、簡単に捨てる。
大切にすることを忘れてしまう。

そして、自分のものでなければ、大切に使わない。
他に使う人が居ることを考えもしない。

この消費主義やテメエ主義、いつまで続けられるのだろうか。

世界に消費できる資源は限られているというのに。

シーズン最後の金柑

いつもの八百屋に行くと、金柑が3パック売れ残っていた。

今年最後の金柑だろう。

1キロ近くが300円以下だったから、また買った。

ジャムもいいのだけれど、やっぱりそのまま煮た方が旨い。

これを、何人の友人達に配っただろうか。
みんな「食べる?」と聞くと即答で「食べる」と返事をする。

きっと美味しかったのだろう。

もっとも、食いしん坊の煮る金柑は砂糖を重量20%程度しか入れないから、それほど甘みは強くない。

金柑を煮る目的は、金柑そのものより、いっしょに出来るシロップのためだ。

なにより、喉に優しい。

冬場、コールセンターの仕事をしていたので喉が痛くなることも少なくなかったが、このシロップのおかげで何度助けられたことか。

下手な薬よりよっぽど効く。

煮るのは簡単なんだけど、そこに行くまでがたいへんだ。

まず、傷んでいるものを取り除いて洗って量る。
今回はさすがに5つも腐っていた。

もう、時期はとっくに過ぎている。
大体900グラムちょっと。
砂糖は200グラム使う。

これをひとつづつへたを取って穴を開ける。

この作業をする時は、ほとんど瞑想状態だ。

そうやって作る金柑、また食いしん坊の友人達に分ける予定。
シーズン最後の味を分け合うために。

また、来年美味しい金柑が手にはいるといいなあ。