2020年5月16日土曜日

失敗の連続 かつらむき編

大根のかつらむきが期末の実地テストだ。まるでできない。そもそも、手が動かない。先生から「こうやるんだよ」と言われ頭ではちゃんと理解している。でも、体が思ったように動かない。

かつらむきとは、大根を円柱にし、その外側を薄くむいてゆく野菜の切り方の一種だ。和食においては基本技術らしい。これって、フィギィアスケートの初心者にダブルアクセルジャンプをやってみろ、と言われているみたいなもんだ。

前に立つクラスメートは、すでに40センチ以上薄くつながってむいている。家でかなり練習したそうだ。それにしてもすごい。向こう側が透けて見えるほど薄くなっている。

手元をみれば、切れ切れの長方形がまな板の上に散乱している。

なので、私も大根を買って練習している。もちろん、出来上がるのは、長さは切れ切れ、厚さはまちまちのかつらむきだ。ITの作業なら3時間も4時間も集中力は切れないが、慣れない包丁と格闘しながら練習できるのは、30分が限界だ。手の甲羅は痛くなり指はつり始める。カットはうまくゆかず、大根はいびつになり泣きそうになる。

そもそも、先生曰く「力で切ろうとするな。力を入れなくても刃と大根をコントロールすることでできるよ」とおっしゃる。

大体、ぶち切りになった大根を何本も食べられるわけがない。だから、1本分の練習が終わったところでその残骸を料理する。

厚く切った皮は、ゴボウと人参を合わせてきんぴらに。失敗したかつらむきは、豚肉とゴボウや人参を巻いて煮物に。真ん中の芯の残りは、3本分集めて乱切りにしてぶり大根にした。

これが、学校が休校の間3回続いた。毎回、きんぴらも巻物煮物も毎回味が違う。中に巻く材料や、ゴボウの量で同じ料理でも違った味が楽しめる。

だから、分かった。どの料理でも包丁の使い方が基本であるということ。レシピなんぞ目安程度しかない。

期末テストまで後2か月。後は練習あるのみ。薄く切れるようになれば生で食べる料理も作れる。そうなるといいけどそれまでは、煮物ときんぴらの日々が続きそうだ。



失敗の連続 蒸しパン編

学生に戻り、仕事のように思ったようにならない日々が続いている。

まず、手が動かない。モノづくりが何より好きだったのに、ITの世界で仕事をするようになって、手で触るモノづくりをほとんどしなくなってかなりの時間が経った。
システムや定型フォームを作ることは確かにモノづくりだったが、どれも手で触れるわけじゃない。

実際、体で覚えることの難しさは年齢を経た今、ひしひしと感じている。

今、蒸しパンを作って失敗した。膨らまないうえ、べちゃべちゃになった18個の蒸しパンを目の前にして唖然とするしかない。理由は簡単だ。蓋に布巾をかけるのを忘れたから。
水分が蓋からパンに落ちた。そりゃあ、べちゃべちゃになるのは当然だろう。

型から外しながら、むなしくなる。食べてみれば味はいい。ねっちゃりして、餅菓子みたいだが食べられないことはない。とは言っても人様に見せられるもんじゃあない。ましてや食べてもらうなど、ありえない。

でも、最初は全く理解できなかった。
レシピ通りに作った種も適切だった。しかも蒸し器に入れて4分の時にチェックした時はきちんと膨れていたのだから。

システムなら、プログラムした通りしか動かない。動かない時は止まるから、そもそも結果は「動かない」だ。

でも、体で覚えるべきたくさんの事は、失敗して学んで行く。こういう「体で覚える職業の人達」、例えば料理人は良く分かっている。アスリートもそうだろう。だから、失敗することを当然だと思っている。

仕事なら、同じ失敗を2度やれば、どやされるが初心者が失敗すれば「はい、やり直し」と言われるだけだろう。

失敗して、人生終わった訳じゃあない。何度もやり直して、上手になってゆく。当たり前のことだけど自分に言い聞かせるいい機会になった。

蒸しパン、今度は人様が食べられるものになってくれるといいなあ。