2014年3月15日土曜日

スーパーマーケットで欲望が暴走しないのは何故?

スーパーマーケット、最近ほとんど行かない。

野菜と果物、卵は近所の激安八百屋で買っている。
肉や魚はデパートの地下で買うから、大手のIやAに行くのは月に一度位だろう。

かつて、東京に住んでいる時は、駅近くの大手スーパーが夜11時までやっていた。
一週間に3回は会社の帰りに寄っていたと思う。
ほとんどの買い物はそこで済ませていた。

一度計算したことがあるが、1年間で10万以上使っていて驚愕した。

八百屋で使う一週間の野菜と果物、冬場はちょっと高くなるけど、一回に1500円だ。

一週間に一度。デパートは10日に一度程度か。
だって、誘惑の地雷で満載されている場所なんだから。
欲望にはコントロールが必要だ。
そのためには、刺激しないように近寄らないのが一番。

でも、スーパーマーケットはどれだけ長居ても、私の欲望がまったく刺激されない。

安いよ、安全だよ、と前面に押し出されても、まったく美味しそうに見えないのだ。

まるで、派手な衣装を着けて道に立っているお姉さん方が「お兄さん、安いよ、安全だよ」と声をかけられても欲望が沸かない、という感じだろうか。

これ、男性の場合だけど。

何が違うのか判らない。

でも、確実に判ることがひとつある。
スーパーの肉や魚の場合、食材に艶が無いのだ。きれいに加工されて、パックされて、うわべは美しく並んでいるけどエネルギーを感じない。

もちろん、照明や店員の違いがあるだろう。
でも、魅力が感じられない。

値引きも5%程度なら買う気も起きない。

食いしん坊は、鮮度が判るほど食材の目利きではない。
ただ、美味しいものに対しての嗅覚は、かなり本能的だ。

買う決断は、欲望に支配されている。

ともあれ、スーパーに寄っても財布を開かずに出てきてしまったとき、ふと思ったことでした。

キムチ鍋にチョコレート?

ハウスの友人と鍋をした。

私がタラのアラを買ってくるから、野菜は彼女が準備することになった。
私が作ったキムチがあるんで、キムチ鍋にすることした。

当日、とても寒い日だったから、鍋がとてもおいしかった。

最初、タラを塩味で食べた。
後半、キムチを入れて味を変えた。
その中に彼女が作った餃子を放り込んだ。

にんまり笑う彼女、「一個だけドッキリがあるよ」という。

爆弾餃子だ。
まあ、食べられないことはないだろうから、あまり心配していなかった。
当たったところで、死ぬわけじゃあない。

激辛ではないだろうとは想像していた。
でも「激甘」とは思ってなかった。

そう、当たったのだ。

だって、彼女は自分でどれに入れたか知っているから、それを避けて食べている。

当然、当たるのは私だ。

餃子の中に入っていたのは「チョコレート」だ。
バレンタインデーのために手作りチョコを作った残りを入れたらしい。

だから、一口食べたら、口の中のキムチ味に甘さが炸裂した。
でも、これが思ったより悪くない。

甘辛い味は、中華料理にでもある。

チョコレートという風味だって「無理っ」という感じではない。
これを食べて「チョコレート、料理に使えるかも」と思った。

カレーライスの隠し味に使うことは聞いたことがあるが、味の影響力は微妙かも。

だってチョコレートと判別できるのは、舌が直接触れるからでしょう。
甘みが強烈だけど、苦味も同時に感じられる。
だから「チョコレート」と認識できる。

ゴディバに代表される美味しいチョコレート。
やはり、それだけで味わう方が美味しいかもね。

生チョコレートのロールケーキ

いつものお菓子屋の前、出来るだけ通らないようにしている。

でも、街灯に引き寄せられる蛾に選択肢が無いように、私もまたデパートに引き寄せられてしまうことが多い。

唯一のメリットは、ここのケーキ、素材が高品質なのに値段はコンビニ並にお手ごろ価格だ。

だから、コンビニのスイーツに誘惑されそうになる時、ここのケーキを思い出す。

そうすると、買わずに店を出ることが出来る。

で、一週間ちゃんと仕事を全うした時は、良心の呵責無しに買いに行く。

自分へのご褒美だ。

大抵はクリームブリュレを買うけれど、この日はロールケーキの気分だった。
いつもは生クリームを買って、自家製のソースを上に乗せて食べる。

でも、今回は違った。

生チョコレートクリームのロールケーキ。

クリーム部分がマーブル模様になっている。
生クリームとチョコレートクリームが作り出すこの模様を見て、味を想像したら手が離れなくなった。

今まで何度も買うチャンスはあったけど、まだ食べたことが無かった。
しかも、残りはそれ一個だけ。

買うしかないでしょう。

で、食べた。
思ったよりすごかった。
生クリームのコクがチョコレートの風味と合わさると無敵スイーツだ。

真ん中の生クリームを食べながら、あまりの美味しさに気が遠くなりそうだった。

「来週もまた食べたい」という欲望は膨れ上がる。
でも、このロールケーキ、いつも冷蔵ケースにある訳じゃあない。

だから、食べられる時に食べるしかない。
次、いつ食べられるか判らないからこそ、大切に味わえる。

食欲を満足させるには、大量である必要はないのだから。

シンプルな料理って

昨年、40分もかかって食べに行ったうどん屋、街中に小さな店を出していた。

ハウスの管理人に連れられて食べに行ったが、まあ、わかり難い。

どう見ても、ラーメン屋の「裏口」だ。
のれんは一応出ているけど、うどん屋と分かるものがほとんどない。

でも、この小さなカウンターの店では以前、ブログで絶賛したうどんが食べられる。

で、今回は、前回どうしても食べたかったメニューを頼んだ。

日本風カルボラーナ。

なんのことはない、バターと温泉卵であえたうどんのカルボラーナだ。
絶品の味。

でも、食べながら思ったのは「ただのうどんの方がおいしいかも」ということ。

つまり、卵とバターの味が強いのだ。

ここのうどん、地元のおいしい小麦粉を使っている。
この街の水もおいしいけど、田舎の店のならもっとおいしい水が使われている。

だから、ここの「うどん」そのものに個性的な味がある。

そんな、うどんの味を楽しむためには、出ししょうゆをかけて食べるのが一番おいしい。

たまごもバターと和えて食べるのも文句なし美味しい。
でも、次はたぶん「うどん」の味を楽しみたい。

卵とバターでうどんを食べるなんて、十分シンプルだと思っていたけど、間違っていた。

卵もバターも、味や風味はとても複雑だ。

これ、食べ比べたから出来た発見だ。

美味しいものを食べ比べるなんてずいぶん贅沢な話だけどね。

2014年3月13日木曜日

チーズスプレットとベーグル

地元企業で作るチーズスプレット、先日衝動買いをしてから堪能している。
パンと食べるのも美味しいけど、ベーグルと食べるのが一番うまい。

学生時代、ベーグルに会ったのはカフェテリアだったと思う。

もちろん、クリームチーズは取り放題だった。
初めて食べた時、その歯ごたえと味にどっぷりはまった。

もちろん、日本で200g 400円もするクリームチーズが食べ放題というだけで半分正気を失っていたかもしれない。

正気が戻ったのは、1ヵ月後、体重計に乗った時だ。

時が経っても、チーズの誘惑に勝てたことが無い。

今回のチーズスプレットはバターも入っているのだから、無理な話だ。

おかげで、かつてのベーグル熱が戻ってきてしまった。

ベーグルは昨今、専門ショップもあるから美味しいものが簡単に手に入る。

問題は「どの味のベーグルを選ぶか」だ。

いくつか試したが、結局チーズ味のベーグルが一番美味しい。

ベーグルのトップにチーズが掛かってカリカリになっているものを半分に切って軽くトーストする。

チーズスプレットを塗ってかぶりつけば、口いっぱいに2種類のチーズの味が混じる。

至福の時間だ。

味付けしたクリームチーズも専門店では食べられる。
パインや木苺の味がするクリームチーズ、昔食べた記憶がある。

甘くて美味しかった。

でも、本当に美味しいチーズなら、それだけで十分。

どうも甘さより、美味しさに、私の食欲は抑制されるようだ。

2014年3月12日水曜日

ココナッツミルクとアーモンド

もう少し、プティング話。

この「卵、甘味(砂糖)、ミルク」のコンビネーション、とてもたくさんのバリエーションができる。

ミルクは牛乳だけではなく、豆乳やココナッツミルク、甘味も蜂蜜やメープルシロップなど様々だ。

これらのコンビネーションはそれぞれ、違った風味をかもし出す。

そして、ボリュームを出すには一般的にお米、パンなどがあるけれど、先日、友人が作ってくれたものは一味違った。

彼女が使った食材は「キヌア」だった。

彼女はグルテンアレルギー持ちなので、食材に注意が必要だ。
だからこそ、彼女が選ぶ食材はとても厳選されている。
そして、それ故、とても美味しい。

今回作ってくれたのは、有機栽培のキヌアと黒糖、そしてココナッツミルクで作るライスプティングみたいなもの。

これ、歯ごたえがちょっとプチプチしている。
これに、アーモンドを加デザートだ。

これが面白かった。

美味しいのはいつも通りだけど、不思議な食感だ。

だって、アーモンドとキヌア、カリカリとプチプチが口の中で混じる。
それが、アーモンドとココナッツ風味付だ。
黒糖のコクのある甘みとか絡み合って、ちょっとした「体験」だった。

ボディにキヌアが使えれば、たぶん、タピオカとかも使えるだろう。

この場合、ぐにょぐにょとカリカリだから、噛み合わせが悪い人には、食べにくいコンビネーションかも知れない。

彼女、小麦粉が使えないから、アーモンドパウダーをよく使う。

市販のお菓子にアーモンドパウダーが使われていると大抵美味しいことは知っている。

でも、アーモンドの使い方にこれほどバリエーションがあるということは、彼女と会わなければ学べなかった。

新しい出会いは、新しい発見の連続だ。

ご飯に「牛乳と砂糖をかけて食べる」ってあり?!

お米の国に育った日本人として、ご飯に牛乳と砂糖をかけて食べることなんて、想像の埒外だった。

でも、海外の人たちは、日本人がご飯に生卵としょうゆをかけて食べるのは信じられないらしい。

だから、お互い様なのかもしれない。

でも、偏見を取り除くと、この味は結構いける。

だって、結局「ライスプティング」なんだから。

プティング、というスイーツ、日本では「プリン」という名称で昔からおやつとして親しまれている。

高度成長期の時から、大手食品会社は、プリンを簡単につくるインスタントパッケージも売り出していた。

小学生の家庭科の授業でも作った。

ここで使うのは牛乳、卵と砂糖だ。

これに、パンやご飯をを混ぜるだけ。
だから、ブレッドプティングやライスプティングは「プリン」のアレンジということになる。

ブレッドプティングの味は学生時代に初めて知った。

ホストファミリーが作るブレッドプティング。
気絶するほど美味しいソースがかかっていた。
風味の元は、高級リキュールだった。

若くて、酒の味も知らなかったけど、その旨さに感動した。

コーンフレーク、オートミールに砂糖や蜂蜜とミルクをかける文化なら、お米だって同じこと。

文化を理解すれば、不思議と思う食べ方も「当然」と思える。

食べ物を知ることは、文化を知ることだ。

だから「変だ」と思わずに食べてみよう。

きっと、新しい発見がある。
そして、自分の文化と共通するところがある。

そうすれば、もっと理解し合える。

同じものを食べることはまた、信頼関係を作ることでもあるのだから。


低温が湿気を取り除くと・・・・

あるテレビ番組で、極寒の地での生活をルポしていた。

その中で、庭に洗濯物を干すことを知った。
マイナス40度の空気だ。
もちろん、一瞬でかちかちだ。

でも、2週間もすれば、ちゃんと乾くらしい。

つまり、冷気は、だんだん乾燥するということだ。

この番組を見て、その生活習慣に驚いたけど、最近この事実を体験することになった。

昨年の冬、実家の倉庫で腐ったジャガイモを見つけた時のこと。

そのまま、箱に入れておけば他の芋に腐敗が伝染する。
だから、ある高い場所に避けておいた。

そして、そのことをすっかり忘れていた。
先日、それを見つけたら、腐ったところが乾いて硬くなっていた。

つまり、気温が下がって腐敗は止まっていた。
乾燥のせいか、寒さのせいかは判らない。

芋は半分腐ったけど、半分はまだ食べられる状態のままだった。

なるほど、と思った。

だから「冷凍庫の中が乾燥するは当然なんだ」と。

冷凍する食材は小さなものほどラップにくるんでから保存バックに入れる必要があることは、知識として知っていた。

でも、何故かは知らなかった。

テレビ番組、体験、がそれを教えてくれた。

冷凍焼けと言われる現象、これ「乾燥」だ。

おにぎりを作って冷凍しておいても、3日以上立つとレンジで暖めてもしっとりしない。

チャーハンのようにばらばらになってしまう。

そりゃあ、乾いてしまったのだから仕方ない。

だから、冷凍庫で保管する「料理」になったものは、トマトソースのように長期保存しても美味しく食べられない。

やっぱり、美味しく食べるためにも少しずつ作るしかないのねえ。


値段、本当に高いのだろうか

飯鮨(いずし)、どこで買っても物凄く高い。
100g1000円なんてざらだ。

母も、食べたくても、払った金ほど美味しくないから見かけても「買う気が起きない」と話していた。

美味しさは別として、この製造工程と手間、時間を考えると値段は妥当に思える。

結果、それほど美味しいかどうかは、消費者の舌が決めるのであって、販売者が決めるものではない。

東京に有名な漬物屋さんがある。

そこから、ある時食いしん坊の叔父一家にお礼を送った。
その一家、「超」がつくほどグルメ一家なので、その漬物も「美味しいよ」のコメントしか貰えなかった。

でも、今考えれば、あれは本当に美味しかったのか疑問が残る。

自分が東京で食べた時は、たしかに美味しかった。
でも、今食べたら「美味しい」とは言い切れないような気がする。

「高いものが美味しい。」と普通の人は思うだろう。

でも、個人的経験からの意見を言えば、それは違う。

本当に美味しいものは、お金を払って買うことができるような流通ルートに乗らない。

だから、作ったところで消えてしまう。

まあ、都会に売るほど十分に作られるなら、そこそこ流通もしている。
でも、本当に美味しいものは量が作れないし、鮮度も保てないから、生産地からあまり遠くまで広がれない。

距離的にも、時間的にもだ。

だから、生産地に近く、旬の食べ物は本当に美味しい。
それで長作った加工品は絶品になるのは当然だ。

大手企業がレシピどおりに作って同じような旨さにはならない。

彼らの商品、きれいなパッケージや有名であることで売れるだろう。

女性と同じだ。

きれいな顔で、スタイル抜群。
でも、味はどうだろうか。

溢れる情熱と愛情は、食べるまで分からないかもね。

ちょっと鍋から目を離したら・・・

作っていたラタトゥユの鍋から焦げ臭い匂いがする。

やばいと思ってかき回した。
とりあえずそれほどくっ付いていない。

ほっとして、いつもどおりに味付けをする。
で、味見。

まずっ。
やっぱり、焦がした影響があった。

なんとかごまかそうと思って、調味料を多く入れてみる。
だめだ。今回は、これで食べるしかない。

こんな時、砂糖でも、塩でも、調味料が味に貢献できることは限られている。

もちろん、食べられない程、焦がしたわけではないけれど、不味いものを作った自分を反省した。

ジャムを作る時もそうだった。

アルミ鍋で作っていた時、すぐにこげてしまい、風味が落ちる。

3重底の寸胴鍋で作るようになって、焦げないジャムが出来るようになったら、風味が向上した。

火加減と道具、という技術的な問題はあるけど、この体験、食いしん坊には「ちゃんと集中して作らないと不味くなる。」という教訓になった。

どんな時も、きちんと向き合って取り組まないと美味しいものは出来ない。

で、ふと考えた。

料理と子供、どちらもちょっと目を離したすきに問題が起きる。

どちらも「きちんと向き合う」必要があるということだ。

だから、子育ても、育ってからなんとかしようとしても、できることは限られている。

最初が肝心だ。

つまり、「作ること」も「育てること」の本質は同じということ、みたいだね。

そりゃあ、毎日宣伝見て、簡単に買えるなら当然でしょ

「飲酒で老人になった35歳の女性 恐怖のアルコール依存症」の記事を読んで、物凄い違和感があった。

この記事に寄れば、この10年、日本ではアルコール依存症が激増しているそうな。

特に女性は多いらしく、この記事の対象者も女性だ。

で、その理由が社会進出したストレスが起因として記事をまとめていること。

これが一番怖い。

江戸時代だって、アルコール中毒者はいた。
ただ、酒は高価で、簡単には手に入らなかった。

だから、中毒者になる環境が限定されていた。
だから、中毒者になるためには酒を飲み続けられる財力が必要だった。

でも、現代は缶ジュースと同じ値段でアルコールが売られている。
しかも、100メートルおきにあるコンビニで買える。

何故、これほど売るのか?

だって、儲かるから。
酒の利益率はとても高い。
だから、ゴールデンタイムのテレビCMだって人気アイドルが酒を飲むCMがバンバン放送される。

そりゃあ、中毒者は増えるよ。
安くて何処でも買えて飲酒の罪悪感だって感じること無いんだから。

大企業がそうやって、儲けに走って酒が毎日飲めるようになれば、企業の宴会だって酒の量は増える。

酒には高い税金が掛かっているから、たくさん売れれば政府も嬉しい。
中毒者が増えるほど、当事者以外が儲かる仕組みが確立されている。

だから、消費者が決める必要がある。
「買えるから買う」という考えを変える必要がある。

食べたり、飲んだりする結果に向き合うのは自分自身なのだから。

2014年3月4日火曜日

誰が作っているの?

先日、あるスーパーマーケットでオリーブオイルを買おうとして気がついたこと。

昨今、大手スーパーマーケットのプライベートブランド(PB)の製品が人気だ。
同じオリーブ油でも2割ほど安い。

大抵は、生産を大手企業に生産を委託しているから、大手ブランドとほとんど同じ製品のはず。

でも、「販売元」の記載しかない。

生産した会社が判らないのだ。
だって、記述されてないんだもん。

つまり、食べ物の「生産者」が判らない商品を、大手企業は大々的に販売していると言う訳だ。

誰が作ったか判らないマヨネーズや食用油、誰も買いたいとは思わないだろう。

でも、それが有名スーパーマーケットが販売しているのなら、どうだろうか。

だったら、安心なのか?

最近は、トルコからの輸入品が多い。
為替差益で大手のPBに頼らなくてもお手ごろの値段でオイルが買える。

大手企業もまた、そんな安いオリーブオイルを大量に買い付けて、誰かに下請けさせてボトルに詰めれば、安く作れる。

大企業が作っているものに、美味しいものなど皆無だ。
彼らの製品、安く売れるのなら、必ずその理由がある。

もし、美味しいと感じるなら、何かが入っている。
だって、大量に良いものを安く作るなんて無理な話だ。

たぶん、食べ物として問題ないだろう。
美味しいかも知れない。

でも、製造者が不明な商品は、どんなに安くても買う気はない。

それが、日本一大きなスーパーマーケットが販売し、製品を保証しているとしても・・・食いしん坊は買わない。

スーパーだって、PBが儲からなきゃそんな商品は開発しない。

だから「買わない」選択をする。
これは、消費者ができる唯一の「NO」という意思表示だしね。



買い物好きな母の心理、これが理由?

小池龍之介氏のWEB寄稿文に「買い物に走る人の心理」の説明があった。

筆者曰く、買い物は「自分の支配欲」を満足させる行為だそう。

で、この行為、「一般的に、日々の生活で精神的に満たされていない人、自分の力を実感できない人ほど、その欠乏感や無力感を覆そうとして、買い物に走るケースが多いように見受けられる(引用)」とのこと。

これ、母の買い物を見ていると強く実感する。

母は、無農薬、減農薬の野菜を定期購入している。
卵も放し飼いの有精卵だ。

安い買い物ではない。
にもかかわらず、最近まで冷蔵庫の中で腐らせていることをなんとも思っていなかった。

つまり、この行為は、食べ物の安全に対して「自分が支配できる」と思いたいということだろう。

でも、送られる野菜は会社が選択するから自分で「選ぶ」楽しみはない。

つまり選択できる実感はスーパーで「買物」することで満たそうとする。
つまり金を払うことで「買うことができる」というパワーの実感だ。

金を持っていなければ買うことはできない。

だから、彼女は通販とかに騙されて高額商品を買う傾向があった。

俗に言う「賢い消費者」というお金持ちも「無農薬は値段が高い野菜」である方が自分のパワーを実感できるのかも知れない。

でも、食べ物の関係に支配力が必要だろうか?

必要なのは、尊敬から生まれる信頼関係だろう。
払うお金は彼らの努力を支える。

そして、その努力に感謝し、買い続けること。

そこに支配力は不要だ。
だから、値段が「高いこと」が「安全」ということもない。

食べること自体、リスクのあることなのだ。
だから、信頼できる生産者を支える。

その上で何か起こってもそれはそれで何とかなる。
口に入る前に料理するのは、そもそも自分だ。

大企業の商品は「安全」かもしれない。

でも、それと引き換えにした未来の健康はどうだろうか。

金の支配力で、未来の健康が買えると信じるのもいいだろう。
それもまた、お金を持った「賢い消費者」の自由なんだから。

2014年3月3日月曜日

砂糖の600倍の甘さ・・・・人間に必要か?

食いしん坊は食のバラエティに興味があり、旨さを追求する。

その中でもスイーツに関しては、この単語が巷で使われるずっーと前から人一倍興味がある。

だけど、体重が増えだしてから気にするようになった。

若いときには、コーラもダイエット食品も「カロリー0」みたいな広告に踊らされて購入していた。

でも、そこに使われている人口甘味料の製造過程、開発される商業主義の背景を知った今は、あまりのおぞましさに口にすることもほとんど無くなった。

今や、飲むのは炭酸水だけ。
もう、コーラやファンタの甘さには耐えられられない。

缶コーヒーに至っては、人間の飲むものではないと思う。

でも、大企業は人口甘味料を使って製品を販売し、甘味中毒者を大量生産する。

だから、製品はどんどん売れる。

中毒者は甘味だけではなく、アルコールや麻薬でも何でもそう。

「もっと」欲しくなる。

で、ある記事を読んでいて驚愕した。

砂糖の600倍の甘味があるスクラロースのことだ。

今、アスパルテームにとって代わっているのが、この人口甘味料らしい。

でも、砂糖の600倍の甘さって、人間に必要なのか?

企業には必要だろう。

だって、儲けるためには、中毒者増やした方がいいんだから。
そうしないと、商品はたくさん売れない。

たばこだって、ニコチンの吸収率増やすために加工したんだから、食品大企業だって変わりない。

儲けのために「加工」するのは当然。

そりゃあ、法律作ってそういう食品が安全ということ証明しているでしょう。
ロビー活動だって金がかかっているんだから。

でも、そもそも人間に「必要かどうか」という点から考えてみようよ。

答えはひとつ、「NO」でしょ?

ゴルゴンゾーラの味なんてしないよっ

デパート地下のパン屋さん、新製品に「ゴルゴンゾーラチーズのパンピザ」あった。

見過ごすわけにはいかない。
その隣には「5種類のチーズパン」がある。

チーズとパン、どうしてこうもおいしくなるのだろうか。

味を想像しただけで、理性のサイズは豆粒大に縮んだ。

もちろん、結構いい値段がついている。
でも、デパートにあるパン屋なのだからうまいはずだ。

ただ、会社は良く見かける大手のパン屋。

買うのがためらわれたが、「ゴルゴンゾーラ」という単語に欲望が暴走した。

で、食べて思ったこと。

「金返せっ!」

ゴルゴンゾーラのチーズケーキを10年以上前に食べたことがある。
それは、小さなケーキ屋だった。

このチーズ味のパンチの強さは半端なかった。

ゴルゴンゾーラは、そういう味だ。
名前にこのチーズ名を使うなら、せめて味がわかる程度は入れるべきだろう。

このピザパン、味がトマトソースの味しかしなかった。
歯ごたえはパンだけではなくチーズの食感もあった。
でも、何口味わっても、ゴルゴンゾーラの味なんて判らない。

もう、二度とあのパン屋の広告は信じない。

5種類チーズを使ったパンも買ってしまった。
だって、残りは1つだけなんだもん。

たぶん、みんなも広告の表示に惹かれて買ったのだろう。

私もそうだ。

でも、もう味への期待はしない。

たぶん、普通のチーズ味でしかないだろう。

デパートの格は、どういう店が入っているかに拠る。

パンの値段は、デパートに入っている店らしく高かった。
でも、だからといって味が保障される訳ではない。

パン代は、そのことを学ぶ授業料だったような気がする。

牛乳:意味ある「期間限定」

実家に1、2日しか帰らないのに母が牛乳を買って待っている。
前回は、たった2日しか居ないのに1リットルの牛乳を「貴方のために買っておいた」と押付けられた。

この「貴方のため」が曲者だ。

買い物大好きな母、買うことが目的になっている。

2度それが続いたから「無駄なものは買わないように」と言い聞かせたら、今度は500mlパックが買ってあった。

それがなんと脂肪分4.0の「期間限定」の牛乳だ。

脂肪分4.0なんて加工乳でしか見たことがない。

でも、販売元の地元企業、そんな製品を作る会社じゃあないからパッケージを読んだ。

つまり、こうだ。

牛乳の脂肪分は季節によって違う。
夏は、あっさり、冬は脂肪分が濃くなる。

寒いから当然だ。

で、契約農家から集めた濃い牛乳だけから天然の「脂肪分4.0以上」の牛乳を「期間限定」で販売している。

母曰く、値段は、普通の1リットルと同じほどだったそうな。

でも、味はむちゃくちゃ旨かった。
脂肪は甘いと言われているが、本当にそう。

ほんのりした甘さとコクは、子供の頃、農家で飲ませてもらった絞りたての牛乳の味を思い出した。

普段、牛乳は、朝飲むカフェオレに使う。

それを知っている母だから牛乳を買っておいてたけど、その朝のカフェオレがやたらコクがあったんで、パッケージをよく読んだ、という次第。

で、コーヒーに混ぜるのが勿体無くてそのまま飲んでしまった。

コーヒーに入れるための牛乳、結局、足りなくなった。

母には言わなかったけどね。

本来の食べ方を知った時

メキシコ料理に出るサルサ、近年、大手食品業界が瓶詰めで販売し始めた。

これに、どっぷりはまった母の友人。
パンにつけて食べているらしい。

その彼女に、母が「おいしいもの」を時々お裾分けしているとお礼にある日、これを貰ってきた。

で、母に「これは、本来トルティーヤチップといっしょに食べるもんで、メキシコではパンにはつけないけどねえ。」と話して、ドリトスのコーンチップを買ってあげた。

母が、それでサルサを食べたらむちゃくちゃおいしかったようだ。

100円ショップで買えるドリトス、サルサをくれた友人にも「これに付けて食べて」と「本来の食べ方」を普及した。

その夜、彼女から「どこで買ったのっ?」と興奮気味に電話がかかってきたそうな。

ようやく、本来のメキシコ料理の旨さを知ったようだ。
田舎の町でも大企業が製品をつくれば、遥かメキシコの味が味わえるようになるとは、時代も変わった。

もっとも、現地の新鮮なサルサはもっとおいしいけど。

で、売っている場所を教えたその数日後、「あれ本当に100円で買えるの?セールだと思って一杯買っちゃった。」と追加報告があったとのこと。

大手が作るコーンチップ、味付けされているものしかないけど、本来は塩味だけの方がおいしいと思う。

それに、夏場ならトマトとハラペーニョがあれば簡単に作れる。

今年の夏は、彼らに新しい味を体験させてあげよっと。