小池龍之介氏のWEB寄稿文に「買い物に走る人の心理」の説明があった。
筆者曰く、買い物は「自分の支配欲」を満足させる行為だそう。
で、この行為、「一般的に、日々の生活で精神的に満たされていない人、自分の力を実感できない人ほど、その欠乏感や無力感を覆そうとして、買い物に走るケースが多いように見受けられる(引用)」とのこと。
これ、母の買い物を見ていると強く実感する。
母は、無農薬、減農薬の野菜を定期購入している。
卵も放し飼いの有精卵だ。
安い買い物ではない。
にもかかわらず、最近まで冷蔵庫の中で腐らせていることをなんとも思っていなかった。
つまり、この行為は、食べ物の安全に対して「自分が支配できる」と思いたいということだろう。
でも、送られる野菜は会社が選択するから自分で「選ぶ」楽しみはない。
つまり選択できる実感はスーパーで「買物」することで満たそうとする。
つまり金を払うことで「買うことができる」というパワーの実感だ。
金を持っていなければ買うことはできない。
だから、彼女は通販とかに騙されて高額商品を買う傾向があった。
俗に言う「賢い消費者」というお金持ちも「無農薬は値段が高い野菜」である方が自分のパワーを実感できるのかも知れない。
でも、食べ物の関係に支配力が必要だろうか?
必要なのは、尊敬から生まれる信頼関係だろう。
払うお金は彼らの努力を支える。
そして、その努力に感謝し、買い続けること。
そこに支配力は不要だ。
だから、値段が「高いこと」が「安全」ということもない。
食べること自体、リスクのあることなのだ。
だから、信頼できる生産者を支える。
その上で何か起こってもそれはそれで何とかなる。
口に入る前に料理するのは、そもそも自分だ。
大企業の商品は「安全」かもしれない。
でも、それと引き換えにした未来の健康はどうだろうか。
金の支配力で、未来の健康が買えると信じるのもいいだろう。
それもまた、お金を持った「賢い消費者」の自由なんだから。
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