2014年5月1日木曜日

「見ていない」は言い訳にならんよっ!

実家の母の冷蔵庫、毎回見るたびにげんなりする。

保存袋に入った干しかぼちゃ、カビだらけで悲惨な姿をさらしている。

「健康のためなら、死んでもいい」と矛盾が成り立つほどの健康オタクの母。
テレビで放送されている健康番組の熱烈な信者だ。

昨年は、干し野菜の番組を見てからこれにはまった。
加えて、私の食品乾燥機を使わせたら、この機械のとりこになった。

ありとあらゆるものを干しまくった。

干すだけ干すと料理はしない。
嫌いだから。

だから、私が料理する。

でも「食べる」と言ったものについては、彼女の意思を尊重している。

このかぼちゃも「食べる」と確認したものだった。

旬のおいしいかぼちゃだったのに。

怒りが炸裂した。

そうすると母の言い訳。

「見てなかったんだもん。」

そんなはずあるかい。
毎日冷蔵庫開けているのに、見てないなんて言い訳、成り立つ訳が無いでしょうに。

こんにゃくだって、いつからこの冷蔵庫に住んでいるのさ。

「見てない」じゃあない。

「食わない」んだ。

食わないなら、誰かにやるか、冷凍庫にいれろ、とあれほど教えているのに。

そもそも「料理を考えないで、食材を買うな」と何度教えたことか。
でも「嫌なことは忘れる」という得意技を持っているから、まったく学ばない。

食べたいと思ったものを、買ったことで満足し、調理しない。

一人暮らしというのに、シーズンにはかぼちゃを箱で買う。
そりゃあ、腐るだろうに。

昨年も腐らして無駄にした。
今年は、乾かしてから、やっぱり無駄にした。

買うことができる「自分」に酔っても、食べ物への不安は消えない母。

戦後、食べられない不安から、こうなるのかも知れない。

でも、みんなで分け合えば、無い時だって、助け合う関係になるでしょ。
不安が生まれるのは「自分だけ」のことしか考えないからでしょうに。



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