実家の母の冷蔵庫、毎回見るたびにげんなりする。
保存袋に入った干しかぼちゃ、カビだらけで悲惨な姿をさらしている。
「健康のためなら、死んでもいい」と矛盾が成り立つほどの健康オタクの母。
テレビで放送されている健康番組の熱烈な信者だ。
昨年は、干し野菜の番組を見てからこれにはまった。
加えて、私の食品乾燥機を使わせたら、この機械のとりこになった。
ありとあらゆるものを干しまくった。
干すだけ干すと料理はしない。
嫌いだから。
だから、私が料理する。
でも「食べる」と言ったものについては、彼女の意思を尊重している。
このかぼちゃも「食べる」と確認したものだった。
旬のおいしいかぼちゃだったのに。
怒りが炸裂した。
そうすると母の言い訳。
「見てなかったんだもん。」
そんなはずあるかい。
毎日冷蔵庫開けているのに、見てないなんて言い訳、成り立つ訳が無いでしょうに。
こんにゃくだって、いつからこの冷蔵庫に住んでいるのさ。
「見てない」じゃあない。
「食わない」んだ。
食わないなら、誰かにやるか、冷凍庫にいれろ、とあれほど教えているのに。
そもそも「料理を考えないで、食材を買うな」と何度教えたことか。
でも「嫌なことは忘れる」という得意技を持っているから、まったく学ばない。
食べたいと思ったものを、買ったことで満足し、調理しない。
一人暮らしというのに、シーズンにはかぼちゃを箱で買う。
そりゃあ、腐るだろうに。
昨年も腐らして無駄にした。
今年は、乾かしてから、やっぱり無駄にした。
買うことができる「自分」に酔っても、食べ物への不安は消えない母。
戦後、食べられない不安から、こうなるのかも知れない。
でも、みんなで分け合えば、無い時だって、助け合う関係になるでしょ。
不安が生まれるのは「自分だけ」のことしか考えないからでしょうに。
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