2014年2月23日日曜日

食べないのに何故買うの?

母の冷蔵庫、見ていてとてもげんなりする。

食べないのに、スーパーで見て「食べたくて買った」というキノコが料理もされず、生き絶え絶えになって救いを求めている。

高価な野菜も、調理を待ちくたびれて「ふて腐れて」いる。

仲間の会で配られたお菓子、「要らない」と断れなくて冷蔵庫の箱に放り込んである。

賞味期限は見たくもない。

町内会の宴会などで配られる100円ショップのお菓子も例外ではない。
だって、母はお菓子が嫌い、私は食いしん坊だ。

不味いものは食べない。

だから、そのまま、別の老人会に持って行かせている。
少なくても、そこなら食べたい人が居る。

この飽食の時代、人は食べ物を「とりあえず」買う。
企業は潤うけれど無駄な行為だ。

そんなことを10年続けた母、最近少し変わり始めた。

私は母が何をしても怒らない。
でも、母に美味しい野菜を腐らせているのを見つけた時は、怒る。

「どれだけ、苦労して農家の人がこの作物を作っているか、考えたことがあるか?これを腐らすことは、彼らの労力をゴミ箱に捨てることなんだよっ。」と繰り返して説明してきた。

この説明は、彼女が自分の「消費行動」を振り返る結果になったようだ。

そうやって、食べ物を腐らすことが、どれだけ彼らに失礼な行為かを意識し始めた。

以前、彼女にとって食べ物は「金で買うもの」だった。
今は、そこに「生産者」をイメージできるようになった。

そして、大企業の消費洗脳の戦略も。

だから、「買う商品」や「買う量」を考えるようになった。
結果、「食べられない食べ物」を見る「量」が減った。

行動が変わる。
これが重要だ。

食べられる量だけ買う。

野菜や肉を食べる時、生産者を思うことで消費者の行動は変わると信じている。

でも、時に食欲は暴走するけどね。

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