2014年2月17日月曜日

値段がつけられる「安全」と「安心」

すごくいやらしいラジオ広告がある。
それが、どうも「賞」を取ったらしい。

それは「おいしいは安全」という広告。

言いたいことは、地元の食品は「安全だからおいしい」という理論展開だ。

それも子供の声を使って「大人が子供に教える」ドラマ風に作られている。

この「おいしいものは、安全である」というイメージの押し売りに、強烈な嫌らしさを感じた。

一般的に、高価なものは美味しい。

CMは、この一般概念に「高価なら安全」という思考を普及させて「高価なものは、美味しくて安全だ」というイメージを作ろうとしている。

これは「安価なら、まずくて危険だ」という概念の普及ともいえるだろう。

そもそも、食べることはいつでもリスクがある。

それが安全かどうかなんて誰がわかるのだろう。

食べて死なないことを「安全」というのなら、近年の先進国で食されるほとんどの食べ物は安全だ。

安心や安全に値段をつけてしまうと、信頼関係も値段で決まることになる。

生産者と消費者、商品を介して「信頼関係」を作る。

でも、どこで買うかは「金を出す私の自由」という消費者、自分達が「食べる物」を作る人達に対して、所詮、値段とブランド(産地)でしか判断しない。

そうやってできるのが「信頼関係」だ。
当然、彼らの人間関係すべてに値札(肩書き)がついているのだから、食べ物がだけが特別ではない。

彼らは、安心や安全に「値段」を付けて、損得を決められることに「安心」する。

でも、まったく意味のない「安心」だけどね。

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