2014年2月18日火曜日

食べる時は無言、会話しながらなんて無理

旨い鍋を食べている時、みんな会話を忘れて無言になる。

「楽しく会話をしながら食べましょう」なんていう人がいるけれど、本当においしいものを食べている時、会話なんて無理。

食べることにだけ専念しているんだから。

以前、自宅に友人を呼んで食事会をした時もそうだった。

餃子を作って、テーブルに運ぶ。
キッチンに戻って、また作って運ぶ。

これを三回ほど往復した。テーブルに行くたび、餃子は消えて、誰も話をしていない。

ひたすら食べている。
まるで戦後の欠食児童のようだった。

その時、思った。

「みんな毎日、何食っているんだ?!」。

私にとって普通に美味しい食べ物も彼らにとっては「物凄く旨いもの」だったらしい。

その餃子への賞賛は、食べ終わってから、材料から調理方法まで根掘り葉掘り聞かれたことが証明している。

もちろん、皿は空っぽだ。

だいたい、餃子なんて100個作ったって500円もかからない。
味のバリエーションを変えてその倍作っても1000円でおつりが来る。

冷凍できるから、余っても問題なし。
チキンスープを作って冷凍餃子をいくつか落とせば夕食にもなるのだから。

大勢で食事をするのは、会話や親交だけが目的じゃあない。

まず、みんなで食べる喜びを感じる。
そして、食べた後の満足した顔は、作り手に達成感を与える。

役割分担なんてどうでもいい。
出来る人ができることをすればいい。

料理ができなければ、学べば良い。
それまでは、食器を洗えばいい。

作る側も食べる側も、お互い与え合うものがあるのだから。

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