旨い鍋を食べている時、みんな会話を忘れて無言になる。
「楽しく会話をしながら食べましょう」なんていう人がいるけれど、本当においしいものを食べている時、会話なんて無理。
食べることにだけ専念しているんだから。
以前、自宅に友人を呼んで食事会をした時もそうだった。
餃子を作って、テーブルに運ぶ。
キッチンに戻って、また作って運ぶ。
これを三回ほど往復した。テーブルに行くたび、餃子は消えて、誰も話をしていない。
ひたすら食べている。
まるで戦後の欠食児童のようだった。
その時、思った。
「みんな毎日、何食っているんだ?!」。
私にとって普通に美味しい食べ物も彼らにとっては「物凄く旨いもの」だったらしい。
その餃子への賞賛は、食べ終わってから、材料から調理方法まで根掘り葉掘り聞かれたことが証明している。
もちろん、皿は空っぽだ。
だいたい、餃子なんて100個作ったって500円もかからない。
味のバリエーションを変えてその倍作っても1000円でおつりが来る。
冷凍できるから、余っても問題なし。
チキンスープを作って冷凍餃子をいくつか落とせば夕食にもなるのだから。
大勢で食事をするのは、会話や親交だけが目的じゃあない。
まず、みんなで食べる喜びを感じる。
そして、食べた後の満足した顔は、作り手に達成感を与える。
役割分担なんてどうでもいい。
出来る人ができることをすればいい。
料理ができなければ、学べば良い。
それまでは、食器を洗えばいい。
作る側も食べる側も、お互い与え合うものがあるのだから。
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