2014年2月17日月曜日

「リスク0」の食品を求める先にある社会

あるフランス人の幼児教育者と知り合った。
当然、英語学校で教えている人だ。

日本に住む西洋人、そうでない人の方が少ない。

フランス語も教えているらしい。
でも、キャリアは幼児教育者だから、私と話が合う。

自分自身の天職は教員だと思うけど、職場として組織的価値観で動く学校を選ばなかっただけだ。

ある夜、彼女と話す機会があった。
このように、新しい知り合いとは、向き合って話す。

1時間でいい。
その人に向き合って話せば、その人について知ることは多い。

同じ空間で話せば、その人が醸し出す雰囲気、話の内容に興奮して思わず出るゼスチャー、そしてなにより、真剣に教育の未来を語るときの情熱も共有するのだから。

そして、魅力的な人だと思った。

いろいろな話をしたが、ある話がとても興味深かった。

彼女がフランスでのキャリア時代の話だ。

保育園でケーキを焼いたら使った卵が汚染されていたらしく食中毒が発生した。

それで、保育園で卵を使うことが禁止された。

工場生産のパウダー卵なら、使ってもいいらしい。

彼女は「どんなものを食べてもリスクがあるんだから、禁止してどうなる訳じゃあない」と熱く語る。

もっもな話だ。

ただ、先進国の発想はどこも変わらない。

工場製品なら、安全である「神話」が普及すれば、大企業は儲かる。
政府は規制することで、訴えられるリスクを減らせる。

大企業にも政府にも、規制はメリットしかない。

で、誰がデメリット(悪影響)をかぶるのか。

それを求めた消費者だ。

「未来の大人」は、卵は工場のパックを開けると出ることを小さい時に学ぶ。

卵を割る力加減を体験するチャンスもない。

食べることは生きること。

100%の安全なんてありえない。

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