2014年4月29日火曜日

食べ物は「ゴミ」なのか?

日本には、どこにでも食べ物が溢れている。

宴会にゆけば、最後はテーブルに余った食べ物が並んでいる。

それらはゴミになる運命だ。

ファーストフードに入れば、1分でハンバーガーが食べられる。
残して捨てても、金は払っているのだから問題ない。

みんな、お金を出せば食べられることが当然だと思っている。

でも、その食べ物、誰かが作っていることを意識しているだろうか。
その原料を作る(育てる)ために、他の国の人間が餓える現実を考えたことがあるのだろうか。

食べ物を捨てることは、作ってくれた人達に対して傲慢で、失礼な行為だ。

そして、「金を払ったら、俺の自由だ」という考え方もまた持てる者の傲慢以外、なにものでもない。

飽食はキリスト教における7つの大罪のひとつ。
そして、食べ物を捨てる行為は、飽食と一体となす「裏側」の大罪だ。

大企業は、もっと買ってもらうために、食べ物を甘くして、油を多く使って、美味しく感じさせる。

もっと安くすれば、もっと売れる。

そうやって、消費者の欲望をあおる。

安ければ、簡単に手に入る。

そうなれば大切にしない。

簡単に買えるものは、簡単に捨てる。

こんな社会じゃあ、「食べる物を大切にする」ことすら学べない。
だって、また買えばいいのだから。

そして、日本では「食べ物」が「ゴミ」になる。

世界のどこかで、食べられなくて死んでゆく子供がいることなんて、誰も考えない。

「自分の金で、食べたいものを買うことに、何が問題なのか?」という人がいるだろう。

その「考え方そのもの」が問題なのだ。

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