日本には、どこにでも食べ物が溢れている。
宴会にゆけば、最後はテーブルに余った食べ物が並んでいる。
それらはゴミになる運命だ。
ファーストフードに入れば、1分でハンバーガーが食べられる。
残して捨てても、金は払っているのだから問題ない。
みんな、お金を出せば食べられることが当然だと思っている。
でも、その食べ物、誰かが作っていることを意識しているだろうか。
その原料を作る(育てる)ために、他の国の人間が餓える現実を考えたことがあるのだろうか。
食べ物を捨てることは、作ってくれた人達に対して傲慢で、失礼な行為だ。
そして、「金を払ったら、俺の自由だ」という考え方もまた持てる者の傲慢以外、なにものでもない。
飽食はキリスト教における7つの大罪のひとつ。
そして、食べ物を捨てる行為は、飽食と一体となす「裏側」の大罪だ。
大企業は、もっと買ってもらうために、食べ物を甘くして、油を多く使って、美味しく感じさせる。
もっと安くすれば、もっと売れる。
そうやって、消費者の欲望をあおる。
安ければ、簡単に手に入る。
そうなれば大切にしない。
簡単に買えるものは、簡単に捨てる。
こんな社会じゃあ、「食べる物を大切にする」ことすら学べない。
だって、また買えばいいのだから。
そして、日本では「食べ物」が「ゴミ」になる。
世界のどこかで、食べられなくて死んでゆく子供がいることなんて、誰も考えない。
「自分の金で、食べたいものを買うことに、何が問題なのか?」という人がいるだろう。
その「考え方そのもの」が問題なのだ。
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