食いしん坊の母親、かつて、食べ物への興味は「栄養」だけだった。
野菜炒めに「塩コショー」という「味さえ付けばいい」という俗悪の代物を使って味をつけ、柔らかい野菜などは原型を留めないほど長く炒める母。
「野菜は肉の5倍食べなきゃならないんだから」と言って、夕食の焼肉の時に必ず添えられるこの野菜炒め、トラウマになった。
この体験で学んだのは「野菜炒めは絶対的に不味い」ということ。
それが「美味しい」と感じる境地に至るまで30年はかかったと思う。
彼女、最近味覚が向上したのか、美味しいものが判るようになった。
とは言っても、自分で探すほどの欲望は沸かないらしい。
元々、あまり食べ物に興味く「どれを食べても美味しい」し、「生クリームは食べると気持ち悪くなる」という体の持ち主だ。
興味は社交一辺倒。
帰ると延々と仲間の派閥闘争やそこでの駆け引きを語り続ける。
そんな母と「人の縁」の話をしていた。
「一期一会なんだから・・・・」と結構感動的な話の最中、突然「そうだ、イチゴ、あんたと食べようと思ってとってあるわ。」と言う。
話が繋がらない。
「?」と思って聞いてみると「一期一会」の「イチゴ」という言葉を聞いて思い出したとのこと。
大笑いするしかない。
彼女、話なんて聞いていない。
というより「音」しか聞いていない。
つまり、言葉の意味をイメージしながら「話の内容を理解しようとしない」ということ。
彼女は「想像する」ことがなにより苦手な人だ。
だから、見えなければ忘れる。
見えるものだけ、理解する。
食べないものは冷凍庫に入れる。
そして忘れる。
会話も想像力が乏しいので、「音」しか認識しない。
決して聞いて「いない」訳ではない。
昔はそんな母に対して「話を聞かないっ」と怒っていたけど、今ならそんなことも笑えるようになった。
彼女と私の違いを理解したからだ。
少しづつだけど美味しい食べ物をいっしょに食べることで、母が、私が、私達の関係が、変わってきている。
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