2013年12月12日木曜日

「規格外」としての魅力は?

先日、食いしん坊の友人と2日連チャンで夕食をした時、野菜の味の話になった。

彼女は「形が悪いやつとか、小さい方が味が濃いと思わない?」と聞く。

いつも行く八百屋は、そんな商品を仕入れてきているらしく、どこのスーパーよりはるかに安い。

最初も今も、安さには惹かれるが、味もまた、確かにおいしい。

彼女が言う。

「スーパーの野菜って、形もきれいだけど、味あんまりしないんだよねえ。
母が送ってくれた長いももさ、規格外の小さいやつばっかりなんだけど、ほんと味が濃いんだよ。
近所の農家が(農協に)出せないやつ、分けてもらったらしいんだけど、スーパーで並ぶよりおいしいなら、こういうの売れないのかなあ。」

たぶん、売れないだろう。

なぜなら、みんなが買わないからだ。

野菜だけではない。

老人、障がい者、外国人。

日本の文化に他者と「違うこと」を価値と認めることは存在しない。

どんなにユニークな人も「規格外」なら普通の店(企業)には現れない。
労働市場では「売り物」にならないから。

だから、規格外は、野菜も人間もたいへんな目に会う。

ただ、人間も、スーパーの野菜が「きれいなだけで味が薄い」ことと同じ。

都会の企業に勤めてウン十年。
そういう人が持つ価値観も考え方も退屈だ。

だから「規格外」の方が断然面白いし、味がいい。

もちろん、ひねくれたやつも多いけど、それもまた個性だろう。

野菜も人も見かけで判断するのは損なことだ。

だって、重要なのは中身であり、その味なんだからね。

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