2013年12月17日火曜日

甘さを追及しても仕方ないでしょ

みかんの消費量が減っている。

当然だ。
かつてはどこの家でもダンボールで買っていた。

でも、核家族化と(皮を剥く)手間が敬遠されている。

だから、みかん農家が困っている。

そこである県が「甘い」みかんを開発中というニュースを読んだ時「それは違うよ」と思わず叫んでしまった。

「甘いみかん」はたしかに美味しいけど、それは甘いから美味しいのであって、みかん本来の旨さとは違う。

ショートケーキを食べていた時にも感じたことだけど、旨さは甘みだけでは絶対に飽きる。

程よい酸味があるから、甘みが引き立つのであって、この旨さの中に含まれる甘みは「糖度何度」と量れるものではない。

ましてや、みかんをどれほど「甘い」食べ物にしても砂糖の200倍の甘さのコーンシロップを日常的に口にしている現代人が「美味しい」と感じるほど甘くなるとは思えない。

彼らがみかんを食べると、甘みより先に酸味を感じるはずだ。
だって、みかんの甘みは彼らの舌には「十分に甘い」訳ではないのだから。

みかんは美味しい。
特に日本における新種かんきつ類の開発は、技術だけでは成功しなかっただろう。

掛け合わせたときの味のイメージが無ければ、これだけいろいろなかんきつ類が世の中に出ているはずがない。

人間の想像力は、実行への原動力だ。

だからこそ、甘いだけで「売れるみかん」になるはずがない。

「おいしいみかん」を作れば、結果的に「売れる」のだ。

結果と目的を取り違えると、ろくなことにはならない。

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