母がシソ味噌巻きをもらってきた。
とても手間がかかっている。
自家製の味噌をシソの葉に少しずつ巻いてある。
ひとつ食べると極上の味が口に広がる。
すぐに妄想は膨らむ。
季節は新米が出始める時期だ。
このシソ巻きを炊きたてのご飯の上に乗せて食べたらどれほどおいしいだろう。
そういう時は、やっぱりササシニキか。
でも、北海道のゆめぴりかもおいしい。
半分食べたら、出汁をかけてもおいしそうだ。
地元の大豆でできたあの納豆とあわせてもおいしいだろうなあ。
おにぎりの中の具にしてもうまそうだ。
おいしいものは、他のおいしいものへの欲望を刺激し、果てしなく妄想させる。
お米への偏愛を持たない母に、こういう思考が理解できないらしい。
彼女は無農薬だからという理由で、一人暮らしなのに10キロの米を買った。
知り合いから「特別に分けてもらった」らしく安い買い物じゃあなかったようだ。
でも、消費するのに2年以上かかった。
実家に戻るたびに、古米に雑穀を混ぜて「無農薬だから」と言われて食わされていた。
1年後、私は実家に戻る時米を持参した。
母も、2年を過ぎる頃には、さすがに耐えられなかったようで、最後はかなりの量が庭に来るすずめのえさになった。
米が「野菜だ」と実感したのは、新米のおいしさを知ってからだ。
収穫したばかりのお米で炊いたご飯もまた秋の「旬」にしか味わえない。
脇役の「シソ味噌」だが、その渋い深みのある味は、季節の主役「新米」を引き立てる。
見かけは、芋虫が並んでいるようにしか見えないけど。
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