2020年4月1日水曜日

「美しさ」と「美味しさ」

シェフのことはいろいろ思い出すけれど、何より思い出すのはその技術の高さだ。
彼は、仕事において「手を抜く」という概念を持っていなかったと思う。

ファーストフードが一般的になり、料理自体も簡便化が進み、時間や手間がかかる料理を作る人が居なくなった。
それは、同時に彼らを支えるようなパトロンが居なくなったということ。

アートもそうだが、理解者となるパトロンが居なければ、消えてしまう。
シェフは、そんな芸術肌の師匠の元で修行をしていた。その師匠が自費出版で出した本を貸してくれたので、そこから感動したことを書いたのがこれ。

============
2019年1月20日
最近、日本のフランス料理の歴史について書いてある自費出版で出された本を読む機会があった。当時のメニューや写真が盛り込まれたすごい資料だ。

日本のフランス料理、明治開国時代から、本場フランスにひけをとらないほど、本格的なものを作るシェフ達がいた。「西の帝国、東のオリエンタル」と言われたらしく、当時のシェフ達の舞台は、ホテルレストランが主流だった。

残っている資料を見る限り、これらレストランが提供していた料理のレベルは、海外でブームになったような「日本食もどき」のようなものではなく、本場と比較しても引けを取らないものだったらしい。

そういう時代のメニューやレシピ、食材納品書までが東京大震災や大空襲を乗り越え、残っていたこと自体、奇跡だ。だって、鹿鳴館でどんなものが提供されていたか、が判るのだから。

そういう古い資料が発見され、現代のトップシェフ達が集まれば、当然「味を再現しよう」というプロジェクトが生まれる。そりゃあ、そうだ。私だってそんな機会があるのなら、是非食べてみたい。

本の中には、再現された料理の写真がいくつもあった。ソースも肉も「どーん」と主張している。昨今よく見る「ヌーベル・キュィジーヌ」とは対極にある重量感だ。
これなら、胃だって十分「食べたっ!」という気になる。

しかし、皿には彩の良い付け合わせと共に美しくデザインされて盛られている。
「インスタ映え」するような高級感を醸し出している。

ただ、これら、至極の技術と味が凝縮された一皿だ。
肉を覆うドゥミグラスソースなんて10日もかけて仕込んでいる。
(これも昔は、宮内庁調理場では使っていた「幻の技法」だ。)

フランス料理は、皿に「美しく盛られている」から「美味しく感じる」のか。
それとも「美味しい」から「美しく盛る」のか。

どっちかなんて解らないけど、ひとつだけ解ることがある。

本物の料理は、目を引くために「盛る」必要がない。

プロが作る極上の一皿はどれも美しい。

だから、食べる前に30秒でいい。
そのレイアウトや色合いの美しさを眺めて欲しい。
きっと、もっと美味しく感じられるから。

==============
フランス料理は一般的に「量が少ない」「コストパフォーマンスが悪い」とか、値段と比較して評価されがちだ。

でも、そこで提供されているのは1万円札じゃあない。
長年の技術と経験に裏打ちされた1皿である。
消費者がその価値を見出さなければ、作る人は消えて行く。

映画や音楽も同じ。ユーザ―が海賊版やコピー商品を「安いから」と消費し続ければ、良いものを作る人が消えて行く。

シェフが居なくなって、1度の食事に、何日も思い出して感動できるようなレストランが消えてしまった。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。