2020年4月2日木曜日

芋への愛が止まらない

シェフの店、ランチもやっていた。コースランチは激安だったから何故かを聞いたら、こう答えてくれた。「若い人には、いきなり値段の高いディナーは敷居が高いだろうから、まずはランチでコース料理での振る舞いとか、マナーを学べたらいいなと思ったから」そうな。
もちろん、そうやって味を知ったらディナーに来て欲しいと思っていたけど、若い人たちが「きちんと食事をすること」を学ぶ必要があると本気で思っていた。

そんなコースランチを友人達と食べながら話したことがこれ。

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2019年2月10日
仲間で食事をした時、ポテトの話で盛り上がった。
ジャガイモへの食欲が止められない友人が語るに「もうポテトにぞっこんLOVEです。」とのこと。

十勝で「ポテト」と言えば、ジャガイモだ。

昔、東京に住んでいたときスーパーで「ジャガイモ」と表示されて売られていたのに驚いたことがある。なぜなら、十勝じゃそんな表示はしない。
「男爵」とか「メークイン」とか「北あかり」とか、品種を表示して売っている。

今でこそ、グルメ雑誌が、ジャガイモの品種別でポテトサラダを作って比べることが記事になるが、当時、芋は「ジャガイモ」か「さつまいも」の違いがあるだけだった。
普通のスーパーで品種の違うジャガイモがいくつも売られているなんて、ジャガイモ畑を見たことも無い都会人には想像することもできなかったと思う。

十勝でも、田舎の人は「芋なんて買うものじゃない」と豪語する。

「あれは貰うもんだ」と。

農家が聞いたら怒るんじゃあないか、と思うが、それほど珍しい話じゃあない。食料自給量1000%を超える土地柄じゃあ、それを放言した人の周りもその意見にうなずくほど、知り合いにはジャガイモを作る農家が多い。

ジャガイモへの愛が止まらない友人は、発作的に「ポテトが食べたい」ということになるとマクドナルドに直行する。体がフライドポテトを求めるらしい。

「あんなに細いし、しゅるしゅる入るから、カロリーが多いわけない」とか、芸人みたいな言い訳している。

油を目いっぱい含んだ芋だ。そんな訳がない。

かつて「私の血は赤ワインでできている」と言った人がいたが、彼女曰く「私の体はポテトでできている」とのこと。

彼女の理性は、完全にポテトに追い出されている。

フライドポテト、今では知らないけど、専門店までできるほど一時ブームになっていた。
ハーブを投入した油で品種別の芋をフライにして、結構な値段で売っていた記憶がある。

そんな話をしながら、ポテト料理の話になった。

ベイクドポテト、ポテトグラタン、マッシュポテト、という話になり「じゃあ、ビシソワーズは?」と聞くと微妙とのこと。彼女の愛は、芋の姿が見えないとあまり湧きおこらないらしい。

たしかに、愛は相手が何者かがはっきりしないと感じない。芋でも、人間でも。
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シェフは生産者の人達ととても仲が良かったから、彼らから時々余った食材を貰っていた。もちろん、普段から買っているからそういう関係になれたと思う。でも、そもそも信頼関係とは付き合いの積み重ねでしか生まれない。

シェフが居ない今、積み重ねられるのは、思い出だけだ。

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