2020年4月21日火曜日

何が注文できるのですか

このレストランのブログを書くことになって一つシェフに約束したことがある。作る人の悪口は書かない。それは、食いしん坊のブログでも同じだ。だからこそ、これを公開すべきか悩んだ。しかし、事の顛末をシェフに話した時、いろいろな議論ができたから公開することにした。
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2019年3月31日
先日、友人とイタリアンレストランに行った。
コース料理でもなく、アラカルトを頼んだ。

アラカルトだから、テーブルにあるメニューから頼む。当然だ。

問題はデザートの時に起こった。

メニューに書いてあるから、珍しそうなものを注文する。
同じカロリーを摂取するなら、コンビニや自宅で作るものじゃあないものを食べたい。
たしか、グラニテだった。

ウエイターが戻ってきて「ごめんなさい、切らしています。」という。

別なデザートを頼むと戻ってきて「すみません。こちらも切らしています。」という。

これは体重計からのお告げだと思って、諦めた。コーヒーを頼んだら、
「マシンが今壊れてしまって・・・」とくる。

じゃあ、同じ飲み物を、と頼むと「それが、最後の1本でした。」とのこと。
ここまで来ると、これが出た。「じゃあ、何が注文できるのですか」と。

シェフが出てきてかなり恐縮しながら「ちょっとずつの盛り合わせはできます。」と繰り返し言う。
つまり「デザート盛り合わせ」に使うバニラアイスなどの定番デザートは、注文できるということだろう。
コーヒーは飲めない上に、デザートも選べないなんて・・・悲しすぎる。

こんな体験をすると個人レストランに「印刷したメニュー」が必要なのか、と思う。
サイトとかでもそうだ。たくさん情報があればあるほど、料理への期待は高まってしまう。

食事は、メニューを「選ぶ」段階から始まっている。選んだものが「食べられない」という失望感は、次に何が出てきてもその「食べられなかった1番目」より劣ってしまう。

オランジュのコースディナーのように細かい情報を「知らない」なら、失望感は生まれない。
一皿との「美味しい出会い」は「感動」を生む。

レストランだって、材料の値段によっては何か月も「切らす」一品もあるだろう。
メニューの商品が「切れています」と答えることで、どれだけの客の信頼を失っているか、考えたことはあるのだろうか。

それより、こんな、お互いにとって不幸になるようなメニュー表記は一体誰が必要とするのだろう。

レストランは、仕入れに寄って作れる料理が異なる。それでいい。
客が知る必要があるのは、それが「何か」で「いくらか」だけだ。
料理が判らなければ、店員に聞けばいい。
それが嫌なら、スマホで検索すればいい。

レストランには、料理を売って欲しい。

特に、個人レストランは、ファミレスじゃないのだから。
年中「印刷されたメニュー」を作るだけになって欲しくない。

もっと自由に、素晴らしい技術を発揮してもらって構わない。
食材が手に入らないなら、メニューに入れなければいい。

それが毎日違っても、毎週、毎月違っても、それでいい。
決まったメニューになんて縛られなくていい。

値段は確かに知りたいが、「一番安い一皿」を注文したいためにメニューを見るのではない。
「食べたい」から選んだのだ。

財布と体重計が理性と共に選んだ1品だ。選んだその一皿を食べるまで満足はしない。

シェフが勧めたデザートの盛り合わせ、完食したけど・・・・
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欧米のビストロクラスの店にある印刷されているメニューは、飲み物だけだった。たしかに定番料理のリストはあったかもしれない。でも、大抵のオーダーは黒板に書かれたものからしたような気がする。

当時店では、すでに固定メニューが無かったけれど、シェフはその運営がどうして難しいかを説明してくれた。お客様がが値段で料理を選ぶから仕方がないらしい。でも、それだと店はオーダーがなくてもある程度は仕込まなければならない。これって、誰もハッピーにならない仕組みだ。

「お客様」が「神様」という「階層」が壊れた時、初めて儲け以外の価値観が重要視されるのかもしれない。

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