2014年1月28日火曜日

値段と食べ物

ある休日、一日シェアハウスの大工仕事に他の住人と費やした。

そうしたら、管理人が近所の美味しい弁当をおごってくれた。

彼の奥さんは、ちっちゃな子供といっしょにシュークリームを持って来てきてくれた。

彼らは、値段については一切話さなかった。

ランチは、素朴な味だけど、とても美味しい。
さばの弁当、おかずは全部普通の家庭料理だ。

でも、盛り付けも色もお世辞にも「魅力ある」ものには見えない。
でも、ここで買う人には関係ないんだろう。

だって、ほんと、旨いもん。

特に大根の煮付けが美味しかった。
管理人は、この店をやっている人の背景や他のメニューの話をしてくれた。

メニューがみんな違ったから、大根の煮付けをみんなに味見させた。
食事を分け合うというのは、親近感も増える。

そんな時間を自分自慢に費やす人もいる。

持ってきた食べ物がどれだけ、有名で、お値段は「こんなに高いのよ」と、とうとうと語る。

貰った私は、友情のためにも、それをありがたがる「必要」がある。

まあ、相槌打つ位しかしないけど。

貧しき友人達での話題は、食べ物がどれだけ安かったかだ。
だって、生活かかっているから。

ただ、奢ったものの値段を話題にする友人と、しない友人、食べ物に対する価値観が浮かび上がる。

それ以上に、人間性まで現れるというと大げさだろうか。

食べる行為は、本当にその人の人間性を浮き彫りにする行為だ。

結局、食欲や性欲、人間の欲望に基づく行為はどれも、相手の人間性「そのもの」に向き合うものかもしれない。

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