2020年3月26日木曜日

フォアグラと恍惚感

これは、12月向けの撮影をした時に書いたもの。
クリスマスシーズンのために、HPも華やかなものにしようということでリボンなどを使ってみたが、シェフの料理に必要なのは料理だけだった。

このブログはその撮影の後に食べた感想。

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2018年12月01日

人生において、何度かフォアグラを食べたことがある。
たいていはねっとりしてそれほど「食べたい」という欲望がわく一品ではなかった。

ただし、2回だけそれを覆す体験があった。

1回目は、東京広尾のひらまつで食べたフォアグラ。
これはほとんど加工されていなかったけど、口に含んだ瞬間
その舌触りと風味のショックで気が遠くなった。

2回めは、ここオランジュのフォアグラを使ったテリーヌ。
こちらはフォアグラそのものの美味しさはもちろん
組み合わせる素材とのバランスが絶妙だ。

これ、ある時シェフから「はい」と出された。
今年のクリスマスコースディナーCで出そうと考えているとのこと。
断面をみて「フォアグラ」が入っているのはすぐわかった。
美しい一皿、とは思ったがそれほど食欲は刺激されなかった。
「おいしいフォアグラ」なんて絶滅危惧種みたいに出会えないと思っていたから。

その時はまだこの一皿の威力を知らなかった。

で、一口食べたら、頭の中でハレルヤコーラスが聞こえた。
「ソロ」のフォアグラに感動したことがあっても
「ハーモニー」のフォアグラに感動したことはない。

作り方を聞くと、ものすごく手間がかかっている。
使っている食材を選ぶことも、味のバランスを考えることも、
テリーヌを作る技術もすべて凝縮されたプロの一皿。

一口食べては、口の中でその素材のハーモニーを楽しむ。
皿が空になった後は、恍惚感がしばらく続いた。
シェフが何か話していたけれど何一つ覚えてない。

舌の感動は3日続いた。

一緒に食べる人がいればなんでも「美味しい」というのは事実だ。
でも、一緒に食べる人が居なくても「美味しい」一皿は、確かに存在する。



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彼は、このテリーヌを作るのに何日もかかると話してくれた。
素材のフォアグラだってお金を払えば手に入るという訳ではない。
それを扱う技術だって、誰でもできることではない。

すべての素材や技術、そして料理への情熱がすべて料理人に集まらないとこんな料理は食べることはできない。

仕事が「効率化」と「時給」だけで語られる21世紀に、こんな料理を作ってくれる料理人は育つのだろうか。



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