2020年3月30日月曜日

冒険と勇気

シェフの舌を絶対的に信じていた。

だから、シェフが作る料理を信じていた。シェフが使う素材を信じていた。
それを試してみないではいられなかった。
その一つがこれ。

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2019年2月10日
コースディナーでシェフが「白子食べられますか?」と聞いてきた。
一瞬返事に詰まった。白子、かなり苦手だったから。

自分からは絶対に買わない。鍋に入っていても絶対に箸をつけない。
どうしても美味しいと思えない。

でも、シェフが使う「白子」だ。シェフが調理する「白子」だ。
だから「大丈夫です」と返事をしてしまった。

そうしたら、リゾットの上にちょこんと乗った白子が出てきた。
表面はこんがり焦げている。

でも、白子だ。本当にうまいのだろうか。

勇気を出してリゾットといっしょに口に入れた。
魚介の風味とキノコの風味が混じり、舌にとろけるような感触がある。
この白子がなくても十分においしいリゾットだけど、この白子がどれだけ味にアクセントを加えているかは、食べ比べると明白だ。

記憶にある臭みなどは皆無。風味と滑らかさに舌の記憶が置き換わる。
「ぬるっ」の記憶が「とろり」となってゆく。

新しい体験をすることは、勇気がいるけど、こういう体験が続くと考えさせられる。
人は、どれだけ先入観のために感動するチャンスを失っているのだろうか。
勇気を出して苦手なものも食べるだけで、新しい自分に出会える。

こんな価値観を逆転するような体験は、食べた食材が忘れがたいのはもちろんだけど、それを提供してくれたシェフだって記憶に刻まれる。

結局、レストランはただ食べるだけじゃなくて新しい「自分」を含めた「人」と出会う場所なんだなあ。

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こういうことがあるから、レストランを「コストパフォーマンス」で評価する人達の言葉は全く理解できない。
ミシュランや食べログ、いろいろな「評価」が他者が作った料理を裁断する。それを信じるのは人それぞれだが、その「評価する料理」を食べた人が得られるのは一体なんだろうか。

少なくても、人生に変化を与える一皿じゃあないことは間違いないと思う。

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